日々の思いをイラストを交えて淡々と綴ります 好二郎
この連載は、原則として、五・十日(ごとうび=5と10の日)に更新します 過去の動静一覧 表紙へ戻る
2005年5月、6月、7月
「ナルコレプシ―」と「義経の法則」 7月25日 台風が頻繁に日本へいらっしゃる時期になると、なんだかワクワクする。 毎年それは同じで、ニュースで「台風が上陸しそうです」なんて言っていると思わず笑ってしまう。 「大型で強いでしょう」なんて言われるとたまらない。 その台風が夜中に通りすぎるとがっかりする。 そういうときには夜通し嵐に揺れる木々を見て楽しむのである。 が、今年は違う。なんだか眠くてダメなのだ。ワクワクしているのに眠いのである。 今のところ落語をしている時は眠くないのでいいが、我ながら心配である。 自分で心配するくらいだから、このHPを見たくださっている方の中にも心配してくださる方がいて、「可哀想ですね。大丈夫ですか? ところで起きていたからといって、あなたに何ができるのですか?」という鋭い指摘をする人もいれば「心配することないですよ。好二郎さんが眠りつづけて、ついに起きなくなっても落語の灯火は決して消えませんから」なんて怖いことを言う人もいる。 中にはわざわざ「過眠症」についての症状と対策をFAXして下さる方もいた。 そのFAXで「ナルコレプシー」という素敵な言葉をはじめて知った。「日中の眠気がひどくなる代表的な病気」だそうで、「代表的」なんて書かれると、鼻が高い。 何かのエッセイにあの色川武夫さんも「ナルコレプシー」だと書いてあった。 「なまけものなのではなく、病気なのだ」と言っている。 その通り。 私を「なまけものだ」と思っている人は、悔い改めてもらいたい。 「鹿も四足、馬も四足、だから鹿も馬も同じである」という「義経の法則」に当てはめれば、「色川武夫もナルコレプシー、好二郎もナルコレプシー、だから色川武夫と好二郎は同じように優秀である」と言えそうだ。 2005年8月3日配信 |
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水槽一杯にメダカ 7月20日 メダカがはじめ3匹いた。長女がどうしても家で飼いたいというので、「きちんと自分で世話をする」という条件付きで妻が許した。
今までならきちんと世話するはずの長女が、メダカの存在を2日目には忘れ、3日目には死んでしまうというのが、我が家の決まりだった。
ところが意外にも長女が一生懸命世話をする。
そのうち、「卵を産みそうだよ」と言い出した。
水草がないと卵を産見つけるところがない、ということに気付いた長女は、二女を連れて水草を一握り買ってくる。
と、「あっ1 水草に卵発見!」と騒ぎ出す。
メダカの飼育に反対だった妻も、卵発見のニュースに水槽を覗くようになる。
何日もしないうちに「あ、うまれた!」 メダカの赤ちゃんが泳いでいる!」
と喜びの声をあげる。
可愛らしいメダカの赤ちゃんが3匹、元気に泳いでいる。
ここ数年、やさしい気持ちを忘れていた妻も「まぁ、本当に可愛いわね」と人並みのセリフを吐く。
が、よかったのはここまでだ。
はじめの3匹のメダカがやたらとこどもを産む。5日おきに増えて今では水槽一杯にメダカの赤ちゃんだ。
やさしい気持ちを取り戻していた妻もすぐにいつもの妻に戻って、「うじゃうじゃいるわね。誰かにあげるとか、川に放すとか、何かできないの!」と怒鳴っている。
長女は何かに取り憑かれたようにメダカの飼育に必死だ。きょうもメダカが増えていく。
2005年7月23日配信
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涼の演出を夫妻で考える 7月17日。 日記の原稿を書くのが遅くなってしまった。前回の締め切りの10日の次は15日の予定だったのだが、その間、佐賀に行ったり、両国寄席に円楽師匠が出演したり、銀座の一門会が終わったり、私が大事にしていた落書き帳がバラバラになったりと忙しく、ついつい入稿が遅れてしまったのだ。 申し訳ない。 さらに、このムシムシた暑さに脳の働きは鈍り、体はキレを失い、腕は力をなくし、手は動きを止め、とても文章が書ける状態ではない。その上、妻の態度がいけない。我妻は、麦茶をやかんでつくる。それはいい。サラダを大きなボールでつくる。それはいい。