好二郎
動・静
 日々の思いをイラストを交えて淡々と綴ります 好二郎
この連載は、原則として、五・十日(ごとうび=5と10の日)に更新します  過去の動静一覧  表紙へ戻る
 
2006年2月、3月、4月

円楽師匠笑点引退に思う

我が円楽一門の総帥である三遊亭円楽師匠が人気番組の笑点から正式に引退すると発表した。

あの絶対的な存在感が欠けるのはなんともおしいが、仕方のないことだろう。それより落語そのものからも引退するかもしれないといった発言があったが、その方がさみしい。

もっともこれからは、体の疲れない程度にふらりと出てきて咄をしてくれそうな気もする。いずれにしても我が一門の総帥であることには変わりがないのだから、これからも体調にだけは充分気をつけていただきたい。

それにしても、世間では”ダンカイ”の世代の退職にともなって人手不足が心配されており、特に学校の先生なんか足りなくて困っているという話をきいたが、落語界から言わせると、60定年はチャンチャラおかしい。

還暦を迎えるかどうかという世代が、平気で「中堅どころの師匠連」なんて呼ばれているのだ。50才なんて「若手」に入る。「脂がのってきました」なんて言われるころには70才。世間では脂が抜けきった世代なのに。「ベテラン」「枯れた味が出てきた」「重鎮」「いぶし銀」これらの言葉で表現されるようになるまでには稽古と健康を両立させなければいけない。

1年ほど前、あるテレビ局の若いリポーターが、円楽師匠に向かって「ところで師匠、師匠のこれからの夢は?」という質問をして師匠を苦笑させていたが、どの世界でも”定年後”をどう過ごすかは難しい。特に頂点を極めた人たちは、引退の時期を見誤ったり、その世界にしがみつこうとして失敗する。

その点、円楽師匠のように自ら、その活躍したテレビという場を通して引退を宣言したのはすばらしいし、カッコイイ。これから各業界で大勢の有名人が”引退”していくだろう。その中で、円楽師匠のようにカッコよく引退できる人がどのくらいいるか、見ものである。
2006/04/30
キャンペーン中

管理人くんは山登りが大好きである。山登りには身を守る知識、いざという時の知恵、どんな困難な状況にも対応できる体力が必要である。

従って管理人くんも知識も体力も充分にそなわっている人物とみて間違いない。

そういえば近頃、冬山で遭難する人が多い。それも50代60代の方で事故に巻き込まれる人がたくさんいる。

以前は大学の山岳部のパーティがどこそこの山で連絡がとれなくなった、というニュースが多かった。世間の人たちは「まったく若い連中は無茶をするからダメなんだ」なんて批判を浴びせていた。

私の父もそういうニュースが流れるたびに「ばかだなあ、若いと思って体力を過信するのがいかん。だいたい山の上でパーティなんかするからだめなんだ、真剣にやれ」と的外れな怒り方をしていた。

そういうことを考えると、今の5,60大は体力が昔よりもあるんだなあと思う。よっぽど、30代20代の方が体力がない。私なんかたぶんリュック背負って似合わない帽子かぶって、丈夫なんだろうが安っぽく見えるあの服を着て、やたらと長い靴下はいて、登山靴はいて、つえだのロープだの持って、電車に乗った時点で体力を使いきるだろう。山登りする人はやはり偉い。

管理人くんはただ山に登るだけの無粋な男ではない。山の上の動植物を愛で、満天の星空の美しさを語る彼はロマンチストだ。

知力、体力があり、ロマンチストで話題も豊富、容姿だって悪くない。なんの不満があるのだろう、世の女の人たちは。街中で会った時には好きになれなかったあなた、山の上で管理人くんに会いなさい。きっとその雄々しさに感動するだろう。

狭い部屋の中で会話が途切れ気まずい思いをしてしまったあなた、山の頂上で管理人くんと手をつなぎなさい。満天の星の下ではむしろ言葉は邪魔だと知るだろう。なぜ管理人くんは山へ登るのか。街中が面白くないからなのか。街中に疲れたあなた、管理人くんが、あなたを待っている。

