苗字

 わたしの実家の苗字は珍しい。
「○○です」と名乗って、1度で理解されたことはまずない。
学校を卒業してすぐ勤めた会社で、私あてに書類を送ってもらうのに
電話口で名乗ったところ、復唱もせずに、はい、わかりましたと電話があっさりと
きれたので、イヤな予感がしていたら、案の定、「ヌリカベ様」と堂々と明記された
封筒が届き、あ然としたこともある。
 カモツカさんという同僚のところにある日「カモシカ様」と書かれたハガキが届いた時には、指を指して大笑いをしたが、妖怪の名前に間違えられるよりはよっぽどこちらのほうがマシだと内心思った。
 初対面の人に名乗る機会の多い職場では、何度も説明をするのがこちらもつい
面倒になり、多少ちがっていてもハイと答えてしまうものだから、ますますいい加減な名前で郵便が届いたりした。
 親戚一同この苗字にはわずらわしい思いをさせられたらしく、いとこや叔母は嫁いでこの姓から解放されてせいせいしたと今でも話しているくらいである。

 学校では、学年が上がると新しい担任の先生になる。
アイウエオ順に出席をとっていくのだが、ア行、カ行、サ行と順調にすすんできたあと、
わたしの前で必ず沈黙が訪れた。
 なんとよばれるかひとごとのように興味を持って黙っていたこともあったが、読み方をまちがえると、「ぞうきん」と聞こえることもあるのに気づいてからは、相手方のとまどった様子を察したらすぐに、○○です、と自分から名乗ることにした。
 小学校では担任の先生ひとりに名前を覚えてもらえばいいが、科目ごとに先生が変わる中学校では、しばらくの間は出席をとるたびに、少し緊張した。
 
 運動会を控えてのフォークダンスの練習では、出席番号順で男子と女子がペアを組んでいくのだが、いつも男子のほうが2,3人多く、取り残された彼らは(たいてい吉田君か、渡辺君だったが)しかたなく、男子同士で組まされた。
 周りが囃すものだから、照れくさそうにお互いそっぽを向いたり、ふざけあったりして、そのペアだけ練習に身がはいらないようだった。
 それでも組む相手が同級生ならまだいい方なのだった。
 悲惨なのは最後のひとりである。相手がいないので、体育の先生と組むハメになった。
 「それじゃあ、まず先生がやってみます。」と言う声とともに、輪の真ん中へ引っ張り出され、
 「前へイチ!、後ろへニ!」と元気に号令をかける先生に半ばひきずられるようにして、ドタドタと動き回り、完全にみんなの見世物になっていた。

 学期の途中で転校していく子は、お世話になったお礼にと、鉛筆やノートをクラスの全員にことづけてくれた。
 出席番号順にひとりずつ好きな色の鉛筆やノートを選ぶ。
 フルーツの香りがするメロンやパイナップルの模様のついた鉛筆を、ア行のクラスメートに先に持っていかれてしまい内心がっかりしたが、脇さんという少しとりすました美人顔の女の子が、先っちょに消しゴムのついた、味もそっけもない無地の鉛筆を手にしてつまらなそうにしているのを見て、わが身をなぐさめた。
 出席をとるのはもちろん、答案を返すのも予防注射も苗字のアイウエオ順でおこなわれることの多い学校生活では、1番始めのア行はプレッシャーが強すぎ、さりとて、ワ行の悲劇をまのあたりにしているので、中間どころのタ行というそれだけが、わたしの苗字の利点だったように思う。

 保育園に子供を預けていた数年間は「△△君のお母さん」と呼ばれることが多くなった。
 それまで苗字やあだ名で呼ばれることの多かった耳には、それがとても新鮮にそして心地よく響いた。
「おー、そうだった、そうだった、そういえばわたしはこの子のお母さんだったのだ!」と、自覚を促されるような気がし、同時に、お母さん仲間にいれてもらえたような、そんな感じだった。
 夕方のお迎えの時間ギリギリに慌しくかけこんで、周りを見る余裕のない時に「△△君のお母さん」、そう呼ばれたその時だけ、時間がゆっくり流れるような気がした。

 現在は聞き間違えられることも、読み間違えられることもない、ごく一般的な苗字を名乗っている。
 仕事をする上ではわずらわしさもなく、実用的で、ファーストネームとも馴染んでいて、その点は気に入っている。
 ただ、その珍しさ故にあだ名や呼び名に事欠かなかった実家の苗字、今も時々メールや手紙で当時の呼び名で呼ばれると、わたしの記憶はそう呼ばれていた時代にまでさかのぼっていくのである。
                                      2002/1

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