漬物を樽でつくる。いいでしょう。 しかし、そのやかんをやかんのまま出し、サラダをボールごとテーブルに置き、漬物を樽ごと出す。実に暑苦しい。 今、うでた枝豆を、ザルごと、そのまま出してきた。 妻よ、ガラスの水差しに移し変えるとか、透明な器にサラダを盛りかえるとか、青い皿に漬物を並べるとか、何か涼しくなる演出が出来ないのか! 私は暑さも手伝ってその怒りを妻にぶつけた。 「やかんのまま出したり、ボールのままだしたりすると後が楽でいいよね!」 「何を言ってんのよ、ボーっとしていないで涼しそうに見えるような盛り付けのやり方を勉強してよ。まったく暑苦しい、あー、暑い暑い」 妻よ、わかっているなら、やれ。 2005年7月21日配信 |
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妻の視線が怖い! 7月10日 私の幼馴染みであるT森くんと、先日会津若松へ帰ったとき、久しぶりに会った。 T森くんはイタリアの哲学者が難しい数学の問題を解いている最中にふと耳にした「アテネであってね」などというくだらないギャグに思わず笑ってしまったその表情を彫刻にしたような、彫りの深い顔の男である。 小学・中学のころ、彼はとても格好よっかった。それが時の流れは怖いもので、よほど結婚生活がうまくいっているのだろう、まるで緊張感のない幸せそうな顔になっていた。 それではいけない。男は常に鋭くとがっていなければいけないのだ。 「ちょっと息子が太りぎみですよォ」なんて悩みしかないようではダメなんだ、T森。 「いつも妻に怒られる」「妻の視線が怖い」そういう毎日を送ってみろ。いいか、男というのは、君のように幸せムードを全身から発してはいけないのだ。 「いつか妻と決着つけてやる」そんな決意を胸に男は生きなければいけないのだよ。T森。 T森、友達のよしみで一言言わせてもらおう。 「T森、私は君がうらやましい」 2005年7月12日配信 |
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ただただ眠い 7月5日 暑中お見舞い申し上げます。 蒸し暑さに弱い私も、今年は腕立て、腹筋、背筋、借金、すべてを鍛え直した結果、昨年以上に弱くなる、という進化を遂げた。 とにかく眠いのだ。朝起きてすぐに眠くなる。朝ご飯を食べて少し寝るとお昼近くなる。慌てて起きると物凄く眠い。頭が痺れるようにザワザワするから、横になると頭痛が治まって気持ちよく眠れる。 フッと目を覚ますと午後2時だ。 何もしていないのにお腹がすいているので昼ご飯を食べるとやっぱり眠くなる。で、本当に寝る。 これだけ寝たのだから夜眠れないだろうと心配してくれる心やさしい人が1人くらいはいるだろうがご心配なく。9時には寝て、朝8時まで寝ているのである。 これは半分以上死んでいるのと同じではないだろうか。夏バテ以上の病気なのではと本気で気にし始めている。私は何かの病気でしょうか? 2005年7月6日配信 |
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次回30の手習いは来てね 6月30日 先日、恒例の「30の手習い」が行なわれた。 「笑っていいとも!」にほんの少しだけ出たが、テレビの効果というのはたいしたもので、「30の手習い」史上、最低人数を記録した。 テレビ映りが相当悪かったらしい。 これはいけない。何とかお客様を増やす方法を考えなくてはいけない。どんな方法がいいのか。 @「特別ゲスト 三遊亭円楽」とウソをつく A「ご来場のお客様にもれなく10万円プレゼント」とウソをつく B「三遊亭円楽独演会」とウソをつく などの方法が考えられるが、いずれもウソがばれたときの対応が大変そうなので、なかなか実行しにくい。あとは管理者くんにいい案を出してもらうしかない。 しかし、お客様の人数が少なかったおかげで、普段ご一緒できないお客様と飲む機会を得た。色々と楽しい話が聞けたのでたまにはこういう機会をもうけるのもいいなあと思ったが、打ち上げと落語を聞いてくれたお客様の数があまり変わらないというのはいけない。 次回の30の手習い、お時間のある方は是非おいでくださいませ。 2005年7月1日配信 |
