背負うもの

  野田さんは、わたしの友人である。彼女の職業は保健師、この3月末までわたしたちは同じ職場で働いていた。彼女と親しくなったきっかけは、本当にささいなことである。朝、わたしが、「あ〜、今日も1日が始まる」と、どんよりとした気分で駅からの道をスタスタと歩いていたら、走ってくる足音と、「おはようございます!!」ととても元気な声が追いかけてきた。振り返ると満面の笑顔。それが彼女だった。
 朝からなんでこんなに元気なのか、不思議な気持ちになったものだ。保育園に子供を送り届けてからくる彼女は、いつもの電車に乗れたり乗れなかったりで、毎朝会えるとは限らなかったが、見かけると、必ず職場までの道のりを子供の話や職場での愚痴話をしながら歩いた。そして、やがて、昼休みには時々いっしょに地下食堂で過ごしたり、ラーメンファンの彼女と五目ヤキソバファンのわたしとで連れ立って、近所の大衆食堂に食事にでかけるようになった。

 わたしも彼女も、「実母」と実家で暮らす、シングルマザーである。姑との同居については、大変なもの、という認識が、巷に広がっているが、実母との同居に伴って生まれる葛藤については、サザエさんの影響もあって(かどうかは知らないが)、あまり知られていない。確かに、家賃はかからない、食事は作ってもらえる、しかも子供の乳母代わりとして頼みやすい、などメリットは計り知れない。しかし、母親にとって娘はいつまでも我が分身、1番頼れる人と思っているようなところがある。そして娘の方はといえば、子供の頃から抱いてきた母親への感情が清算されずに引きずっていたりするものだから、アカの他人よりも始末が悪い。この微妙な関係は、母親と離れて暮らし、心身ともに距離を置いている人にはなかなかわかってもらえないところがある。
 子供を持つ母親同士が集まると話題は子供のことや夫のことに及ぶ。そんなときに、出てくる兄弟話。おにいちゃんとかおねえちゃんとか、ひとりっことか。そんなときに感じるちょっと肩身の狭い、居心地の悪さ。話しているうちに、「ああ、わかるわかるその感じ」っといった場面に遭遇することが多く、次第にわたしたちは親しくなったのかもしれない。

彼女はとてもひとがよく、おひとよしである、自分のことで精一杯なのに、あれこれ仕事を押し付けられていつもバタバタしている。そして、なぜか悪くも無いのに1日中、すいません、言いながら仕事をしている。いっしょに外食に行くと、食べ終わった食器をわざわざカウンターまで下げに行く。「スタバ(スターバックス)じゃないんだから、そのまま置いておけばいいんだってば」とわたしが言ってもせっせと皿を重ねて厨房にまで持っていこうとする。昨年は、保育園の役員、保健師協議会の役員と次々に押し付けられ嘆いていたのに、今年もまた異動先でまんまとくだんの協議会の役員を押し付けられたらしい。
 そういう役回りをするりするりとちゃっかり逃れてきたわたしとしては、彼女のおひとよしぶりが実に歯がゆい。「きっぱりとことわっちゃえばいいのに。そんなにいい人演じたいわけ」とちょっと意地悪く言ってみたい衝動にかられることがある。

先日異動後初めて、待ち合わせて夕食をいっしょにとった。まずはお互いの、新しい職場での近況報告とそして家族の話。彼女は職業柄、老母の面倒を見るのは当然、と兄弟に迫られている最中らしく、相変わらず弱気である。しかし、こればかりはひとごとではすまされない。
「子供の手はそのうち離れるけど、いずれ老母老父が、まるごと覆い被さってくるよね」
「そうそう、それに、彼らがいなくなったあと、莫大な量の、写真やら旅行に行った時の記念品やら洋服やら、ああいうものをどう片付けるか、そのことを考えると、なんだか暗澹とするわあ」などとため息をつきあう。
 そしてお開き。
「また会おうね」
「今日はわたしばっかり話してごめんね」と彼女。
 ほらほら、そこでまた謝ることなんてないんだってば。わたしも一杯話して楽しかったんだからさ。

                                                     2006/5

トップページ