ゴールデンウィークまで、管理人くん恋人募集キャンペーン、勝手に開催中です。

2006年4月20日配信
キムタク宅を考えた

キムタクこと木村拓哉さんが10億の家を建てるとか建てたとか、そんな文句を週刊誌の中吊り広告で見た。

10億のおうちってどんなだろう、想像もつかない。1億円のおうちだって住むのに何一つ不自由しない筈だ。5千万でも2千万でもさほど文句はないだろう。1千万のウチはダメかと言ったら決してそうではない。なのに、10億である。部屋数はいくつになるんだろう?

私なんかなるべくコタツに入ったまま何でも手に入るところに住んでいたい人間だから、一部屋、それにトイレと台所と風呂があれば充分だ。子供部屋なんてぜいたくなものはいらない。もちろん妻の部屋なんてない方がいい、妻ごとなくなってもいいくらいだ。

でも10億円のウチとなると、1DKというわけにはいかないだろう。10億円使うためには3LDKは欲しいところだ。

電器は全てシャンデリア、床は全て大理石、蛇口という蛇口には皆ライオンの顔が付いていなければならないだろう。テーブルは端と端に座ると相手の顔がよく見えないくらい長いもので、物干し竿なんか節目のところにダイヤが埋め込まれているのだ。

ガムテープや荷造り用のひもを置いておく棚もロココ調家具だ。風呂の残り湯を汲み上げるポンプだって特注に決まっている。―ああ、考えただけでも10億円の家は住みにくい。よし、決めた。私は、生涯10億円の家には住まないぞ。

「ね、キムタクさん、10億円の家に住むらしいけど、案外住みにくいよね」私が妻にそう言うと、

「住みにくいかどうかは知らないけど、言いにくいわよね」

「え?どういう意味?」

「キムタク宅。いいにくいでしょ」

貧乏人の妻は最低である。
2006年4月10日配信
女子高生の間で
好二郎ブーム
の説


女子高生から手紙が届いた(先日仕事で行った会津若松の高校からであって、個人的に書かれたのではない。=妻、註。以下略)。

とうとう私の素晴らしさが女子高生の間に分かりはじめたらしい(そんな大きな話ではない)。

ファンレターをもらうのも悪くない(ファンレターではなく、単にお礼の手紙だと思う)。

それも二人からもらったのだから、私のファンは行動をおこした二人の100倍いるとして200人くらいだろう(ふたクラスで落語をしてきたから、ひとクラス代表一人、計二人ということにすぎない)。

そう言えば、私がその某高校で落語をしていた時、生徒の皆さんの目は尊敬の光で輝いていた(訂正、尊敬の光→変わった動物を見る目)。

特に女子生徒はうっとりとしていたようだ(どこをどうしたらここまで勘違い出来るのか恐ろしささえ感じる)。

二人の手紙はとても字がきれいで文章もしっかりしているし、内容も面白くてなかなかいい(なかなかいい、なんて偉そうに言っているが、手紙の中には好二郎が読めない漢字が一つ、書けない漢字が三つ、今までに書いたことのない素敵な表現が七カ所あった)。

