好二郎
動・静
 日々の思いをイラストを交えて淡々と綴ります 好二郎
この連載は、原則として、五・十日(ごとうび=5と10の日)に更新します  過去の動静一覧  表紙へ戻る
 
2003年11月・12月、2004年1月

国宝「紅白梅図屏風」に酔う

1月31日。

 1月ももう終わりである。早いなあ。ついこの間が大晦日で、新しい年を迎えたと思ったら、早くも2月である。

 師匠に新年の挨拶をして、友達とお酒を飲んで、先輩にお酒を飲まされて、お客様にお酒をご馳走してもらって気がついたら2月である。

 こんなことばかりしていてはいけない。光陰矢野如しだ。もっと学ばなければならない。

 と、今日も酔い覚めの水を飲みながら反省している。

 ところで、先日、新聞に尾形光琳の国宝「紅白梅図屏風」が金や銀の箔を使わずに描かれていたという記事が載っていた。私はこの絵が大好きで、金箔を使った贅沢な絵だと思っていたから驚いた。

 河の水面を描いた独特の文様は、長く見ているとちっとも川らしくないのに、本物の川のなかへ吸い込まれそうな感覚になる不思議な絵である。

 改めて美術書を引っ張り出して「紅白梅」を見る。やっぱり素晴らしい。川が流れているように見える。同時に目が回ってくる。少し頭がクラクラする。気持ちが悪い。素晴らしい絵にはそんな力がある。酔っている時は、あまり長くみる絵ではない。

2004年1月31日。
大きいバスタオルが大好き

1月25日。

 私はバスタオルが大好きである。

 風呂上りに濡れた身体をバスタオルで包む。身体についた水滴がスッとバスタオルに吸い込まれ、肌には何とも言えない柔らかな感覚が広がる。柔らかければ柔らかいほどいい。色は白かピンク、オレンジ色も暖かそうで好きだ。

 大きい方がいい。肩にかけてお尻がすっぽり隠れなければいけない。近頃のはやけに細くてスマートだが、あれは邪道だ。デザインなど私の肌には無意味だ。

 特に冬場は湯から上がると途端に身体が冷える。その前に全身を包まなければいけない。私はバスタオルが大好きだ。だから高級だろうが、老舗だろうが、小さなタオルしか置いていないホテルや温泉は嫌いだし、バスタオルさえあれば、多少きたないビジネスホテルでも満足する。

 先日、風呂から上がってみると、あるべきところにバスタオルがない。妻を呼んだら返事がない。

 買い物に出掛けたらしい。

 子どもたちを呼んでも返事がいない。

 遊びに行ったらしい。

 仕方がないから小さなタオルで寒さに震えながら身体を拭き、不機嫌に服を身につけ炬燵にもぐりこむと、妻が帰ってきて買い物袋を廊下におき、押入れから新しい、下ろしたてのフワフワのバスタオルを取り出して風呂場へ持っていった。

 彼女に悪気はないのだろう。バスタオルがあるかないかを確かめずに風呂へ入った私が悪いのだ。

 でも、フワフワのバスタオルにほお擦りしながら歩く妻の後姿をみていたら、なんだかとても気分が悪かった。

2004年1月26日配信
鳥インフルエンザは恐くない!?

 1月20日。

 下の娘が風邪を引いた。前の晩から調子が悪くなったらしく、3杯食べるご飯も一杯半しか食べられなかったし、近所中に聞こえる大声もテーブルを挟んで聞くには少しうるさいな、くらいの声になっていた。

 朝になったら鼻水を流して「ざぶい」と言っているので間違えなく風邪である。

 で、前日に動物園に行って(私は仕事で行っていない)楽しんだらしく、特に鶴のダンスには感動したようなので、その鶴から鳥インフルエンザがうつったのだろうと私は疑っている。

 なにせ、下の娘は人間より動物に近い。鳥インフルエンザは恐いから私はなるべく娘に近づいていない。

 学校を休んだ娘はグッタリとしていたが、午前中にグーグー寝て、お昼には大好きなパンを食べ、ひなたボッコをしてお絵かきをしているうちに快復してきたらしく、だんだんうるさくなってきた。

