昔の焼いも屋さんは、 最近とんとその姿を見かけなくなったリヤカーをひいてやってきた。リヤカーの持ち手の部分に小さな鐘をつけて、バスやトラックの通る道路を、歩道に沿って、ゆっくりと歩いていた。
わたしが住んでいたアパートの真向かいで肉屋さんを営んでいた友達のお母さんは、自分の店から少し外れたところで、この焼いも屋さんを呼び止めて買っていた。売れ残りのコロッケを毎日食べているからこんなになっちゃたのよ、とふっくらとした手で、丸く突き出たおなかをパンパン叩くような、気取りのないそのおばさんでさえ、焼いもというものは、おおっぴらに買うのは恥ずかしいものらしかった。
食べたいと思いきりねだってはいけないもの、なにか怪しい食べ物、それだけに魅惑的なもの―。
夜になってあたりが暗くなるとやってくるというのも遠い世界のもののように思えた。
カランカランという鐘の音が聞こえてくると、両親は、「食べたい?」と、一応わたしにたずねるのだが、なんと答えていいのかわからずぐずぐずしていると、「欲しくないならいいのよ」と、ひどくがっかりしたようだった。本当は、自分たちが食べたいのに、子供が欲しがるからと、もっともらしい理由をつけないと、きまりが悪くて買えなかったのだとわかったのは、わたしも子供をもってからである。
その時は、遠ざかっていく鐘の音とともに、なんだかとりかえしのつかない態度をとってしまったような、後味の悪さだけが残り、いつか自分で買えるようになったら、自分のためだけに、欲しい時に、好きなだけ、焼いもを買おうと思った。
毎年、冬になると駅前のバスターミナルの脇に小型トラックがやってくる。荷台には錆びたドラム缶が載せてあり、その中でさつまいもを焼いて売っている。缶の下の方に開けた穴からは真っ赤に焼けた火がチラチラと見え、いぶしたようなむせるような煙の匂いと混ざって、まぎれもなくおイモの匂いがあたりにたちこめている。
夕方、部活帰りの高校生がその周りにたむろして、地面に座り込んで食べていたりするのを見ると、その屈託のなさに、不思議なようなうらやましいような気がする。今だったら、わたしも何本だって自由に買っていいのだと思うと、これもまた不思議なことに、全く欲しいとは思わない。
冬、家の中で真夜中に聞く焼いも屋さんの声は哀しい。
最近はもちろんリヤカーではなく、軽トラックでやってきて、車の中もたぶん暖かく、聞こえてくる声はテープに録音したものだとわかっていても―。
殊に3月末ともなると、今日を逃したら、もう今度の冬までお目にかかれないような、名残惜しい気持ちが加わる。
いっそのことさっさと通過してくれれば諦めもつくのだが、ゆっくりゆっくり進んでいくそれは、わたしが買うのを待っているようにも思え、それを敢えてしないのは、なんだか酷なことのような気がするのである。
碁盤の目状に区画された住宅街の道を丁寧に一本一本たどる車は、なかなか遠去かって行かない。家の前の道を左から右へ移動したな、と思っていると、今度はうしろの通りを右から左へと進み、スピーカーから流れる、「おいも〜、おいも〜、おいも〜〜」という間延びした声は、近くなったり遠くなったりをしばらく繰り返したあと、ようやく聞こえなくなる。もう追いかけたところで、場所さえわからないほど遠くへ行ってしまった、そう思うと、やっとほっとする自分がいる。と同時に、自分が買いに行かなかったことで、がっかりしているのではないだろうかという思いが心のどこかにある。
車が脇を何台もすり抜ける道路をカランカランと鐘を鳴らしながら、とぼとぼと進むリヤカーを、アパートの3階の窓から、ただ見下ろしていたわたし―。
子供というのは、自分とはなんの関係もないことにまでうしろめたさと責任を感じ、そのことをずっと覚えていたりする。こんなことにまでと、滑稽に思うことも多いのだが、ところがどうして、こういう理不尽な感覚は、今も心の奥底にしまわれていて、何かの折にふいと湧き上がってくるのである。
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