こういう人たちがいるうちは日本は安泰である(好二郎がいなくなれば盤石である)。

某高校二年八組と三組の皆さんありがとう(もう四月だから三年生になるのかしら、おめでとう、就職活動とか受験勉強とか頑張ってください)。

また、手紙を下さったお二人、特にありがとうございます(今後好二郎から馴れ馴れしい手紙が届いたり、不幸の手紙が届いたりしたら無視して下さい)。

では、私はこれからキャデラックで仕事に出掛けます(自転車をキャデラックと呼ぶのはやめなさい。第一そういうオジサン臭いギャグを一番嫌うのが女子高生よ)。

また会える日を楽しみに!(会いたくないと思うよ)。

2006年4月7日配信
「ホリエモンの
事件と似ている」


麻原彰晃こと松本智津夫の裁判が打ち切りになったそうだ。

事件からだいぶ年月が経っているから感動も感慨もない。ただ、こんななんでもない人と、事件の大きさのアンバランスが、未だに納得できない。

今回裁判が打ち切られるという記事を新聞で読んでいるうち、なんだかホリエモンの事件と似ているなあと思うようになった。

いつの間にかテレビに出るようになって、大きな事を口にして、益々テレビに持ち上げられて、そのうち選挙に出て、落選して、犯罪が明るみになって、逮捕されたら周囲の人たちが罪を認めているのに自分は無罪だと主張する。

側にいた女が美人だのそうでないのと、こんな風に書くとどっちの事件のことだか分からないくらい共通点がある。

あれだけ大きな事件で、沢山のギセイ者が出て、頭のいい人達が対策とか原因とか研究したのに、結局何も変わらなかった。テレビも雑誌も一般の人たちも、結局、何も変えることが出来なかった。

そうなると、これから先も、宗教界とか、経済界とか、それぞれ分野は違うだろうが、テレビをはじめとする大衆に踊らされ、得意になっているうちに、互いにその正体が分からなくなって犯罪者になる、あるいは犯罪者に育てられる人物が出てくるだろう。それはもう仕方のないこととあきらめて、せめて自分や家族はそうならないように気を付ける他ない。

特に我が妻はほめられたり持ち上げられたりするとすぐに自分を見失うタイプだから注意が必要だ。

今、麻原は現実から目をそらし続け、意味不明な言葉を喋っているらしい。堀江元社長には、そんな風になってもらいたくない。私の妻には、これ以上意味不明なセリフを言ってもらいたくない(例、「ねェ見て、指が妊娠しちゃった」「ごはん炊くの忘れちゃったんだけど、あなたさんま好き?」など)。

麻原はきっと、姿を変え、名前を変え、これからも日本に現れ続ける。

2006年4月1日配信
小ちゃんが大きくなったよ

春休みになった。

子供たちがしばらくの間、日中も家にいるのかと思うと嫌になる。普通の親と違って私も日中家にいるのだから、ずっと顔を合わせていなければならないのだ。

子供というのは自己中心的だ。私があと二時間は眠っていたいと思っていても「10時はもう朝じゃない」などと言って勝手に起こす。今日は少し早めに起きて仕事の準備がしたいと考えている時は「パパは疲れやすい体質だからもう少し寝かせておいてやろう」などと言ってまるで起こさない。

小学校も高学年になってきたから反抗的でもある。「いい加減にこぼさずご飯がたべられないのか」と注意すれば「パパの方がこぼしてるよ」と嫌味なことを言う。「脱ぎ散らかさないで洗濯に出せ!」と怒鳴れば「これパパのTシャツです」と鬼の首でもとったような顔をして言う。

そのくせすぐ泣く。すもうのまねごとをして私が本気で投げ飛ばしたら頭をぶつけて泣いていた。どうにも子供は扱いにくい。

それがずっと家にいるのだから春休みは嫌いだ。

さらに冬休みに続いて、学校で飼育しているハムスターをまた家に連れてきた。しかも、今度は一匹増えて二匹もだ。冬休みにも来たチューちゃんと、もう一匹、小ちゃんだ。チューぐらいだからチューちゃん、小さいから小ちゃんと名付けるところなど、子供の未熟さが”けんちょ”に出ている。

その上、小ちゃんがどんどん大きくなって今ではチューちゃんより大きいのだから大笑いだ。頭が悪い。妻は「だったらチューちゃんと小ちゃん、名前とりかえればいいのにね」なんて発言をしている。とりかえてどうするんだ!名前ってそういうもんじゃないだろ。だいたい小ちゃんがチューちゃんより大きくなったんであってチューちゃんが小さくなった訳ではない。従ってチューちゃんはチューちゃんのままで、小ちゃんを大ちゃんにすべきだろう。親子で頭が悪い。

ただ小ちゃんを大ちゃんにしてしまうとチューちゃんがおおきくなって大ちゃんを抜いた場合、チューちゃんの名前を「超大ちゃん」とか「ビバ大ちゃん」にしなければならず、これを繰り返しているうちに名前がすごく長くなってしまう可能性がある。

すると妻が「でもそこまで大きくなるともうモルモットとかうさぎとかになるんじゃない?」

バカ!なぜ大きく成長しただけで種類が変わるんだ!

