好二郎
動・静
 日々の思いをイラストを交えて淡々と綴ります 好二郎
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2004年8月・9月・10月

毎日、人が死んでいく

10月31日

 日記の更新が遅れたついでに、ここ何日かを振り返ってみる。

 やはり、新潟の地震のことが頭に浮かぶ。新潟は、今年は厄年だった。洪水、台風、地震。どうにも地域の人たちにはやりきれない想いだろう。

 きょう31日、大宮で「人権を考えるフォーラム」ということで、「人権落語」なるものをやってきた。正直、ふだん人権問題など考えたこともないので、普通に落語をしてきたのだが、「人権」という言葉で、ふと新潟の地震で避難生活を強いられる人々のことを想った。

 身近な人を失い、生活の場を失い、職場を失い、多くのもの失って茫然とする人々をカメラで追うことは必要なのだろうかと。崩れた山、倒れた家、断たれた道、それらを繰り返しテレビに流すことは、被災者達のためになっているのか。画面を通じて知った状況に、結局自分は何をしたのか。

 香田証生さんが、イラクで人質になって問題になっている。様々な情報が入り乱れた。

 バクダットで大きな爆発があったらしい。死者は7人と伝えられている。

 タイでも爆発事件が続いて、2人死亡。住民87人が死亡した先日の報復と見られている。

 毎日たくさんの人が死んでいるらしい。いや、確かに死んでいる。そして、奇跡的に助かる命もある。どちらも同じ命なのに、一方は繰り返しテレビや雑誌が取り上げ、一方は、ただ、87、100、200と数字がならべられる。

 タイも、バクダットも、新潟も「私が直接被害に遭っていない」という点で、私は非常に無感心でいる。少なくとも、何も行動していない。そんな自分を見つけると嫌な気持ちになる。

 無神経な報道のあり方を不快に思う自分と、だけど何もしていない自分がいて、とても嫌な気持ちである。

2004年11月3日配信
イケメンは何をやってもさまになる
 
10月20日
 
先日、ある酒席で結婚3年目という男性と話をする機会があった。特に変わった仕事をしているわけではない。いわゆるサラリーマンだ。相手の女性も特殊ではない。いわゆる主婦で、結婚するまで働いていたスーパーで週2日、アルバイトをしている。
 
で、この男性、なかなか色男で、耳にかかった髪の毛をかきあげる仕草がサマになっている。耳に赤鉛筆をはさむ格好がとても似合う私とは大違いである。
 
あたり障りのない会話のあとで、彼が「ちょっと聞きたいんですけど」と顔を近づけてくる。
 
おそらく30歳に届くか届かないかという年齢だろうが、妙に肌のキメが細かい。どんなに調子のいい日でも顔色が悪い私とは大違いである。
 
「何でもどうぞ。答えられないときは、死んだふりをしますから」
 
「家のトイレ、洋式なんですけど、小のほうでも座るようになったんです。おかしいですか?」
 
詳しく聞くと、奥さんが「トイレが汚れるから座って用をたして!」としつこいので、仕方なく従っているうち、それが当たり前になって、今ではどこへ行っても座ってするようになった、というのである。
 
こういう質問の答えは難しい。小の時、立つか、座るか、なら私は「立つ」だ。
 
大の時、立つか、座るか、なら「座る」だし、大の時、立ってみたいか、やっぱり安全に座るか、なら「立ってみたい気もする」が私の答えだ。
 
が、「おかしいですか?」と聞かれると難しい。
 
「おかしい」と言って、「やっぱり僕はおかしいんですね。そうだ、おかしいんだ。どうせ僕なんか……」と落ち込まれても困るし、「どうしておかしいんです?」と追求されても、普段そんなことを考えたこともないので、やっぱり答えられないだろう。
 
仮に「男は堂々と仁王立ちになって、何者も恐れず小便するのが本当でしょう」などと力説しても、私の評価が上がるとは思えない。
 
「おかしくない」と言えば、今の自分のやり方が「おかしい」ということになりそうで納得がいかない。
 
仕方がないので、「まあ、あなたぐらい、いい男なら立ってしようが、座ってしようが、はたまた寝小便しようが、いいんじゃないですか」などと、中途半端に相手を持ち上げて言葉を濁した。
 
