イソップ版「やさしい暴力」

 古い本を整理していたら、大正13年に発行された、「新訳 イソップ物語200話」(定価、ちなみに80銭)が出てきた。
 旧かなづかいで書かれていたり、教訓めいていたりして、昭和40年代に子供向けに発行されたものとは別の趣がある。
 その中の1話、「風と太陽」。力自慢の風と太陽、どちらが旅人の着物を早く脱がすことができるかというお馴染みの話だ。
 結局ポカポカと優しく微笑み続けた太陽が勝つというものだが、その話のあとに、教訓としてこう書かれている。
「風は暴力を以ってのぞみましたし、太陽は暖かい親切で、だんだんと着物を脱がしてしまいました。腕力や暴言で人を服させようと思っても中々したがうものではありません。それよりか親切で優しい方が心から人を服従させます」と。
 昔この話を読んだ時は、純粋に、そうかあ、そういうものなのねと、ニコニコ笑う太陽と、汗をかきかきそれでもうれしそうな旅人の挿絵を見て何の疑問も感じなかった。
 でも今回読んだら、何かが違うという気がする。
 表面的には優しい顔をして微笑みながらも、結局太陽は、旅人の意思を無視して、自分の思い通りにしてしまったではないの。
 旅人も、太陽の言いなりになったことさえ気がつかずに、あたかも自分の意思で着物を脱いだかのように錯覚している。
 暴力や暴言は確かになかったかもしれないけど、じわじわと、それとは気づかぬうちに支配されてしまっていたという怖さを感じるのである。
 それよりもむしろ、「脱ぎたくない」という自分の意思を最後まで押し通した旅人と、他人を支配するのをあきらめて去って行った風との関係の方がよほど健全な気がするのだ。

先日、新聞に、保育園に通う子供が、童話「うさぎとかめ」を読んでつぶやいたという言葉が詩になって載っていた。
「えらいね、うさぎさん。ちゃんとお昼寝したんだね」

 きっとその子は、保育園で日頃、ちゃんとお昼寝する子はいい子ですと言われているのだろう。

 それぞれの話の作者はきっと、太陽のようであれ、カメのようであれというつもりで書いたのだろうが、見方を変えれば全く違うようにも取れるのである。

わたしたちが何となく信じこんでしまっている価値観も、案外こんなものかもしれない。

                                   2003/9

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