好二郎
動・静
 日々の思いをイラストを交えて淡々と綴ります 好二郎
この連載は、原則として、五・十日(ごとうび=5と10の日)に更新します  過去の動静一覧  表紙へ戻る
 
2004年2月、3月、4月

お箸の使い方、今特訓中

4月25日

 私は箸が上手にもてない。そのことがとてもコンプレックスになっている。箸が上手く使えないとかしこくは見られない。

 よくテレビ番組の「食べ歩き」ものや「温泉案内」ものなどで食事のシーンが出て来て、俳優やタレントさんが何でもよく食べるのだが、その時いくら「うまい!」とか「とろけそう」とか「まったりとした舌ざわりがとてもさっぱりしている!」などと訳のわからない感想を言っても、箸の持ち方が下手だとうまそうに見えない。

 そればかりかその俳優さんなりタレントさんがお馬鹿さんに見えてしまう。箸の持ち方の上手い下手はそれくらい重要だと思う。だから私は箸の持ち方が上手くなりたいと思う。

「まぁ、好二郎さん、お箸の持ち方、とてもキレイね。ああいう人と食事をするともっとおいしく食べられるわよ」と言われたい。

「箸のもち方が上手い好二郎は、やはりその辺の落語家より頭がいいのだろう」と勘違いされたい。

「私の得意なバターコーンを好二郎さんにひとつぶひとつぶすごい速さで食べてもらいたいわ」という風に女の子にもてたいのである。

 箸は重要だ。男は口先より指先である。私は今、「箸の上手な使い手日本一」を目指して特訓中である。

2004年4月25日配信
食べられるといいね

 明日、4月21日は会津若松で、楽太郎師匠と道楽師匠を迎えて、落語会を開く。主催して下さる後援会の方に「会津の気候はどうです?」と聞くと、「桜はもう散っちゃいますねぇ」という。東京あたろはすっかり散って日も経っていたので、なるほど東京と会津は離れているんだなあと改めて思った。

 噺家になってから、桜に限らず植物の花が咲いたの、何かの木の葉が散ったのと、そういうものに目が行くようになった。妻に言わせれば「年をとった証拠」ということになるが、やっぱり話の始めに花の名の一つも出すと季節感が出ていいようだ。
 もっとも、もともと草花に興味があった訳じゃないので、詳しくはない。うまい具合に、二人の娘が鉢植えなぞに興味をもっていろいろ育てているので、一緒になって勉強している。
 
 で、この間下の娘が、にんにくの一かけのようなものをもってきて育て始めた。何日かしたら育ってきた。これは一体何だろう、と家族ではなしあってみたのだが、結論がでない。私は「にんにく」説を出したが、そんなはずはないと皆反対する。上の娘は「ゆり」、下の娘は「チューリップかもしれない」と喜んでいる。

 妻に「何だろうな」と聞くと、妻は図鑑を調べて首を傾げ、植物絵本をみてうなづき「季語辞典」を見て腕組みをしてからゆっくり答えた。「うん。食べられるものだといいわね」
 
2004年4月22日配信
妻の命は軽くていい

4月15日。

 イラクで人質になっていた3人が無事に解放された。良かったね。本人達の映像はともかく、ご家族の皆さんの喜ぶ姿は感動的である。本当によかった。

 近頃、本物の事件でもドラマでも映画でも小説でも、人が簡単に殺されすぎる。たくさん殺されすぎる。3人ケガなく、無事だったのは、本当に嬉しい。

 3人の命がこれだけの大事件になり、多くの人にたくさんの問題を投げかけるのだから、毎日のように10人、20人、多い時で100人、200人規模の人が亡くなったという世界の事件・事故に私はもう少し敏感になろうと思う。そして、国籍によって、命の重さに大きな違いがあることに直視しようと思う。今、日本人の命の重さは色々な意味で重い。少なくとも、近頃のニュースを見聞する限り、イラク人より重い。幸せなことである。

