好二郎
動・静
 日々の思いをイラストを交えて淡々と綴ります 好二郎
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2005年11月・12月、06年1月

「人の心はお金で買える」改め
「人の心はお金で変える」


1月25日。

堀江社長が逮捕された。

前回、このHPで「ガンバレ、ホリエモン、逃げろ、ホリエモン」と訴えた私に対し、「ふざけるな」とか「犯罪者の見方をする気か」などとお叱りを受けるかと思ったが、幸い怒られることもなく、逆に多くの人に無視された。

そこで、もう一度言う。

「ガンバレ! ホリエモン、ミカエセ! ホリエモン」。

つかまってしまったのだから逃げることはできないだろう。とすれば、あとは「復活劇」しかない。

彼はまだ33歳だ。

たった33歳で世界一を本気で目指し、時代の寵児となり、テレビにも出て、うまいものを食べ、美人と付き合い、証券取引法違反までできたのだ。

復活できないはずがない。

36年生きてきて、時代の孤児になりつつある私とは違う。

ただ、同商売では復活は難しいだろう。政治家の先生ならともかく、商売人は信用が第一だから、それを失った場所に返り咲くのは困難だと思われる。

そういう意味で昨年の衆院選落選は痛かった。政治家になっていれば「政治家なら多少のウソは仕方がない」と許されたかもしれなかったのだ。

すぎたことは仕方がない。

では、どこに返り咲くか。テレビは無理だ。どうしようもない人間を見世物小屋の興行師的に取り上げるのが上手いテレビでは、ホリエモンを使うのは気が引けるだろう。第一、もっとも興行師的なフジテレビが出演を拒むに違いない。一年前に脅かされた恨みを忘れてはいない。

ならば、雑誌の仕事をしてはどうか。各雑誌社はホリエモンにはお世話になったのだから、雇ってあげてもバチは当たるまい。しかし、雑誌社で雑用して働いても復活したことにはならない。

となると、やはり寄席芸人か。色物、ホリエモン。

確かにインパクトはある。下手な漫才師よりいいし、上手な落語家より受けるかもしれない。

マジシャンとして活躍してもいい仕事ができそうだ。お客様から1万円札を借りて「この一万円札を何十倍にもしてみせますので、四日くらいお時間をいただけますか?」なんて言えばバカ受けだ。

三平師匠風に漫談落語をやってもいい。

「もうォ〜ホントたいへんなんですから、あのォ〜お金大事にしてくださいよ、ホントにー」

こんなこと言われたら私は涙を流して笑う。

・・・・・・長くは持たないなあ。

仕方がない。

堀江さん、世間は冷たく、あっという間にあなたを攻める側に回った。

私だけです。あなたの味方は。私のマネージャーになってください。

マネージャーになって、私が今もっている8000円と貯金してある4万1200円、あわせて4万9200円を思う存分増やしてください。二人で天下を取りましょう。

「人の心はお金で買える」改め「人の心はお金で変える」

これを合言葉にガンバリましょう。

2006年1月27日配信
ホリエモンを葬るな
逃げろ! 逃げるんだ!


1月20日。

ホリエモンこと、ライブドアの堀江さんが窮地に追い込まれているらしい。

新聞や雑誌、テレビなどは、「堀江の功罪」だとか「ホリエモンが残したもの」「堀江後のネットバブル」「ホリエモンがムイチモンに」などなど、すでに彼を過去の人として扱い始めた。

どうやら大変なことらしい。会社の規模から言えば日本を代表すような大企業と比べてたいしたことはないのだろうが、「ぼくだって株主になれる」「あたしもこう見えて株主だぴょ―ん」といういわゆる”お手軽株主”と言われた人たちはショックだったろう。びっくりしたにちがいない。

しかし、ホリエモンを支えてきた個人株主はホリエモンを見捨てないでほしい。「日本経済の革命児」ともてはやされた彼を、ちょっと悪いことをしたからと言って、見放してはだめだ。