「結婚3年目であなたが変わったのは、それぐらいですか」
 
「ええ」
 
「奥さんは何が変わりました?」
 
「変わりませんねェ」
 
「奥さんに立ち小便するように要求してみたら?」
 
「意味がないでしょう。第一、そんなことを言ったら何をされるか。あなた、私の女房を知らないからそんなことをいえるんですよ」
 
「あなただって、私の女房を知らないから自分は不幸だなんて思っていられるんです」
 
「好二郎さんは何が変わりました?」
 
「全部変わりました」
 
「奥さんが変えたんですか?」
 
「奥さんを変えたいんです」
 
「何が一番変わりました?」
 
「何かを変えたいと思う気持ちが変わりました」
 
「……幸せですか?」
 
「少なくともあなたよりは」
 
「どうしてです?」
 
「私はトイレの中では自由です」
 
「私はトイレ以外は比較的自由ですよ」
 
「そんなものすぐになくなる……」
 
二人の会話は夜中まで続いた。
 
2004年10月20日配信
こころはずむ
コンサートのお知らせ


10月15日。

 心はずむことが少ない。結婚して何年も経ち、妻の支配下に完全に置かれ、子ども達に無視され、仕事が少ないとくれば、心はずむことがある方がおかしい。

 それでも、ウキウキするような出来事はないかと、地下鉄に乗って出掛けたら、あった。やはり、たまには妻の支配からソッと逃げ出してみるものである。

 3ヵ月程前、このHPに、これからきっと、「ヨーデル」が流行するに違いない、という内容のことを書いた。すると色々な方から「流行る訳がない」「根拠があまりにもキハクである」「あなたのような人間にヨーデルの良さがわかるはずがない」などの励ましの声をいただいた。

 でも、私はヨーデルが流行ると信じているのである。流行しないと裏声の練習が無駄になる、というばかりでなく、実際にその歌声を聞けば心ある人なら感動すると思うのである。感動は流行の種であるから、聞く機会を無理にでも与えられれば、流行すると思うのである。

 で、地下鉄のポスターを眺めていたら、「第23回、メトロコンサート」として「心はずむ、アルプスの響き」という言葉が目に入った。詳しく読んでみると「高く澄んだヨーデルの歌声」や「民族楽器の奥深い音色」が楽しめるコンサートだと書いてある。

「心はずむアルプスの響き」だ。これが心はずまずにいられようか。

 10月31日(日)昼12時から午後1時、午後2時から3時の2回公演である。場所は、日比谷線銀座駅構内、コンサース「銀座のオアシス」、出演は「アンサンブル・ヤーガールイスル」だそうだ。もちろん無料である。まだ、生でヨーデルを聞いたことがない人は是非足を運んでもらいたい。

2004年10月17日配信
台風で思いだす
知的で上品な好二郎


10月10日。

 台風22号が通り過ぎた。暴風域が小さかったせいで、突然やってきて好きなだけ暴れて、あっという間に立ち去った。

 まるで私の家を訪れる友達のような台風だ。

 関東地方を襲い、東京に上陸したちょうどそのとき、私は朝日新聞東京本社にいた。

 嵐の中、滞納した新聞代を支払いに行ったのではない。本社内で落語会があったのだ。

「三遊亭好楽独演会・朝日さわやか寄席」といういことで、出演は師匠好楽と小円歌師匠、それに私。

 3000人近い応募があった中、選ばれた100人のお客様が来るはずだった。

 しかし、この台風である。開演3時、終演5時。台風が最も近づく時間だ。一人もこない、ということがあってもおかしくない。

 恐る恐る会場に行ってみると、半分近いお客様が来場していた。すばらしい!

 あの嵐の中、電車が不通になるかもしれないし、家が水浸しになるかもしれない、看板が飛んできてぶつかるかもしれない、看板が飛んできてぶつかったようにみせかけて誰かに殴られるかもしれない。そんな危険を顧みず、落語を聞きに来てくれるのだから、ありがたい。

 無事に会が終わって外を見ると案の定、街路樹が倒れんばかりに風が吹き、たらいを返したように雨が降り、通りには誰もいない。

 その状況で落語会を担当した朝日新聞の方が「では、打ち上げに参りましょう」という。

 車に乗って移動するのだが、なにせ駐車場をゴーゴーと唸り声をあげて小雨交じりの強風が吹いているのである。

 漫画や映画のように全員の髪の毛は逆立ち、荷物は飛ばされそうになり、自然と声は大きくなる。
「師匠はー!前のー!車にー! 乗ってー! くだ、さーい!」

「運転手さーん! トランクを!トランクを! 急いで!」

「私は後から参ります!!」

「いいから乗れ!!」

「私のことなどかまわず先に行ってください!!」

「貴様を残して行けると思うか!?」

「うわー! やられたァー!」

 まるで戦争映画である。

 そんな思いをして飲んだお酒は格別おいしかった。

 今後台風が来るたびに思い出すに違いない。

 願わくば当日いらしたお客様にも皆無事に帰って、今後台風が来るたびに「そう言えばあの台風の時は朝日新聞の本社で落語聞いたねぇ。ほら、三遊亭好楽さんと三味線漫談の小円歌さんと、あと、ほれ、何て言ったっけ、あの素敵な人、知的で、カッコヨクて、上品な育ちだなってすぐわかる人。あ、三遊亭好二郎さんだ、あの人達の落語きいたよねぇ」と正しく思い出してもらいたい。

