わたしが小学生の頃は、電話が自宅にない家はそう珍しくなかった。クラスの連絡網には、そういう家の電話番号の前に、呼び出し電話の印として、(呼)という記入がしてあった。
わたしのうちにも、わたしが小学校低学年の頃まで電話がなかったので、アパートの同じ階の5軒先に住む、森さんというお宅が、この呼び出し電話を請け負ってくれていた。
電話がない家が多かったので、電話のあるうちは、自然にこういう役割をかってでてくれていたのだろうか。
夜中に弟の具合の悪くなった時には、さすがによその家の電話というわけにはいかず、父は慌しく着替えを済ますと、アパートの下の公衆電話まで駆けて行き、救急車を呼んだ。
ちょうど同じ時刻に、家の前で別の交通事故があり、そちらの連絡のほうが早かったせいで、救急車がこちらへ到着するのが遅れたということを、(そういうことが実際あるのかどうか知らないが)、聞いた記憶がある。
それからまもなく、わたしの家にも、黒い電話がひかれた。受話器と本体の部分に、花柄の洋服が着せてあった。 学校の友達との、「今日、遊べる?」というやりとりだけではあきたらなくなったわたしは、あるとき消防署に架けてみたくなり、母の留守中に119番をダイヤルした。
「はい、119番」電話のむこうの職員は、確かそう答えたのだったか。わたしは自分で電話しておきながら、どぎまぎしてしまい、それでもせっかく119番にかけたのだからと、「火事」と答えた。
「火事、どこ?」相手が聞いた。
どこと聞かれても、もともと火事は起きていないのだ。どうしよう、急に怖くなって「火の見やぐらから見てみれば?」とわけのわからないことを言って、わたしは電話をきった。
電話をきってから、消防車が今にも、カンカンサイレンを鳴らしながらやってきたらどうしよう、いたずら電話がばれたらどうしようと、とてもドキドキした。
それでも、子供の声でいたずらだとすぐわかったのか、アパートの前に消防車が集まってくることもなく、短い会話だったせいか、逆探知もされず、何のおとがめも受けずに済んでしまった。
今は、いちいち10円玉を数えて公衆電話を探したり、5軒先のお宅までかけこんだりしなくても、お財布をさがすように、手元のカバンの中をごそごそすれば、電話はいつもそこにある。
もともとわたしの家に架かってくる電話はそんなに多くなかったとはいえ、面倒な顔ひとつせず(今、忙しいのに〜!と心の中では思っていたかもしれないが)、よそ宛ての電話をわざわざとりついでくれた森さんとは、今も賀状の仲である。
最近は学校のクラスの連絡網を利用して、生徒の個人的な情報を得ようとする業者がいるということで、連絡網そのものが廃止された。
架ける側の電話番号の通知、非通知や、出たくない相手の着信拒否も自由にできるし、電話番号そのものをかえることも、携帯なら簡単である。
プライバシーも守られ、わすらわしいことがなくなったけれど、そのぶん、あのときはあんなことがあったね、というちょっとなつかしいおつきあいやできごとも、そうやってひとつづつ減っていくのである。
2003/11