好二郎
動・静
 日々の思いをイラストを交えて淡々と綴ります 好二郎
この連載は、原則として、五・十日(ごとうび=5と10の日)に更新します  過去の動静一覧  表紙へ戻る
 
2月・3月・4月

抗議リレーをしたら?

北京オリンピックの代表が各競技で続々と決まっている。

柔道のヤワラちゃん(今どき彼女をこう呼ぶのは私の妻だけだろう)こと谷亮子さんも代表に決まった。谷でも金、ママでも金、負けても金、そんな勢いでガンバって欲しい。

ところで、聖火リレーの妨害が社会問題になっている。

ヨーロッパは特にひどくて、その後中国ではフランスやイギリスの製品を買わない、いわゆる不買運動が大規模に行われている。

テレビの映像を見ると、妨害するほうも、取り押さえるほうも、とても怖い。

あんな妨害の仕方をしたら、却ってチベットの人がいじめられやしないかと心配になる。

取り押さえるほうは平和の祭典なのだから、せめてどんな場合でも笑顔は保ってほしい。どんなに苦しい状況でも笑顔を絶やさないシンクロナイズドスイミングの選手を参考にしよう。

チベット問題で抗議するひとたちは妨害をやめて、抗議リレーをしたらどうか。聖火リレー対抗議リレー。

「怒りの炎」とか何とか名前をつけて横一列で一緒に走る。

決して邪魔せず、黙々と一緒に走るのだ。

そのうち競争になるだろう。「聖火を持っているとはいえ、隣の奴には負けたくない」「勝って、世界中にチベット問題をアピールしたい」そんな思いがぶつかり合うのだ。

お互いの走るスピードが徐々にあがってくる。

沿道の見物人も応援に熱がこもってくるだろう。世界を舞台にしたリレーは本格的な競技リレーに変わってくる。

二人ともものすごいスピードだ。互いの持つ炎が消えてしまうんじゃないかと皆ハラハラして見守るくらいに速い。

予定より20日も早く競技場に着いてしまった。着いてしまったものはしょうがない。競技場に観客もいっぱいだ。

ゲートが開く。聖火リレーのアンカーと抗議リレーのアンカーがほぼ同時に競技場へ入ってきた。
ドッと歓声が上がる。

はげしいデットヒート、互いにゆずらない。世界中が見守る中、二人の争いはいよいよ最後の一周だ。

抗議リレーのアンカーが、足がもつれてよろめく。キャーッという悲鳴。しかし彼は体勢を立て直し、聖火を追いかける。

あと、100メートル。聖火リレーのアンカーがちらりと振り返った。

抗議の炎がすぐ後ろに迫っている。聖火ランナーのあごがあがる。抗議ランナーが一気に抜き去る。ワッという声にスタジアムがゆれる。

抗議ランナーがゴールのテープを切った。

両手を高々と挙げて。

続いてゴールした聖火ランナーはガックリと肩を落とし、自らその火を消す。

喜びに満ちた抗議ランナーにインタビュアーが近づいた。

「おめでとうございます」

「ハイ」

「勝ちました。今のお気持ちは?」

抗議ランナーは、その炎を高く掲げ叫んだ。

「ヤッホー、オリンピックって最高!!」

すっかり最初の目的を忘れた彼だった。
08年4月26日配信
1日の終わりに「なぜ」と問う

一日の終わりに何をするか。

酒を飲まないと眠れないという人もいれば、本を読む、ビデオを観る、睡眠薬を服む、下着を盗む、様々な人がいる筈だ。

私は今まで、決まった習慣がなかった。

一時期健康のためにと、ヨガのような、ストレッチのような、太極拳のような怪しげな体操をして床についていたが、その体操のせいで体をいため、体調を崩してしまったのでやめてしまった。

と、ある人に「一日の終わりに、“なぜ”ということを考えると、よく眠れるよ」という話しを聞き、新聞でも「一日一度、なぜ、という問いかけをすることは自分自身にとても役立つ」というようなことが書いてあったので、さっそく翌日からやってみることにした。

