好二郎
動・静
 日々の思いをイラストを交えて淡々と綴ります 好二郎
この連載は、原則として、五・十日(ごとうび=5と10の日)に更新します  過去の動静一覧  表紙へ戻る
 
5月

日記改め千年記

近ごろ「好二郎は病気か?」「離婚したのか?」「いよいよ夜逃げでもしたのか」といった問い合わせがある。どうやらHPの日記更新がまるでなされていないのが原因らしい。

しかし安心して欲しい。私は病気になる程仕事をしていないし、離婚は望んでいるが実現していないし、夜逃げもあてがないからしていない。万全の態勢で家にいる。

では、なぜ日記の更新をしないのか。

忘れている訳ではない。毎日シャワーを浴びる度に、
「そうだ!日記書かなきゃ!」と思うのだ。しかし、シャワーは体の汚れも心のけがれも思い出した日記のこともすっかり洗い流してくれる。

ネタがない訳じゃない。噺家連中と付き合っているのだからネタはくさる程ある。家に帰っても、海賊のような妻と山賊のような子どもたちがいるから、一時間に一度はネタになる事件が起こる。ネタには困らない。しかし、そのネタはあまりに下品で、私の人気に悪い影響を与える恐れがあるので、気軽に書けない。

時間がない訳でもない。ここ2、3年やけに早起きになっているから、特に午前中はたっぷりと時間がある。

新聞に目を通し、福田首相や福原愛ちゃんの似顔絵を描く余裕がある。コーヒーを飲んだり、あんずジャムの入ったヨーグルトを食べたり、切り絵をしたりする。笛を吹いたり、ギターを弾いたりする時間もある。時間があるから古い洋楽を聴いて踊ったりもできる。が、それらをすべてしていると日記を書く時間が無い。

不思議だ。なぜ、日記が更新できないのか。

文章が苦手だ、という根本的な問題はさておき、“日記”という言葉が悪いのでは、と疑ってみた。つまり、昔から“日記”というと長続きしないものの代表だ。この“日記”という言葉を聞いただけで、素直な私は「もうダメだ。長続きしないよ。だって日記なんだもの」という気になるのではないか。

特に“日記”の“日”がいけない。「毎日記せ」と強迫しているようだ。天敵に追われると素早く逃げるタイプの動物と、あまりの恐怖にまるで動けなくなるタイプがあるが、明らかに私は後者なのだ。だから「年記」とか「世紀記」という長いスパンを想像させる名前だと気軽に筆が持てるのだと思う。

という訳で、更新を少しでも早めるために、今からこのコーナーを「好二郎の動静、絵日記」ではなく「好二郎の静寂、千年記」に改める。

これで気軽に、素早く、更新されるであろう。また仮に、まるで今までと変わらない、あるいは却って遅くなっても勘弁していただきたい。なにせ、千年記なのだから。
2008年6月14日更新
会津若松市長を表敬訪問

先日、故郷会津で小さな落語会があった。

「芦名」という温泉宿が会場である。これがとても情緒のある宿で、囲炉裏がきってあって内臓風の座敷もあり、各部屋に飾られた絵や書、生け花がまたいい。

そして何より女将がいい。とても美しい婦人で、品がある。はっきり言って美人だ。宿の生け花はこの女将が活けるという。なのにこの女将、なんともざっくばらんだ。普通、そこまで美しいと近寄りがたいものだが(あるいはベッタリと近寄りたくなるものだが)気軽に話せて楽しい。

「せっかく美人なんだから、もっと気取ればいいのに」と言いたくなるくらい気さくだ。これから会津へ観光に出掛けようという方、是非立ち寄ってみて下さい。

翌日、朝の8時30分に、会津若松市長と面会。

「九月に真打ちに昇進しますので、よろしく」とお願いに行く。この市長がまた、元気だ。今にもラグビーボールを持って駆け出しそうな顔をしている。体格もしっかりしていて、実際より二回りくらい大きく見える。で、よく笑う。朝の8時30分からこんなに元気でこの人は一日もつんだろうかと心配になる。最近はテレビのクイズ番組で、会津のことが侮辱された、とかみついたことで有名になっただけに、面会を楽しみにしていたが、予想通り面白かった。

「いやあ、好二郎さんの弟子になろうかなあ」というので

「いえいえ、私が市長の弟子になりたいですよ」などといって和気あいあいと面会は終了した。

「マ、そんなことがあったんだよ」東京に帰って妻に報告する。

「そうよ、偉くなる人は朝から元気なのよ。翌日の昼頃まで昨日のお酒とか、落語で失敗したこととか、お金なくしたこととか引きずってるようじゃダメよ。……ところで昨日またタクシー乗ってぜいたくしたでしょ。自分のレベルをよく考えな。落語もウケなかったんだって、へへへ、遊んでばっかりいるからよ。あ、私出掛けるからお皿洗っといてねェー」

……昨日を引きずらせているのは、妻だ。
2008年5月25日配信
とても可哀想な人の気もする

ここのところ、「花切り事件」がようやく落ち着いてきた。

本当に落ち着いてきたのか、報道する側がこの手の話題にあきて表に出なくなったのかは定かではないが、とにかく近頃耳にしなくなってきた。

チューリップにはじまってボタンだのパンジーだのと色々な花がギセイになってきた。このままひまわりまでいったらヤだな、と思っていたところ下火になってきたのでホッと胸を撫で下ろしている。

