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編集人の野望、粉砕 いきすぎた演出が裏目に 発端は一本の電話だった。 三遊亭好二郎主催の落語会や勉強会のスケジュール発表にかかわり、問い合わせ先を設置・公表するかどうか好二郎氏と電話協議していた際、「いいよ、どうせ電話なんて掛ってこないから……」と、本頁の影響力を軽視する好二郎氏の発言に、編集人は深く傷ついていた。 実際、10日間連続出演を果たした両国寄席の3月公演が終わると同時にページビューはゆるやかな下降線をたどり、最近では一日の訪問者数が1300人程度(トップページカウンターに反映されない公称部数)にまで落ち込んでいた。 こうした状況に巻き返しを図るためには、一般的に更新頻度の増加と新ページ増設が重要課題とされ、本頁でも新企画を次々と展開、新ページではイラン人を名乗る人物をモデルに起用するなど、てこ入れにやっきとなっていた。 ところが、イラン人を自称する人物が掲示板に書き込んだ内容から、いきすぎた演出が発覚し、記事の捏造疑惑が浮上。読者のシラケムードが蔓延し、編集人の目指すページビュー向上の野望は見事に打ち砕かれる結果となった。 【お詫び】自称イラン人と編集人が仕組んだ俄仕立ての企画は、良かれと思って行なった演出とは言え、読者の失望と冷笑を招き、本頁の信頼を失墜させる結果となり、残念だ。好二郎氏を応援する本頁の使命をもう一度肝に銘じ、信頼回復のため編集に全力を傾注したい。 (2002年3月22日配信) 後援会長の更迭回避 編集人と和解 好二郎が水面下で画策か? 関係が険悪化し、ほぼ絶縁状態にあった三遊亭好二郎氏の後援会長と本頁編集人との間で和解が成立し、後援会長の更迭が回避された。 後援会長と編集人は、本頁開設準備と開設直後の段階では蜜月関係にあり、良好な頁運営をしていたが、本頁掲示板でのやり取りをめぐる意見の相違などから関係が急速に悪化。対面でも会話がほとんどなく、俗に言う「シカト」状態にあった。 さらに追い討ちをかけるように好二郎氏が後援会長に宛てた「さようなら」の手紙を、編集人によって暴露されたことなど、「取材なしに俺のコメントを掲載した」として痛烈に批判、絶交状態は決定的となった。 一方、激怒した後援会長も本頁掲示板で「さようなら、グスン」と落語界からの撤退を宣言することで応酬、「後援会長の更迭はやむなし」という声が支配的となっていた。 ところが、好二郎氏の二ツ目昇進にともなう両国寄席を契機に、事務的な連絡を余儀なくされた後援会長と編集人は、電話や面談などで接触。会話を通じて当初の目的である好二郎氏の応援に全力傾注することを再確認しあい、事実上の和解が成立するに至った。 これにともない「後援会長はずし」も終了、更迭論は立ち消えとなり、後援会長の地位も保全されるが、後援会長は自ら『相模支部長』という今までにない役職を設定、名目上の降格を申し出るなど、その処遇はいまだ混沌としている。 好二郎氏の寄席、つまり「笑い」が原動力となって回避された今回の更迭論議。これを「水面下での画策」と見ることもでき、好二郎の偉大さを改めて印象付ける結果となった。また、暫定的な『相模支部長』とは言え、続投宣言をした後援会長に対しては、「今後も好二郎氏を支えつづけて欲しい」という声が盛りあがっていくと見られている。 (2002年3月14日配信) 好二郎氏、悲願のネットデビュー 三遊亭好二郎氏が3月2日夜、新宿歌舞伎町のまんが喫茶で密かにネットデビューを果たしていたことがわかった。 好二郎氏が利用したまんが喫茶は、新宿歌舞伎町にある雑居ビルの6階。好二郎氏は、雑踏を苦手としているが、敢えて往来の激しい新宿歌舞伎町を訪れたのは、人ごみにまぎれることで、密かにまんが喫茶へ入店を果たしたい意向があったようだ。帽子を目深にかぶり、人目を気にしながらコンピュータに向かっていた(=写真)。 好二郎氏は、コンピュータや携帯電話を持たないことで知られ、情報は主に新聞や雑誌など活字から得ているとされている。高座での噺も、そうした生き様を材料に笑いを取る手法を駆使していたが、インターネットを利用したことを受けて、今後、噺の内容が変っていくのは必至だ。 大型ブロードバンド時代を経て、ユビキタス(携帯端末)元年とされる2002年。