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老舗「道明」でお買い物 6月25日 去る22、23日と谷中の全生庵円で円之助改め小円朝真打ち昇進披露興行が行なわれた。両日とも大入り満員で大成功だった。 円朝師のお墓がある全生庵で豪華なゲストを迎えてのおめでたい興行だから成功しない訳がない。お客さまはもちろん、手伝いに行った我々二ツ目の連中も大いに楽しんだ。 ゲストの中に、上方から笑福亭鶴瓶師もお目見えになったのだが、そのお弟子さんで、このHPにも以前登場した由瓶兄さんも、わざわざ大阪から全生庵に手伝いに来てくれた。 二日間無事に終えた翌日、この由瓶兄さん、紐屋さんでとても有名な「道明」に行きたいから付き合ってくれませんか、という。 私は心配になった。なにせこの兄さん「誰とでもよく喋る」、「常に自分のペースにして相手を戸惑わせる」、「相手をゲラゲラ笑わせる」。これを目標に会話をする人だ。 それに対して「道明」は老舗も老舗、上品も上品、あうはずがない。 案の定、「これ何とかならへん?」、「キレイな店や、こんなん大阪にはあらへんで。毎日掃除してんの?」、「この色とこの色合わせたら・・・・・・あ、似合わん、センス悪い人やなあ思いましたやろ!」などと由瓶兄さんは果敢に攻めたが「そうですね。」、「こちらはかまいませんが・・・・・・」「いくれでおつくりいたします?」、「オホホホホホ」と道明のお上さんはその上品さを失わない。 結局、店を後にした兄さんは「えらいおばはんや、ちっともくずれへんかったなあ。くやしいなあ」と負けを認めていた。 おそるべし、道明。 2005年6月26日配信 |
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仕事と勉強が進まない 6月20日 学生時代から使っていた文机を、我が長女に明け渡した。 「独りきりで集中して勉強する」と宣言したためだ(ただし、本人は2時間後にこの宣言を後悔し、「独りきりになれば、集中して勉強できるかも」と宣言内容を緩やかな表現に変更していた) 今までのように長女二女が一つの机に並んでいてはいけない。仕方なく、私の机を長女に与えたというわけだ。 で、机のなくなった私はどうなったのか。 私は机が大好きである。 楽しい例をあげると、もし、私が妻と別れた場合、何はなくとも机だけはもって家を出たいと思うほど、好きである。 それなのに娘にとられてしまった。 そこで、私は今まで長女が使っていた机に移動。二女と机をならべることになった。 同じ机を二人で使う。なんだか同級生みたいである。 ……この同級生がとてもうるさい。 「パパは散らかしっぱなしだ!」 「もっと机の上を可愛くしよう!」 「この絵見て! 見て!」 ちっとも自分の仕事が進まない。 「お前学校でもそんなにうるさいの?」 「うん」 「となりの子に嫌われない?」 「関係ないね、嫌われても」 「ところで少し勉強したら?」 「パパもしたら?」 「パパはいいんだよベンキョウしなくて」 「どうして?」 「落語家だし」 「じゃあ私だってしなくていいじゃん」 「どうして?」 「落語家の娘だし」 「関係ないだろ、それは」 「え?パパと私は関係ないの? 親子じゃないの?」 「うるさいな、何かベンキョウしなよ」 「じゃあ足し算の競争しようよ」 「うるせぃ!」 「負けちゃう?」 「うるせぃ!」 ・・・・・・ こうして1日が終わってしまう。 私も二女もこれから先、仕事と勉強が進まないこと、間違いなし! 2005年6月26日配信 |
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妻の努力に 「ハ?」 6月15日 近頃、我が娘はもちろんのこと、近所の可愛らしいガキ共が、何かこちらから声をかけると「は?!」と顔を歪めるようになった。お笑いタレントさんのまねだそうだが、面と向かってやられると張り倒したくなる。ましてこっちが親切に「ほら車が通るからあぶないよ」と言ってあげているのに「ハ?」と叫んで走り去る悪がきを見ると車の前に押し出してあげたくなる。 ところで、話は変わるが、我が家は収入が少ないという決定的な問題点を抱えているため、私をはじめ妻も子どもも、決して無駄な買い物はしない。しかし、そういつまでもガマンできるものではない。 我が妻は、時々大量に無駄な買い物をする。大量でなければ高価な買い物をする。