銭湯

自宅を改築することになり(この改築については感情面でかなり納得がいっていないのだが、まあそれはさておき)、しばらくの間風呂が使えなくなった。
 そこで仕事の帰りに銭湯を利用することになった。いわゆる街中の風呂屋である。
 古典的な、いわゆる風呂屋というものに行くのは、子供の時、町内会のお祭りで無料券をもらって入って以来実に30年ぶりである。
 女湯と書かれたガラス戸をガラリと開けるといきなり番台。脱衣所には、3,4人の女性。いかにもご近所さん、顔見知り同士の雰囲気が流れている。もちろんご近所さんでも顔見知りでもないわたしは、それだけでなんともいえない違和感を感じ、場をとりつくろおうと、思わず「先払いですか」などとばかげたことを口走ってしまった。
 初心者の雰囲気を察したのか、番台に座っている年配の女性はロッカーの位置など教えてくれたが、着替えている間も、どうも、高みの番台から観察されているような気がしてならない。
 さっさと衣服を脱ぐと、浴室へ。ちょっと古い旅館の大浴場などにも置かれているケロリンの洗面器が積んである。
 で、せっけんは?シャンプーは?と思った瞬間に気がついた。そうだ、ここは温泉やスパではないんだった。石鹸もシャンプーも持参が原則の「いわゆる銭湯」なんだった!、どうしよう、と思っていたら、身体を洗っていた女性が、「番台で売ってるわよ」と親切に教えてくれた。 なので、裸のまんま浴室を出て、ロッカーの鍵をあけサイフを出し、そして番台へ。
「おいくらですか?」
「60円です」
「はい?」
「60円です」
 いまどき60円で買える品物があるってことにちょっと驚いたので思わず聞き返してしまったのだ。
 もうこの時点で、風呂屋に不慣れな初心者まるだし状態のわたしをかなりみっともなく思っている自分自身がいて、内心かなりあせっていた。
 やれやれと思って再び浴室へ戻るも、さきほどからの、立て続けの動揺が尾をひいていて、どうもくつろげない。
 さっさと洗うと、熱めの湯船につかり、シャワーを浴びて出た。
 するとさっきまで居た番台の女性は交替して、(おじいさんとはいえ)男性になっている。
 ゲッ。
 ―彼の目を盗むように猛スピードで着衣。
 慣れていないということは、かくもこっけいで、緊張するものである。風呂屋なんだから当たり前な様子やできごとにも、いちいち恥ずかしがったり、違和感感じたり、コケたりしている。
 自宅のとはちがう、広々とした湯船で1日の疲れをゆっくりとろうなどと、楽しみにしていたのだが実際はそれとは全くかけはなれた、なんともぎこちなく落ち着かない経験となった。
 次回はもっとスマートにくつろぎたいものである。

 ところで、ずいぶん前に、わたしのことを、「風呂屋の富士山みたいだ」とおっしゃた方がいる。つまり現実感が感じられないということである。見ると、そこの銭湯にも、例にもれず富士山とは違ったが、ちょっと安っぽい山の風景画が、タイル張りの壁面いっぱいに描かれていた。
……なるほど、これのことか。

                                  2003/6

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