「退屈だぁ」と言い出した。

 布団の上でバタバタしだした。

 うるさい。

「本読んでぇ」と言っている。

 本当にうるさい。鳥インフルエンザはたいしてこわくない。

2004年1月21日配信
すごい上司がいたものだ

1月15日。

 去る1月11日は私の誕生日であり、元後援会長兼運転手くんで、現・世界一の幸せ者くんの結婚式だった。

 で、招かれたお客の中に幸せ者くんと私の共通の元上司O.Tさんがいた。大変恐い上司で行動力があり、後輩思いだが、自己中心的な発言が目立つという変わった人物で、どこへ行ってもすぐに一目置かれる人である。

 このO.Tさんと管理者くん、そして私と私の家族全員で結婚式の帰りに食事をしたのだが、式の間ずっと飲みつづけていたO.Tさんはすっかり上機嫌になっていて、目の前で食事を一生懸命している我が娘達にやたらとからむ。

「大きなグラタンを頼め!」とか「乾杯だ、乾杯、早く乾杯しろ!」などと言うものだから、面白い。我が娘達は不快感を素直に表情に出すという欠点があり、O.Tさんを無視する。

 しかし、ここからがO.Tさんのすごさである。営業に出れば必ず実のある話にこぎつける人物である。子ども相手にもその情熱が伝わったと見え、何時の間にか「ところで、O.Tちゃん、知ってる?」などと、娘達の方から声を掛けるようになり、帰り際には「じゃあ、また遊ぼうね」とすっかり仲間になっている。素晴らしい。

 誰かと親しくなったり、誰かを口説いたりするには、話術やカッコ良さなどいらない。要は情熱なんだ。O.Tさんと会うといつもそう思うのである。

2004年1月15日配信
白い野菜でしあわせ

1月10日。

 きょうの夕ご飯は、白菜をふんだんに使った白菜鍋(他に里芋と大根と長ネギと豆腐と鶏肉少々が入っている)、それから白菜の漬物ゆず風味自家製、福島に住んでいる方からいただいた白菜ときざみ大根のキムチ、白菜と扇型大根のキムチニンニク風味が並んだ。箸休めに出されたのは切干し大根とじゃこの酢の物である。

 ほとんど白菜であり、それ以外も大根、里芋、長ネギと、白い野菜ばかり。加えて豆腐もじゃこも白い。

 なぜこんなにも白い食べ物が並ぶのか。それは、私が大好きだからである。とにかく白い食べ物がたくさんあれば、私は上機嫌だ。なかでものそのものズバリ「白い菜」と書いて白菜はどんな風に調理しても大好きである。本来辛いものが苦手なはずなのに、白菜のキムチは大好物である。

 白菜を中心に白い野菜で作ったおかずでしろいごはんをたくさん食べる。――これ以上のしあわせはない。

 明日11日は私の誕生日。もちろん白い野菜をふんだんに使った料理でお祝いするつもりである。

2004年1月12日配信
ひとりで何をしよう

1月5日。

 人間、我慢していれば、きっといいことがあるものである。なんと、田舎の母から電話があって、「たまには皆で温泉にでも泊まろうよ」と言うのである。

 で、仕事があって私だけが行けないのである。

 逆に言えば、妻と子ども二人が温泉に行くのだ。

 もう少しっ詳しく言うと、たった一日とは言え、我が家に妻と子どもがいないのである。

 嬉しいのでもう一言だけ付け加えると私一人で、私だけで過ごす時間ができるのである。
 
 ハハハ。

 何をしよう。何をしてやろう。あまりの嬉しさに考えがまとまらない。妻がいては出来ないことってなんだろう。子どもがいると邪魔で、やりたくても出来なかったことって何だ!