2004年10月10日配信  
偉大なるイチローを応援する人々

10月5日。

イチローさんにしてみれば、私になど別に褒められたくもないだろうが、「あなたは素晴らしいい!」と言ってあげたい。

なにせ84年前の大記録を打ち破ったのだ。

84年前と言ったら、菊地寛がちょうど『真珠夫人』を発表した年だというのだから、もう古いんだか、新しいんだか分からない。そのくらい前の記録である。

偉い。

私より年下だというのだから驚く。

あなたは偉大だ。

イチローさんの好きなところは、野球のセンスばかりではない。いわゆる『イチロー語録』なるものが大好きである。

●「今の状態で満足できないと、なかなか満足することはないので、満足ということでいいんじゃないですか」

禅問答みたいである。成せば成る、成さねば成らぬ……などという言葉をふと思い浮かべてしまう。もっともこの言葉、誰かにご馳走になったときなどは、言わない方が無難である。

●「驚かれているならまだまだ。驚かれないようになりたい」

人間誰しも、こんなセリフを言ってみたいものだ。

「褒められているうちはまだまだ。褒められないようになりたい」など、応用も効く。ただ、落語家が安易に応用してはいけない。

「笑われているうちはまだまだ。笑われないようになりたい」

これでは、ただ、つまらない落語家になってしまう。

●「走った時にふらついて、ビール4本飲んだ感じ。だんだん抜けていったが、最後までしらふになれなかった」

この言葉に共感したお父さんたちは多かったろう。雲の上の人物とも思われるまで自分たちとは別物だと思っていたが、案外俺たちと同じ様なことを考えてんじゃあねぇか、などと喜んでいたおじさんもいたに違いない。

イチローとおじさんの決定的違いは、本当に飲んでいるのか、飲んでいないかだ。

イチロー語録はまだまだある。私は、イチローさんの安打数や記録とともにイチロー語録を楽しむのである。

2004年10月10日配信
地球の中心で
好きだとさけんでも……
9月30日
 
音楽についてのことわざは多い。しかし、私がそれを知らないため、ここに発表できないのが残念である。
 
それでも確信を持って言えるのは、音楽は時代を超え、国境を超え、男女、老若、あらゆるものを超えて愛される力をもっているということである。
 
昔話や小説にも鬼や悪魔、悪人や犯罪者が音楽の力で善人に変わっていく話が数多くある。これも、私が知らないため具体的に本のタイトルが書けないのはとても残念である。
 
とにかく、音楽は素晴らしい。
 
心地よい音楽さえ流れていれば、機嫌の悪い妻でも、それ以上機嫌が悪くならないのだからすごい。音楽ならではの力だと感心する。できることなら私自身が音楽になって、きれいな女性がたくさん働いているバーか何かに流れていたい。
 
その音楽を、よく妻は作る。つまり、作曲する。ピアノやギター、バイオリン、笛、カスタネットなど、道具に頼らず作曲するところは、妻の天才的なところである。
 
使うのは自分自身だ。
 
早い話、うなるのである。
 
妻が「ウー、グゥー、ンー、ヴー」とうなっていたら、それは作曲中である。
 
決して邪魔してはいけない。
 
一度、苦しそうに見えたので「体の具合でも悪いの?」と心配したら、「放っておいて、うるさいわね」と怒られた。
 
こういう時は、邪魔しても,心配してもいけない。
 
 
作詩もする。愛とか恋とか、「地球の中心であなたが私を何時間待ちつづけても、声が枯れるほど私を好きだと叫んでも、私は他の男が好きなのゴメンナサイネ」などという言葉は使わない。
 