 反対にイラク人の人達の中には、それと同じことを感じ、その不幸な境遇に不満を感じている人達がいるのに違いない。

 人の命の重さは、国籍に関係なく、常に重く、尊いものでなくてはならない。

 私が、助かった3人の映像を見ながらそんなことを考えていると、妻が「高遠さんは何食べてるのかしら。気になるわね」と言う。

「この感動的な映像を見て、そんな感想しか出ないの?」

「だって私、近頃甘いもの食べていないから、誰かが何かを食べているのを見ると、甘いものを食べているんじゃないかと思って気になるのよ」・・・・・・。

妻の命は軽くてもいい。

2004年4月17日配信

想像力を豊かに
イラク情勢を考えた


4月11日。

 イラクの人質事件がどうなるだろうと思っていたら、今日になってどうやら救出されそうだ、とのこと。一安心である。もっとも、正直に言えば、人質にされた3人を心底心配していたかどうかというと、そうでもない。家族の人達から比べると、その”温度差”たるやはなはだしい。想像力を豊かにして、「もし、人質になったのが、自分の家族だったら」と頭に思い浮かべるのだが、まるで実感がわかない。つきなみに「可哀想になあ」という感想しか生まれない。「自衛隊の即時撤退」を求める集会やデモを見ても、「そりゃあ無理でしょうなあ」としか言葉がでないし、「あくまでもテロに屈せず戦う姿を貫こう」という人の話しを聞けば、「強い人達だなあ」と呟くだけである。

 要は冷たい上に、想像力が私には足りないのである。人質になった3人のニュースを見ながら酒を飲み、笑い話ができるほど「相手の気持ちを考える力」が足りないのである。

 これではいけない。

 落語家たるもの、想像力や相手の気持ちを考える力を豊かにしなければいけない。

 で、もし自分が人質にされたら、と真剣に考えた。考えたが、どうもうまく実感が湧かない。

 そこで、妻に聞いてみた。

「ネェ、もし、俺が人質になったら、お前はどうする!?」

「ほっとくわよ」

「早いな!」

「だってどうしようもないじゃない」

「金をよこせ!っていわれたら?」

「払えるわけないじゃない」

「金額を聞いてから答えろよ!」

「いくら?」

「一億!」

「無理」

「ものすごく早いな」

「200万円でも無理よ!」

「そのくらい誰かに借りろよ!」

「それができるくらいならもう誰かに借りてるわよ」

「うるせぃ!」

・・・・・・私たち夫婦に、他人を思いやる気持ちはこれっぽちもない。

2004年4月11日配信

電子辞書で何を調べる!?

4月5日。

 寒暖の差が激しいこの頃で、どうも体の調子が悪い。

 こういうときにはあまり外出しないで本などを読んでいるのに限る。

 本を読むといっても、あまり難しいものは読まない。体の調子がいいときは別だが、悪い時には辞書を引いたり、地図を広げたりするのは面倒だから、なるべく読みやすい本にする。こどもの絵本なんかはいい。まるで考えることがない。動物図鑑も好きだ。