夜、床に入って「なぜ」を考えてみる。考えついたら枕元のノートにつける。それだけで脳が鍛えられるらしい。

「なぜ」……「なぜ」……「なぜ」……

一生懸命考えてみるが、「なぜ」に続く言葉が出てこない。

「何さっきから唸ってるの?眠れないじゃないうるさくて」

妻が自分の寝言は棚に上げて文句を言う。

「今、なぜ、を考えてるんだ」

「何そのなぜって?」

「なぜ、に続く言葉を考えると、それだけで頭が良くなるんだよ。それがなかなか思いつかなくて」

「そんなの簡単じゃない。なぜ僕は、なぜに続く言葉が思いつかない程バカなんだろう、でいいじゃない」

「ふん、そうやって俺を言い負かせばそれでお前は幸せだろうが、そんな妻を持った人間のことを少しでも考えたことがあるか?ああ、なぜ俺はこんな冷血な女性を妻にしてしまったのだろう!」

「なに言ってるのよ、やさしく言ってもわからない人には、心を鬼にして教えてあげなきゃいけないこともあるの。ああ、こんな夫を持ったのは何かのバチが当たったのかしら。おお、神よ、なぜ私はこんなに不幸なの!」

「こんなやさしい夫に向かってよくそんなことが言えるよな。鬼にするなら心だけにしろ、顔まで一緒に鬼にするな!お前なんか夫がプーチン大統領だったら、とっくに姿を消されてるぞ!」

「夫がプーチンさんなら私だってもっとしっかりするわよ」

「ああ、なぜ俺は夜中にこんなこと言われなきゃいけないんだろう」

「ああ、なぜ私の夫が素敵なプーチンさんじゃなかったの!」

「なぜ妻はプーチンが好きなんだろう」

「なぜ夫はプーチンさんより自分のほうが上だと思っているんだろう!」

一日の終わりに“なぜ”を考えると、我が家の場合、眠れない。
2008年4月13日配信
出版構想
『貧乏落語家が教える、
月1000円で楽しく暮らす方法』


さて、真打ち名も決まって、当面の心配はお金と自分の健康と女房の不幸だ。

自分の健康は今まで色々努力してきたが、のれんに腕相撲、糠にこんにゃくでまるで手応えがなく、なんの効果もなかったから、劇的に良くなることもない代わりに悲劇的に悪くなることもないと考えられる。

女房が不幸な目に遭う可能性はこれまでの彼女の行いからいって大変高いが、不幸も不安も全て何らかの力に変えてきた彼女のことだから、これも喜劇的に私を喜ばせる結果にならないと見た。

となると、お金だ。

これから真打ちに向けてお金がかかることだろう。配り物を作ったり、着物を新調したり、妻に内緒でお酒を飲みに行ったり、子どもに黙って焼き肉屋に行ったりしなければならない。

それにはまず安心して準備ができるだけのお金と、私の自由になるお金が必要だ。

私はケチな割にお金のため方と増やし方と使い方を知らない。

お酒の一升瓶を田舎から持って帰るのに、宅急便のお金をケチって自分で持ち運び、最寄りの駅からもタクシー代をケチって歩いて持ち帰り、家についた途端に手がくたびれて玄関先で一升瓶を落としてしまう男だ。

貯めて貯めてようやく人並みに財布がふくらんだと思ったら落とすし、お酒が入ると気が大きくなって、初対面の人におごったりする。

こんなことではいけないと、本屋さんで、お金を増やしたりためたりする本を探してみた。

するとどうだろう、あるわ、あるわ。

30万円をあっという間に1千万円に増やす方法から、10万円確実にもうかるやり方、上司に好かれて給料がアップする法、今までと同じ給料で月5万円ためる技術等々。

知らなかった。こんな方法を駆使して皆お金を儲けていたのだ。

「だからその本を買えば俺たちすごく金持ちになれると思わない?」

「そんなことで10万円儲けたり、5万円貯められるなら私がとっくにやってるわよ」

妻は常に否定的な意見から会話を始める。

「第一、誰でもそれで儲かるなら、貧乏人がいなくなるでしょう」

「だから、貧乏人はきっとその本を読んでいない人たちなんだよ、俺たちみたいに」

「無理無理。三時間で世界の歴史が分かるって本読んでもあなた何一つ分からなかったでしょう?」

「読んだ時は分かったよ全て。ただ二時間で全部忘れたけど」

「英語耳になるって本だってまる切りだめだったじゃない」

「パッと聞いて英語か日本語は分かるようになったよ」

「10万円儲かる本なんて買ったって無駄よ、その本の代金だけ損するわ。そんな本買うなら、そういう本書いたほうが儲かるわよ。『貧乏落語家が教える、月1000円で楽しく暮らす方法』なんて売れるわよ」