ごく普段使う言葉に命を吹き込むのである。
 
「つまらない」「退屈だわ」とか、「今月も少し足りないわね、どうする気?」などが、作詩される主な言葉だ。
 
ごく最近は「野宿するならふとんはいらない―」という唄を歌っていた。
 
何を考えているのだろう。
 
本人が喜んでいるからいいが、無理に唄っているとしたら、殴ってでも止めるところである。
 
妻の作詩作曲した歌は、100を超えるだろう。そして、今後も増えるのに違いない。私は確信する。本人にしかわからない音楽も存在する、と。
 
2004年9月30日配信
「ギター持ってねェじゃん」

9月25日。

 私は最近、着物で出歩くことが多い。多いというより、毎日着物で過ごしている。何を着ようか、どんな色の服にしようかと迷うこともなく、その日の暑さ寒さにあわせて着物を身に付けると、とても楽である。

 着物の利点はいくつかある。まず、落語家という職業柄、着物で過ごしていると忘れ物がなくなる。よく雪駄を忘れた、帯を持ってこなかった、扇子をバック入れ忘れた、落語そのものを忘れた、などという人を見かけるが、身に付けているから決して忘れることがない。

 それから、目立つ。どんな格好をしても注目されない私のような影の薄い人間でも、着物を着ていると「なにあの変な格好」と子どもに指差されたり、「今日花火?」などという声とともにジロジロ見られるようになる。

 第3に、高級なホテルや飲食店に入るとき、これまでのようにとびきりの普段着で行くと「どこに行くんです?」とか「何か用?」と、泥棒にでもあったような顔で止められていたのが、着物を着るようになってから「どちらにご用でしょうか?」と丁寧に止められるようになった。

 もちろん、いいことばかりではない。近頃よくあるのが、「ギター侍さん」に間違えられることだ(我が妻は彼のファンである。落語の稽古をしている暇があったらギターを習えとアドバイスしてくれる)。

「ギター侍の人じゃない」などと、ヒソヒソ話をしているのはいい方で、先日の高校生には困った。

 電車の中で腰をおろして本を読んでいると、扉付近に立っていた3人の高校生(二人が女性で、一人が男性。この割合は、同じ3人組でも、一番あぶない。二人が男性、一人が女性、あるいは、女子だけ、男子だけの3人組より、なぜか女性はうるさくなり、男性はカッコウつけたがる)が、私を見て何か話している。いやな予感はした。

 案の定「ギター侍じゃない?」

「ちげーよ」

「ぜったいそー」

「めがねかけてたっけ?」

「普段はかけてんのよ」

「顔、本でよくめーねーよ」

「ギター持ってねェーじゃん」

「いつも持っている訳じゃないんじゃない?」

「じゃなんで着物きてんだよ」

などと言っている。

何着たっていいいだろ。

「顔、見てこいよ」

来るな。

「転んだふりして、本たたき落としてみっか」

よせバカ!

「名前呼んでみたら?」

「友だちじゃないんだよォ」

そのとおりだ。お前らなんかとは私が今高校生でも友だちになんてなってやるもんか。

「俺、見てきてやるよ」

来たな。

 男が前髪をかきあげて近づいてくる。

高校生の男がそんなに前髪を伸ばすんじゃない。せめて後ろを刈り上げろ。

 よくみるとピアスをしている。私はピアスをしていて髪が長くて、少し染めていて、体が大きくて、手に何カ所もやけどの跡があって、目つきが悪くて、がに股で歩くこわくて強そうな高校生が嫌いだ。

 男が目の前に来たから、私は毅然として寝たふりをした。

 するとピアス君は腰をくの字にまげて私の顔を覗き込み、「違ェーよォ」と女の子達に報告した。

 すると女の子二人は声を揃えて「残念!」。

2004年9月26日配信
 
なぜ、今、バカンスなのか?

9月15日

 管理者くんからFAXが届いた。

 お米、肉、魚、現金などは届かないが、FAXだけはよく届く。

 そのFAXによると、今からハワイに行くという。

 ハワイという名前の床屋か何かと思ったら、「常夏の島」と書いていある。と、いうことは、あのハワイに違いない。

 20日に帰国するとも書いてある。

 この時期に、この不景気に、なぜ彼はハワイに突然旅だったのだろう。考えられる理由は山ほどあるだろうが、そんなことに時間を費やすのは非常に無駄なので、二つ三つだけ考える。

@日本をすぐに離れたい!―管理者くんの仕事はハワイと何の関係もなさそうだから、仕事で行くわけではあるまい。個人的感情が彼をハワイに行かせた筈だ。「失恋して悲しくなったが、ふられるのもなれてきて死ぬほど悲しくない」ので、とりあえず日本を離れてみようと思ったのだろう。

