好二郎
動・静
 日々の思いをイラストを交えて淡々と綴ります 好二郎
この連載は、原則として、五・十日(ごとうび=5と10の日)に更新します  過去の動静一覧  表紙へ戻る
 
2005年8月、9月、10月

安全な乗り物

10月25日。

私の美点は、病弱な上に臆病なところにある。

何か乗り物に乗ると怖くてしょうがない。

飛行機は「おちたら助からないだろう、まず助からない」そう思っているから、半ばあきらめて落ち着いているが、それでも、離陸前の安全マニュアルビデオは喰い入るように見ている。そして、滑り台のようなもので脱出するときの姿勢を頭の中で練習する。

車もダメだ。友人にドライブに誘われてもなるべく理由をつけて(気分が悪くなるから、狭所恐怖症だから、車アレルギー、方角が悪い、宗教上の理由で、一身上の都合でなど)断るようにしている。仕事でどうしても乗らなければならないときは大変だ。運転手が一言も喋らないような目のすわった暗い人だと、「もしかすると我々を道連れに、どこかにぶつかるつもりじゃないだろうか」と心配になるし、陽気でおしゃべりな運転手さんだと「わかった! お前の話はどうでもいい。運転に集中しろ、黙れ、振り返るな、前を向け前!」と叫びたくなる。

エスカレーターに乗るときも私はベルトを離さない。地下鉄御茶ノ水駅の長いエスカレーターは、両手でつかまる。先日、そのエスカレーターをベルトにも触れず、上から勢いよく降りていくおじいさんを見たが、これ以上生きているのが嫌だと思っている人にしか見えなかった。

電車の中でも私はしっかりと鉄の棒かつり革につかまる。「つり革につかまっていたお陰で死なずに済んだ」なんて言う鉄道事故の被害者の談話を耳にしてから、ますます強くつかまるようになった。

だから私は滅多に座らない。端っこで鉄の棒につかまれるところでないと決して座らない。済まして真中に座るおばあちゃんなんか見ていると「端へよれ!」と言いたくなる。居眠りしているサラリーマンを見ると「手錠か何かで身を固定してから眠れ」、化粧している女性を見れば「やめろ! そんなことをしている場合じゅあない! どこかにしっかりとつかまっていろ! 事故があったらどうする! それが君の死化粧になるんだぞ! よせ!」そう叫びたくなる。

私が電車を降りたとき、さっきまで化粧をしていた若い女性が二人、スッと立ち上がって、今まで私が握っていた手すりに手が触れた。

「何これ、ちょっと、この手すり熱くない?」

「ウワッ マジ 熱ィ、キモイ」

うるせィ!

2005年10月29日配信
健康って体に悪そう

10月20日

親切なお客様に、「ルービックキューブの作り方」という資料をいただいたお陰で、6面完成に力を入れる妻は、ルービックキューブのかたわら私の健康にも力を入れ始めた。

「薬を飲まずに体を治す本」

「体力をつける食べ物」

「お金のかからない健康法」

などという本を借りてきては研究している。

まず、はじめに試したのは、「体を温める法」というもので、とにかく体を温めることに注目する。そこで出て来る食べ物が「ショウガ」「ニンニク」「たまねぎ」「にんじん」だ。

「ニンジンをまるごと2本、ジュースにして毎日飲むといいらしいわよ。飲んでみる?」

私は子どもの頃からニンジンが嫌いだ。

「それはいい考えだが、随分お金がかかりそうだね」

「そうかそれもそうね。いくらあなたが健康になってもお金がなくちゃ元も子もないもんね」

ニンジンジュースは飲まずにすんだ。

ニンニクは田舎から送ってもらったものが大量にあったので、これは毎朝お汁の中に入って出て来る。

たまねぎは少しさらしておいてサラダで食べる。

ショウガは紅茶に入れる。ショウガ紅茶はうまい。飲むと体が温まる。これは続けられそうだ。

ニンニクはすべてをニンニク味にする。

つらいのはタマネギサラダだ。食べると腹の底からカーッと熱くなる。体を温めると言うより、体を燃やす。犬じゃないが、これを食べるとのたうちまわる。これを少しでも和らげようと手元のカップに手を出すと、これがショウガ紅茶。ショウガ紅茶だけならうまいが、タマネギの後だと火に火薬を放り込むようだ。口から火を吹いてのた打ち回りそのうちグッタリとしている私を見て、「タマネギ食べると犬が死んじゃうって言うだけのことはあるねぇ」と妻。

「ねェ、ちょっと大丈夫? あら本当にのびちゃった。健康って体に悪そうね」

とても口惜しい。

2005年10月25日配信
過去の女の怨念か?