例えば、最悪「堀江社長逮捕、会社売却、あるいは倒産」ということになったとする。

これまで錬金術を駆使して蓄えた何億という現金をもって、ひたすら逃げる。

ここから逃げるホリエモン対執拗に追う警察、そしてそれをマスコミが伝えるという形で新たなワイドショードラマが始まるのだ。

映画「逃亡者」のような、応援したくなるようなカッコイイ男も警察側から出ると面白い。美しい女性の刑事だったらさらに盛り上がる。

この時、個人株主だった人はボンヤリしていてはいけない。あなた方が逃亡をそれとなく手伝うのだ。ネットワークを生かして警察の捜査を混乱させ、女性刑事のスキャンダルを流し(なければ捏造し)、ホリエモンを見かけたら一日ぐらい泊めてやり、逃走を手助けするのだ。

1、2ヶ月ではいけない。半年、1年は続けてもらいたい。日本中をくまなく廻って逃げる。そのたびにカメラは追うから彼が来るとその土地が有名になる。寅さんみたいだ。

最後は沖縄あたりで、例の女性刑事と恋に落ちたりするとドラマとして完璧である。これが評判になれば3ヶ月くらい沖縄で休んでもらって、ホリエモンと組織を裏切った美人刑事が世界を舞台に逃走を繰り広げるという新たなドラマに発展させればいい。

とっても面白いドラマになるぞ。なにせドキュメントなのだから。

とにかく現代という”雰囲気”が作り上げた人物なのだから、我々は彼をすぐに葬ってはいけない。子どもたちのヒーローにもなりつつあった彼を、過去の人にしてはいけない。

逃げろ!ホリエモン!ガンバレ!ホリエモン!

2006年1月27日配信
その瞬間、突風が!

1月15日。

ここのところ、変な天気が続いている。世界的におかしい。日本も四季から二季に変わってしまったようで、体の水分がすべて蒸発しそうな暑さから急に体内の血液が凍りつきそうな寒い季節になってしまった。これではどんなにやる気のある人間でも、一生懸命に働くのが嫌になるだろう。まして私のように、他の人から比べると、やる気、体力、財力の面ですこぶる劣る人間は、ごはんを食べて、むずかしくない推理小説を読んで、お酒を飲んで、コタツの中でジャズを聴く以外、何もできなくなる。

そんな私に先日、両国寄席代演の話が来た。出演を予定していた鳳志くんという人が休演するので、その代わりである。

鳳志くんという人は、若い女の子のファンがたくさんいて、毎年バレンタインデーにはチョコレート、米、花束などがいっぱい送られてくるような人物ではないが、将来性のある人なので、恩を売っておくのも悪くないと、代演を引き受けた。

が、当日の天候は最悪で、激しい雨と強い風、まさに冬の嵐だった。

着物姿の私は、着物用のブカブカのコートと大きめの袴をはいて雨対策をしたのだが、それがいけなかった。

傘が折れ曲がるほどの、強風が時々吹きつけ、なかなか歩けない。ようやく両国の駅につくと、高所で吹きさらしのホームはさらに風が強い。電車を待つ他の客が皆自動販売機の陰などに隠れているのに、私は、不用意にもホームの真ん中に立っていた。そこへ、今まで以上の突風が。

ブカブカのコートと大きな袴はここぞとばかりに風をうけ、帆船のように見事にバッと開いた。

滑りやすい下駄だったのも悪かった。

後ろからもろに風をくらった私はその勢いで前へスーっと飛ばされた。

ホームを、上がらない奴凧みたいになって滑っていく様はだらしない。柱に必死でしがみつくと、自動販売機の陰からこの様子を見ていた女子高生3人組がさもばかにした笑みを浮かべて「ムササビみたい・・・・・・」

私は女子高生3人組が乗った電車を見送って。次の電車に乗り込んだ。

とても恥ずかしい一日だった。
2006年1月15日配信
春は豊島園でビュー

1月10日。

もうすぐ私の誕生日である。そこで、私に何か誕生日プレゼントを買いたいと言い出した。さすがに私の娘たちである。私からものを取ったり、かすめたり、うばったりすることしか考えない妻とは大違いだ。

マア、何を買うと言ってもこれと言って欲しいものがないので、仕事で使う半えりを買ってもらうことにして、冬休みの最後の日、だから浅草に行こうということになった。

キリッとした寒さながら、晴天だったので大変な人出だった。浅草寺にお参りした時など、遠くから賽銭を放り投げて手を合わせると、すぐに人の波に追い出されてしまった。妻と娘たちなど賽銭を投げたとたん列から押し出されて、手を合わせる間もなかった。