A郷帰り!―管理者くん、実はハワイの生まれだった、ということも大いにありえる。顔立ちがそうだ。常夏の国独特の陽にやけた陽気な男達につかまれる熱帯魚に似ている。話したことのある人ならわかると思うが、彼は英語がどれだけ話せるのかわからないが、日本語会話が下手だ。だから、きっとハワイ生まれなのだ。

B写真が撮りたい!―管理者くんは写真が好きだ。腕もいい。特に女の子の腕を撮らせたらうまい。沖縄に行った時、皆が水着姿で遊ぶ中、一人スーツ姿で写真を撮りまくっていたという過去もある。きっと、ハワイで、スーツのまま写真が撮りたくなったのだ。

 考えられる理由はこんなところか。

 理由はともかく、ハワイは羨ましい。

 この文章が載る頃には、管理者くんも帰国しているか、帰化しているだろう。

 お土産をたくさんもって我が家に向かっているだろう。

 私はきっとそんな管理者くんをあたたかく迎えるだろう。

 2004年9月20配信
好二郎、講師デビュー
ナント!学校の先生に教育を語る


9月10日

 子どもに、「父さんは頭が悪い」という認識をもたれた場合、それを覆すのはなかなか難しい。

 加えて、妻が「頭が悪い」と確信している場合、覆すのはかなり困難である。

 まして、本人が「頭が良くないよな、俺」と素直に認めている我が家の場合、「父さんは実は、偉いんだ!頭がいいんだ!」と妻や子どもに思わせるのはほとんど不可能である。

 ところが、先日、思わぬチャンスが訪れた。

 座間市教育委員会から礼状が届いたのである。なぜ、お前が教育委員会などという高尚なところと接点があるのだ、と訝しげに思う人もいるだろうし、小学校からやり直しているに違いないと笑う人もいるだろうが、接点があるのだから仕方がない。

 とにかく、同委員会が主催する研修会に講師として招かれたのだ。学校の先生方を前に教育について語って欲しい、と言われて二つ返事で引き受けるところが、私の男気勝って思慮欠けるところであり、怖いもの知らずで向こう見ずでチャーミングなところである。

 講演会は大成功だったと言える。一つには難しい話が続いた後に、中学生並みの豊富な語彙を駆使して話す私の話が大変聞きやすかったであろうこと。そして、私が話を進める中「こういう人間を一人でも多く、世の中に出すことを避けたい」という思いの先生が、一人、また一人増えていったことが成功の原因に思われた。

 で、そのお礼である。中の文面は想像がつく。「とてもありがたく、スタッフ一同楽をさせてもらいましたが、2度と会うことはないでしょう」とか「また、機会がありましたらよろしくお願いします。なお、昼食代の2100円はこちらにお振込みください」といったものに違いない。

 すると意に反して「おおいに役立つ話でした」「今後の学校教育の場で生かしていくつもりです」などと書かれているのである。

 うれしい。

 たとえ社交辞令でも、この文面を使わない手はない。さっそく妻に読ませて、私が実は優秀であることを誤解させようとした。

「どうだ? 俺ってすごいでしょ?」

「あなたの話を教育現場に生かそうとしている人がいるなんて信じられない。うそでしょ? あなた、これ自分でワープロで打ったんでしょう。あなたが社会に役立つ話をするはずないもん。そんな話できるのなら我が家はもっと良くなっている筈でしょう・・・・・・」

 妻の小言は、彼女の寝言まで続いた。

 この礼状、子ども達に見せるのは、止そう・・・・・・。

2004年9月11配信
夜中、夫妻で凧を揚げてみた

9月5日。

 先日、足立区で凧揚げ大会があった。下の娘が参加するというので、私も家の近くの河原に足を運んだ。

 大会といっても何を競うとか、揚がらない凧を皆であざ笑うという主旨ではないので、めいめいがのんびり楽しんでいる。

 落語に「初天神」という噺があって、凧揚げに無理に付き合わされた父親が、しまいには子どもより夢中になる、という場面があるが、その日の会場も、まさに、「初天神」だった。

 何度やっても上手く揚がらない子どもにイライラして「違う!走れ!風をよめ!あきらめるな!もう一度!まだまだ!もういっちょう!」などと怒鳴り散らす、高校野球の監督みたいな父親もいれば、子どもそっちのけで駆け出す母親、風が吹いたとたんに「今よ!」と叫んで髪振り乱し、子どもから凧を奪い取って走る我が妻。子どもがようやく揚げた凧を横から奪い取って楽しむ私など、ろくな大人がいない。