「出世魚だってそうじゃない」バカバカ!どうしてハムスターを魚にするんだ。

「でもうさぎはハムスターになりそうもないけど、ハムスターはうさぎになりそうじゃない」

「どっちにもならないよ」

「なる訳ないけどサ、うさぎみたいに大きくなったら、滑車の音うるさいだろうね」

「うさぎみたいに大きくなっても滑車やらせる気か?」

「やらせる気もなにも、やっぱりやるでしょ、元々ハムスターなんだから」

「そうかなあ、大きくなったらやらないよ」

「え〜、だってあなただって今から急に背が高くなっても落語やるでしょ、それと同じよ」

俺の落語はハムスターの滑車か!

2006年3月27日配信
母はサスペンスがお好き

先日仕事で故郷会津へ帰った。

あいにく前日の寒さで風邪気味だった私は、実家に着くなり炬燵に入ってガタガタふるえていた。

実家には母が独り、ニャン太という太った猫と暮らしている。

母は私が風邪気味だと知ると何種類もの栄養ドリンクとアイス、漬け物、果物を買ってきた。それから「風邪が治るような食べ物を作ろう」と台所に立った。食べて治す、が我が家の伝統なのである。

実家は母独りのためか、ずっとテレビがついている。それも、我が母は大のサスペンス好きだ。一日に四件は殺人事件が起きる。

この日も、テレビの中では首を絞められたり、果物ナイフで刺されたりして、何人もの人が死んでいた。母はそれを見ながらご飯を作り、知人に電話をし、酒を飲み、私に近況を訊ね、猫をからかい、体操などしている。

テレビなんか見ていないのだろうとチャンネルをまわそうとすると、「ちょっと、今見てんの」とチャンネルを変えさせない。

その割に、ごはんを私に食べさせ、味の良し悪しを訊き、栄養ドリンクをすすめ、果物をむき、漬け物の漬け方を語り、アイスがあることを確認し、時々「で、今度は誰が殺された?」などときいてくる。

「誰が殺されたか分かんないんじゃ、サスペンスなんて見ててもつまんないでしょ」

「そうでもないわよ、ワクワクするね」

「あ、終わったよ」

「そう、この人いつも犯人なの」

「それじゃやっぱり面白くないでしょ」

「でも時々こういう人が刑事役で出てくるから面白いのよ。4チャンに変えて、別のやってるから」
別のサスペンスを相変わらず落ち着かずに見ている。

「あら、きっとこの人犯人」

最初の何分かで、大写しになった役者さんを指さして言う。ドラマは進み、母は猫とじゃれあっている。話は予定通りのドンデン返しを繰り返し、わざとらしい笑いをからめつつ、終盤へと向かう。母も予想通りテレビに集中することなく、電話をしたり洗い物をしたりしている。

殺人事件はクライマックスだ。探偵さんが犯人を追いつめている。刑事が二人、すっかり事件が解決したあとにかけつけると、犯人の美しい女性が、人を三人も殺したとは思えないやさしい笑顔で事件の真実を告白すると、探偵さんに向かって丁寧におじぎをした。

「ねェ、犯人ぜんぜん違う人だったよ。お母さんが言ってた人、あれっきり出てこなかったよ」

「そう?犯人だれ?ああ、この人。・・・・だと思った」

なにが”だと思った”だ!