 トムソンガゼルがチーターに追われている写真を見ると「俺も頑張ろう」という気になる。

 でも、あまり頭に負担にならない本ばかり眺めているとそれはそれで疲れる。

 そこで手にしたのが電子辞書だ。

 妻が昨日、実家からもらってきたものだ。

 うれしい。

 知りたいことをスっと打ち込むと、その答えがパッと現れる。

 さて、電子辞書を手に取る。ずっしり重い。ワクワクする。何を調べよう。なにせ電子だ。ただの辞書で調べられるような事柄じゃつまらない。普通じゃ調べられない事柄。

 ・・・・・・小一時間程考えて気がついた。
 
 知らないことって頭の中にないから、そんな事柄は思い出そうと思っても無駄なのである。

 仕方がないので「らくごか」と打ち込んだら、「該当項目がありません」とでてきた。

 なんだかとても淋しかった。

 2004年4月5日配信
嘘をつくのは体力がいるね

 4月1日。

 流行の風邪になってしまった。

 おなかは痛いし、熱もある。

 この熱がひどい。

 体の筋肉をギュッと握り締めるような痛さを伴う熱である。

 頭がボーっとしている。

 せっかくの4月1日。何か面白いウソを書いてやろうと思っていたのに、そのウソをつくって、体力のいることなんだなあ、と妙なことで感心する。

 というわけで元気になったらまた書きます。

 今回はこの辺で。

2004年4月1日配信
子どもたちが夢中になるお笑い芸人は誰?

3月25日。

 いかりや長介さんが、亡くなった。

 好きだったので残念である。

 娘達に話したら、「そんな人知らない」という。

 子どもたちの必修科目だった「8時だよ全員集合!」のリーダーも、現代の小学生にかかっては仕方がない。

 で追悼番組がるというので娘達にドリフターズのコントをいくつか見せてやった。

 20年前近くのコントだ。

 よく、昔のテレビ番組を見ると「昔はひどい番組だと思ったが、今みるとたいしたことないね」なんてことが多いが、ドリフターズのコントは素晴らしい。

 昔はよく「子どもたちに見せたくない番組」と言われていたが、今でも「子どもたちに見せたくない番組」のままだった。

 もちろん我が娘達は大爆笑である。

 あの本能に訴える笑いは、いつの時代も子どもの心を捉えるらしい。

 さて、今の子供たちが将来「子どもの頃に夢中になっていた」お笑い芸人はいったい誰なのだろうか。

2004年3月25日配信
「表現の自由」を考える

3月20日。

 文芸春秋の出版差し止めが話題になっている。「表現の自由」対「プライバシー権」という構図のようで、どうやら第1回戦はプライバシー権のほうがポイントをかせいだようだ。

 私自身はあまりこの問題に興味はない。周囲の人達は「落語家だって表現者なのだから『表現の自由』が圧殺されるのは大変な問題。真剣に考えるべきだ」と言うのだが、なんだかピンとこない。落語の中に『表現の自由』だのプライバシーだの公共性なんて言葉をはめ込んでも似合わないし、私自身、そのことを考えながら喋ったことは一度もない。

「過去に落語だって圧殺された」という人がいるが、今は抑圧されるほど落語はメジャーじゃない気がする。それよりまず、「抑圧したり」「圧殺したり」する者はだれなのか。

 権力者、国家、政治家、色々名前は浮かぶが、「表現の自由」という権利のもとにスクスクと成長したマスコミとかジャーナリズムとか表現者なんて呼ばれる二代目若旦那も、見方によっては「権力者」のように思える。

 マ、なんだかんだと言って、いつも傷つくのは弱い人達で、それは過去も現在も未来も変わらない。弱い人たちに権利を与えれば、強者になり、また別の弱者が現れる。当たり前のことだ。

 それより気になるのは田中真紀子前外相の長女は公人か私人という問題だ。こういう問題に詳しい人達の間でも意見は分かれるらしい。

 では、好二郎は公人か私人か。

 芸能人は公人に入るらしい。

 では、好二郎は芸能人か。

 芸能人にも有名、無名がある。

 好二郎は有名か無名か。

「うーん『公人だからプライバシーも何もないよ』と言われるのも嫌だけど、『有名でも何でもないんだから完全に私人あつかいでしょ、好二郎の場合』って言われるのも嫌だな」

 そう妻に話すと、妻は「あなたはプライバシーがあるかどうか知らないけれど、プライドはないわね」と言う。

 ひっぱたいてやろうかと思う。

 私の妻にプライバシーはない。

2004年3月20日配信
レコードの思い出

3月15日
 
 義母からレコードプレイヤーをもらった。とても嬉しい。さっそく、これも義父から以前もらってあった落語や浪曲などのレコードを聞くことにした。
 
 レコード盤の上にレコードを置き、人差し指で針を持ち上げるとおもむろにレコードが回り出す。慎重に針を下ろすとプチプチと音がする。決して澄んだ音ではないが、柔らかいiいい音がする。快感である。

