好二郎
動・静
 日々の思いをイラストを交えて淡々と綴ります 好二郎
この連載は、原則として、五・十日(ごとうび=5と10の日)に更新します  過去の動静一覧 表紙へ戻る
 
2002年5月・6月・7月

 花を咲かそうよ

7月25日。

 昨日、「好二郎後援会交流会」が会津で催され、楽しい時間を過ごすことが出来た。吉田会長はじめ後援会の皆様、本当にありがとうございました。会津に帰る度に皆様によくしていただいて甘えさせていただいている。一日でも早く恩返しがしたいものである。

 さて、きょう25日、会津から東京に戻ってみると、足立の花火大会。この花火大会は我が家からほど近く、それはそれは美しいものである。

 ベランダに立って、目の前に迫る光の大輪を見ながら、「ああ、自分も早くドーンと大輪の花を咲かせたいなあ」と思った。

 でも、近頃の花火大会はせわしないと思いませんか?あんなに連続で打ち上げなくてもいいのに、と思う。

 隣で見ていた妻に「今の花火きれいだね」とか「珍しいな」とか感想を言っている暇がない。

 仕方ないから早口に「きれいだ!」と大声で言ったら、

 妻はなぜか照れていた。

 2002年7月25日配信
 
 好二郎、御用!?

 7月19日。

 先日、「酒気帯び運転」でつかまった。

 飲んだあと、カラオケで汗もかいたし大丈夫だろうと思ったのが甘かった。

 警察の方に、「スクーターでもダメなものはダメ。でもつかまって良かったよ。事故を起こしたらそれどころじゃ済まない」と言われ、その通りだおと反省した。

 で、それ以来、自転車か歩くようになった。歩いてみると、今までに近いと思っていたところが、やけに遠い。自分の体力の低下をしみじみと感じる。

 そのかわり、今まで気が付かなかったことに気づくようになった。

 足袋を売っている印鑑専門店、「主人が治るまで閉店します」という注意書きをかかげたクリーニング店などなど。これがけっこう面白い。

 しばらくはスクーターに乗らないと思う。
(2002年7月20日配信)
「会ってくれない?」
その娘は言った


7月9日。

 7月17日に、銀座ガスホールで「雅寿亭 かえるの子はかえる!?」と題して、二世芸人をメインにした落語会が開かれる。

 すなわち、好楽のせがれ王楽が前座をつとめ、木久蔵の長男きくお、人間国宝・桂米朝のご子息・小米朝、色どりも江戸家猫八の愛娘・まねき猫という面白い顔付け。

 私は出演しないが、ちょっと変った会になりそうなのでお時間のある方は是非どうぞ。

・・・・・・ところで、カエルというと思い出すことがある。昔、ある女友達に「あなたと付き合いたいという女の子がいるんだけど会ってくれない?」と言われて、「どんな人?」と聞くと、その女友達はしばらく黙って・・・・・・

「あなた、カエル嫌い?」と言う。

「別に嫌いじゃないよ」と答えると彼女はニッコリ笑って・・・・・・

「よかったァ。あなたに会わせたい女の子ってカエルにそっくりなの」

 結局、私はカエルにそっくりだという女の子と会わなかったのだが、今思うと会っておけばよかった。カエルに似た人。案外とてもいい人だったかもしれない。
(2002年7月11日配信)
 幸せでありますように

 7月5日。「七夕」である。織姫と彦星さんが天の河を越えて年に一度の逢瀬をする日である。

 年に一度。よく我慢できるものだ。年に一度で満足なのか、それともよほど淡白なのか。そんななことはどうでもいい。

 私が気になるのは、願い事を書いた、あの短冊である。内容も面白いのがたくさんあるが(素敵なものが拾えますように、智子より早く結婚できますように、今年は水着が堂々と着れますように、などなど)、わたしが好きなのは、あの「〜できますように」「〜でありますように」という文章、口調である。