10月15日

私の体の不調は何のせいなのか。「お金不足による栄養失調」、「仕事不足による精神不調」、「お酒の飲みすぎによる変ロ長調」など、様々な説が流れたが、どれも決定打に欠けていた。

原因が特定できず長く患っているとこから、「過去の女の怨念」か「未来の女の予兆か」とも考えられるが、同じ女なら「現在の妻の生霊」が最も有力な原因物質に当たる。

また、私はアレルギー体質で、ハウスダスト、ダニ、ノミ、ツマなどに反応してしまう。そのため年中鼻がつまり、頭痛がして体がだるいのではと考えた。

「体が資本なのだから病院でみてもらったほうがよい」、「どうせ悪性のもので治らないなら、早めに見つけて余生を有意義に暮らしたほうが良い」、「あまり人々の役に立ったことがないのだから、先生方のためにモルモットと化したほうがよい」など暖かい助言を受けて病院に行ってみた。

雑誌のモデルなみにたくさんのレントゲン写真を撮られ、血を抜かれ、鼻の穴を広げられ、背骨を押され、腰痛が悪化するほど、待たされた結果、私の体は「異常なし!」だった。

強いて言えば、「鼻の骨が曲がっている」くらいで、微熱が続いたり、肺や背中が痛いのは、なぜなのか、先生方にもわからないそうだ。

やる気なさ、熱、汗、などから「若年性更年期障害よ!」と妻は言うのだが(若年性更年期障害って何ですか?知っている人教えて下さい)、そう言う目が笑っている。妻は私の体調不良の原因の一つに自分が入っていることを自覚していない。

誰か気付かせてください。

2005年10月23日配信
もう弱っていられない

10月10日。

 体がグズグズに弱っている間に、「鹿鳴館」、「会津落語会」、「えんじぇる亭」その他、バタバタと仕事があって、弱ったまま活動を続けた。

「鹿鳴館」には相変わらずたくさんのお客様にご来場いただき、ありがたい限りだ。熱で頭がボーっとしていただけに無駄なセリフが少なくて、かえって噺がまとまりよく進んだ。来てくれたたまちゃんにも「会場のトイレがきれいだった」と評価が高かった。

翌、『会津落語会』は、会津若松に木久蔵師、小遊三師を迎えて盛大に開かれた。両師匠の人気はもちろんだが、後援会はじめ応援して下さった皆さん、主催のFM会津さんのお陰で大成功を収めた。小遊三師は周りに気を配り、私を立ててくださり、それが実にスマートで「カッコイイなあ」と改めて尊敬した。木久蔵師は、まとわりつく私の母を嫌がりもせず相手をしてくれて、高座では私のために三本締めまでしてくださって、本当にありがたかった。終わってからお手伝いいただいた皆さんと呑んで楽しい一夜を過ごした。お花をいただいたり励ましの手紙をいただいたり、なつかしい同級生と会えたりして、毎度会津はいい思いばかりだ。私の落語がピリっとしていれば言うことはなかったろう。

後日の「えんじぇる亭」。8回も続く珍しい自宅寄席だが、体の調子が悪かったせいか、調子のいいときと同じくらいの噺のできで、”打ち上げ”あたりから笑いがとれるようになり、2次会では爆笑の素晴らしい会になった。次回は最初から爆笑になるよう努力しよう。

こうしてみると、私の周辺の人達は皆私のために頑張ってくださっているのに、私ひとりが弱っている。こんなことでは旧姓チョゴリさんじゃないが、飽きられてしまう。

私の体がなぜ不調なのか、その原因がうすうす分かりつつある。これを早めに解決して元気になろう! もう弱っていられない。

2005年10月16日配信
病院に行ってきた

10月5日

背中の痛みがひどい。

もう2ヵ月も微熱と背中の痛みが続いている。

で、とうとう病院に行ってきた。

口の中を見て、「わぁ! 真っ赤。すごーい」と感動の声をあげた女医さんは「のどが真っ赤になっている。素敵な男性だが、のどは弱いらしい」というようなことをカルテに書き込んだ。