 CDやDVDもいいし、リモコンで離れたところから操作できるのも便利だとは思う。
 思うが、針をレコードに乗せる作業は、なんとも言えず、いいものである。 
 
 思えば、私が兄と一緒に初めて買ったレコードはあみんの「待つわ」だった。それ以前にも兄はレコードを持っていて、例えばビートルズだとか、サイモン&ガーファンクルなどを聞いていたのだが、私はまるっきり音楽に興味がなくて、初めて買いたいと言ったのが「待つわ」だった。
 
 もっとも、そのときのB面をかけてしまい、以来、私はB面の方が好きになる。
 
 そんなことを思い出しながら、レコードで浪曲などを聞く。桃中軒雲右衛門が流れている。いい。とってもいい。ウン、浪曲はレコードに限る

3月16日配信
 
クラシックに夢中

 3月10日

 私は花粉症なのかもしれない―――。

 先日このホームページでそんなことを書いたら、ある方から「花粉症にはモーツァルトが効くらしいわよ」と教えられた。

 理由ははっきりしないのだが、要するにモーツァルトを聞くと脳が喜んで体がリラックスして気分がよくなってアレルギーなんか起こさないよ、となるらしい。

 疑わしいが、実際モーツァルトの音楽には、良い意味で脳波を刺激する音がたくさん使われていて、しかも 心地いいメロディにのせてあるというのだから、花粉症に効くこともあるのかもしれない。少なくとも下手な落語を何時間も聴くより効果がある(自分の落語をまとめて聞いていたら、その間クシャミがとまらなかった)。

 で、さっそくモーツァルトを聞こうと思うのだが、クラシック音痴の私には、どれがモーツァルトで、何がバッハで、どんなものがベートーベンなのかよくわからない。ショスタコーヴィッチだのラフマニノフは、名前さえ上手に発音できない。

 マ、よくわからないなりに、家にあるクラシックのCD(何かの雑誌の景品だったと思う)をかけてみる。

 改めて聞くと、モーツァルトに限らず、クラシックもいいものだ。

 心が和む。花粉症に本当に効くのかもしれない。

 もっとも、素晴らしい名曲を数多く残したモーツァルト自身は34、5歳で死んだというのだから喜んでばかりはいられない。

 モーツァルト君は花粉症ではなかったのか。どうしてそんなに早く死んでしまったのか。名曲は体にいいのか。体に悪い音楽もあるのか。花粉症をきっかけに、私はクラシックに夢中である。

2004年3月11日配信
どうしたらいいのでしょう?

3月5日。

 菊右衛門さんから質問があった(本頁掲示板参照)。
 
 働いていない「他の日は何をしているのですか?」

 厳しい質問である。

 ズバリ結論から言えば、何もしていない。

「オフの日こそ落語を覚えるんですよね」とか、「そりゃ稽古をしたり、ネタを練ったりするんですよね」とおっしゃるお客様もいるが、そうではない。

 オフの日が月に5日や10日だというのであれば、「オフの日は稽古です」と言えるだろうが、オフの日が25、6日にもなるともはや”オフ”ではない。夏休みみたいである。

 で、私の場合、何もしない。アルバイトなぞしないし、家のことも手伝わない。気分の悪い日は一日中寝ているのである。時々稽古しようかと起きるのだが、面白い気持ちでないと稽古も乗らない。

 家族のいない家の中でシボシボとしているのである。

 友達も少ないので、電話もしない。

 とても淋しいのである。

 でも、人と会うのも面倒だ・・・・・・。

 と、いうことで本当に何もしていない。

 そこで質問です。

 私は何をすればいいのでしょう?