 もうすぐ妻と子どもが出掛ける時間だ。早く考えなくては。私に与えられた時間はたったの一日。その一日でできる事柄。ああ、何をしよう。妻や子どもがいて出来ないこと。

 ジグソーパズル? くだらん。
 
 落ち着こう。

 きっと落ち着けばやりたいことが思い浮かぶはずだ。

 それよりさっきから気になるのは妻の行動だ。メモ用紙に何か一生懸命書いている。

 覗いてみる。

「私がいない間やっておくこと」とある。

 私は何をやらされるのだろう。

2004年1月6日配信
皆様、お体ご自愛ください

12月30日

 今年も、あと一日である。

 いろいろなことがあったような、なかったような。

 個人的に振り返ってみると、今年はいつもより体を壊した気がする。

 春の頭痛がさほどひどくないなと思っていたら、梅雨時からずっと偏頭痛がする、首を痛める、親知らずを抜く、年中ことあるごとに腹を下す。ひどいもんだった。

 で、年末にきて鼻がつまって仕方がない。思い切って先日、耳鼻科に行った。一人で行く勇気がないので、「最近、わたしも鼻づまり気味なの」という妻に付き添ってもらうことにした。

 鼻を診てもらうのはつらいもので、鼻に管を通されて、涙がでるし、そこから薬を入れられて、これが粉薬だったらしく、反対の鼻の穴から煙が出てきて汽関車みたいになるし、そのせいでクシャミはとまらなくなるし、大変である。

 結果、鼻の骨が曲がっているのと、アレルギーが原因の鼻づまりということで、1ヵ月くらい薬を使って治療することになった。喋る商売で鼻の通りがいいか悪いかは大変な問題だ。しっかり治そうと思う・・・・・・。

 ところで、妻であるが、ついでに診てもらったところ、私よりもひどいアレルギー性鼻炎と判明。私の倍、薬をもらって帰るはめになった。今日も我が妻は薬を鼻に注入してはクシャミをして涙を流し、「クソー! 耳鼻科に付き添わなきゃよかったァ!」と叫んでいる。

 では皆様、よい・・へクション・・・お年を。

2003年12月30日配信
あれだけ好きなのに・・・
ナカナカミレナイヨ


12月25日。

 私の妻の好きなものの一つに、なぜか「東京ミレナリオ」がある。

「そろそろよね。ミレナリオ、ね、ね」と、この時期やけにうるさい。新聞などで光のアーチにイブを楽しむカップルから歓声があがった、というような記事を見つけると「ほら!始まったわ!始まったのよ!」と大興奮である。

 なぜ、彼女がそこまでミレナリオを愛しているのか理由はわからない。考えられるのは、家の中で無駄な電気が点いているのを非常に嫌がる(多分に電気代がもったいないという気持ちなのだろう)性格だから、あれだけの電気を一遍に点けているというだけで「信じがたい行為=大興奮」なのだろう。そうでなければミレナリオを最初に考えた生まれ変わりか生霊が憑いているとしか思えない。

「今年こそ見に行こ!ね、ぜったい、見に行こ!」

 彼女が今年こそ、というのは、実は彼女は本物のミレナリオをまだ見たことがないのである。

 あれだけ好きなのに。

 確か昨年も「今年こそ見るわよ」と出掛けたら消灯後で、綺麗でも何でもなかったし、昼間連れて行ったら「面白くなーい」と嘆いていた。

 あれだけ好きなのに。

 まだ見ていないのではなく、「いつも見られないから」あれだけ好きになったのかもしれない。

 彼女を見る限り、彼女の「どうしてもこの目で見てやる!」という思いは今年が頂点であり、限界である。で、人間、それを超えるとどうなるのかを見てみたいものである。

 私は今年、彼女が「なかなかミレナイヨ」と呼ぶミレナリオを、彼女に見せないよう努力する。

2003年12月27日配信
立川談修兄さんについて 妻の感想

12月20日。

 もうすぐクリスマス。楽しみしている人にとっては、さぞ楽しみだろう。

 私の場合、16日の「30の手習い」が終わって今年の主な仕事はほぼなくなったので(すごく早い!)、ここのところ色々な人達と忘年会を楽しんでいる。こういうときの飲み会はわたしにとってのネタの宝庫であり、面白くてたまらない。ついつい長尻になってしまいには朝まで、というのも珍しくない。で、近頃、遅くなると、体力と金力の衰えを感じ始めた私は、みんな我が家へ連れてきてしまうことにしている。自分の家だから居心地もいいし、お酒もタダで飲めるし、(?)眠くなれば寝ればいいのだから、これほど楽なものはない。

