今日1日

 あと何ヶ月、あと何日、と指折り数えた転勤の日がやってきた。
いらない書類をビリビリバリバリ裂いてゴミ箱に捨てながら、何ともいえない解放感があった。
 立つ鳥後を濁さず、というけれど、わたしが居た痕跡をすべて消し去る爽快感。

 自分には手に負えない何か大きな力を、わたしは感じていて、そこから逃れようと、いつもいつももがいていた。
「わたしを自由にして!」
「わたしを支配しないで!」
「わたしをコントロールしないで!」と。
 少し抜けたところのあるおばさんを演じながらも、自分の周りにバリアを張り、ごく一部の人たちにしか、打ち解けて話をすることができなかった。
 ひとりひとりは、わたしとおんなじ、弱いところもある人間で、わたしをどうにかするつもりも力もないのに、多大な力を相手に与えているのは、ほかでもないこのわたし。
心の中への侵入を許しているのもこのわたし。

 すべてを話し、承認を得ないと、後押しをしてもらわないと幸せになれない、逆らうと不幸になる、そういうことを信じている限り、わたしは力をとりもどすことはできない。
そのままのあなたでいいよ、と子供が親に貪欲なまでに望むものを、子供のわたしは得られなかったかも知れないが、大人のわたしが得られることのできるそういうメッセージをわたしはたくさんもらった。
 刷り込まれた価値観にたまたまわたしが合わなかったからといって、どうしてそれでわたしの価値が決まるというのだろう。
根拠のないものに縛られ、翻弄されるのはおしまいにしたい。

 わたしがわたしでいられる自由、その場から立ち去る自由……心の中の自由は、自分の力を信じることができないと、なかな感じることができない。

 新しい環境に身を置く不安感、未知なる物への恐怖、慌しさの中で、自分を失ってしまうのではないかという危惧、そしてまた同じパターンを繰り返してしまうのではないかという思いはわたしの中から去ってはいかない。
 そういう感情も当然のこととして今は感じていよう。
 そして、「今日1日」、やれることをする―。

「今日1日生きていることができた。」そういう思いで過ごす人たちを目にして、この言葉の意味はこれからわたしの中で重みを増していくだろうか。
                                                    2002/4


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