好二郎
動・静
 日々の思いをイラストを交えて淡々と綴ります 好二郎
この連載は、原則として、五・十日(ごとうび=5と10の日)に更新します  過去の動静一覧 表紙へ戻る
 
2002年2月・3月・4月

 全楽師匠、おめでとうございます

4月23日、大手町の東京会館で、三遊亭安楽改メ全楽、真打昇進披露パーティーが、盛大に行なわれた。

 円楽一門から真打が誕生するのは実に10年振りで、全楽師匠はもちろん、パーティーを手伝う我々も何をどうしていいのか分からない、手探り状態のパーティーだった。

 それでも全楽師匠の寝ずの努力が実ってパーティは滞りなく、華やかに、楽しくお開きとなった。

 最後に全楽師匠がお礼の言葉を述べたのだが、師匠円楽に向かって、「私に高座の機会を与えてくださいましてありがとうございました」と言った。

 その言葉が胸に残った。

 立川流から移ってきて、いろいろな事情を乗り越えての真打昇進。その言葉にウソはないのだろう。私も常に「高座の機会を与えてくださいましてありがとう」という気持ちで毎日を過ごしていこうと思った。師匠だけでなく、お客さまはもちろん、家族や先輩方にも、その気持ちを忘れずに接していこう。

 壇上の全楽師匠の姿を見ながら、そんなことを考えた。

 全楽師匠、おめでとうございました。
(2002年4月26日配信)

朝から元気いっぱい

 4月19日、「30の手習い」と題した自分の勉強会が17日に終わってホッとした。会場選びからチラシ、チケットの作成まで一人でやったので心底疲れた。精神的にも肝心の落語が充分けいこ出来ずにクタクタだった。

 そんな時、管理者くんの沖縄土産「回春ハブ酒」はおおいに役立った。なにせ「回春」である。その言葉だけで血騒ぎ肉踊るではないか。説明書に従って、一番効き目があるという「眠る前に少量をストレート」で飲み始めた。「30の手習い」が終わったということもあるのだろうが、効果はテキメンで、三日目の朝には自分でもびっくりするくらい元気だった。「回春」はすごい。ただし、夜はいつも通り疲れた私に戻っていた。

 夜に効く「回春」ならよかったのに……。
(2002年4月20日配信)

みそ汁を飲みながら、彼の地を想う

 4月14日、朝、昨日のお酒がまだ抜け切らないまま食卓に向かい、白湯とみそ汁を一気に飲み干した。お酒を飲んだ翌日はこれに限る(前日、座間で落語会があり、帰りに後援会長と管理者君と3人でバカ騒ぎをしたのだが、詳細は後日に)。ただ、この日のみそ汁はにんじんが多くて少し甘かった。こういう日は、できればしょっぱいぐらいが丁度いい。

 そんなことを想いながら新聞に目を通すと、12日に、エルサレムで6人の死者を出す自爆テロを起こしたパレスチナ女性の写真が載っていた。齢はいくつか分からないが、2月に撮ったというその写真には、まだあどけなさが残っている。彼女を、確実に死に、少なからぬ人を死傷させる自爆テロという行為に走らせたのは何だったのだろう?

 今日もたぶん、彼の地では爆弾を抱えた少年少女が街を歩いている。同じその日、私はみそ汁が甘いとグチを言い、妻は肩こりがひどいといって背伸びをする。
(2002年4月15日配信)

 好二郎の妻、襲われる

 4月9日、3年くらい前だったろうか。朝、娘を幼稚園へ送っていった妻が、なきながら帰ってきた時があった。それも尋常な泣き方ではない。恐らく私が交通事故に遭って大けがをしても、あれほど一生懸命泣かないに違いない。どうしたのかと訳をきくと「カラスに刺された」という。カラスは何者かと重ねてきくと、手をバタバタとさせている。間違いない。、あの黒くてゴミを喰い散らかすカラスである。妻が何をしたというでもないのにカラスは妻を襲った。タブン妻のことを嫌っているのだろう。妻の頭からは血が出ていた。あの時のカラスに似たカラスが、近ごろうちの近くにいる。
(2002年4月10日配信)
精のつくものを期待