 が、問題は妻だ。それでなくても問題の多い妻のもとへ、夜中の2時、3時に酔っ払いを連れてくるのだから、大変である。

 何が大変といって、起きてきた妻が我々の会話に入ってくるのである。我が妻のことだから、お客様とか先輩なんてものはおかまいなし。相手が面白そうだと思うととことんからかう。

 先日、私の先輩である立川談修兄さんが泊まりにきたときには、「年とってんだか、若いんだかわからない顔」」とか、「何だか気持ち悪い人」など、談修ファンが聞いたら怒りそうな、私が言いたくても言えなかった悪態を平気でつくのである。

 だから、陽気に酔っ払ってやってくる我が家の客は皆、朝方、うつむいて、人生を反省しながら帰るのである。――――――。

 今日も誰かが、その朝を迎えるはずである。

2003年12月20日。
フセイン元大統領、サンタクローズに似てる

12月15日。
 
 フセイン元大統領がつかまりました。あめでとうございます。彼は今後裁かれることでしょう。世界の人々のためにとってもよいことです。彼は極悪非道の行いを償わなければいけません。

 自分の言うことを聞かなかった人を人々を有無を言わさず殺したことは、空爆で子どもたちを間違って殺してしまった「世界の人々」より悪いのです。

 気に入らない人達を化学ガスで大量に殺したことは、一発の爆弾で何万人もの人々を一瞬にして殺してしまった国家よりもひどいことは間違いありません。

 それらの罪によって、彼らは裁かれます。嫌味でなく、それは正しいのです。

 ただちょっとフセイン元大統領とサンタクロースが似ていたのが皮肉ではあります。

 世界の人々はこれで安心してクリスマスを迎えられます。ご協力ありがとうございました(どうか私は誰かに見つけ出されて裁かれませんように)

2003年12月15日
「まだまだ覚えることァたくさんあるよ」

12月10日。

 先日、私の師匠好楽の会が東京・日暮里のサニーホールで開かれた。ゲストは芸歴80周年を迎えた玉川スミ先生。

 芸歴80年!
 
 びっくりである。

 わずか3歳の時からこの世界に入り、今よりもはるかにヤクザ的な世界だった芸人社会を生き抜いて生きたのだから、芸の良さだけではない魅力が備わっている。

 先生がお住まいになっているのが「好楽の会」の会場に程近いため、帰り、先生を自宅まで送った。歩いて5分ほど。その間、先生はずっと私ごときのために面白い話をしてくださった。芸歴80年ともなると、その楽屋噺も面白い上に歴史的価値がある。

 お見送りして別れてからすぐにとったメモは2ページにもなった。

 マ、そういう話は落語の中に少しずつ生かしていければいいなと思うが、「まだ、若いな」「頑張りなよ」「まだまだ覚えることァたくさんあるよ」など、あのざっくばらんな口調で言われるとそれだけで嬉しい。

 それにしても元気だ。言葉も足取りも、私の方がよほど弱弱しい。あの分だと、玉川先生、芸歴100年を迎えるかもしれない。

2003年12月11日配信
好二郎一家にクリスマスツリー

12月5日。

 街は、寂れた商店でも少しばかりのイルミネーションに飾られ、クリスマス気分である。

 我が家にも、あまり知られていないが、80cmほどのクリスマスツリーがある。季節だからといって茶の間に出した。

 ところが、妻が言うには、雪に見せる綿や飾りの箱などが掃除するのに邪魔、ということで、クリスマスイブまでは付けないことにした。また、針金で出来ている枝を広げると部屋が狭くなるという理由でゴチャとまとまったままである。そこに子供たちが筆箱や小さな汚いバックなどをのでているから、クリスマスツリーなのにきれいじゃない。

 いや汚い。

 我が家はこのままクリスマスまできたないツリーが鎮座することになる。

2003年12月6日配信
福島県花はねもとしゃくなげ

11月30日

 早い。もう12月である。

 ところで、先日、大阪に行った話をして『朝日新聞』の題字バックが「東京は桜で大阪は稲になっていて面白い」というようなことを書いたら、当の朝日新聞にお勤めの方より、「参考のためにご覧下さい」とFAXが送られてきた。