で、そのまま浅草寺付近を歩き、ついでだからと花やしき遊園地に入った。

遊園地というと普通の子どもより大変身長の低いわが娘たちは、身長制限にひっかかって面白そうな乗り物に乗れずに、幼稚園児が乗るようなおばあさんより遅い汽車などにまたがって、かえって不機嫌になることが多かったのだが、今回はうれしいことにほとんどの身長制限にひっかからずに済んだ。

そこで今までだめだったジェットコースターなどに娘二人で乗りこんだのだが、そのうるさいのなんの。乗る前に並んでいるときは「ドキドキするね!」「楽しそうだね!」などと大きな声でしゃべりながら目を輝かせ、乗っているときは「ギャー」「キぃー」「ホヘー」と叫び続け、降りてからは「楽しかったァ!」「最高だったね!」と涙声で感想を発表する。

まるで、花やしきの回し者ではないかと思うくらいである。花やしきでこれだと、ほかの遊園地はどうなるのだろう。春休みは、豊島園でビューしようと思っている。

2006年1月15日配信。
 今年も驚きの落語会が

 私の師匠の好楽は人を集めるのが大好きである。そして”行事”が好きな方でもある。したがって、正月に人を集めようと思ったのは当たり前の話で、正月2日、3日と日本橋亭で「好楽、王楽 夢の初席」を開いて大勢の出演者に集まってもらい、また、お客様に来ていただいた。なにせ、歌丸師匠、木久蔵師匠、小遊三師匠、楽太郎師匠という笑点メンバーはもちろんのこと、小朝師匠、志の輔師匠、正蔵師匠などなど、まさに”夢の”メンバーが出演したのだからお客様は大喜び。私もうれしくて仕方がなかった。しかも、3日の大トリに、円楽師匠が登場。会場は大いに盛り上がった。
 
 それにしてもこれだけ忙しい師匠方に「来てね」と気軽に声をかける好楽はわが師匠ながらすばらしい。
 
「次は何やろうか」と早くも何か頭のなかで考えているようだから、今年も驚きの落語会が開かれそうだ。どうぞ皆様楽しみにしていてください。
2006年1月9日配信
ハムスターの
ちゅうちゃん
がやってきた


12月30日。

今年1年応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。おかげで大きな病気をすることもなく(小さな病気は数多くこなしました)、貧乏でどうしようもないという状態から抜け出し(多少の貧乏ではおどろかなくなりました)、落語の内容も大変濃くなりました(高座数が少ないのでどうしても濃くなるのです)

年末はのんびりと過ごせるようにとスケジュールを調整した結果(仕事のオファーがないのをじっとガマンするという調整法をとった)、見事にのんびりできるようになりました。

ところが、ここに一つの誤算が生じたのです。

目の中に入ったらさぞかし痛いであろうと思われる娘たちが、学校で飼育していたハムスターの「ちゅうちゃん」なるものを我が家に連れてきたのです。

この生き物は夜行性だそうで、昼間は新聞紙やティッシュペーパーのくずの中で寝ているだけで面白くありません。そのくせ、夜になり、電気を消したとたんに、滑車でぐるぐる回るのです。

シンとした真っ暗い部屋に、ガラガラという音が響き渡ります。

ガラガラガラ・・・・・・・・・。

うるさいです。

どんな風に回っているのかとふとんから出て立ち上がると、ピタッと止まります。

ガラガラガラ、ピタッ。

静かになったので再び床に入ると、ガラガラ・・・・・・。私が立ち上がると、ピタッ。

ガラガラガラ・・・・・・・・・、ピタッ。ガラガラガラ・・・・・・・・・、ピタッ。ガラガラガラ・・・・・・・・、ピタッ。

うるさいよちゅうちゃん。

ガラガラガラ、・・・・・・・・ピタッ。ガラガラガラ、ピタッ。

ああ、うるさい!

今年はのんびり年末が過ごせない。ああ、うるさい!

2005年12月31日配信
さようならクリスマス!