 しかも、私などは、前の晩に2時間もかけて自分専用の凧を作り、出来上がり具合がどうも不安だったので、夜中に妻と二人、近くの野球場で「ためしあげ」をしたら、ただひたすら地をころがるだけの凧で、「そんな凧あがる訳ないわよ、でへへ」と笑われ、悔し涙を流していたのだからまったく大人気ない。

 それでもいい。凧は大人を子どもに返す方法の玩具なのだ。今度凧を揚げる時は、一番高く揚げてやる。

2004年9月5日配信
終わらない夏

9月1日

 夏が終わった。夏休みも終わり、子供達がいなくなり、我が家は静かになった。

 学校が子ども達に何を教えているのかは別として、学校のありがたさをあらためて知った。

 しかし、終わらない夏も、ある。

 夏と言えば、お化け、幽霊と決まっているが、私のところにでてくる管理者くんの幽霊は、夏が終わっても出続けるのだろう。

 夜な夜な、「日記を更新しろ〜」「スケジュールを教えろ〜」「勉強会を再開しろ〜」と現れる。

 無視し続けると、「せめてスケジュールだけでも教えてェ〜」と涙声になるが、私が一心不乱に「南無三仕事がない、南無三仕事がない」と念仏をとなえると、そのうちに消えるのである。

 自分のスケジュールをお客より後に知る、という悪い習慣を早く改善しなければ、管理者くんの幽霊が浮かばれない。

 これからは、心を入れ替え、まるで別人のようにスケジュールを更新する予定である(といっても、本当に別人になって柳家キョウ太郎師匠のスケジュールを載せてもいけない)

 とまれ、スケジュール更新には、仕事が必要である。

 休日がやたらと続くこの日々を、早く、一日も早く打破しよう。

 「年中夏休み!」などと笑ってはいけない。 ・・・・・・しかし、終わらない夏もある・・・・・・。

2004年9月2日配信
無駄に愛想がいい好二郎が実感
「富士山は日本一の霊峰である」


8月25日。

 富士山は、日本一の霊峰である。その姿はどこから見ても雄大であり、我が妻の寝姿より美しい。

 富士山を見るだけで心洗われるという人は多い。

 私の知人にも「富士を見ると寿命が伸びるような気がする」とか「元気が出て病気が治った」とか「月見草がよく似合う」などと言う人がいた。

 私も富士を見ると心洗われ、脱水される気になるほうで、静岡や山梨の仕事が大好きである。

 先日、新富士で落語会があったので、楽しみにしていたのだが、あいにくの天気で、どんより曇った空に富士山の勇姿は見られなかった。

 もっとも、天気がよくても今回は見られなかったかもしれない。なぜなら、また、首のヘルニアを再発させ、首が回らなくなっていたからである。仕事の疲労、仕事がないことによる心労、無理な寝返り、裏切り、妻の手料理、その他色々と原因は考えられるが、とにかく首が回らない。

 上下左右、どこを向いても痛みが走る。動かさずにいても痛みが歩く。新幹線の座席に座った時は、それっきりまっすぐしか向けなかったのである。

 三島という駅がある。そこに停車すると団体客が乗り込んできた。14、5人はいただろう。皆、手に「富士山登頂」とか単に「富士山」という焼印の入った木製の杖をもっているところから見て、富士登山を終えた人たちに違いない。

 先頭で入ってきた五十がらみの男性が、「いやえらいで、あんな高い山、大阪にはないな」と叫び、全員が「当たり前や!」と突っ込みを入れたところから見て、大阪近辺から来た上品ではない団体とみて間違えない。

 先頭の男は車両の中央まで来ると、「帰りも楽しくいこ!」と皆に呼びかけている。

 いやな予感がする。

 幸福の分配法則から言って、誰かが楽しめば誰かが苦しむに決まっている。

 先頭の男が私に向かって「すんまへん、後ろの席回しますんで」と言う。

 私はまっすぐ前を向いたまま、「どうぞ」と答える。

 その男が、例の杖を脇の下に挟んだのが横目に見えた。

 いやな予感が膨らんでいく。

 杖の先が私の頬にあたる。

 男が椅子を回す。

 同時に杖が回り、私の頬をグイッと押し、私の首が意志とは無関係に右側へバキッとまがった。

 あまりの激痛に声も出ない。窓の向こうに見える風景が涙でにじんでくる。

「どうもすんまへんでした」男は私の首に一撃を食らわしたことにまるで気づかず、平気な顔で私の後ろに座り、向い合った仲間とヒソヒソ話をはじめた。

「後ろの。向こうむいたまんま返事もせん。無愛想やで」・・・・・・

・・・・・・うるせィ!落語界でも無駄に愛想だけはいいねと言われている俺を泣かせたのお前だ!