 それによると、大阪の図柄は「稲」ではなく「アシ」だという。しかも、題字そのものも少し違うのだそうである。

 なるほどアシである。

 教えていただいてありがとうございます。

 で、アシを図鑑で調べてみた。

 アシはいね科で茎は高さ2〜3mでかたく、節に毛はない。わか芽に毛はない。わか芽は食用にする・・・とある。

 いね科なのだから私が見間違いても仕方がないだろう。アシの「わか芽は食用にするとあるが、これは食べた記憶がないのだが、食べ方をご存知の方は教えてもらいたい。

 それから、アシは、昭和29年、日本植物友の会やNHKなどが「県花を決める会」を発足、審査した際、大阪府の県花になっていたこともわかった。他の県花も見てみると面白い。

 岡山の桃、福岡の梅、青森のリンゴなどは分かりやすい、広島のもみじ、和歌山のみかん、長野のそばもうなずける。石川県のくろゆりはさゆりの方が面白い。

 私の生まれた福島県はというと、「ねもとしゃくなげ」としてある。なんだかピンとこない。まるっきりしらなかった。「福島県と言えば、やっぱりねもとしゃくなげだよな!」という会話をした記憶がない。どうして県花になったのか、知っている人がいたら教えて下さい。

2003年11月30日配信
立ち上る湯気をはさんでバトル

11月25日。

 熱いお湯が美味しい季節である。お湯は一人で飲むより誰かと飲むほうがいい。立ち上る湯気を挟んでの会話は楽しいし、気持ちもあったかい。それに、急須から出るお茶を交互に注いだほうが、濃淡がうまく混ざっておいしい。

 が、我が妻は別である。ふたりで飲むと緊張する。照れているのではない。どちらがお茶を注ぐかで戦いが繰り広げられるのである。

 机の上にお茶っ葉の入った急須と熱いお湯の入った持ち運びの簡単なポットが置かれている。―――ちなみに我が家では電気ポットは使わない。電気代が無駄である―――この急須とポットをはさんで私と妻は互いに知らん振りしている。お茶は飲みたいが、自分で注ぐのは嫌だ。ふたりの心はこの点で一致している。

 ふたりの知らん振りがしばらく続く。で、負けるのはたいがい私だ。我慢しきれない私がポットに手をかける、途端に今までチラシを見ていたり本を読んでいた妻が自分の茶のみを差し出して「ついでに自分にも注いで!」と叫ぶのである。

 でも、いい。昨日からお茶が美味しくなったから。

「なあ、お茶変わった?おいしいね」と言うと妻は、「ええ、安いお茶、昨日で切れちゃったの。きょうからは美味しいお茶がどんどんでてくるわよ」

「・・…?」

「だってほら、けっこう不幸が続いたじゃない。来年2月までもつかしら・・・・・・・。助かるわよねぇ」

 他人の不幸を喜ぶ妻である。

 2003年11月24日配信
大阪の人は面白い

11月20日。

 また、大阪に行って来た。大阪の仕事は「お客さんにまるっきりうけなかったらどうしよう」という緊張感が他の土地の数倍もあって面白い。食べ物が美味しいのも嬉しい。それからなんと言っても楽しいのが東京との違いを「比べる」「調べる」作業だ。

 企業でも、小さなお店でも同じようで少し違う。その違いが面白い。

 例えば新聞。11月19日の「朝日新聞」の朝刊を比べてみる。

 まず「題字」。バックの柄が東京は桜で大阪は稲。偶然かわざとそうしたのか見栄を気にする東京と大阪の気質をあらわしているようで面白い。

 印字。東京がスッキリしているのに対して、大阪の方が濃く感じる。

 色。東京、薄い。大阪、濃い。

 記事も当然違ってくる。テレビの番組欄に「女もしゃべりで、どこが悪いねん!」などという言葉が載るのは大阪らしくて好きだ。社会面には大阪版に「打ち首眠る『大阪城」」「府警跡から頭蓋骨6個」なる記事がある。