 「〜したい」「〜して欲しい」「〜して下さい」「〜だといいなあ」。色々願い事をする言葉はあるが、「〜でありますように」は一番いい。

 上品で遠慮深くて、謙虚である。初詣と七夕ぐらいにしか耳にしないこの言葉が好きである。

 今月、知人のひとりが出産を予定している。

 どうぞ母子ともに無事でありますように。
(2002年7月7日配信)
 「何か買ってきません?」

7月1日、大分に仕事で行ってきた。帰り、大分空港の土産物売り場に「中津江村特産品展」が小さいながら開かれていた

 中津江村は、W杯で一躍有名になったが、地元の人でも、それまでは知らない、行ったことがない一村にすぎない。だからこそ、これを機会に村の特産品を売ろうという心意気なのだろう。

 私がチラッとのぞくと、村の職員風のおばさまが飛んできて、「何か買ってきません?」。

 聞き方が直接的である。「こんにゃく、ゆず、かぼす、わさびが有名なのよ」

 「へえ。有名じゃないものは?」

 「・・・・・・」

 悪いなあと思ったので、「サッカーで有名になったわけだから、有名じゃないものなんかありませよねェ」と言うと

 「ええ、あと3ヶ月もすると忘れられるかもしれませんから、今のうちに売ろうと思いまして・・・・・・、何か買ってきません?」

 その正直な発言に、私は「ゆずはちみつ」を笑いながら買ってきた。皆が忘れても、私は中津江村のあのおばさんを忘れない。
(2002年7月2日配信)
 ピチピチギャルを募集中

 6月25日。学校寄席なるものに行ってきた。

 学校寄席であまりウケたことがない。いや、はっきり言って聞いてもらえない。今回は男子校だったので、なおさら聞いてもらえない。

 会場入りする前に、その高校生達に会った。

 「面倒クセー」「明日感想文書くのやだな」「ラクゴって結局何?」などと言っているのが聞こえる。益々気が滅入る。だから、当然受けない。

 そうだ!これからもあることだ。若者にウケる話題を探そう。そのためには若者と付き合うことだ。

 ということで、いつも若者の話題を提供してくれる20歳以下のピチピチした女性、募集してます。
(2002年6月26日配信)
 好二郎、叫ぶ!

 6月20日。私は流行に鈍感である。洋服にしても何にしても、流行に遅れる。いつも周りの人にバカにされる。敏感になろうとしているのだが、他の人より一歩も二歩も遅れるのである。

 W杯にしてもそうだ。はじまる前はまるっきり興味がなかった。トルシエさんが何人かもはっきりしていなかった。日本が一勝を挙げたので少しテレビでも見てみようという気になった。決勝トーナメント進出が決まって、フツフツと情熱が沸いてきた。応援しよう、ガンバレ日本、そういう気持ちが頂点に達した時、日本は敗退した。

 この情熱を私はどこへぶつけたらよいのでしょう?近所のおじさんに「日本、まけてしまいましたね!」と興奮気味に話しかけたら、「そうですか」とけんもほろろ、相手にされない。中学生くらいなら私と同じ思いをしているだろうと近所に住む少年に声を掛けたら、「マア、日本の実力ですよ!」。

 なぜそんなに冷めているんだ!みんなもう冷めたのか!私だけか!
(2002年6月22日配信)
 日本代表のサッカー
 心から楽しもう


 
6月14日。W杯日本代表が予選を1位で通過し、決勝トーナメント進出を決めた。

 すばらしいことである。自称後援会会長(きちんとした後援会長が決まりそうなので)改め相模原支部長及び運転係君も大のサッカーファンだから、私のことなどすっかり忘れて喜んでいるに違いない。

 ”強さ”あるいは”勝利”というのは、サッカーファン以外の人間も容易にその輪へ引き寄せる力がある。W杯開催直後にはあまり興味のなかった人たちの多くが、今は「トルシエ・ジャパン」なるもののファンに違いない。