「ふん、お前なんか、俺がお金持ちになっても月1000円以上あげないからそう思え」

そう悪態をついてみたが妻の言う『貧乏〜方法』書いてみようかと真剣に考えている。
2008年3月30日配信
大事なことは……
妻に「報・連・相」


その日は、好楽一門会だった。

平日の昼間、三越前にあるお江戸日本橋亭で開かれている定例会である。師匠の好楽、兄弟子の好太郎、好楽の長男で円楽師匠の弟子である王楽、それに弟弟子のかっ好くんと私が出演している。順番は持ち回りで、その日は私が最後の出番、つまりトリだった。

ネタは「花見の仇討ち」。

なかなか難しい噺だ。名前がサッと出てこないところは咳き込んだふりをし、間の悪いところは大声でごまかし、うけないところは自分で笑う、という方法でなんとか喋り終えた。

追い出し太鼓が鳴る中、楽屋に帰って師匠に挨拶すると、師匠がニヤリと笑って「真打ちの名前が決まったぞ」という。

「ハイ」

緊張した面持ちで師匠の前に座り直す。

「これだ」目の前に出された紙には「好右衛門」。

「こうえもん?」

「に、しようと思ったんだけど、こっちにする」次に出された紙に書かれていた名前は「好兵衛」。

「こうべえ?」

「と、思ったんだけど…」完全に私の名前で遊んでいる。

「本当はこれだ!」

勢いよく出されたその紙には、墨黒々と、

「兼好」

「けんこう、ですか?」

「そ。吉田兼好の兼好」

「ありがとうございます。ところで、どうして兼好という名前になったんですか?」

「だってお前、兼好っぽいじゃん」

兼好っぽい。

犬っぽいとか魚っぽいとか水っぽいというのはわかるが兼好っぽい。

「兼好って名前に決まったよ」さっそく家に帰って妻に報告する。

何かあったらすぐに妻に報告、連絡、相談するのが私の義務だ。私のほうれんそうと呼んでいる。

「成る程、兼好ね。良い名前じゃない。あなたにはもったいないわ」

すぐに妻が私をバカにする。何かあったらいつも私をバカにする、私を邪魔にする、私がガマンする、私がたすけを求める。妻のじゃがバターと呼んでいる。

「師匠に兼好っぽいって言われたんだけど」

「兼好っぽいわね、確かに」

「どこが?」

「その日ぐらしなところじゃない?」

「それを言うならつれづれなるままに日ぐらしだろう、その日ぐらしとはぜんぜん違うよ。第一その日ぐらしはお前も一緒だろう」

「私はつれづれなるままにっていうより春はあけぼのって感じでしょう」

「ああ、ずっと枕から離れないもんな。それより俺、光源氏のほうがあってない?」

「本気でおこるわよ。あなたは、いいとこ、とはずがたりね、きいてもいないのに喋るから」

「お前なんか十六夜日記だろ、毎年二十日と日記が続かないから」

「あなたなんか竹取物語でしょ、娘に嫌われはじめてるから」

「うるせい!土佐日記!土佐犬みたいな顔で強いから」

「かみつくわよ!」

……かくして、兼好という名前から、私たち夫婦は教養あふれるけんかを続けた。
2008年3月18日配信
悔やまれる
タクシー乗車


まだまだ寒い日が続く。

寒い。

足元、胸元が寒い。しかし、なんと言っても、懐が寒い。洒落や冗談ではなく、懐が寒い。そう、また例によって、財布をなくしたのだ。

なぜだ!

なぜ俺はこう財布をなくすんだ。とても気に入っていた財布だった。

和風柄で私の手にしっくりとなじみ、着物姿にもぴったりと合い、お金を入れやすくて出しにくい形をしていた。

まずタクシーに乗ったのが間違いだった。私のような人間が生意気にタクシーに乗ったのがいけない。バスを使え、電車に乗れ、歩け!そうなのだ、私は断然タクシーに乗ってはいけなかったのだ。

身分不相応にタクシーに乗った私のもう一つの間違いは五千円札を出さなかったことだ。

私はタクシーの中で懐から財布を出した。見ると、五千円札が入っている。千円札が、ない。ケチな私は大きいお札がくずれるのを生のにんじんをかじるより嫌う。もう一度見たが五千円札と一万円札だ。

仕方がない。千二、三百円はかかるだろう、五千円札をくずすしかない。タクシーが目的地に着く。メーターが止まった。八百円。意外と安い。八百円?