12月25日。

年々、クリスマスという行事が私から離れていく。まるでワクワクしない。特に今年は年賀状を慌てて書いていたため、ちっとも面白くなかった。

毎年、年賀状書きには頭を悩ませられる。図柄は何がいいか。どんな文句を書くか。

例年、図柄をまず40種類ほど描き、その中から自分の気に入ったものを20種類、約半分ほど選び、その中からさらにこれはというものを5つ取り出し、子どもたちと相談した上でひとつに絞り、妻が出てきて最期に没になったものから「これでいいわよ」って言って、それに決まるのだが、今年はその面倒な作業を省いて、ひとつしか図柄を描かず、それに決めてしまった。

いつもはさんざん悩んで結局ろくな年賀状ができないのだが、今年は一発勝負に出たのが裏目に出て、ひどい年賀状になってしまった。

大事なクリスマスの一日を、下手な年賀状書きに費やした私は、「どうか年賀状を出す習慣がなくなりますように」と祈らずにはいられなかった。

おそらくあと2年、3年と経つうちに「クリスマスの行事がなくなりますように」と祈るようになるだろう。

ああ、あの ときめきのクリスマスは何だったんだろう?! さようならクリスマス!

2005年12月29日配信
正に一瞬私は死んだ。

12月20日

12月18日。私はとても恥ずかしい思いをした。

この日、私は「大和田落語会」で軽やかに落語を語り、ご一緒させていただいた全楽師匠と楽しく帰る予定だった。

が。

開演1時間半前についた私は大和田の駅で2、30分時間をつぶし、ころあいを見て会場に向かった。

ところが、その会場が見つからない。どこを探しても、ない。不安になった私は、会場に連絡「線路のところちば銀の通り沿い」と言われ探したが、ない。線路はあるが、ちば銀がないのである。あるのはさいたま信金だ。おかしいな、とおもいながらさまよい歩いていると、全楽師匠からケイタイに電話が。

「お前、どこにいるの? まさか埼玉にいるんじゃねーだろうね」

「はい、埼玉ですよ」

「ですよって? マジ?」

「はい」

「本当に?」

「ええ」

「大和田ってお前、埼玉じゃなくて、千葉の、京成大和田だよ」

これを聞いたときに私の心境はちょっと言葉にできない。

冷たいかぜが頭の中をヒューっとただ通り過ぎる。目の前が真っ白になる。手にした荷物がその場へドサッと落ちる。正に一瞬私は死んだ。

「とにかくつないでいるからコイ」という全楽師匠の言葉でハッと生き返り、あとは駅まで走った。

その後、どこをどう通って京成大和田まで行ったかよく覚えていない。電車がこれほどまでに遅い乗り物だとは思わなかった。時計の針がやたらと早く進む。到着した時には、開演からすでに1時間半が過ぎていた。

その間、全楽師匠一人でずっとつないでいてくれたのだ。

申し訳ございません。

それからすぐに高座へあがったが、もう何を話しているのかまるっきりわからない。

本当にお客様、申し訳ありませんでした。また、大和田落語会の皆様、席亭、申し訳ありませんでした。全楽師匠、重ねてお詫び申し上げます。

ああ、どうにも恥ずかしい。今年一年、とても恥ずかしいしめくくりでした。皆様も大和田に行かれるときにはお気をつけてくださいませ。

2005年12月29日配信
想いを伝えられない人と
相手の気持ちがわからない人と


12月15日。

姉歯さんの証人喚問がテレビで中継されていた。

見てみるとハキハキと質問に答える様子は、彼が偽装した本人でなければ、とても好感のもてる態度だった。淡々と事実を語ろうとしていたし、怒声をあげるでもなく、私の妻などより、よっぽど素敵だった。重ねて言うが、これが当の本人でなければ、だ。

夕方のニュースであるアナウンサーは「その語り口からは、反省の色はまったく見えませんでした」と言っていたが、確かに、あの話し方では反省の気持ちは多くの人に伝わらなかったであろう。

私が想像するに、姉歯さんは相当反省もし、悩みもし、頭が真っ白になるほど、精神的に追い詰められているはずだ。

しかし、彼はそれを表現する力がなかった。

自分の反省している気持ちをその分量を半分も伝えられていない。そして、それは社会においては反省していないのと等しい扱いを受ける。

私の周りにもそんな人はたくさんいるし、これからもそんな人はどんどん出てくるだろう。

いや、私自身、自分の想いを充分伝えているのか疑問だ。

ケーキを食べて「おいしいかも」という娘や、殴られて痛いとも何とも言わずに無表情に仕返しをする近所の子どもたちを見て、姉歯さん予備軍がたくさんいるだろうと確信する。