 しかし、そんな時にでも水を差す人はいるもので、ある政治家が「トサカをつけた選手もいる、もっと代表の意識をもって」と注文をつけた。

 確かにあの赤い頭はどうかと思う。周りの選手が皆、黄色い髪の毛だけに「ニワトリとひよこ」の集団にも見える。ボールがなかったら、すごい悪い人たちの集まりに見える。

 でもいいじゃないか。

 彼らは、惨めな負け方をすれば、日本国中から罵声を浴びるというリスクを負っているのだから。

 今は只、日本代表のサッカーを心から楽しもう。
(2002年6月15日配信)
好二郎、ついに携帯を購入

 6月9日。小さなスランプにおちいっている。とにかく高座に出てもうけない。笑いの声が大きいとか、笑いの量が多いとか、そんなことではなく、うけない。満足できない。他の人がすごく上手に思えて、負けまいと力を入れる。ますます噺がつまらなくなる。誰かにグチをこぼしてストレスを発散しようと思っても。「W杯観てるから」君と遊んでいる暇はないと断られる。イライラした気持ちが高まって、ついに携帯電話を購入した。もしかしたら気晴らしになるかもしれない。そう思ったのである。気持ちが乱れているから、妻の分まで買ってしまった。

 しかし、気晴らしになるどころか、いらいらした心持ちは、いやまさるばかりである。ぶ厚い説明書には何だか分からない言葉が並び、不器用な私の指には、あのボタンは小さすぎる。ヘタなところを押せば、勝手にいろんなところが光りだす。ああ、イライラする。小さなスランプは、今大きなストレスに変りつつある。
(2002年6月10日配信)
 好二郎、絶叫

 6月4日、W杯、日本対ベルギー戦。チケットが手に入らなかったので(手に入れるつもりもなかったが)自宅でテレビ観戦。サッカーのことは良く知らない(ルールは良く知っているし、自分でやるのも面白いと思うのだが、選手の名前と顔を覚えるのが面倒なのでW杯は詳しくない)私だが、愛国心は極右政党にも負けないくらい強い(でも国同士の戦争になったら、勝ちそうな方に亡命するつもり)ので、大変興奮した。

 同点ゴール、逆転ゴールを立て続けに見た時には「生きていてよかった。仕事がなくてよかった」と思い。同点にされたときには、まるでムンクの「叫び」のようになってしまった。

 ところで途中で交代して入ってきた「さんとす」選手は日本人離れした顔をしていた。

 少し日本サッカーチームが好きになった。
(2002年6月5日配信)
プロの業に驚き

 5月27日、足立区の「境界線確認係」なる人物が、わがマンションに訪ねてきて、マンションの正確な境界線を確認して、新たに区で管理する図面を作りたい、という。そのためマンションを代表して、何人かの人に立ち会ってもらいたいとのこと。退屈な私は当然立ち会うことにした。

「境界線確認係」なる仕事があることも驚いたが、我々一般にはなかなか見つけられない「境界線」を結ぶ印(本当にわずかな、米粒ほどの点)を見つけけるプロの目に驚かされた。何の世界にもプロはいるものだ。

 しかし役所というところは、こと細かに仕事が分かれているんですね。きっと「マンホール係」とか「横断歩道係」なんていうのがあるに違いない。よし今度は自分の会に。
(2002年6月1日配信)
好二郎の兄、盲腸で嘆く

 5月26日、祖父が93歳の天寿を全うし他界したため、福島県いわき市に行ってきた(そのためこのページの更新が遅れました。ゴメンなさい)

 告別式で兄に会った。一週間前に盲腸の手術を終えたばかりの兄は精気のない顔をしていた。

 手術がそんなに大変だったのかと思ったらそうではない。手術にi至るまでの間に起こる様々な出来事、例えば、すごく痛いのに「盲腸だね」と極軽い調子で言う医者、それを聞いて「今ごろ盲腸?」と笑う妻。剃毛した下半をそのままにどこかへ行ってしまう看護婦。

 様々な出来事に彼は「人間性を否定された」と嘆いていた。

 どんな病気でもいいが、盲腸はいやだと思った。
(2002年5月27日)
 恋するケイタイはいかが?

 5月20日。ケイタイ電話を買いなさい、とお客様に言われた。

 今までも同じようなことを言われ続け、そのたびに「ヘぇ、そのうち……」などと言葉を濁して買わずにいた。

 ところが今回はそのお客様に少なからぬ資金提供があった。これは買わないわけにはいかない。さて、何を買えばいいのか?