待てよ。八百円なら小銭入れにあった筈だ。そう、確かにある筈。

バックから小銭入れを引っ張り出し中を覗くと、あった。

八百八円。末広がりで縁起が良い。これで五千円札をくずさなくて済む。

喜んだ私は小銭入れから八百円を出して車を降りた。そう、この時素直に五千円札で払っていれば、私はその財布を持って車を降りた筈なのだ。

そうすればなくすことはなかった。なくすことはなかったのに……。

小銭入れを出したとき、財布を足元に落としたか、椅子の上に置いてしまったか。五千円札をくずすのを嫌がって、かえって何万円も失うとは!またそういう時に限って本やCDを買おうと思っていてお金を余分に持っていたりする。

くやしい。

どうせなくすなら読まない本でも買えば良かった。

「あみん」のCDでも買ってしまえば良かった。

何が末広がりで縁起が良いだ、バカな俺め。

気が付いてから、すぐタクシーに電話を入れたがつながらない。翌日もつながらない。二日後、ようやくつながった。

「もしもし、あなたのタクシーの中に財布を忘れてしまったものなんですけど、私の大事な財布は今いったいどこにいるのでしょう。無事でしょうか。無事なら声だけでも聞かせて下さい!」

「さあ、財布はありませんでしたよ」

「そんな筈はありません、あの財布がないと精神的にも経済的にもダメになってしまうんです」

「そう言われても困りましたねェ」

「あなたより私のほうが困ってるんです。中身がないなら財布だけでもいいんです。財布がなければ中味だけでも返してください!」

「でもないものはないんであきらめてください」

電話は切れた。警察にも届け出たが、近頃の警察はたるんでいると見えて、私の財布一つ見つけられないでいる。

なにをしている警察。それでは税金泥棒と言われるぞ。

見つけられないなら私のなくしたお金を税金で穴埋めするくらいの気概はないのか!

あーー、財布。今どこにいるんだ。

財布が、恋しい。
2008年2月23日配信
幻想的な風景に感激

先日、山形県の庄内、湯野浜温泉に行って来た。

Nという会社の研修会で落語を喋って、宴席でごちそうになり温泉に泊まる、というなんともぜいたくな仕事だ。

妻に言わせると「はっきり言ってお喋りな泥棒よね」ということになる。

ただ翌日の仕事に間に合わせるために朝の6時半には宿を立たなければいけなかった。口惜しい。朝風呂に入って朝食をたくさん食べ、もう一度朝風呂に入ってサウナで汗を流して、一眠りしてさらにお風呂で体をあたためてから帰りたかった。

仕方なしに起きる。

宿の方が親切で、おにぎりを用意してくれる。ありがたい。妻に言わせると「盗人に追銭よね」。

タクシーに乗って、鶴岡の駅まで約40分。

雪は降っていない。が、その分気温はグッと低い。空気は澄み、朝日のわずかな光に山々の稜線が浮かび上がる。深い藍色の空に、鋭利な刃物で斬りつけたような月が、真っ白に広がる庄内平野を見下ろしている。

すべての音は雪に吸い込まれて静かだ。

美しい。思わず、運転手さんに声を掛ける。

「きれいですね、この雪景色は」

「このくらいの時間は、道路が見づらくなって目が疲れますけどね」

「……」

と、朝日が低い雲のすき間から一すじ光を放つ。気温が一瞬上がったのか、霧がわき立つ。その中にかすかに見える神社の杜はまるで墨絵のようだ。

「幻想的ですねェ」

「運転しづらくってのう。すぐ目の前の車にも気がつかねェことがあんです」

「……」

田んぼと田んぼの間の道は真っ直ぐに伸びる。真新しいスケッチブックに鉛筆で線を引いたように、真っ直ぐに伸びる。道路の表面を踊るように粉雪が通り過ぎる。

「キラキラ光ってますね」

「ええ、これでスリップするんですのう」

「……」

「オートバイなんか、ステーン、よく転ぶの見ますよ」

「……」

「血ィ出てね。痛そうでのう」

「……」

「真っ白な雪の中でのう、オートバイがひっくり返っての、男の人が道路に大の字になっての、その雪が白いところに、血がパーッってとんでのう……あぶないのう」

私はすっかりもやの晴れた庄内平野を振り返り呟いた。

「それも、きれいですよね」
2008年2月10日配信

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