ひまわりのあの大きな、顔のような花が無惨に切り落とされていると想像しただけでも気味が悪い。

花を切る人は、何を考えているのだろう。

何かストレスがたまっていて、花にあたったのだとしたら、とても可哀想な人の気もする。たぶん、上司や友人、親にも子どもにも何も言えなくて、見知らぬ人を殴る程の力もなく、犬猫をおそう程の勇気もなく、どこかに火を付ける程悪くもなく、仕方なくチューリップを切ることで心の安定をはかったのだ。

そう考えると、とても可哀想になる。その後、その人が、切り落とされた花々を見て、ストレス解消どころか、さらに胸に重いものを抱えてくれたら幸いだ。いつか花を切らない人になる。でも、それでスッキリした人はあぶない。仕舞いに、人を切ってスッキリする人になる。怖い。

はじめっから面白半分で切った人や、花切り事件のニュースをきいて面白そうだと実行した人には同情する。よほど幼いころから、つまらない人生を送ってきたのだろう。一本二本ならともかく、100本だ500本だという数の花を切ってなお楽しい人は、周りに笑う人が極端に少ない環境で育ったのだと思う。

そう、よく笑う人たちに囲まれて多くの時を過ごした人は、花を切る人にはなれないと思う。そうして、我々落語家は、花を切れない人たちに(あるいは切っちゃった後でひどく後悔する人たちに)支えられている、と思うのだ。

「あら、めずらしく真剣な顔してるけど足でもしびれた?」

妻は花を想うやさしい男の気持ちが理解できる人種ではない。

「いや、花を切る人って、どんな人かな、と想ってさ」

「自分の犬をとなりのおじいさんに殺された人じゃない?」

「それは花咲じいさんだろ。それに切ってないよ、あの人は、咲かせたんだ」

「そうか、じゃあ、となりの人の犬を殺したほうか」

「花咲じいさんから離れろよ」

「パチンコで負けた人かもね、チューリップにうらみがあるとか。オフコースのファンなのかな、ライバルのチューリップにうらみがある」

「いつの時代の話してんの?」

「本当、わかんないわねェ。チューリップなんて可愛い花切らないで、電信柱とか街灯とか切り倒せばいいのにね、そのほうがすごくすっきりすると思わない?」

「できるかそんなこと!」

「そうか!街の人もさ、今度から切られないように、電信柱の上とか街灯の上にチューリップ咲かせるといいんじゃない?」

頭は悪いが、こういう人は花を切らない。
2008年5月18日配信
GW、休む暇がない

いつもなら、大いに暇なゴールデンウィークも、今年は少し様子が違う。

そう、真打ち昇進の準備で意外と忙しく、休む暇がない。

別に仕事がきちんとできる人ならそれ程大変でもないのだろう。だが私は違う。サラリーマン時代から「予定を立てる」「予定通り行動する」「不測の事態に臨機応変に対応する」ということができない。予定を立てる能力に欠けているから、目の前の楽しそうなことに手を出さない。大事なことが後回しになって18年後でも間に合うことが次々と片付いていく。
予定が立たないのだから、それに沿って行動することは不可能だ。無駄な動きが多くなり、自分のしっぽを追う猫のような態になる。不測の事態なのか、元々測してないからわからない。困ったら困りっぱなしである。
そんな私が「何日までにこれを準備して、あれを注文して、誰を訪問して」というようなことをしなければいけないのだから時間がいくらあっても足りない。
しかも私には、「やけくそでやってみる力」「失敗を恐れずに向かっていく勇気」「最後までやりぬくねばり強さ」といった一口で言う「生きる力」が足りない。
普通の人が一升瓶くらいもっているとすれば、私にはヤクルト一本分程度だ。
そこで、何もかも嫌になり、先日早くも息抜きの買い物に出掛けた。浅草で普段に着る古着を探す。本当はそんなことしてる場合じゃない。早くウチに戻って色々と手配をしなければいけない。それはわかっているのだが、体はあべこべにのんびりと古着屋を探し歩く。
ある古着屋に入ると、若いアルバイトらしい女の子が明るい声で「いらっしゃいませ」と私に近づいてくる。
「何かお探しですか?」
「いや、特別これというのはないんですが」
「あれ?いつもお着物なんですか?」
「ええ、商売柄……」
こんなことをしてる場合じゃない。帰ろう。
「商売柄?……え?なに?え?……あ…もしかして…」
そのあとが出てこない。もしかして、何なんだ、早く何か言え。
「落語家なんで」
「待ちきれなくて答えを教える。早く帰らなくては。
「でしょう」
何がでしょう、だ。落語家だなんてちっとも思わなかったくせに。少し攻撃的な今日の私だ。
「私最近行くんですよ。浅草演芸場」
ふん、私は出てないから関係ないもんね。
「あ、そう言えばお客さん見たことある。何か見覚えあるもん」
ある筈がない。誰と間違えてるんだ。相手によっては許さないぞ。
「なんて言う名前ですか?今度観に行きますよ」
さて、どうしよう。名前を教えようか。でも浅草には出てないし。
考えていると彼女がニッコリ笑った。
「ウソですよ、すみません。……で、本当は何してらっしゃるんですか?」
落語家だァー!
2008年5月6日配信

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