自分の思いを伝えられない人と相手の気持ちがわからない人が増えるだろう未来の世の中を思うとゾッとする。

建物は丈夫でも住み心地はよくなりそうにない。

2005年12月18日配信
お久しぶりです

12月10日

お久しぶりです。

12月5日分の原稿を出し忘れました。申し訳ありません。

出し忘れたのには訳がる。師走というくらいで忙しかったからではない。飲んでだらだらしていたからだ。

お久しぶりです、と言えば、12月に入ってから”お久しぶり”続きだった。生まれ故郷の会津に帰って久しぶりに知人に合ったり、何年か前に行った落語会にまたよばれたり。

香川県に住んでいる仲間内では”姉御”と呼ばれる先輩が我が家へ泊まりにきたが、あねごと会うのは7、8年ぶりだ。

久しぶりは、どうしてもうれしくて、飲みすぎてしまう。

つい先日は中学校時代の友人が、両国寄席にきてくれた。会うのは14、5年ぶりである。Kさんという女性で、ハキハキした頭のいい子だった。

「どうもお久しぶりです」と挨拶されて、すぐにKさんだとわかった。田舎出の人間が東京で中学時代の友人に会うのは本当に珍しい。なんだかうれしくてうれしくてうまく話ができなかった。昔は大人びた顔をしていたが、大人になったら可愛らしくなっていて驚いた。

不思議なもので、今会っている時の顔を見ながら、その顔の中に少女時代の顔を探して話すから、フワフワした気分になってくる。

Kさん、またゆっくり会いましょうね。

お久しぶりです。どうも”久しぶり”はうれしくてついつい飲みすぎてしまう。今朝は久しぶりに二日酔いである。

2005年12月17日配信
好二郎の鬼嫁日記

11月30日。

先日、ある方に「あなたのHPを見ていると、あなたの奥さん、いわゆる鬼嫁ですね」と言われた。

鬼嫁なるものがわからない私は「そんなにほめないでください」と答えた。

するとその方が「ほめていません。けなしているのです」と言う。

私の妻をけなすなんて何と勇気がある人だろうと「何か格闘技を習っていらっしゃいますか?」と聞いてみると「あなたと会話を続ける勇気がない」と言い残して立ち去ってしまった。

あとで調べてみると、テレビなどで『鬼嫁日記』なるものが流行しているらしい。マ『鬼嫁』なるものがどんな内容かは知らないが、断じて我が妻は鬼嫁ではない。だいいち鬼嫁という言い方が間違っている。「毒を持った毒蛇、手の長い手長猿、記憶力の弱い政治家」というようなもので、言葉が重複している。嫁、もしくは妻、女房だけでいい。

私の妻は私をないがしろにするようなことはない。「ギャクタイ」もないし「イジメ」もない。妻に言わせるとそういうことは国際的な捕虜に関する法律で禁止されているらしい。

その妻が今、塩にこっている。塩だ。食事に使うのではない。体を洗うのに使っている。

「これ、セッケンなんかよりとってもいいわよ」

確かに体はあったまるし、つるつるになるし、アトピーなんかにも効くらしい。

ある日、妻は塩を頭に使った。シャンプーと一緒に。このシャンプーと塩は合わないらしい。風呂上りの妻の頭は塩で固まったシャンプーで毛が逆立ちびっくりするくらいテカテカ光っている。

「シャンプーと塩は一緒に使わないほうがいいわよ」と強がって笑顔を見せる妻。

指差して笑ってやりたいが、そんなことをすれば現在の軟禁状態から監禁状態に変わる。だから私は「そんな頭もなかなか似合うよ」と言ってあげたが「似合うわけないでしょう」とにらまれた。

私の妻は鬼嫁ではない。そんなこと言った日には、私の命があぶない。

2005年12月4日配信
末広亭で夢みごこち

11月25日

とにかくうれしかった。新宿末広亭に出演した。「四派で深夜」である。春風亭昇輔兄さんが発案、落語協会はじめ各団体に交渉して四派そろって末広亭に出演する会が実現したのである。