 2004年3月6日配信
この時期は辛いね

3月1日。

 ダメだ。毎年この頃になると軽いが頭痛がするのだが、今年は鼻やノドが痛い。頭痛もする。何だか力が出ない。今まで鼻がつまることはあっても、鼻が痛くなることはなかった。クシャミが止まらず、ノドに何かがひっかかっている感じがする。

 友達に聞いたら「間違えなく花粉症だよ」と明るく言われた。

 その友達はもう10年花粉症と戦っているベテランである。

「花粉症になると大変?」

「大変ってこともないけど、外出するのが億劫になって顔面がムズムズして、喋るのがイヤになって人と会うのが面倒になるくらいかな」という。

「何か効果的に治す方法はないの?」

「そんなの知っていたら俺、今ごろ日本中のアイドルだよ」

「じゃあ、どうすればいい?」

「酒をたくさん飲むしかないな」

「え?酒を飲むと少しは症状が和らいだりするの?」

「いや、同じグデングデンのボロボロになるなら、花粉に負けたと思うより、酒に負けたと思うほうがいいじゃん」

「・・・・・・・・」

「じゃあ、俺忙しいからガンバレよ」

 そうして彼と別れた。何の参考にもならなかった。

 本格的な花粉シーズンを前に、とても憂・…ウツ。えっーと、あー漢字でユウウツが書けない。イライライする。

 とてもゆううつである。

2004年3月1日配信。
 畠山先生 どうしてパキスタン人とわかったのですか?

2月25日。
 
 このホームページの掲示板に「引っ越しました」とご投稿いただいたのは、作家の畠山先生である(感謝)。一門の竜楽師匠を通じてお付き合いさせていただいている。

 先生といっても、一日机の前で頭を抱えているという訳でもなく、我々芸人を前に威張り散らす訳でもない、むしろ芸人に近い作家先生なのだ。だからいつも「変わった状況」に巻き込まれる。いや、自らすすんで変わった現場へ行きたがるのである。

 今回、先生が引っ越したところは、投稿の文面にあるとおり「温泉大浴場」があるくらいだから高級マンションに違いないのだが、その素晴らしいマンションの中で、「変わった状況」を先生は探したのである。

 高級マンションに引越し→素敵な暮らしのはじまり。これだけでは先生は満足しない。

 高級マンションに引越し→素敵な暮らしのはじまり→と思いきや、なんとも困ってしまった状況に置かれた私。これが先生の理想である。

「高級」を象徴するマンションの温泉大浴場に見知らぬパキスタン人と一緒になってしまった先生は、「気まずいな」とか「困ったな」と思う前にすごく嬉しかったに違いない。先生はそうい状況が大好きなのである。

 私はそんな先生のために、「せっかく高級でおしゃれな大浴場にケロリンのオケたくさん置いておく」とか「真新しい表札の下へ三遊亭好二郎という大きな表札を貼り付けておく」などという引越し祝いを考えている。

 先生、近く参りますのでお待ちください。

 ところで、どうして浴場の男性がパキスタン人だとわかったのですか?

2004年2月26日配信
足の裏が濡れている

2月20日。

 我が家の異変に気付いたのは、当然妻である。

「何か変よ」と言い出したのは、3日程前だ。

 何が変なのか私にはわからない。しかし、妻が変だと言うのだから「変」に違いないのだ。

 2日前、妻はついに「やっぱり変よ、ホラ」と私に足の裏を見せた。私ははじめ蹴られるのではないかと身構えたが、どうも蹴られる理由が思いあたらないので、足の裏をじっと見つめていると、「ひゃっこいのよ」という。