「さ、次、6チャンに変えて。そ、この刑事物、今回最終回スペシャルなのよ、楽しみだわ」
母が何を楽しんでいるのか、さっぱり分からない。
なごみ系のいい字だと思ったのに

 私は、妻、子供、近所のおじさん、警察など多くの人とそりが合わないのだが、パソコン、テレビ、ラジオなど心を持たない物たちともうまくいかない。

 先日は、買い換えたばかりの携帯電話が故障した。相手の声はよく聞こえるのに、私が話すとまるで宇宙人が話すように「ワ・タ・シ・ハ・ピ・ピ・ピ・ヨ・ガァー・ツ・ツ・ツ・・・ワ・カ・ッカ・タ・カ・タ・・・」などとなってしまう。そこで、すぐに携帯ショップに修理に出掛けた。

 華やいだ開店間もないそのお店は 、店長はじめ、美しい女性店員が沢山いて、満面の笑みを浮かべて自ら開店を祝っていた。

 で、私を担当してくれたのは、そのお店の唯一の男性社員だった。・・・ドケ!お前じゃない。

 男性社員は親切だった。故障した原因が私にあるのか電話会社にあるのか静かな戦いが済んで、すぐにメーカーへ送りましょうと言ってくれた。

 その彼が説明してくれている間、彼の後ろの棚に置いてあった紙袋がとても気になった。たぶん開店案内のチラシをいれておいたのだろう、とてもきたない字で、「チラシ」とある。この字が真新しい店の中で非常に目立っているのだ。私は思わず、「すばらしい字ですね。心なごみました」と帰り際に言った。すると、店長はじめ店員全員がひきつった笑顔を見せ頭を下げた。

 家に帰ってこの話をすると、娘が「ああ、かわいそうに。だれが書いたか知らないけど、きっと店長さんにおこられるんだよ。こんな汚い字を書いた袋をお客に見えるところに置いたの誰だ!って。その人お店でおこられるんだよ」。

 すると妻も、「そうよね、開店したばかりなのに、あんな客にいやみ言われて。あなたのせいよ、クビよ、って言われてるわよ」。

 本当におこられてしまうのだろうか。私は心の底からなごみ系のいい字だと思ったから言っただけなのに。

 後日、電話が直ったと知らせが入ったのでそのショップに行ってみると、例の紙袋と、親切な男性店員がいなくなっていた。 

 私のせいなのか!

2006年3月16日配信
「布団って普通
こういう形してるのよ」

 我が家に自慢できるものが3つある。

 一つとして正確な時間を示さないたくさんの時計、四人家族なのに三つしかない座布団、そして掛け布団としても少し迫力に欠ける程の厚さしかもたない敷き布団だ。

 この薄手の敷き布団は、布団の下にはさまってしまった鉛筆を発見しやすいという利点はあったが、寝にくい、という最大の欠点があった。フカフカの布団に寝るのが我々の身近な夢だった。

 そんなある日、「ねえ、あの敷き布団に寝るとサァ、背中とかおしりとかすごく痛くなるでしょう、寝れば寝るほど疲れる布団ってやっぱり変よ。最近益々うすくなってきたし。ねぇ、今ふとんやさんのチラシ見てたら仕立て直しでわた増やせば安くフカフカの布団にすることが出来るんだって。どう?とりあえず私の布団だけでも仕立て直ししてみない?」と妻が言うので、妻の布団をフカフカにすることにした。

 すぐに注文して約一週間。むしろみたいにくるくると丸められ、配送のおじさんに小脇にかかえられて我が家を出て行った敷き布団は、玄関に入りきらないような大きな段ボールに入れられて帰ってきた。

 開けてみて驚いた。薄焼きせんべい布団と呼ばれていたあの敷き布団が、マッチョな体になっていたのである。ひ弱な少年が自衛隊で鍛えられて帰ってきた青年のようである。もちろんそのために仕立て直しをしたのだが、まさか三つ折りに出来ない程フカフカになってくるとは思わなかったのである。