本当に昇輔兄さんは偉い。その行動力は愛するに値する。私が女だったらこういう男の人に友達の女の子を紹介してあげるところである。

それはともかく、当日別の仕事で遅く楽屋入りした関係で、昇輔兄、鈴々舎わか馬兄、立川談修兄をさしおいてトリをとることに。まあ、はじめての末広亭の高座は夢見ここちで、前半は自分で何を話しているのかわからず、噺に入ってからも「末広亭ってこういう風になっているんだぁ」とあちこちに目がいき、話が止まったり、滞ったりして滅茶苦茶な高座だった。

が、それはそれで、とてもうれしかった。当たり前だが、高座はとても落語がやりやすい形をしていたし、話しやすかった反面、談修兄さんの言うとおり「名人上手と言われた人たちのあがった高座」というのはそれだけで、足が震えた。

おいでくださいました皆様、ありがとうございました。今度あがるときは落ち着いて一席申し上げますので、また、どうぞ遊びに来てくださいませ。

2005年11月27日
声を掛けられました!

11月20日。

先日、茅ヶ崎での仕事の帰り、東海道線に乗っていると、年のころ45、6にもなろうか、一組のご夫婦が私の近くの席に座った。

私はその日の高座がなぜいつもと同じくうまくいかなかったのかを考えて、その日の打ち上げがなぜいつもと同じく飲んでしまったのかを反省していた。

すると、件のご夫婦が私をチラリと見ては何事か話をし、チラリと見てはヒソヒソとささやきあっている。このご夫婦は私のことを知っているのか、私はこのご夫婦にお金でも借りていたろうか。ドキドキしていると、ご主人の方がすっと立ち上がって私のところへ来た。

「あの、好二郎さんですか?」

ここで、ハイと答えて、じゃあこの間貸したお金を返してください、と言われるのも困るし、違いますと言って、後でウソがバレて棒縛りになるのも嫌だと思って「フエ」というあいまいな返事をした。

するとご主人は「やっぱり。私、落語ファンなんです」

ご主人の話によると、昔からの落語ファンで、何度か私の高座を見たことがあって私の顔を覚えていたらしい。

「息子がまた落語ファンなんですよ」と奥様。

「あ、好二郎さん、息子にサインお願いします」

こう言われれば、嬉しいもので、私は筆をふるってサインを描いた。

ご夫婦はしばらく話をして川崎あたりで降りていかれた。

電車のなかで声をかけられるようになると一人前である。ふんぞり返って座っていると、隣に座っていた老婦人が私を見る。

「あの、好二郎さん?」

お、なんと1日に2回目の”声かけ”か。

「ハイ、好二郎です」

「あのう・・・・・・何をしている人なんです?」

有名になるにはまだまだ道は遠い。

2005年11月20日配信
扇辰師匠に感謝

11月15日。

先日、入船亭扇辰師匠に新潟へ連れて行っていただいた。扇辰師匠は私が尊敬する若手真打ちで、私が前座のころから色々とお世話になっていたが、所属団体、風格、品などの違いから、なかなかゆっくり話す機会がなかった。

それが今回、新潟で師匠が定期的に出演する落語会に連れて行ってくれるというのだからうれしくてたまらない。

忙しい落語協会の前座さんと忙しくない私自身に思わず感謝した。

2日間、2箇所で落語会が開かれ、いずれも扇辰師匠の独演会で、たっぷり2席ずつ、計4席きけたのは本当に勉強になった。

それに会が終わった後の打ち上げで「あの噺はこうしたほうがいい」などとアドバイスをもらえるのもありがたい。

酒はすすんで、「円生師匠のこの噺のすごいところはサー」とか、「雷門の師匠が好きでね」など、芸談や思い出はなしをきいていると、とても幸せになる。

それにしても扇辰師匠はお酒が強い。どんどん飲む。それなのに飲み始めた時と飲み終えたときとちっとも変わらない。乱れない。顔にもあまり出ない。言葉も乱暴にならない。さすがだと思った。

その点私はすぐに顔が真っ赤になって、言葉遣いが悪くなり、遠慮がなくなるという習性があるので、さぞかし、師匠は迷惑したであろう。もう二度とあいつには頼まない、そう思っているかもしれない。

扇辰師匠、お願いです。また是非お誘いください。また、落語協会の前座の皆さん、頑張って忙しくしてください。

2005年11月20日配信
温めますか?