・・・・・・それから新富士の駅まで、体は前方を向いたまま、顔だけ窓の外を見て涙を流すという異常な形で移動した。

 で、翌日、朝起きると、富士山の杖で無理やり向かされた右側だけが治っていた。

 富士はやはり、日本一の霊峰である。

2004年8月26日配信
好二郎一家とN君一家で海水浴
パワーアップする妻Y子さん


8月20日。

 神奈川県の二宮に生息している私の友人、N君のお招きで、海へ遊びに行ってきた。

 N君の令夫人Y子さんの実家が湯河原でお料理屋をしているので、その近くの海岸で泳ごうということになる。

 ちなみにお店の名前は「お食事処きたむら」。

 ごちそうになったから言う訳ではないが、とってもおいしい。

 余計な話だが、そのお店を手伝っていたY子さんの親類の方(女性)は、HPで紹介される我妻のファンであるらしく、本物の妻に会うと「イメージとおりですね!」と喜んでいた。

 妻も「ファン」と言われてまんざらでもない様子で、普段と違って礼儀正しかった。

 やればできるんだなと思った。

 さて、N君とYさんの間には二人のお子さんがいる。

 二人とも男の子だ。

 男の子というのはやはり大変だ。我が子は二人とも女の子でしかも上品、かつかしこいから海で遊んでいても心配ないが、男の子はそうはいかない。

 特に次男坊はいけない。一瞬でも目を離すといなくなる。遠くにいればいたずらする。近くにいて気配を消す。常にしゃべる、黙っていると食べている、笑いながら私を蹴る、とんでもない奴である。

 私は蹴り返したり、食い物をうばいとったりして仕返しすれば、それで済むが、大変なのは、母親のY子さんである。

 いつも次男坊を探している。「どこだ!」「どこへ行った!」その度にY子さんの目は鋭くなる。走り回って怒鳴って歩く。

 以前からパワフルな女性だったが、一段とレベルアップしていた。

 こうして男の子の母親は強くなっていくのだなあと実感する。

 この次に会う時、Y子さんがどのくらい強くなっているか、とても楽しみである。

2004年8月21日配信。
スポーツの主役は誰?

8月15日。
 
巨人の渡辺オーナーが辞任してしまった。実に惜しい。
 
スポーツと企業。スポーツと金、スポーツと権力。およそかけ離れたこれらの組み合わせが、現実には当たり前で、我々が目にし、感動しているスポーツの一瞬、一瞬に企業や金や権力が強く影響している。そのことをとてもわかりやすく教えてくれたのが、渡辺オーナーだ。
 
いわく「知らない人が入る」ことはダメであり、「たかが選手」が口を出す問題ではないのである。
 
人気球団巨人をつくったのは選手ではなく、企業なのである。力のある企業でなければ選手は育たない。そんな当たり前のことを渡辺オーナーは教えてくれたのである。
 
今、オリンピックが盛り上がっているが、裏には巨人の比べものにならないくらいの企業と金と権力が、選手以上に走りまわっているのだろう。
 
今やスポーツなんて「ショー」と変わらないのである。スポーツ選手は「タレント」である。オリンピックは世界の企業が競い合う場なのである。
 
――我々が失望するその現実を見せてくれた渡辺オーナーの辞任はやはり惜しい。是非、次はオリンピック委員か何かで活躍してもらいたい。
 
2004年8月16日配信
小田原丈兄さん
蚊に似てるかも
 
8月10日
 
蚊が嫌いだ、ということは先日世間に強く訴えた。
 
訴えてみるものである。
 
7日に開かれた「二ツ目ランド」という落語会のあと、あるお客様に「蚊よけ香水」なるものをいただいた。うれしい限りである。
 
帰りに「二ツ目ランド」に同じく出演している小田原丈兄さん達とお茶を飲みながら世間話をしていたのだが、その折、例の香水を見せて自慢していると、「そんなに蚊が嫌いなの?」小田原丈兄さん。
 
「ええ、蚊取り線香やマットで煙の出ない奴にも弱いんですよ」
 
「お前さ・・…、蚊に弱いというより、蚊に近いいんじゃない。いや、蚊なのかもしれない。調べてごらん、体の中にたくさんの蚊が住んでいるかものよ」などと気味の悪いことを言う。
 