胸に聴診器を当てた女医さんは「どこか痛いところは?」

「肺と背中がとても痛いです」

「では大きく息を吸って」と言ったきり、「吐いて」と言わないので苦しかった。

「背中はどこが苦しいの?」

と聞かれたので、「このあたりです」と固い体を無理やりねじまげて説明したが、女医さんは何の反応も示さない。

と、しばらくして「どのあたりが痛むんでしたっけ?」。

「ここです」

また、無理に腕を回して説明する。

何度かこれを繰り返しているうちにストレッチ体操のようになって、腕がよく回るようになる。お陰で指をさす背中の位置が毎回違ってくる。しまいに女医さんは「んー、随分広い範囲で痛みがあるんですね」と私の背中を眺めていた。

結局、熱からくる痛みだろうということで、何種類かの薬をもらって、現在私は床の中にいる。薬が効いたと見えて、より体の具合が悪くなったように感じる。なぜ、こんなに弱い体になったのか。

ああいやだ。
2005年10月6日配信
体力強化月間はじまる

9月30日

ここ2ヵ月ばかり風邪をひいている。微熱が続き、節々が痛い。仕事のない日が最も痛む。従って今月は痛い日がずいぶんあった。

妻からは、家の中の仕事(男手の必要な重い荷物を運ぶ、本棚を作る、ドアの修理などを含むすべての家事)をやりたくないから、仮病を使っているのではないかと疑われている。

もちろん仮病ではないのだが、確かに仕事のない日に病気が重くなるというのは、妻でなくても疑いたくなるだろう。

でも、本当にそうなのだ。仕事がないと思うと緊張感のなさから動けなくなる。

で、仕事のある日はなんとなく調子が上がってくるのだが、高座で変な汗をかく。

落語で間違ったために出る汗でもなく、大勢のお客様の前での経済的に悩む汗でもない。

ある一定の時間になると噴出す汗である。どうもいけない。年々弱っているのを実感する。

よし、10月は「好二郎体力増加キャンペーン」ということで体を鍛えよう。こんな鍛え方が短期間で丈夫になる、体力が出る、あるいは長続きする、この食べ物で私は丈夫になったなど、おすすめのものがあれば、皆様教えてください。

では、これ以上体力を失ってはいけないので、この辺で。

2005年10月5日配信
だれか法則を教えて
好二郎の妻を止めて



9月20日。

我が家では今、ルービックキューブが大流行している。

と、この言い方は正確ではない。正しく言えば、

私と妻の間では今、ルービックキューブが大流行している。

子どものおもちゃ箱に入っていたルービックキューブ(長い名前なので以後さゆりちゃんと呼ぶ)を妻が何気なく手にして、ガチャガチャと2度まわしたのがいけなかった。

「それ、何だっけ?」

「さゆりちゃん」

「なつかしいねえ。俺、あんまりやらなかったけど、周りはみんなやってたな」

「あたしもやったわよ。さゆりちゃん」

「うまい奴いたけど、俺なんか3面もできなかったよ」

「あら、私6面できたわよ」

妻は過去の出来事で証拠がない時に常に自分を褒める人間である。私のような謙虚さがない。

「へえ、じゃあやってごらんよ。6面」

この私の言い方がしゃくにさわったらしい。

私としては「わ、できるんだすごいな、人間だれでもひとつくらいは得意なものがあるんだ。是非6面そろった美しいさゆりちゃんが見たいからやってみてよ」という気持ちで言ったのだが、彼女には「へ、またウソつきやがって、やれるもんならやってみさらせ!」と聞こえたらしい。

彼女はその場に立ち尽くしたまま、掃除も忘れ、洗濯も忘れ、食事を作るのも忘れ、ひたすらさゆりちゃんを回しつづけた。

その真剣な姿は、「ハハ、やっぱり出来ないじゃないか」などと言えない、殺気漂うもので、正直怖い。

その日は、私と子どもが泣きながら止めに入ったので収まったが、翌日から妻は朝昼晩と誰かに止められるまで、火の吹くほどさゆりちゃんを回しつづけている。もう少しで出来そうだというところで力尽きて寝るというのが近ごろの妻だ。