好二郎がネットデビューを果たしたことは意義深く、多くのファンの記憶に留められることだろう。 ![]() ![]() ぎこちない手でマウスを動かす好二郎氏。「写真はやめてくれ」とさえぎった。2002年3月10日配信。 好二郎氏、後援会長に恋文 一転、後援会長と編集人の不仲説浮上 三遊亭好二郎氏が2月23日午後3時前、後援会長に対し、「私はあなたが好きだ」と本頁の掲示板を通じてストレートに心情を告白した。発表場所がネット上の掲示板であることから、公然の仲であることを強くアピールしたい思惑もあると見られる。実物の手紙(=写真)は、筆で書かれたと見られ、筆致から強い思いが込められていることを読み取ることができる。 後援会長は掲示板への書き込みの際、「俺」という一人称を使用しているが、この恋文の発覚で「実は女性ではないか」との見方も出てきた。 一方、本頁編集人(男性)の心中は穏やかではない。「私もそれなりにお手伝いしていますが、なぜ、お手紙をくれないのだろう」と話す。口調は穏やかだが、後援会長への嫉妬心が垣間見え、ここにきて「編集人と後援会長の不仲説」が現実味を帯びて急浮上している。 「後援会長、あなたは誰ですか?」。 近く直撃する予定だ(2002年2月23日配信)。 ![]() 好二郎氏、後援会長に三行半 三遊亭好二郎氏が、献身的に支えつづけてきた後援会長に、三行半(みくだりはん)の手紙(=写真)を渡していたことが発覚した。 本頁が入手したその手紙には、直筆で次のように書かれ、「好作」の押印もあった。 「後援会長へ 金も出さないのに 口だすな、 さようなら 三遊亭好作改め三遊亭好二郎」 後援会長はこれまで約8年にわたり好二郎氏を支え続けてきたことで知られ、側近中の側近と見られている。最近でも「後援カー」と称する軽自動車を購入しており、深夜をいとわず好二郎氏を送迎。自己を犠牲にしながらつねに声援を送りつづけていた。 最近になってこのような手紙が渡された理由は不明だが、事情通によれば、次期後援会長の座を狙う何者かが、ある種のクーデターを企てているのではないかと推測、「こんな手紙にくじけず引き続き重責をになって欲しい」と話していた。 一方、後援会長は、地元の子ども会を牛耳っていることなど、幅広い人脈をアピール。「子ども会を敵にまわしてもいいのか」と恫喝ともとれる発言をし、強気の姿勢を崩していない(2002年2月17日配信) ![]() 好作氏、携帯所持説を完全否定 本頁が2月3日、「三遊亭好作氏が携帯電話を所持している可能性は高い」と報じた問題で、本人に直撃したところ、完全否定した。しかし「電話魔」を自認する好作氏は、携帯電話を友人や知人から借用し、居酒屋などを発信源として使用することはあったと認めた(=写真、本頁記者の携帯電話を借用して会話している好作氏)。2002年2月10日配信 ![]() 【おわび】 本頁2月3日配信分の記事は、三遊亭好作氏が携帯電話を所持し、日常的に使用しているかのようにも受けとられ、一部で誤解を招く記事でした。「所持か?」の部分を「借用」に訂正します。 裏版本頁独占、追撃スクープ 好作氏、携帯を所持か? 三遊亭好作氏が、携帯電話もしくはパーソナルハンディーフォン(PHS)を所持している可能性が強まった。 本頁は、好作氏の妻との間で交わした電話のやりとりから、その感触を得た。 好作氏の妻は氏の不在中、本頁からの電話問い合わせに対し、あたかも携帯電話で連絡をとれるかのような発言をし、日常的に携帯でのやりとりがあることを示唆した。 好作氏はかつて、携帯電話の利便性に関して懐疑的な見方を持ち、その存在に対しやや否定的ともとれる発言をしていたことで知られているが、最近では「そろそろ携帯をもとうかな」と側近にもらしており、本頁掲示板でも議論されたことがあった。 好作氏に近い存在とされる後援会長は「その事実は知らない。しかし、そういうこともありえるだろう」と否定しなかった。 本頁では、氏の時代に反逆する反骨精神を賞賛する一方で、多忙な毎日が予想される二つ目昇進以降のスケジュール管理などを考慮し、携帯電話を持たないことにこだわる必要性が薄れたと認識、素直に告白させるため、近く、その真相を直撃する予定だ。(2002年2月3日配信) |