 どうやら足の裏が濡れているようだ。

 触ってみる。濡れている。

「何だと思う? この台所に接している部屋の、ホラ、このカーペットが濡れているのよ」

 なるほど、ぐっしょり濡れている。

 さあ、それから犯人探しが始まった。

 はじめ、植木に水をやっている長女が疑われ、次に洗面所で水遊びをする次女が、最後に私が疑われたのだが、全員否認。

 妻の「あなたしかいないでしょ!」「正直言いなさい、おこらないから」「子どもの前でうそをついてもいいと思っているの!」というおどしすかしに全員耐え、「私たちはカーペットを濡らしていません!」と主張。ついに妻は独自の調査をはじめ、台所の水道管が怪しいと睨み、業者に連絡。結果、ちょっとした水道管のずれ、から水が滲み出していたことが判明した。

 さっそく修理して水漏れはなくなり、我々も疑いが晴れて胸をなでおろしている。

 ところで、このカーペットの保証問題が残った。全部取り替えるにしろ、一部とりかえるにしろ、けっこうなお金がかかる。我が家が負担するのか、それともどこかの業者が負担してくれるのか? とにかくはっきりするまで放っておくことにした。

 すると妻は時々、わずかながら乾いていくカーペットに足を乗せては、「へへ、だんだんひゃっこくなくなっていく」と言って喜んでいる。

 今もほら、妻の靴下にカーペットの水が吸い込まれていく・・・・・。

2004年2月21日配信
君に本を贈ろう

2月14日。

「バレンタインデー」が私の生活にまるっきり影響を与えなくなって久しい。もともと独身時代からチョコレートの雨が降るというようなモテモテの時期もなかったし、甘いものも好きではなかったから、バレンタインデーなどどうでもよかったのだが、一度だけ確か高校生の頃だったと思うが、ある女の子から「チョコレートの代わりに」と言って本をもらったことがある。

 本は当時の流行の恋愛小説で、今はとても恥ずかしくて読めないような俗な内容のものだったが、これはなかなか気が効いていたと思う。

 自分の好きな小説や相手にどうしても読んでほしい詩なんて何かのきっかけがなければ誰かに贈ることもないだろうから、バレンタインを利用するのも悪くない。
 
 欧米では、男が好きな女性に「愛のメッセージ」を書いたカードを贈るそうだが、その想いを小説や詩に託した方がいいような気もする。

 で、そんな話を妻にすると、「じゃ私があなたに贈る本は『蹴りたい背中』ね」という。

 なるほど、題名だけで選ぶのも面白い。

 『撫でたいおなか』とか『拭きたいおしり』なんて間抜けな本の題名があれば、妻に贈ろう。

 それはいい。なにせ、今年の妻はチョコレートを医者に止められている(本当)ので、あれだけ毎日食べていた甘いものを断っているのだ。

 ここ数日、新聞・ラジオでチョコの話題が出るたび、彼女は食べたい気持ちを抑えるために座禅を組んで遠い目をしている。

「可哀想だから君に本を買ってあげよう。話題になっている『蛇にピアス』なんてどう?」

「別に読みたくないわ」

「じゃあ、『おいしいチョコレートケーキの作り方』なんて本はどう?」

「本気でおこるわよ?・・…ところでサ・・・・」

「何?」

「『蛇にピアス』って、『猫に小判』とか『豚に真珠』っていうのと一緒?」

「・・・・・・・・」

2004年2月15日配信
鳳志くんと雪見酒

2月10日。

 会津地方は、しんしんと雪が降っていた。

 何日か前から降っていたと見えて道端にかきあげられた雪は膝の高さをゆうに越えていた。

 住んでいる私の母や兄夫婦に言わせると「早くやんでもらいたい困った雪だ」ということになるのだろうが、久しぶりに見た私にとってはやっぱりきれいだ。

 会津に生まれ育った私がそう思うのだから、九州生まれの鳳志くんは大喜びである。

 鳳志くんは我が円楽一門の総領、鳳楽師匠の2番目のお弟子さんで、今年の3月に「二ツ目」に昇進する前座さんである。8日に会津・河東町で開かれた落語会に来てもらった。

 さて、落語会が終わると、主催の地元の方々と一緒に盃を交わすのだが、その間もずっと雪は降り続ける。

 私の実家に泊まることになった鳳志くんも風流に雪見酒。

 帰り道、私が軽く突き飛ばすと彼は雪の中にどさっと身を投げる。なかなか面白い遊びである。酒屋さんから私の実家にいくまでの間、色々なところに鳳志くんの人型ができた。彼は文字通り、会津に足跡ならぬ「人跡」を残したのである。