私はというと、そのもう少しでできそうなさゆりちゃんを完成させてやろうと手をつけてメチャクチャにする毎日だ。

妻が「何かの法則があったはずだわ」とさゆりちゃん完成の法則を思い出そうと必死だ。

「でもさ、そんな法則わかっちゃったら面白くないだろ」

「それはそうね。学校にもいたもんね。法則覚えてすごくつまらなそうにやってる子」

「いたな。でも他に遊ぶこともないから一人でずっとやっていたんだよ」

「管理者くんなんてそんなタイプね」

「うん、彼はさゆりちゃん6面作るのを生き甲斐にしていた小学生だったに違いない」

「でも、管理者くん、顔のわりに若いからさゆりちゃん知らないんじゃない」

「そうか、じゃあさゆりちゃんなしで淋しい小学校時代を過ごしていたんだろうな」

「そうね」

そんな話をしながら妻のさゆりちゃんを回す手は休まない。我が家のさゆりちゃんブームはまだ終わりそうにない。

2005年9月25日配信

眠り男・好二郎

9月15日

家族会議で、「夏の暑さに最も弱い種類の動物」に指定された私にとって秋の訪れ大変待ち遠しかった。

なにせ、北側の一番涼しい部屋の一番冷たい壁に裸で半日張り付いているくらいの暑がりのくせにクーラーに適応できないのだからいけない(電車内のクーラーの場合、日暮里→秋葉原で風邪をひく。従って時間のあるときは、日暮里→上野下車、体を温め、上野→秋葉原のコースを取る)

それがいつの間にか秋の気配である。

一日のほとんどを「暑い、たすけてくれー」と叫びながら家中のたうちまわって無駄に過ごしていたのだが、こころ静かに寝て過ごせるようになった。

夏の間は寝ていても嫌だった。汗はかくし、蝉の声はうるさいし、1時間に一度は必ず目がさめたものだ。

それが、秋はいい。汗はかかないし、鈴虫などの声がうるさいだけだ。

私と同じで夏の間活動を控えていた暴走族風のお兄ちゃんたちが活発に動きだしたので、午前3時頃までは良く眠れないが、昼間ずっと寝ている私は関係ない。

とにかく秋はいい。気が付くと声をかけられても気付かないくらい寝ている。

居間で寝てよし、ふとんで寝てよし、電車、ベンチ、芝、道端、高座、どこで寝ていても気持ちがいい。

先日の最新家族会議で、私は「秋、最もよく、どこでも眠る種類の動物」に指定された。

2005年9月20日配信

同級生の落語に緊張する観客
まるで我が子を見るよう


9月10日

先日、またまた会津に帰った。今回は高校の同級生M村君が勤める会社の講演会で落語を、翌日は学生寮時代の先輩M澤さんの手配で、ラーメンで有名な喜多方の中学校で落語をするという大変効率のいい充実した2日間を過ごしてきた。

それにしても同級生というのは不思議なものだ。M村くんの会社の講演会に「俺ケンジの噺きいだごどねェがら、一回きいてみんべ(私はケンジ君の落語を聞いたことがないので一度聴いてみたいものです)」

「んだな、俺も行ってみんべ(そうですね、私も伺いましょう)

「んだ(そうですね。じゃみんなで行ってケンジ君の噺を聴いてきましょう)」

と、M村君の会社とは何も関係ないのに、自分の会社を早退したり、休んだりして聴きにきてくれた。

中にはM村君の会社のライバル関係にある会社の方まできてくれた。

同級生がいると何ともやりにくい、気恥ずかしいものだが、それは彼らも同じだったようで、私以上に緊張して聞いていた。まるで親のようである。本当にありがたいものだ。

ありがたいと言えば、翌日のM澤先輩。私ごときのために、マネージャーのように動き回って、綿以上に頭を下げて宣伝していただいた。ありがとうございました。

では、会津の皆様、10月7日、会津落語会でお会いしましょう!