私が遠まわしにズバリ言うと「あなたには無駄に見えても皆必要なの。高価に見えてもすごく安いのを狙って買ってるの。私の努力を知らないでよくそういうことがいえるわね!」(3時間言い返されたことをまとめた) 実際、どんな努力をしているのか。 ある高級な靴屋がある。妻はその店の靴が欲しくてしょうがない。ある日、妻は、ついにその店のトビラを空けた。 どうするのかと思ったら、一直線に店員に近づくと「バーゲンっていつですか!?」 店員が戸惑いながら答えると、また一直線に店を出た―――。 すごい。初めて入る店に、いきなりそのセリフ。すばらしい努力である。 その時の店員の顔は、正しい「ハ?」の顔だった。 近所のガキ共よ、どうせ「ハ?」をするなら、妻に何言われたときにしなさい。 2005年6月17日配信 |
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タクシーに乗る前に タクシーの運転手をやれ!」 6月10日 私は梅雨が大好きである。朝からずっと雨が降ってジメジメして、昼頃には蒸し暑くて夜寝苦しい。すごくイライラする。 電車の中でも混んでいると、蒸し暑さと人の体温とでムッとくる。眩暈がするほど。この蒸し暑さ私は弱い。だからこうして何かもの書いているのもつらい。イライラする。 なのになぜ私は梅雨が好きなのか。 それは私以上に妻が弱るからである。 雨が降って気温が上がると妻はますます弱り、一日中ゴロゴロとして、体力、気力ともにおとろえ、私を起こらなくなるのである。 私が「きょうはすまないねえ。贅沢にもタクシーで駅までいっちゃたよ」と言っても、いつものように「何様のつもりなの!」とか「タクシーに乗る前にタクシーの運転手をやれ!」とか「タクシーという乗り物がこの世にあることを忘れなさい」などと言わないし、黙って頭突きを喰らわすこともない。 力なく「わぁ〜、そ〜」と言うだけである。 夢のようなことである。 雨が降ると着物は濡れるし、歩きにくい。ものは腐るし家全体がかび臭い。 でも、私は梅雨が大好きである。 2005年6月13日配信 |
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ラブスプーンで愛の告白 6月5日 先日、お客様のFさんのお誘いで、根岸幸代さんという方のピアノコンサートに足を運んだ。久しぶりの生の演奏会だったので、新鮮な感動を覚えた。 後半はアイルランドの曲を中心に、バイオリンとチェロのアンサンブルだったが、とてもよかった。鍵盤を弾く指はまるべ別の生き物のようだ。 このコンサートの第には「ラブスプーンの会」という冠がついていたが、このラブスプーンというのは、男性が好きな女性に愛を込めて手渡すスプーンのことで、木彫りの美しい文様が施されているのが特徴のウェールズの工芸品だということだ。 好きな女性に「食べ物」に関連したものを贈って愛情を表現するのは”結婚”を直接に求める単純な方法であると同時に、なんとも素朴でほほえましい感じがする。 日本人も「愛のお箸」なんて贈ると、回りくどいことを言わずに済んでいいと思う。 美しい文様はもちろん、ダイヤモンドが埋め込んであったり、純金でできていたりすると彼女も喜ぶだろう。 お箸の片方に「好きな食べ物」、もう片方に「嫌いな食べ物」をそれぞれ書いておけば、我が家のように私の嫌いな人参だけが入ったスープが三日連続で出てケンカになるというようなトラブルも避けられる(お陰で今では人参が好きになってしまった) 「愛の箸」を受け取って付き合いだしたけど、いつの間にか彼氏の友達の男と仲良くなって結婚した場合は、その箸を「取り箸」に使うのもいい。いずれにしても、これを流行らせよう。まずは私が手作り箸を作って妻に渡してみよう。 どんな反応があるのか。 きっと「ありがとう。これも洗ってくれるんでしょう?」と言うに違いないが。 2005年6月7日配信 |