 4月4日、このホームページの管理者くんが沖縄に行くと耳にした。

 蒼い空と青い海、広がる砂浜。素晴らしいところだ。

 管理者くんがどうして沖縄に行くのか私は知らない。ただ、お金がないというので20万円ばかり餞別にあげた。きっと帰ってくる時は我々にたくさんのお土産をもってきてくれるだろう。ちなみに私は「精のつくもの」、女房は「すごく精のつくもの」を頼んだ。

 とても期待している。
(20002年4月4日配信)
 
会津でおどろいた

 3月30日、また会津に帰ってきた。5月9日に会津で落語会を開くため、その打ち合わせと言う名目だ。打ち合わせはとどこおりなく終わったのだが、おどろいたのは私の母親だ。別に母親が人を驚かす顔をしている訳ではない。どこにでもある顔だ。もっと言えば、なくてもいいくらいの顔である。では何におどろいたのか。

 母は私に「二重まぶたにしようと思うんだけど、どう?」と言うのである。元々母は二重まぶたである。それが歳のためたるんできた。それを何とかしたい、というのである。つまり手術なりなんなりでキリリッとした目にしたい、ということだ。

 驚くではないか。今さら二重まぶたにしてどうしようというのだろう。それ以前に、どうしてそんな考えが頭に浮かぶのだろう。彼女はキリリッとした目になって何をするのだろう。二重まぶたになった彼女にどんな未来が待っているのだろうか。

 少しこわい。
 (2002年4月1日配信)

頭痛の種が絶えない桜の季節

 3月23日(土)。桜の花がどきどきする間もなく咲いてしまった。

 桜の木の下には死体が埋まっていると物騒な連想をした作家もいたが、桜がただ美しいと感動できない理由が私にもある。

 私は頭痛持ちである。季節の変わり目、気圧の変化、晴天・雨天・金のあるなし、色々な理由で激しい頭痛にみまわれる。特に桜の時期は痛みが強く、桜並木がライトアップされ、夜の街に白く浮かび上がると、気分は沈みゆううつになる。しかも今年は昇進と重なり文字通り頭痛の種が多かった。あれもしなければ、これもしなければ、あの噺をやらなければ、うまく出来るだろうか、間違えずに出来るだろうか……。日々頭痛との戦いである。それでも桜の花が散る頃は、不思議と痛みが和らいで、梅雨時までなんとかなる。毎年そうだから、今年ももう少しでこの頭痛から解放されるだろう。そう思うと桜の散るのが楽しみである。つくづく桜の楽しめない不幸な男である。

 追伸・H麻呂さん、頭痛のタネの一つ、20万事件、早く解決してください。
(2002年3月26日配信)
 今、我が家は大変です

 3月17日。「高ノ橋秀麻呂」さんが書き込んでくれた情報、つまり私が「錦糸町駅で20万拾った」という話が、家庭で大騒ぎになっている。妻はその20万をすぐに出せという。私が「そんな金は知らない」というと、「そんな筈はない。20万と言わずとも、2万円くらいは拾った筈だ」と言う。それでも知らないと言うと「錦糸町というのが、あやしい。何に使った」と詰め寄る。

 秀麻呂さん、お願いです。私の妻に正直に話してください。

 拾ったのは、本当は秀麻呂さんあなただということを。金額は3万円。「山分けしましょう」とすがりついた私を振り切って、ネオン街へ消えていったことを。

 お願いです。今、我が家は大変です。

 それから角田博英様。いつもありがとうございます。角田様が指摘なされた両国駅前のカラオケ屋がやっている「呼び込みコーラス」は私も大変気になっていました。落語会の色物さんで出演してもらいたいくらいきれいな二重唱です。女の子の二人の二重唱もいいのですが、男の子と女の子の二重唱も魅力的です。聴いたことのない人、是非一度お聴きください。

 ところで、この二重唱、有楽町のカラオケ屋でも聴いたことがあるのですが、アルバイトをすると皆やらされるのでしょうか。ご存知の方は教えて下さい。
(2002年3月21日配信)
「眠り虫君」、春眠暁を覚えず