周りの人達も「指を切ったら蚊がいっぱい出てきたら気持ち悪いね」とか「背中が痒くなって薄い羽根が出てきたらヤダね」と盛り上げる。
 
小田原丈兄さんは、嬉しそうに、「へへ、その香水でためしてごらん。うまくいけば人間だし、君が蚊だったら溶けるに違いない」と言う。
 
ひどい人である。
 
家に帰って思いきって試してみる・・・・・・。
 
とってもいい。
 
いい香りはするし、体はとけない。
 
よかった。
 
考えてみると、小田原丈兄さんの方が、面差しは蚊に似ている。体型だって声質(!?)だって蚊といえば、蚊だ。
 
きっと兄さんのほうが蚊に違いない。
 
よし、今度会ったとき、そっと香水をかけてみよう。もし溶けちゃったら、小田原丈兄さんファンには悪いが、人類にとってはそんなに悪くはあるまい。小田原丈兄さんに会うのが楽しみである。
 
2004年8月10日配信
一番肝腎なところが抜けている
  
8月5日
 
妻は料理が上手である。
 
本人がそう言うのだから逆らってはいけない。
 
妻の得意な料理は、冷奴、生トマトのもぎたてキュウリ添え、ピザトーストのピザ抜きなどが主なものだが、オクラ入り納豆(私が混ぜる)や湯豆腐、親類からもらった佃煮なども上手い。
 
たまに、豚の角煮やホイコウロウなどが出ることはないが、焼き豚、魚の煮つけぐらいは出してもらいたいものである。
 
その妻が枝豆を買って来た。もちろん、生のままである。
 
どうやら自分でうでる気らしい。
 
「おいしい枝豆のうで方知ってる?」
 
「知らないわ」
 
妻が素直に「知らない」というのは珍しい。この場合、「知っていようが、知るまいが、面倒なことをするならあたしはお断りよ」という意味で使っていると思えって間違いない。
 
案の定「どうするの?」の一言もなく、早速うでようとする。
 
「ちょっと待って!」
 
私は勇気を出して妻を止めた。
 
後から考えると、どうしてあんな思いきったことが言えたのか不思議だが、妻から枝豆を取ると
 
「半分くらい試してみようよ」
 
「あなたがやるの?」
 
「もちろん」
 
「どうすんの?」
 
「両端に切り込みを入れてさ……」
 
私の説明をあくび交じり聞いていた妻は、「たいして変わんないと思うけどねェ。もともとそんなにいい豆じゃないし・・・・」
 
で、やってみた。
 
うであがって、妻と二人で食べてみる。私が手を加えた豆と、妻がただ鍋に放り込んだ豆を交互に食べてみる。
 
ちっとも変わらない。
 
「ほら、変わんないでしょ!」妻は勝鬨を上げる。
 
「何したって元が悪いと同じなのよ。それに、あなたのやり方もきっと違っているわよ。何でおぼえたのか、誰に教えてもらったのか知らないけど、きっと一番カンジンなことを忘れているのよ、あなた。そういう人だもんね。いつもここが大事っていうところが抜けているのよね。あ、そうじゃない。もしかしたら、おいしい豆のうで方教えてくれた人にうそつかれたんじゃない? そうよそれを本気にして、ハハハ……あーおいしい! 何もしないでうでた枝豆おししい!」
 
妻をうでてやりたい
 
2004年8月6日配信
残念!二松学舎
ガンバレ!来年に期待


8月1日。

 また、二松学舎大学附属高校が負けた。二松学舎大学附属高校附属大学に通っていた私としては、今年こそ是非とも甲子園に行ってもらいたかった(それに伴う寄付は無視しようと決めていたが)。

 なにしろ3年連続9回目の決勝である。こうなると単に”勝利の女神がこっちを向いてくれない”といった程度では済まされない。完全に勝利の女神に嫌われているのである。

 嫌われるにはそれなりの理由があるだろう。

「勝利の女神なんている筈がないと思っている」

「いたとしても美人じゃないと思っている」

「勝利の女神と弁財天の区別がつかない」

「今年の春に彼女ができて女神どころじゃない」

「去年の冬に彼女にフラれて女と名のつくものが嫌いになった」

・・・・・・そんなことを思っている人が、野球部員、もしくは関係者にたくさんいるに違いない。

 そうでなければあれだけの実力があって勝てないはずがない。本当に残念である。

 そこで提案だが、こんなに不運なチームもないのだから、来年は、いやさ来年以降ずっと、トーナメントで勝ち残ったチームが二松学舎と甲子園をかけて戦うという方式にしてはどうだろう。

 うん。それがいい。それならきっと来年、いやさ来年までには、少なくとも4年後くらいには甲子園に行けるはずである。

2004年8月2日配信

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