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夢のような寄席を堪能 6月1日。 昨日、新宿末広亭で、小朝師匠プロデュースの余一会「明日の寄席」が開かれた。我が一門の総帥、円楽師匠が二十数年ぶりに末広亭に出演したことはもちろん、大看板、金看板がずらりと揃ったこともあり、昼の部、夜の部ともに超満員の大盛況だった。 私は円楽師匠のカバン持ち及び寄席の手伝いを名目に楽屋入り、この夢のような寄席番組をじっくりと堪能した。こういうときに「ああ、噺家になってよかったなあ」と心底思う。とっても幸せになる。 ベテラン師匠方と人気の高い若手師匠方が話芸を競い合い、満員の客席からワッという笑い声が固まりになって高座に、楽屋に響いてくる。他の演者が皆、高座の話にじっと耳を傾ける。若手になると高座を食い入るように観る。 特に大阪から来た吉弥兄さんなどは、勉強熱心な人だけに目をランランと輝かせて一席一席観ていた(吉弥兄さんから「時々ホームページの日記を見ているよ」と言われたから名前を出したと思わないで下さい) しかし、なんと言っても、円楽師匠の存在感はすごかった。 高座にあがる、楽屋の全員がグッと身を乗り出して円楽師匠に注目する。寄席全体がその存在感に圧倒されて、一瞬後ろにのけぞったように見える。 「本日は足をお運びいただきまして誠にありがとうございます・・・・・・」と静かに語りだすと私は腕に粟立つのを覚えた。 いい。幸せである。 私もいつかこんな豪華な顔ぶれのなかで落語がしたいなあと思った。 なんとも刺激的な1日だった。 2005年6月5日配信 |
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漫画家・荒木氏は漫画家にしか見えない 5月30日 私は学生時代、ラグビーと漫画研究会という2つのサークルに所属していた。外で泥だらけになって激しくぶつかり合うスポーツと、家の中で机に向かってコツコツ絵を仕上げる作業と、まるで正反対のように思えるが、 意外とこの2つに共通点はない。 はっきり言って正反対である。 したがって両方に力を入れて精いっぱい活動するには、無理があり、両方力を抜いてだらだらと活動していた。 それにしてもその経験から「漫画を描くのは、漫画を読むよりはるかに大変である」ということを知っていた。 だから「漫画家」とか、「漫画家のアシスタント」とという人を尊敬している。 このHPにコメントを下さった荒木さんもその漫画家だ。いかにも”漫画家”といった風貌で、誰がどう見ても漫画家にしか見えない。無理に他のものに見ようとすれば、コンビニでアルバイトしているお兄さんだ。 まるで私が落語家以外にはサラリーマンにしか見えないのと同じだ。 で、少し真面目に紹介すると、「時代物」を中心にマンガを描いているということで、さすが歴史に詳しい。しかも、マンガが描けて落語好きだというぐらいだから話も面白い。また、近くお酒でも飲みたいものだ。 でも、その時は、私より面白い話はしないでくださいね。 2005年5月31日配信 |
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本当に悲しい 5月25日 今年も、自宅で育てられる稲の苗「小さな田んぼセット」が手に入った。昨年は、土や肥料に気を使ったものの、肝心のバケツに穴が空いていて、水がなくなるという大失敗のためにすぐに苗は枯れてしまった。 今年はそんなことがないようにと、土や肥料に無駄な神経を使わない代わりに水のもらないバケツに苗を植え、毎日せっせと水をやりつづけた。 植付け後30日くらいが大事なのだそうで、私はなんとかこの1ヵ月、少ない仕事を犠牲にしてでも育て上げようと決心した。 ところが世の中うまくいかないものである。決心したとたんに落語会がバタバタと続き、しかもその会場にこのHPでも紹介した通称たまちゃんがめがねをかけるという非常にわかりやすい変装をして現れたり(なぜ変装していたかは不明)、以前落語会でお世話になったTさんが急にグラマーになっていたり(彼氏ができたものと思われる)、落語会を手伝ってくれたFさんがいつもに増してやさしかったり(給料日だったのではと思われる)、同じく手伝ってくれた管理者くんがとても明るかったり(もう自棄になっていると思われる)しているうちに、すっかり苗の存在を忘れ、きょう思い出してベランダを覗くとバケツには枯れた黄色い苗が刺さっているだけだった。 悲しい。 ああ、今年我が家は大凶作。 「へぇ、もう枯れたの? 本当にあなたってダメね。落語で食べていけないときは、自分の手で育てるしかないんだから、もっと真剣にやったほうがいいわよ!」(妻談) 本当に悲しい。 2005年5月25日配信 |