 大阪府警の旧庁舎跡の地中から、大阪冬の陣の時の頭蓋骨が見つかったということなのだが、東京辺りではあまり大きく扱う事件ではないので、特徴あっていい記事だと思った。

 で、ホテルをチャックアウトする時、ホテルマンにそんな話をすると、「そうですかぁ、でも府警跡からでた頭蓋骨やったら、6個のうち一つか二つは最近のものちゃいますか?」

 大阪の人は皆面白い。

2003年11月20日配信。
あさましい世の中を嘆く

11月15日。

 先日、丸紅かどこかで出したパソコンが、本当は198000円のところ19,800円で売り出してしまい、訂正したものの苦情が相次いだため、間違った価格の19,800円で売り、2億いくらかの損をしたというようなニュースが流れて、私は正直いやあな気持ちになった。(事実に間違いがあったらゴメンなさい)

 2億の損を出したというのだから、相当の人が「ありえない」価格でパソコンを手にしたのだろう。その人達って、今、喜んでいるのだろうか。

 私だったら喜べない。
 
 19,800円と間違えてしまった人の人生だとか、今までの自分の失敗とか、パソコンを一生懸命作った人達とか、いろいろ考えたら、19,800円で買ったパソコンがウチの中にあるだけで嫌な気持ちになる。自己嫌悪に陥るに違いない。

 今からでも「やっぱりそんなに安くは買えません」といって返品する人がたくさんでてこないだろうか。

「間違って売り出した商品全てが返品もしくは正規の価格で買い取られることになりました」なんてことになったらとてもすてきだなあ。と思うのだが、まず無理だろう。

 私は今回の事件をあさましいと思う。「あさましい」そのパソコンに彼らは何を映し出すのだろう。

2003年11月15日配信。
娘達と落語談義

 11月10日。

 下の娘の七五三のお祝いをした。

 といっても大げさなものではなく、愚妻手作りの着物を着せて近くの神社まで散歩に出かけただけなのだが、それでも普段着付けない着物に草履を履いて、頭にちょっとした飾りをつけるのだから嬉しいらしい。いつもは男の子のような下の娘がやけにしおらしかった。

 が、付き合いで出かけることになった姉の方は退屈だったらしい。参道に並んだ出店の前で「あれ買って、これ買って」とうるさい。「まるで、落語に出て来る初天神のキン坊だな」と私が言うと、下の娘がニヤリと笑って姉を見る。姉の方は姉の方で、家に帰ってから「ねェ、あれ買って、これ買ってて言わないいい子だったから何か買って」と落語のセリフで親にねだってくる。

 そう、最近娘達と「まるで天災だな」とか「それじゃあ黄金の大黒だな」などと落語の題名だけで会話が進むようになった。ちょっと恐い。

 ちなみに、私が変なことを言うと、下の娘は「ヘッ、それじゃパパ、与太だよ与太」と言う。
2003年11月11日配信
おやすみなさい

11月6日。

 5日の絵日記更新日に更新できませんで申し訳ありません。

 私、毎年のことですが、この時期になると鼻炎なのでしょうか? 鼻が詰まって息も出来なくなる日がたまにあるのです。喋る商売ですからこれは困ります。

 「あいうえお」が「ウァウィグゥグェグォ」になるのです。

 もちろん、そんな発音で落語は話せませんから、クスリを飲みます。私、このクスリに弱いのです。少し鼻づまりが治ったな、と思う頃には眠くて眠くて仕方がありません。落語を話していてもフッと睡魔が私を襲うのです。まして乗り物に乗っているときはダメです。乗った途端に眠っています。

 昨日もバスに乗っていたら眠ってしまって、手許に置いてあったバッグと本が落ちたのにも気付かず、後ろの人がそれを親切に拾ってくれたのにもかかわらず、夢うつつの私はその人の手を取り「それあたひのです」と泥棒扱いにしてしまうありさまです。

 バスの中の親切な人は「大丈夫ですか?」と私を心配してくれました。 本当に申し訳ありません。

 という訳で、絵日記が書けず、一日が過ぎてしまったのです。きょうもクスリを飲みました。おやすみなさい。

2003年11月6日配信

2003年8月・9月10月の動静  過去の動静一覧