我が道を行く

 中原さんは、わたしが今まで職場で出会った、どのタイプにもあてはまらない異色の方である。
 この事務所に異動してきて初めに度肝を抜かれたのは、彼が電話に出たときの応答の仕方である。文字でその風変りな声質を表現できないのは本当にもどかしい。
「も・し・も・し・管理課です」と、一字一句ひっぱりながらゆっくりと発音する。その後には、彼の持ち味であるだみ声の余韻が、しばしそこいらにまとわりつくようであった。
 朝も早よから繰り広げられる受話器越しの応酬ときたら、まことに圧巻で、受話器の向こうでたじろいでいるであろう相手の姿が目に浮かぶ。
「それはですね」
「違いますよ」
「え? だからさっきから言ってるじゃないですか!!」
 自分の正当性を、あるときは頭の中で組み立てた屁理屈、またある時は、大昔の規則などを持ち出して頑として押しとおそうとする。電話に限らず、議論が白熱すると、俄然声が大きくなるので、傍らで打ち合わせしていると、相手の声が聞き取れないほどである。その勢いたるや、相手が職場の上司だろうが、本庁のお役人だろうがお構いなし。いったいものわかりの悪いのはどちらなのか、何がそんなにこじれているのか。彼のまくしたてる理論の展開があまりにも強引なので、思わず聞き入ってしまう。
 時には、話している最中に、自分の落ち度に気付くことがあるらしく、そんな時は、さりげなく語気を弱め、さも妥協したというような雰囲気にもっていき、電話をきる。
 勤務中、ふと視線を感じて顔をあげると、彼が立ち上がり、腕組みしたままこちらをじいっと眺めていることがある。目があっても先方は目をそらさない。当初、ひそかにどぎまぎしたものだが、それも今では慣れた。さして意味のある行為ではなく、暇を持て余した彼が、庁内巡回と同じ心境で課内を眺め渡しているのだということに気づいたからである。彼の隣に腰かけている同僚に至っては、左側から始終送られてくるねばこい視線に、仕事をする手が上の空になったそうである。
(がん)をつける」という言葉がある。特段の理由もなくじろじろ見られては、何も悪いことしていなくとも、居心地の悪い思いがするのも当然だ。
 彼は、自分の分担の仕事に対しては、とても忠実である。
 管理課には、当番というものがある。窓口のカーテンの開け閉めや、所長へのお茶出し、レジに来たお客さんの応対をするのだ。班長以下、均しくこの役回りに当たる。彼はこの当番の日には、始業の鐘がなるとともに、窓口にすっ飛んで行き、カーテンを引きちぎれんばかりにサアーッと音をたてて開け放し、また昼休みの合図とともに、勢いよく引く。普段あまり来客のない窓口ではあるが、週に2度ほどの割合で行われる歯科検診の日は、子供を連れた客がやってくる。たまたまその日に当番に当たると、いちいち駆けて行っては、面倒だからか、窓口際に置かれている椅子にじいっと腰掛け、訪れる客を待ち構えている。それもこれも、時間に余裕のあるからこそなせる技である。

 玄関にある植え木に水やりをしてくれるのは有難いのだが、手間を省くためか、小さな器になみなみと水を注ぐ。そして前のめりにつんのめるように歩くので、彼の通過した道なりに、水たまりができる。水やりのあとはといえば、植木鉢の中で何ものかが、バタ足の練習でもしたのではないかというほど、周りは水浸しである。
 職員の弁当の注文をとる、という仕事も彼の受け持ちだったのだが、このたび新規に採用された後輩にその任を受け渡してのちは、この役目も手放し、今や悠々自適。くだんの若手職員が忙しさに取り紛れて注文の取りまとめを忘れがちになると、自分も昼食にありつけなくなるのでさすがに気になるらしく、「お弁当、頼むね」とひとこと注意を促す。ひとたび譲り渡した仕事については、口は出すけど手は出さない、責任をとる機会はなるたけ回避したい、という彼の主義が、ここでも顔を出す。
 そうかといって、周りの人間に対して無関心というのでもない。仕事に追われているといったことはほとんど無いので、常に周囲へのアンテナは全開。彼の関心をひくような話題が周囲で持ち上がるやいなや、口をさしはさみ、いつのまにか話題の輪の中に混じっている。何かにつけ、一家言の持ち主なので、口は出さずにはいられないらしい。
「ったく仕様がねえなああいつは」と課長にあきれられようと、
「いいなあ、中原さん。管理課のアイドルで。人徳だよなあ、人徳」などと、冗談半分にからかわれようと、どこ吹く風。蔭に日向に投げかけられる嘲りの言葉や、噂話にも一向に動じる風ではない。
 その一貫した姿勢は、腰巾着よろしく上司の発言にいちいち愛想のいい反応を返し、その庇護のもとに、得な役回りを得ようとする輩を思えば、むしろ潔くさえ見えることもある。
 彼は来年定年退職を迎える。
 県職員になって30余年、その間には、彼の前にはいろんな人物が通り過ぎていったことだろう。お人好しやええかっこしいが災いし、机の上に他人の仕事をてんこ盛りにされたり、あるいは「有能さ」をかわれてさらに忙しい職場に異動になり、挙句にからだを壊したなどという話も山と見聞してきたに違いない。
「無理を通せば道理がひっこむ」といった江戸のいろはかるたの教えから、
「張り切れば張り切るだけ損」
「やりたくないことは、やらない」
「自分の仕事は自分のもの、他人の仕事は他人のもの」まで。これらは、長年の経験から体得してきた彼の生き知恵。十二分に自分に優しく生きている彼には、昨今はやりの癒し系の本など無用であろう。

 

                                             2007/10