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偉大なる会長・吉田氏 5月22日 先日、「好二郎後援会」の会長・吉田さん主催の落語会が上野の広小路亭で開かれ、私の落語を除けば大成功のうちに終わった。 吉田さんは私の地元の会津の先輩で現在会津に住んでいるから、このためにわざわざ上京してきたことになる。 忙しい人で、というより忙しくしているのが好きな人で、休日を何もしないでのんびりすごすなんてことができない。 落語会があった日、我が家に泊まったのだが、翌日は早々に起きて我が二人の娘に学校での生活状況を聞き、成績の良し悪しを尋ね、好きな男の子がいるかどうかを調べ、我が妻には自分と稲垣吾朗さんとではどちらがカッコ良かったかなどと、「答え難い質問」をぶつけて「じゃあね」と帰っていった。 吉田さんが立ち去った後、娘二人は「吉田さん大きかったねェ」「パパが小さ過ぎるんだね」「吉田さん元気だったねぇ」「「パパが弱すぎるんだよ」などと吉田さんのパワフルな行動力に感嘆の声をあげていた。 吉田さん、ありがとうございます。 また、やりましょう。そのときは皆さんまた足を運んでくださいませ。 2005年5月23日配信 |
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私が主役よね 5月15日。 すでに、人類の記憶からだいぶ忘れ去られたことだが、私の妻が先月初めにテレビに出た。 「美しい奥さんじゃないか!」 「ホームページで悪く描くけど、とっても素敵な奥さんで好印象だった」 という意見がまるで寄せられなかった。 一番多かった感想は、「番組の内容(夫から妻への感謝の手紙を書きその想いを伝える)が、お前ら夫婦に似合わない」 「手紙の内容にウソがある」といったもので概ね好意的だった。 さらに一番多かった感想・意見を超えて多かったのが、「見てない」だった。 ところが、意外な人達がその番組を見ていて、知り合いのトラック運転手、知り合いのフロアーレディ、知り合いのニューハーフ、先輩噺家など、生活の不規則な人達が宣伝もしていないのに見ていた。 彼らの共通した感想は、「ねェ、奥さんスッピンだったでしょ」「奥さんって化粧気ない人ね」「奥さんほとんど化粧してなかったわね。私だったらだめ、ばっちりしないと、もともと髭が濃いから、えへ」「化粧品買えないの?」など、化粧が薄いというものだった。 確かに妻は化粧が薄い。面倒だからなのか、何かいわれのない自信があるからなのか、それはわからない。 「化粧薄いね。稲垣吾朗さんのほうがよっぽど濃かったよ」 「そうなのよね」 「何で化粧して出なかったの?」 「だってメイクさんがつくと思ったんだモン」 「なんでお前なんかにメイクさんがつくと勘違いしたの?」 「稲垣さんにはついていたわよ」 「当たり前だよ。だから?」 「私にもつくと思うじゃない」 「どうしてそう思うの?」 「あの場合、私のほうが主役じゃない?」 2005年5月17日配信 |
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高座は集金日なのです 5月10日 ゴールデンウィークが終わった。二ツ目になった3年前からそうなのだが、ゴールデンウィークは一般の人と同じく、ほぼカレンダーとおりに休み、休みと休みの間は無理に休み、その上、一般の方と違って、海外に出かけるといった無駄のことをせず、家でウダウダするというやり方で休日を満喫した。 加えて今年は「風邪をひく」「収入が悪化」「妻の機嫌が平常とおり悪い」など条件がそろったので、家を出ずに済む日が多かった。 長く休むとよく5月病になるというが、私の場合それはない。「5月病になるほど、ものごとに最初から期待していない」「平日が色あせるほど休日に楽しい思い出が残せない」「いつも何かの病気にかかっているので、一つくらい増えても気が付かない」などが5月病にかからない主な理由だが、「長く休むことがそれほど珍しくない」「5月以外もゴールデンウィークがある」「仕事が週に3日以上入っていることを逆にゴールデンウィークと呼んでいる」などの考え方も病気を防ぐ手立てにもなっていると思う。 さて、ゴールデンウィークも終わったので、仕事にとりかかろう。私が尊敬する鈴々舎わか馬兄さんは、「噺家は普段の稽古が仕事です」と言っていた。さすがわか馬兄さんである。 その通りだ。 「ちなみに高座のある日は何ですか?」とわか馬兄さんに聞いたら 「それは給料日、もしくは集金日です」 なんて偉い人だろう。 私も仕事に給料日に一生懸命ガンバロウと思う。 2005年5月10日配信 |