2005年9月16日配信
私の知人の問題児らを紹介しよう

9月5日。

私の知人の中には、問題児が何人かいるが、小田原に住むN君と、板橋区に住むたまちゃんの2人はすごい。

N君は先日我が家に電話をかけてきて「お前は噺家のくせに世間を知らなすぎる」と言ってきた。今の世の中「萌え」のお客様を味方にしないといけない、という。

「萌え」とは何か、ときいたら、「猫耳とシッポ」「メイド」「スクール水着」など、怪しげな単語を交えて一生懸命説明している。

「ああ、要するにお前みたいなオタクのことだね」と言うと、「バカ!私はオタクではないだニャン」と反論する。彼はわかりやすく言うと悪魔の力を持って悪魔と戦うデビルマンみたいな男で、オタクと同じ思考を持ってオタクを嫌うのである。

「でもな、あいつらを味方にしないとこれからは落語家もダメだ。まず、出囃子をカンダムのテーマに変えろ。猫耳をつけてスクール水着で落語をするんだ。そうすればお前の落語会は”萌え”でいっぱいになる。がんばれ!」

N君、そんな落語会、私は絶対いやだ。

たまちゃんは、このHPで時々カキコミしてくださる花菊さんの友人である(本当に仲がいいのかは不明)。

立川談修兄さんの落語会に呼ばれて出演させていただいた時、このたまちゃんと花菊さんも見にきてくれた。

で、常に目に付いたものを攻撃する習性を持つたまちゃんと、草食動物系の談修兄さんと、この2人を会わせたら面白いだろうなあと思って実際に会わせたら予想以上におかしかった。

「その顔、ビミョーですよね」「なぐっていいですか」という初対面とは思えないあいさつにはじまって、「気持ち悪い」「あなただけとは好きなイタリアも行きたくない」などなど、たまちゃんの口撃(それでも、花菊さんによると、初対面の芸人さんなのでだいぶ遠慮して話をしていたらしい)に、打たれ弱い談修兄さんは中ば椅子から落ちてぐったりしていた。

たまちゃん、芸人いじめも、ほどほどにね。談修兄さん、本当に申し訳ありませんでした。たまちゃんに負けず、私たちも頑張りましょう。

私の知人には問題児が多い、これからも少しずつ紹介していこう。

2005年9月11日配信
僕はこのままでいいのだろうか

8月31日。

夏が、終わる。

30日、笹塚で独演会「座布団の真ン中」を開催し、この夏を自分なりに振り返った。

今年の夏も準備不足と宣伝不足、それに台風や雨降り、快晴、曇天などの天候不順、地震や雷などによる交通機関のマヒ、ケイレン、シビレ、アカギレなど様々なマイナス要素があったにもかかわらず、お客様にはよく足を運んでいただいた。

これまで「30の手習い」として勉強会を続けてきたが、「座布団の真ン中」も年に何度かはやって欲しい、というお客様の声はまったく聞こえてこなかったが、せっかくだから(プログラムに思わず“No.1”と書いてしまった)第2回、3回と無理やり開催することに決めた。

夏の終わりは何か祭りの後のような、なんとも言えない淋しさがある。

僕はこのままでいいのだろうか。などと真剣に悩む時期でもある。

そうして、「そうだ、このままじゃいけない。もっとお客様がたくさん集まるような楽しい落語をしよう!」そう決心するのである。

夏が、終わる。そして、もうすぐ「このままの自分でもいいか」と開き直りたくなる秋になる。 困った。

2005年9月2日配信
嵐の中、お運びありがとうございます

8月26日。

昨日「30の手習い」が嵐の中決行された。

「私が行かなかったら、ただでさえ少ない好二郎の落語会、この嵐の日は一人も来なくなる。そうだ。私が行かなくちゃ、私が好二郎を助けよう!」

そう考えた心優しいお客様が集まって、なんとか会は開催された。

本当に皆様ありがとうございました。

お帰りの際、風雨で怪我などなさいませんでしたでしょうか。それだけが心配でございました。

なるべく次回からは情報を集め(気象庁へお勤めのお客様、よく顔を洗う猫、なまず、などの方々に相談し)、台風、地震、雪崩などを避けて貝を開くつもりである。

ただ、すっきりと晴れた日よりも、お客様の入りが今回よかったのは気になるところである。

ともあれ、風雨の激しいなか本当にありがとうございました。

2005年8月27日配信
弱った私を見に
是非おこしください



8月20日

暑い。

こういう暑さが続くと、たいていの人はやる気をなくしたり、外へ出るのを億劫がったりするものだが、私はまるで動けなくなる。手足は硬直し、血の気が無くなり、思考が停止する。少しでも涼しいところへ移動しようという気さえなくなる。じっと暑さに耐える姿は「まるでセミの抜け殻のようだ」とよく褒められる。