11月10日。

自律神経失調症、アレルギー体質、腰痛、ヘルニア等、様々な機能を備えた私は、「体を冷やしてはいけない」人間だということに気付いた。

体を冷やす食べ物を避け、飲み物はすべて温めることにした。温めないまでも、冷蔵庫に入れたり、氷を入れたりするのはやめることにした。

その結果、常温あるいは温めておいしいものと、おいしくないものがあることがわかった。

@りんごジュース 〜 意外とこれはおいしい。温めるとりんごの酸味がまろやかたになっていい。体もよくあたたまる。

Aりんごジュースの常温  〜 これもおいしい。冷たくするより味がよくわかる。

Bウーロン茶 〜 冷たいものよりあったかいほうがうまい。常温は渋みがはっきりして大人の味だ。

C水 〜 お湯より冷たい水のほうがおいしいが、常温は体になじむ気がする。

Dみそ汁 〜 あたたかいほうがうまいに決まっている。常温はまずい。特になめこ汁常温はいけない。

Eワイン 〜 あっためると最悪。誤って温めてしまったら、そのワインをつかってタンシチューを作ったほうがいい。

Fビール 〜 温めるやつはバカだ。

Gつぶ入りグレープ 〜 常温時ののどごし悪さと言ったらない。あたためる勇気がでない。

以上の他にも色々試したが、冷たくなくてもおいしいものはたくさんある。皆様も体を冷やさぬようお飲み物は温めて。

2005年11月13日配信
楽しい家族旅行

11月5日。

何カ月か前から、妻が何かに憑かれたように「長瀞(ながとろ)に行きたい、石畳が見たい、川下りがしたい」と言うようになった。私は「長瀞は遠いし、お金もかかるし、大変だから、私の好きなお酒と、君の好きな乾燥イモを買ってきて家でのんびりすごそうという想いを胸に、「そうね、いつか行きましょう」と言っていた。

で、ついに家族そろって行くことになった。子ども達の学校が休みで、妻に予定がなかったので、すぐに決まった(私の予定は家族の計画に入っていない。参加不参加は常に自由である)

私の思ったとおり、長瀞は遠かったが、なかなかの景観でいいものだ。これで妻と子ども達がいなければ、もっとよかった。せめて妻がいないとよかった。

土産物屋を楽しみ、川下りを愉快に過ごし、ロープウェイを体験して、ミニ動物園へ。まだ、一個の人間として成熟していない娘達は、このミニ動物園に大喜び。おとなしい鹿の群とブタの集団に囲まれて遊ぶのが人間の底辺を漂う娘達にはたまらないらしい。

下の娘は鹿にパクッといきなり食べられて、楽しそうに逃げ回っていた。

夜遅くに帰ってきて、妻と娘二人は大満足のようだった。

妻は川下りの船頭さんがカッコよかったと言い。上の娘は長瀞は丸い石のあるところだと記憶し、下の娘は長瀞は鹿を放し飼いにしている土地だと勘違いしてこの日の休日は終わった。

2005年11月10日配信
OB落語会を開く予定

11月1日

先日、大学の先輩といっても直接大学生活をともにした訳ではなく、同じ大学を卒業した6、7年先輩で、M先輩とO先輩ともに落語研究会出身である。

(ちなみに私は、落語研究会ではなかったのだが、いろいろなつながりで、普段からM先輩にはよくしていただいている)

お二人と飲んだ。

何事にもいい加減な私だが、先輩後輩という関係になると、さすがに始めはかしこまっていた(かしこまっていたといっても直立不動で先輩の傍らに立ち何か言われるたびに「オッス! オッス!」などと言っていたわけではない。目の前に座って、おとなしくツマミを口にしていただけだから、先輩方から見るとかしこまっているようには見えなかったかもしれない)

ところがこの二人の会話を聞いていると面白い。何せ落研の同級生だから、真面目な会話が続かない。ギャグをぶつけあう。まともな思い出が出てこない。どっちが落語家だか分からない。

そのうち「先輩、そのギャグいただきます」「先輩、今の例え話使います」と授業みたいになってきた。

おそらくこの先輩がたのギャグが近く私の落語に入るだろう。突拍子もないギャグが私の口から出たとしたら、それはこのお二人のものである。

それにしても、落語の話を中心に、同級生が何年たってもバカ話ができる。大学の時、落語研究会に入っていればよかったなあとうらやましくなった。近いうちにOB落語会を開こうと思っている。

2005年11月1日配信

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