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ご結婚おめでとう おしあわせに 5月5日。 原田知世さんが結婚した。 言葉もない。 はっきり言って私は原田知世さんのファンだった。 青春時代。その意味を教えてくれたのはすべて原田知世さんだった。 『時をかける少女』を観た後私は、近くの弓道場に行って原田知世さん似の女の子はいないものか探したものです。もちろん、そんな素敵な女の子は一人もおらず、三本の矢を平気でへし折りそうな女の人しかいませんでした。 『愛情物語』を通じて赤川次郎さんの小説の存在を知り、その本は古本屋で高く売れることを知って、友達から借りた赤川さんの本をそのまま古本屋に売るようになったのです。 人前で初めて唄った歌は「天国に一番近い島」でした。歌を唄うのには練習が必要だと痛感したものです。 『私をスキーに連れてって』のおかげで、スキーに行くことが流行ったとき、「あなたって雪国の生まれだからスキーは得意よね。ねェ教えて!」と女の子が私の周りに群がったものです。残念なことにスキー場でたいへんゆるやかな斜面を転がり落ちる私はちっとももてず、帰りの電車の中で「雪国生まれでスキーができない人って、ただの田舎者よね!」と責め続けられました。こんな口惜しい思いをしたのも原田知世さんのお陰です。 この世の中に「ゴーストライター」がいることを教えてくれたのも、知世さんのエッセー集でした。 ああ、原田知世さん。あなたは私の青春でした。 お相手のエドツワキさんという人は私より素敵な人なのでしょうか? エドさんが好きなら江戸噺をしている私でもいいじゃないですか? 私のイラストより、エドさんはいいイラストを描くんですか?(イラストレーターなんだからあなたよりまともな絵を描くのに決まってんじゃない。何泣いるの? バカじゃない。妻談) ああ、知世ちゃーん! 尾崎豊さん亡き後あなただけが心のよりどころだったのに! 私はしばらく立ち直れそうにない。 2005年5月5日配信 |
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一家でサイクリング! 5月1日。 一年で7番目に嫌いな「黄金週間」が来た。 一番は夏休み、二番が冬休み、三番が妻の誕生日、四番がサード長嶋と続く。 嫌いな理由は簡単だ。長女が学校に行かず家にて、二女が家にいて、妻がいつもとおり家にいて、私が仕事がなくて家にいるのである。 当然子ども達はどこかへ連れて行けとうるさい。 何年か前はただ「どこかへ連れて行って!」とか「楽しいとこ行こうよ!」とだだをこねるだけだったので、「お前の父親は大変忙しい」とか「北北東の方角に出かけると体の具合が悪くなる体質だから、その遊園地にはいけないのだよ」などと言ってごまかして済んだ。 ところが近ごろは彼女達に知恵がついてそんなことを言ってもまるで信じない。 「お父さんの言うことはすべてウソなのよ」と教え込む妻がいるからなおさら嘘が通じない。 「お父さんゴールデンウィークだし、天気もいいし、あなたも休みでどうせ一日寝て過ごすのですから私たち娘と一緒にどこかへ行ってもバチは当たらないと思いますが、その辺どうお考えですか?」と丁寧に聞かれるとむげに断るわけにもいかない。 「行きたいの山だけど、ヒコーキも電車もバスもあぶないからね、ニュースみたろ? だから出かけるのやめて安全に家でゴロゴロしてよう」と提案してみたが、なかなか諦めない。 自転車の大きな事件事故を探してみたが新聞に載っていなかったので、仕方ない。自転車で出かけることにした。 行き先は葛西臨海公園。我が家から土手伝いに一時間三十分の道程である。往復3時間。 で、今私は疲れきっている。筋肉痛で太ももが他人のようである。他人のようなのに痛みだけはしっかり自分のものである。だからこの時期が嫌いなのだ。 ああ、早くGWのない世の中がこないものか。それがダメならGW中に仕事が欲しい。 2005年5月1日配信 |