こんなことでは、8月25日の「30の手習い」が無事開催されるかどうか心配だ、という人がいる。私も心配だ。噺をおぼえられるのか、また、それをちゃんとできるのか? お客様以上に私は心配している。

前回はお客様の数が少なくて淋しい思いをしたが、今回はお客様が少ない上に本人が来ない、ということにならないか、とても心配である。

でも、人間、「もうダメだ!」となった時、予想外の力を発揮することがある。(もちろんやっぱりダメだったということもある)いずれにしても、弱った私を見るのも面白いだろう。是非遊びにきてもらいたい。

そして私の噺がメロメロになった時のために、お客様一人ひとりがいつ高座にあがってもよい状態にしておこう。

今回の「30の手習い」頑張るのは、お客様だ。
2005年8月22日配信
合唱がいい!

8月15日

エストニアから世界的に有名な少女合唱団「エレルヘイン少女合唱団」が来日公演するというので、家族そろって観にいった。

といっても、私がもともとエレルヘイン少女合唱団に詳しかったとか、妻が実はエストニアから亡命してきたとかいうのではなく、我が長女が区の合唱団に入っていて「エレルヘイン〜」と共演することになったから足を運んだに過ぎない。

ところが、行ってみたら楽しかった。少女合唱団とは言え、チケット代が3000円、4000円するのに、客席がいっぱいになるだけのことはある。

1500円のチケット代で空席でいっぱいになる私とは大違いである。

歌唱力はもちろんだが、演出や楽しげなその雰囲気がいい。会場は最初から最後まで大いに盛り上がった。

彼女達と私との決定的な違いは、人種、性別、年齢など決定的過ぎるものも数多くあるが、「自信」というものがまったく異次元のものがあった。

堂々としていてそれだけでもすがすがしい。

私のように客と目があうと、愛想笑いをぎこちなく浮かべて「落語、間違えるかもしれませんけど、許してね」などと目で訴えない。たいしたものである。見習おう。

とにかく、合唱はなかなかいいものだ。皆様も是非暇なときには聞きに行ってはいかがでしょう。私の落語に唄が入るようになったら、それは「エレルへイン〜」の影響である。

2005年8月15日配信
またにっぽん丸に乗りたいなあ

8月10日

にっぽん丸は予想以上に素晴らしい船だった。私はせっかくだからこの一週間の体験を一冊の本にまとめようとは思わない。
なぜなら一冊分のネタには困らないが、そんな文章力がないからだ。

それより酒の肴に誰かれとなく喋っている方が性にあっている。これから私と会う人は、「ねェ、にっぽん丸って船に乗ったんだけどさあ」という私の話を無理やり聞かされることになるだろう。

ところで、船の中の出来事はともかくスタッフの皆さんは本当にいい人達ばかりだった。船の中という狭い世界の中で、しかもお客様と生活をともにしながら、仕事をするのだから、いい加減な気持ちでは務まらない。お客様に誠心誠意尽くす姿は頭が下がる思いだ。

同室のダンサー堀川さんは長身の美男子で見るからにプレイボーイだが、その実、女性に関して理想の高いシャイな青年で、話をしていて飽きなかった。他にもクラリネット奏者の花岡さんはじめバンドのメンバーや、やはりダンサーの須山夫妻など、いい人ばかりに囲まれてとても楽しい一週間だった。

噺家仲間もいいが、たまには別の世界の人達とふれあうのも新鮮でいい。

それに一週間堂々と、うしろめたさもなく、追ってこられる心配もなく、妻と離れて暮らしたのもよかった。

妻より素敵な人がたくさんいることもわかったし、妻より恐ろしい人がいないこともわかった。

マ、色々な発見があったいい日々でした。お世話になった皆様、本当にありがとうございました。

また、にっぽん丸に乗りたいなあ。

2005年8月12日配信
にっぽん丸を満喫

私は8月2日〜7日まで、「にっぽん丸」という船に乗ることになった。

私のような素晴らしい人材が陸を少しでも離れるというのは日本国民にとって大変不安なことであろうが、大丈夫。

にっぽん丸は歴史のある豪華な客船だ。この船の中で私は毎日デッキにたたずみ、ダンスを踊り、食事を楽しみ、各界の一流人と機知に富んだ会話をするというわけにはいかない。

やっぱり落語をするのだ。

さて、どうなることか。

後日報告します。

2005年8月5日配信

2005年5月・6月・7月 過去の動静一覧