 翌日、彼に会津の印象を聞くと、「冷たかった」。

 これはいけない。

「温かい」会津を知ってもらうためにも、鳳志くん、また会津に行きましょう。

2004年2月11日配信
大阪からの来客に
「楽しかったで」


 2月5日。

 上方から笑福亭由瓶兄さんという鶴瓶師匠のお弟子さんで、昨年私が大阪に行った時お世話になった先輩が東京にやってきた。

 仕事を終えて大阪に帰るところを無理矢理我が家へ泊まってもらったのだが、恐縮しているような乱暴なような、やさしいような、でも恐そうな、なんともつかみ所のないこの大阪弁の先輩に我が妻は大喜び。

 さっそく「明日娘達の授業参観なんですよ、行きませんか?」と訳のわからないお誘いをする。

 由瓶兄さんも「それおもろいな」で、本当に授業参観することになる。

 色んな人がいるが、他人の子の授業参観する人は珍しい。

 そのあと3人でお昼ご飯を食べに行けば、開いているのか開いていないのかわからないような小汚い店に「ンんなん店案外ええで」と入っていく。

 和菓子屋に入ればお店のおばさんをからかって、相手が期待とおりの反応を示さなければ「なんや、あのおばはん シューッとしとったで!」とおこる。

 とにかく一日中ワァワァやってるから妻も子そもたちも楽しくてたまらない。

 別れる頃には、子どもたちの口調も大阪弁になり、「また来てええか?」「ええよ」「これ食べ」「いらんて」「ほなお別れや」「楽しかったで」といった調子ですっかり由瓶兄さんの世界だった。

 由瓶兄さんまた来てください。

2004年2月5日配信。
週刊こどもニュースで
娘達と考える


2月1日

 近頃、子どもたちが”世間”というものに少し興味を持ち始めたのか、いわゆる”ニュース”を知りたがるようになった。我が家ではほとんどテレビを観ないのだが(別に禁止しているわけではない)、ずっとラジオがついているので、少なくとも一時間に一遍はニュースが流れてくる。で、これを子どもたちは子どもたちの耳で聞き、理解しようとするから大変だ。

 15歳の少年虐待事件などは「中学生なのに学校にも行かずにいじめられたから、すごく小さくなって畳で寝てしまった」(子どもら談)という事件にすりかえられている。

 これではいけないと思い、テレビの「週刊こどもニュース」(NHK)を見せることにした。子どもたちは嬉々としてそれを見ているし、大人がそうするように「ワァひどいねェ」などと感想を漏らしているところを見ると少しは正確に理解できるようになったらしい。

 もっとも映像の印象が強くて誤解することもあるようで、”鳥インフルエンザ”の件で大きな鳥小屋にたくさんの鶏がいるのを見て「大変な事件だね。鳥インフルエンザが一杯だ!」などと言ったりする。

 テレビもラジオも欠点はある。が、子ども向けのニュースはわかりやすくていい。

 自衛隊の飛行機が普段の迷彩色から、イラクに行く時は「空といっしょ」の青色に塗り替えられている、という話から安全面を一生懸命考えていると説明していたが、とてもわかりやすい。模型の飛行機や「テロをする人達」の人形がまるっきり戦争の緊迫感を感じさせなかったが、それぞれよく出来ている。

 子どもたちはニュースを見て考えることがあるようで、もうしばらく「子どもニュース」を見せようと思っている。
 
 近頃は私の方が楽しみしているのだが・・・・・・。
2004年2月2日配信。

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