 ケイタイに詳しい方、情報を下さい。できれば安くて面倒な操作がなくて、好きな人からの電話はかかりやすく、借金返済を求める電話は自然に切れる、そんなケイタイを求めている。
(2002年5月20日)
 娘の成長を喜ぶ好二郎

 5月15日。今日はわが長女の誕生日。今日でちょうど”おはっさい”になった。生意気盛りだ。幼稚園の頃、先生に「お父さんの仕事は?」と訊かれたとき、「ゼンザ」と堂々と答えていた彼女の面影はもうない。

 今は私がどんな面白い冗談を言っても、はだかで踊りをおどっても、母親似の冷たい視線で「パパは落語家だからしょうがないよ」と言い捨てるようになった。

 あと3年もしないうちに、「パパもいい加減、落語家なんてやめれば」と言われそうでこわい。

 でも、彼女は小噺が話せる。
(2002年5月15日配信)
ふるさとで胸熱くする好二郎

 5月10日。昨日ふるさと会津若松で開かれた「三遊亭好楽一門会」は、私の二つ目昇進披露にふさわしい、楽しい落語会になった。

 私の先輩で、「好二郎後援会長」(以下、会津の会長と呼び、いつもこのHPに登場する自称後援会長と区別する)になって下さった吉田様はじめ友人・知人が開催したこの会は、会場を満員にして大盛況だった。出演した師匠・好楽、好太郎、円之助、王楽各氏の熱演にはもちろん感謝するが、おそらく落語をまるっきり知らない、生で聴いたことがない、会津の会長と後援会の皆様に感謝している。

 本当にありがとうございました。

 親類、近所のおじさんおばさん、母の友人、亡くなった父の知人、とにかくなつかしい面々に会えて、感動し、感謝し、ひさしぶりに胸が熱くなった。東京からわざわざ来て下さったお客様もいて、驚くやら、感謝するやら……。

 さ、これで一つの区切りがついた。これからも元気に頑張ろう。次に磐梯山を見るときには、確実に成長したと言える自分でいよう!
(2002年5月10日配信)

 「親切な心」

5月4日、道端で見知らぬおじいさんが倒れていたら、あなたなら、どうします?

 私、助けたんです。倒れてるじいさんを。そのじいさん、一人じゃ、立ってられないし、歩けないんです。

 私、聞いたんです。「ウチ近いんですか?」。

 そしたらじいさん「その角、右に曲がるとすぐです」。

 そう言ったんです。

 信じなきゃ良かった。曲がると空き地で何もないんです。次の角も、次の角も……。私の妻がそのじいさんのウチ探しました。

 じいさんの「H本って名前です。住所、忘れました」という一言を頼りに。

 近所でH本さん、一軒見つかりました。連れてったら、間違いなくそのじいさんのウチでした。

 じいさん一言、

 「ありがとね、でも、ヤンなっちゃった」

 って言いましたね。私の方がヤンなっちゃったというのが本音です。歩けないじいさん、1km近くかついで歩いたんですから。

 でもね、思ったんです。女房・子どもの前で、倒れてるじいさん、見て見ぬふりできないと。きっと子ども達の心には「親切な心」というのが育つだろうと。

 翌日5月5日の子どもの日。家族で上野に出掛けました。私の自転車の後ろに乗った小学生になる娘が一言。

 「今日は誰も倒れていないといいね」。
(2002年5月6日配信)
1000人のお客様を前にするよりも

  4月28日、Yさんという女性のお客様が「自分の部屋、狭いんですけど、寄席をやっていただけませんか」と言ってきたのは2月前くらなものか。

 それがこの日実現した。六畳二間のよくあるアパートの一室である。家具を壁際に追いやり、ソファーをベランダに出し……。彼女の努力の甲斐あって、たいして広くもない部屋が、15人のお客様を収容できる見事な寄席になった。そういう所で出来てしまう”落語”もえらいが、やろうと言い出した彼女Yさんはえらい。そしてYさんに誘われてやってきたお客さまはもっとえらい。

 1000人のお客様を前にして話すより緊張する面白い寄席だ。これからもし出来たら、Yさん、続けましょうね。

 ただ一つ反省点をあげるとすれば、「打ち上げ」の方が本編より長くなり、落語のマクラをほとんど喋ってしまい、もうネタがないということです。
(2002年5月1日配信)

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