医事課のお仕事

 わたしは病院で働いている。
 といっても、医師や看護師ではない。もっともわたしが医師や看護師だったら、患者の命がいくつあっても足りないだろうが。

 わたしたち事務職員の転勤はおおむね3年ごとだ。
「転勤しても、病院にだけは行きたくないよね」「医事課は忙しくて悲惨らしい」というウワサが、常日頃ささやかれていたので、今年の3月に人事の担当者から、
「○○病院の医事課への異動を命じる」と言い渡された時には、まるで3年間の懲役刑を科せられたような気分だった。
 配属当初は、慌しい雰囲気と、白衣姿と患者であふれかえった光景に、なにやら場違いな世界に紛れ込んでしまったような違和感を感じたものだ。

 子供の患者さんのために、待合室には、アニメのビデオが設置されている。
『ビデオを見たいときは、いじかのおにいさん、おねえさんにいってね』と、余計なことが書かれているものだから、(実際、医事課には、おにいさんもおねえさんも存在せず、いるのはわたしも含めておじさんおばさんばかりなのだが)ひとつビデオの上映が終わると、
「ビデオ終わりましたーー!!」と、けたたましい声が廊下から聞こえてくる。
「まだ終わりのテーマ曲がながれてるじゃないの」と、グズグズしていると、今度は課長が、
「ビ、ビデオー!誰か!」と騒ぐので、しかたなくやりかけの仕事をほっぽりだして、待合室へ向かう。
 すると、そこいらに散らばっていた子供たちが、わらわらと集まってきてテレビの周りを取り囲み、これでもない、あれでもないとビデオの選択に延々と悩み続け、やっと決まったと思ったら、他の子が、
「やだー!こっちがいい!」
と、別のビデオをつかんで周りの子をひっぱたき始め、たちまち大ゲンカとなる。
 腹立たしいのは、この光景をうしろで座って見ている親である。わが子が泣き叫びながら我をとおそうとしているのに、止めようともせず、お愛想に、「△△君、これこれ、ダメじゃないの」と言うばかりで、ちっとも重い腰をあげようとしない。
「これこれじゃなくて、こいつを早く連れてってくれよー」と、いっそのことみんなまとめてド突いてやりたくなるのだがそんなことでもしたら、
「まあ!なんてことするの」と、さっきまでの重い腰はウソのように、母集団が目を吊り上げてすっ飛んできそうなので、
「じゃあ、この次にこれをつけようね」とさりげなく、でも有無を言わせぬ態度でその場をおさめる。そうして、次にビデオをつけに来るのはわたしではないことを願いながら、そそくさと立ち去るのである。

 仕事のひとつに、「病名付け」というのがある。
薬を処方した根拠となる病名が、カルテにきちんと明記されていないと、診療費を請求できないことになっているのだが、そういう不備のカルテがこの病院にはやたらに多い。
 それが月2回、まとめて医事課に回されてくる。
「病名をはっきりと日本語で書いてください」というメモをつけて、担当の医師に戻すのだが、医師の名前が書かれていなかったり、書かれていても、あまりにも達筆すぎて、どうにもこうにも読み取れないものがまた多い。
 そういう時のために、「医師別筆跡鑑定リスト」なるものがあるのだが、所詮素人である事務屋が作成したものなので、あまり役にたったためしはない。
「ん?なに、この乱れた心電図みたいな字は……。」「なんだかわざと読みにくい字で書いてない?」と、内心文句を言いつつ、「まあ、科が間違ってなければ、他の医師でも病名ぐらい書いてくれるだろう」と思って、その診療科の科長さんに戻す。すると、
「これはわたしの字じゃありませんよ。筆跡をちゃんと覚えてくれる?」と、空欄のまま再び戻ってきてしまう。
「わたしの字じゃありませんじゃなくて、ちゃんと病名を書くように、部下のお医者さんに言ってよね〜」と、ムッとしていたら、ひとのいい隣の席の本居さんが、
「先生、大変失礼しました」と、代わりに頭を下げたりしている。

 初診の方には、診察日をこちらで決めて、その日においでいただくので、たまたまその日は先方の都合が悪いという事情がおこりやすいというのはわかる。
 とは言うものの、「幼稚園を休ませたくないので、別の日にお願いします」「発表会があるので、その日はちょっと……」と、重い病気にかかっているかも知れないのに、そんなに呑気でいいのかしら? と思うような連絡が毎日のようにはいるのには、最初はうんざりとしてしまった。
 先日、
「診ていただいて入院ということになったら、塾はお休みさせなくてはいけないんでしょうか?」と、問われた時には、
「は?じゅく?」と、もしかして聞き間違いではないのかと思ったので、思わず聞き返した。
 入院するほどの病気になってもなお、塾通いの心配なんて、フツーするもんなのだろうかと、目が、いや、耳がテンになってしまったんである。
 かと思うと、指定された日は都合が悪いというので、ほかにあいている日を聞いて散々思案したあげく、結局、
「主人に相談してから決めます」と、電話がきられ、そうしてあとから、
「やっぱり最初の日でいいです」ときたりする。

 患者さんあっての病院、医師あっての病院という雰囲気の中で、彼らの要求に振り回され、一方では、看護師と事務屋との間で、仕事の分担をめぐって、しょっちゅう小競り合いが起きる。
 人の命にかかわる職場で、大勢の人が迅速に、なおかつ正確に事務をすすめるためには、シャチハタの印鑑ひとつからその置き場所がきちんと決まっており、お互いがお互いのミスを厳しく監視しあうことは、必要なのかもしれない。
 そのために個人的には全く恨みもないのに、互いの関係がギスギスしたり、険悪になったりもする。(まあ、もともとの相性が悪いってことも大いに関係あるけれど……)
 事務分担の不平等感が奏でる不協和音、微笑みの向こうに垣間見える、女性特有の棘を含んだもの言いや優越意識を感じて、「目が笑ってない〜」とおびえ、ミスをしないこと、弱みをみせないことに神経をとがらせる。
 同僚との物理的、心理的距離をはかりかねて、ついつい自分を守ることに力がはいってしまうのだ。
 窓際に追いやられて干されているわけでもなく、むしろ仕事の量は増える一方である。それなのに、正確である仕事=誰がやっても同じ仕事である、ということに、今ひとつ自分の存在感を感じることができず、自分が消耗品のひとつになったような気さえする。

 4月の異動から半年が経ち、「刑期」のうち6分の1が過ぎようとしている。
 ここは模範囚であればあるほど、刑期満了まで出所できないしくみになっている。 
 表面的には、おとなしく担当の仕事を黙々とこなしてはいるものの、周りの雰囲気に溶け込もうとせず、 やれ休暇だ、やれ5時だ、やれお昼休みだといっては、脱走を試みて、決して模範囚になれないわたしは、来年度あたり、釈放(追放とも言う)されないものかしらと、ひそかに願っているのである。

                                               2002/9

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