わたしはジャンケンにはからきし弱い。 6,7人で、何かの順番を決める時、たいていみんな1番最初にはなりたくないので、じゃんけんで決めることになる。
「じゃあ、負けた人からね」
わたしの手は、体格の割には大きく、ゴツゴツとしていて指も長いので、思い切りパアとひらくと、チョキをも飲み込むほどなのだが、所詮パアはパアである。 他の人たちは、まるで示し合わせたかのように、チョキを出し、みごとに一発でわたしの負けが決まる。あまりにそういうことが続くので、ひとりが気の毒がって、
「じゃあ、今度は勝った人からにしようか」と、提案してくれるのだがなぜかそういう時には、勝ってしまうのである。
「受験料をドブに捨てるつもりで、受けてみたら?」というありがたいようなありがたくないような母の言葉を背に受けて受験した大学がある。
英語の試験問題文のうち、意味がかろうじて読み取れたのは、アメリカ大統領の名前と、OFとかTHEとかそういう単語だけだった。ただ、すべてマークシート形式の3択問題だったので、とにかく全部塗りつぶしておけばもしかしたら当たるかも……、と問題を読むこと考えることをすっかり放棄し、1番を塗りつぶしたら、次は3番あたりを塗っておこうなどと考えながら試験時間を過ごした。
結果はもちろん不合格。
随分前に、TBS系列で、クイズダービーというテレビ番組があった。女優の竹下景子さんが、三択の女王と呼ばれていて、三択問題になると冴えた勘で、知らない問題も悉く正解してみせ、周囲をうならせていた。
直感力というような冴えは、もともとそれぞれの人に等しく備わっているものなのか、それとも鍛えられるものなのかわたしは自分のそれを信頼していないところがある。
選んではいけない方向をわざわざ選んで突き進んできたような気がしていた。
今では、子供の頃のようにジャンケンをする機会もなくなった。グーを出すか、パアを出すかそんな小さな選択だけでなく、人生の岐路に立たされるような大きな選択の場面に出くわすことも、年毎に減ってきている。
わたしは、何かを決めるのに人に相談するということがあまりない。日記の中のもうひとりの自分と、ああでもないこうでもないと語り合って悶々としていた時期がある。Aを選べば、当然あきらめなくてはいけないBに心を残しながら、堂々巡りばかりやっていた。
でも、結局のところ、あのときパアをだそうと、チョキをだそうと、何を塗りつぶそうと、どっちに行こうと、取り巻く環境や見てきた風景は多少違ったかもしれないが、今あるわたしそのものにそう違いはなかったのではないかと思うのである。
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