 3月14日、春、である。二ツ目昇進を機に、各知人に挨拶をしてまわり、昇進披露の落語会を企画、準備を進めなければならず、目の回るような忙しい日々を送る筈の時期なのに、あいにくの春である。
 
 私は普段、特別なことがなければ、10時間は睡眠をとる。仕事で遅くなったり、悪夢にうなされて早く起きてしまった時でも、必ず帳尻を合わせ、10時間眠る。家族はそんな私を「眠り虫君」という可愛い愛称で呼んでくれる。

 春眠暁を覚えず、の春である。眠り虫君と呼ばれる私が、眠らない筈がない。この忙しい時期にとにかく寝ている。眠ろうと思って眠るのではない。気が付くと寝ているのだ。これではいけない、やらなければならないことが山とあるのに。そう思っているのについウトウトしてしまう。

 例えば昨晩、あまりに早い時間に寝てしまったので、今朝早起きをする。窓から外を眺め「早朝の景色ってきれいだな」と思っているうちに、窓辺でウトウトしている。ハッとしてラジオ体操を始めると最初の深呼吸でトロトロっとしてしまう。いけないな、と思いながら朝食を平らげると本格的に寝ている。昼近くに起きて慌てて昼食を食べ、すぐに昼寝。おやつにおきて落語のけいこをしている最中に八っつあんとご隠居の会話が間延びして、オチにたどりつく前にグッスリ。晩めしにノロノロ起きて、食べ終わると少しうたたねをして、「そう言えばホームページの原稿を書かなきゃ」と思い筆を執って書き始めたが、だんだんと眠くなって……そろそろ……もうダメ、おやすみなさい。
(2002年3月15日配信)
長い目で応援してくださいませ

 3月10日、二ツ目昇進のあいさつを兼ねて、毎日出演させてもらった両国寄席も、今日で一つの区切りを迎えた。この10日間、今まで様々な落語会でお世話になったお客様はもちろん、元の職場の同僚、先輩、後輩、学生時代の友人など、久々に会う多くの人達に足を運んでもらった。

 自称後援会長さんも自分の友達をつれてきてくれ、このホームページの管理者くんも遠くから落語を聞きにきてくれた。本当にありがたい。

 一生懸命、落語はやってみたが、そうした皆さんに満足してもらえたかどうか、甚だ心細い。今まで私の落語を何度か見聞きした人達は、「二ツ目になってもあんなものか」と思われたかもしれない。はじめて聞いた元の職場の同僚は「あんなことしないでウチで働いていた方が良かったんじゃないか」と考えたかも知れない。学生時代の友人は「落語はどうでもいいから、早く終わって飲みに行こうよ」、そう思っていたに違いない。

 でも、今は仕方がない。少しずつ、少しずつ、皆さんに満足してもらえる落語をしていこうと思う。稽古を頑張ってやっていこうと思う。

 それまで、どうぞ、皆様、長い目で応援してくださいませ。ボンヤリしている暇はない。そう決意した10日間でした。

 どうぞ、今日が二ツ目の仕事納めになりませんよーに。
 (2002年3月11日、午後11時配信)

【お詫び 】「配信が遅くなって申し訳ございません」好二郎
 いつも楽しみにされている読者の方々へ、更新が1日以上遅れました。すみません。編集人
『お詫び』3月10日配信分の原稿は不着のため落ちました。あすには掲載いたします。編集人
恥ずかしいけれど……

 3月2日、近頃年のせいか(といってもまだ32歳だが)、それとも落語家になってから、ずうずうしくなったせいか(元々ずうずうしいという人もいるが)、恥ずかしいということが少なくなった。

 寝ぐせがついていようが、くつ下を片方ずつ違ってはいていようが、宝塚のお芝居を見ようが、ちっとも恥ずかしくなくなった。

 ところが、わがHPの管理人(者?)君と一緒に自分のHPを直接見たときは恥ずかしかった。HPそのものはよく出来ていると思うが、これが自分を中心にしたものだと思うとやっぱり恥ずかしい……。そんな気持ちが少しでも残っていて今は嬉しいのだが、そのうち恥ずかしくも何ともなくなり、このコーナーでの私の発言がひどくずうずうしくなってきたら、皆さん遠慮なく注意してください。