 私が驚いていると妻が、「何ボーッとしているの?布団って普通こういう形してるのよ。」

 「それは分かっているけど、寝心地いいのかな?」

 「いいに決まってるじゃない。少なくとも今まで以下ってことはないわよ。」

 「じゃちょっとためしてみようか。俺寝てみるよ。」

 「やめて。私の布団なんだから。今夜私が寝てみれば分かるの。それよりとりあえず押し入れに入れてくれない。」

 私が言われるがままに押し入れに押し込んでみると、なんと一つで押し入れいっぱいになってしまった。

 「おい!すごいぞ、あいつ一人で押し入れいっぱい。ほら。」

 「あら本当。これじゃあなたの布団は仕立て直しに出さないほうがいいわね」
 人生を謳歌するって何だ!

 偽メール騒ぎやトリノオリンピック、落語界のこと、自分の健康、財布の中身、下駄の傷み具合、気になることはたくさんある。

 先週我が家に花菊さんと珠ちゃんが訪ねてきて(我が家の近くで、彼女たちの友人が素人落語会を開いたので観に来たらしい)、珠ちゃんの食べっぷりと喋り方に、誰にでもなつく我が娘たちが、危険を察する本能が働いたのか珠ちゃんと目が合ったとたんに外へ飛び出していってしまったことも、気になることの一つである。

 しかし、なんと言っても今、私の心をとらえて離さないのは、「呼吸トレーニング・ウルトラブレス」税込み7,140円というしろものである。

 どういう仕組みなのかよく分からないが、この”ウルトラブレス”を使って朝晩25回ずつ「ス〜、ハ〜」するだけで呼吸筋が鍛えられ、息絶え絶えの生活からおさらばできるというのである。

 新聞の広告欄にのっている、その写真がいい。実にいい。そんなものはまるで必要じゃなさそうな男性がちくわみたいなウルトラブレスを咥えて力んでいる姿は男性という生き物のバカバカしさを集約していて楽しい。

 その写真が表現している男性としての気持ちがほんの少し分かるだけにとても恥ずかしい。「昼も夜も。息切れ知らず!」なんてコピーが添えられているだけに思わず頬が赤らむ。

 「自分が求める体力を維持するにはこんな恥ずかしい形にならなければいけないのか!」と絶望的な気持ちにもさせてくれる。

 「人生謳歌の秘訣」に必要だというようなことが書いてあるから、「そもそも人生を謳歌するって何だ!」と哲学的な思考も働く。いい。

 「ああバカな商品だ」と思う気持ちと、「息切れ知らずの人生謳歌」の気持ちが私の中で戦っている。思わず買ってしまわないか、とても気になる。
 
パソコンが故障

私の優秀でスマートで、ちょっぴり頑固なパソコン君が、動かなくなってしまった。

原因はいくつか考えられる。

@操作する妻のやり方が乱暴だった。
A操作する妻の態度が横柄だった。
B操作する妻の顔が気に入らなかった。

などが主な故障の原因だろう。

その他にも、

私がマウスをミニカーのように走らせて遊んだ。
私がキーボードの上によだれをたらしながら眠った。
私がパソコン本体に激しくぶつかった。

など故障の遠因になるようなことはあった。

とにかく現在私のパソコン君はまるで立ち上がらない。「メールで何かを送ろう」と考えていた皆さん、しばらくは自宅に電話くださいね。では。

2006年2月26日配信
雪祭りに興奮

先日(2月13日)、私の落語会「30の手習い」が、場所を日本橋亭に移してからはじめて開かれた。

ゲストの紫文師匠のおかげで大いに盛り上がった。ご来場の皆様、紫文師匠ありがとうございました。

ところで、その前日、2月の11、12日わが妻と娘二人が、福島県の只見町の雪祭りに行ってきた。わが兄M通の案内で行ったのだが、なかなか大変だったらしい。

なにせ、2メートルを超す大雪である。妻も娘たちもそんな大雪は見たことがない。もうそれだけで大興奮で、それこそ庭駆け回る犬のようであったらしい。

妻は妻でバブルの頃を思い出して、スキーをすべり、その青春時代を懐かしんでひとり涙を流していたという。子供たちの話によると、見渡す限り雪で、初めてのスキーは楽しくて、花火がきれいで、大きな秋田犬が可愛くて、肉がおいしくて、先生たちが優しくて、十日下宿して通学して、車の中にもスコップがいる、ということだ。

