ランドセル

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 小学生の頃、集団下校というのがあった。登校の時と同じ班ごとに集まって家に帰るのだ。
 あれはわたしが2年生の時のことである。校庭に立てられた、地区名の書いてある板のうしろに班ごとに並んで座り、出発までの間、先生の話を聞いていた。
 先生の長い話に退屈したわたしは、地面の砂に指で絵を書いたりしていたが、それにも飽きてしまったので、前にしゃがんで座っていた男の子のランドセルに、砂をひと握りかけた。 同じアパートに住む、色が白くまつ毛の長い1年生。真新しいランドセルが彼の小さい背中におおいかぶさるように乗っかっていた。
 わたしの手を離れた砂はさらさらとランンドセルをすべり落ち、そこだけ白く筋状に染まった。わたしは夢中になって砂をかけ続けた。黒く光るランドセルはみるみる白くまぶされていく。
 彼の小さな頭はランドセルに隠れて表情は見えなかったが、「やめてよ」と言うわけでもなく、気づいていないように思えた。ただ、身動きひとつせず、じっとしたまま前を向いていた。
 それでは車に気をつけて、という先生の言葉を合図にわたしたちは立ち上がった。
真っ白いランドセルを背負ったままその子も立ち上がり、わたしたちは並んで帰った。
 そのことはそれっきり忘れてしまった。
 
 ことの重大さに気づいたのは夜になってからだった。
 夕食を食べていると、その男の子の母親が訪ねて来た。当時2DKの公団アパートに住んでいたので、食卓と玄関とは、食器棚を隔てて2m程しか離れていなかったが、相手の声が小さかったので、何を話しているのか聞こえなかった。ただ、応対に出た母が「すいません。よく言って聞かせます」と申し訳なさそうに言っているのが聞こえてきた。
 それでわたしは、昼間のことを言っているのだとわかった。
 「おまえ、何かやったのか」父が声をひそめて聞いた。
 「よく言って聞かせる……」その言葉におびえたわたしは、男の子の母親が帰ったあと、「だってあの子がわたしのことをブタだって言ったんだもん」と、とっさにウソをついた。涙は自然に出てきた。悪いことをしてしまったということより、母に怒られることが怖かったのだ。
 泣いているうちに、本当にそう言われたような気がしてきた。子供の頃のわたしはとても太っていて、「お母さんより顔が大きいね」と近所の人によく言われていたから。
 わたしの涙を見た母は、「まあ、女の子に向かってそんなことを言うなんて!」と言い、「おまけに子供のケンカに親が出てくるなんて」と、怒りの矛先は完全にその親子に移った。
 普段はこてんぱんに娘をこきおろす母も、他人に対しては、子供の味方をしたがるものらしかった。自分の子供が悪かったとわかっていてもそれを他人に指摘され、おもしろくなかったのかもしれない。
 そんなわけでわたしはそのことで一言も叱られることもなく終わった。

 先日、母にその話をした。母は言った。「そうでしょう、あのおとなしい子があんたにそんなこと言えるわけないじゃない」母にはわかっていたのだった。

2001/10