 それにしても、管理者君ご苦労様。これからも頑張ってくださいね。(2002年3月5日配信)
一度怒鳴って、二度転びそうになり、
三度泣きそうになった
 
 
2月22日、いよいよ昇進が近づいてきた。
 主だった人たちに昇進の挨拶に行かなければいけない。挨拶に行くといっても、噺家の場合は支度が仰々しい。黒紋付羽織袴という出立ちである。
 特に袴は面倒だ。はきにくいし座りにくいし歩きにくい。小用だって気軽に足せない。
 とは言ってもそれが正装で、そうしなければいけないのだから仕方がない。
 もっとも前座のうちははけないのだから正直嬉しくもある。
 面倒半分、嬉しさ半分で挨拶まわりに出かける。
 家から目的地までのわずかな間に、一度怒鳴って二度転びそうになって、三度泣きそうになった。
 怒鳴ったのは、袴に汚い顔をこすりつけてきた猫に対して、転びそうになったのは階段と電車の中で、自らの袴を踏んだ時、泣きそうになったのはトイレに行った時なかなか脱げなくて、用を済ませた後なかなかはけなくて、すっかりはいた後、また用が足したくなった時である。
 3月までに馴れるか、心配である(2002年2月25日配信)。 

吹雪の会津、「びっくりしたがし?」

 2月18日、会津若松に帰省。二ツ目昇進のあいさつをするためだ。
 といっても、母や兄、それから仏壇の中の父に報告するだけ、といういたってのんびりした帰省だ。
 久しく会津に帰ってなかったので、街中がどんな風に変わったのか興味はあったが、外は雪。表に出るのは億劫だ。散歩に出ようか。炬燵で丸くなっているか。小一時間悩んだ末に外出を決意。
 「なーに雪ぐらいなんてェことはない。会津で生まれ育った私だ。中学生までは学生服一枚にマフラーもしないで遊んでいたではないか」。
 そう自分を勇気づけて表へ出る。
 雪は心なし、強くなっている。気のせいか風も出てきた。勘違いかもしれないがものすごく寒い。30分程街中を歩く。間違えない、吹雪だ。辺りに人影はない。車もそろそろと走っている。
 私は耐え切れずにお土産品店にとび込んだ。半分雪だるまのようになった私を、店員は観光客だと思ったのだろう。会津弁で「会津は寒いっしょ?びっくりしたがし?(会津は寒いでしょう。雪があんまり降るんで、驚いたでしょ。ざまあみろ)」と言う。
 私は凍えた声で、それでもニッコリ笑って答えた。
 「わたひ、アイジぶばれですからハハハ(私、あいづ生まれですから、こんな雪驚きませんよ。なめんなよ)」。
 それでも店員はしきりに会津塗りのお椀を勧める。私はストーブの前を陣取って会津の人間であることを証明するために、聞かれもしない家族の話や、高校時代の思い出話を話して聞かせた。
 店員も納得したのだろう。こんどはしきりにカイロを買うように勧めてきた。
 商売熱心だな、と思う。買おうか、買うまいか……。外はますます、雪が強くなってくる(2002年2月18日配信)。


座布団ごと浮いた!?

 2月12日、東京・両国にある両国寄席で、「好作が企画する『だから、この人が好き』」という企画落語会を開いた。
 三遊亭好楽(私の師匠)、道楽、安楽という私の大好きな3人に出演を願い、間に入って私が2席落語を話そうというずうずうしいもの。
 当日、風邪でぼんやりしていた私。2席目の「時そば」という噺でとり返しのつかない失敗を犯し……
 「もう一度やり直していいですか?」
 一度ひっこんで別の噺をするという、何とも恥ずかしい経験をした。
 やっている方は一瞬座布団ごと浮いた気がしたのだが、見ていたお客様はどう思ったか……。
 あの日のお客様、ごめんなさいね(2002年2月14日配信)。

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