ちっとも分からないので妻に訊くと「屋根の雪下ろしをしていると余りの辛さにだんだんハイになってくるらしいわよ。へへへへへ。」ということだった。

なんだかよく分からないが、只見の雪祭りが楽しかったことだけは伝わってくる。

お世話になった方々、ありがとうございました。

来年は是非私も行きたいな。

2006年2月18日配信
すきやきでしあわせ

ある事情があって、我が家に高級牛肉がやってきた。

ただの牛肉ではない、高級、である。

米国産ではない。国産。日本国産。牛肉をつつんだ紙には、松阪牛と書いてある。

松阪牛。過去に何度か耳にしたことはある。が、見るのははじめてだ。

さて、この牛肉をどうするか。家族会議の結果、「すきやき」に決定した。

「すきやき」。なんと美しい言葉だろう。「すきやき」。なんと幸せな響きだろう。

私はその晩の「すきやき」が楽しみで朝からウキウキしていた。妻は「この肉で、失敗はゆるされないわよね」と目が血走っている。たしかにこの肉で「まずいすきやき」を作った日には我が妻は打ち首である。子供たちは未知の「すきやき」に興味津々だ。

めずらしく妻が何度も何度もタレの味を確認している。毎日このくらい真剣に味見をしてくれれば私たちはもっと幸せなのに。

ついに、出来た。すきやきだ。目の前に湯気が立ち上り、家族全員の顔がかがやく。卵の中に、松阪牛を浸す。口に入れる。・・・・・・

「・・・・・まい。」

あまりのおいしさに皆声が出ない。「うまい」の「まい」しか出てこない。「・・・・まい。」

ああ、うれしい。なんてうまいんだ。

もう一つ食べよう。

君たち、野菜も食べなさい。ほら、白菜もおいしいよ。コラ、肉ばかりじゃ栄養にならないよ。しいたけをお食べ。

おい、肉食い過ぎだろうお前たち。こらこら、それはおれの松阪牛だ。どけ、お前はねぎを食えねぎを!はしを置け!おれに肉を、肉を、待て、おれは一家の主だぞ!押すな、ワァ・・・−−−−−!!!

2006年2月10日配信
冷徹なパソコンと格闘

立春も過ぎ、やっとポカポカとした寒さが続いている。

この度、パソコンが我が家に入った。

私のおじが親切にも機械一式もってきて、接続し、説明してくれた。

ありがとう、おじさん。

でも不思議なことに、おじさんがいる間よく分かり、順調に動いていたパソコン君が、おじさんが帰った途端に分からなくなり、シンとして動かなくなった。

私が適当にボタンを押すと、”ツーン”とか”ポン”なんていうごく軽い、人を馬鹿にしたような音が出て、それっきりになる。がむしゃらにボタンを押してもやっかぱり”テン”なんていう真剣さのない音を出して動かない。

この時点でかしこい私は、「なるほど、パソコンとはこちらのやる気とか根性などが通じないものなのだな」と悟る。

で、すぐに妻にやらせてみた。

妻は私にも子供にも近所の人達にも強い女だから機械にも強いに違いない。

しかし、さすがの妻も妻のおそろしさを感じない機械には勝てないと見えて、「グオー動かない」とか「言うことをきけ!私の言うことは皆きいてるのにどうしてお前はきけないんだ!」などと叫んだあとグッタリとしていた。

とりあえず妻は、この原稿を打てるくらいには成長した。

私は、いつになったらパソコン君となかよくなれるのだろう。
2006年2月6日配信

2005年11月・12月・2006年1月 過去の動静一覧