好二郎
動・静
 日々の思いをイラストを交えて淡々と綴ります 好二郎
この連載は、原則として、五・十日(ごとうび=5と10の日)に更新します  過去の動静一覧  表紙へ戻る
 
2006年5月、6月、7月

会津の仲間とビバオール!

先日仕事で会津へ帰った。

会津へ帰る度に、実家の飼い猫「ニャン太」に冷たい歓迎を受ける。彼はニコリともせず私を見つめ、近くを通ると「バシッ」と殴ってくる。ニャン太は太っている。目つきが良くない。その上声も良くない。

「何言ってるの、こんな可愛い猫他にいないわよ」と我が母は言うが、どう見てもぶさいくだ。第一、母の前では猫なで声を出したり、すり寄ったり、膝の上で寝たりするのだが、私の前ではさも不機嫌そうにあくびをしたり、肩をいからせて歩いたり、時々「フゥー!」などといって私をおどしたりする、その二重人格者的態度が気に入らない。

そのニャン太と、二時間ばかり二人きりで留守番することになった。

互いに相手を無視しているが、どうも気になる。「おい、デブ猫」と声を掛けると、耳だけがピクッと動く。椅子の上でウトウトし始めたので、近くで落語を聞かせてやると、おなかの中に顔をうずめて笑うのをこらえていた。

強情な奴だ。

それから、耳をつまんだり、鼻に息を吹きかけたり、色々と嫌がらせをしていると、とうとうニャン太は部屋中ダーッと駆け出したのだ。

まるで見えないねずみでも追うように右へ左へ猛ダッシュをかけている。

私はもう恐怖で部屋の隅にうずくまっていた。

その、私のおびえた表情を見ると、ニャン太はピタリと走るのを止め「にゃー〜〜」と大声で笑って、どこかへ去っていった。恐るべし、ニャン太。

ニャン太との敗戦後、私は気分転換に友人と呑むことにした。

喜びも悲しみも全て栄養に変えて太っていく男と、カラオケを歌いながら必ずTシャツを破って裸になるデビルマンみたいな男と、郵便局で働いていておそらく仕事の大半はこっそり他人の手紙を読むことに費やしているであろう男と、島村君である(彼だけが実名を希望。昔は悪い奴だったが、今は公務員になって益々悪事を働いている)。

で、皆に、アイスクリームのビバオールの話をした(詳しくは、HPの書き込み、又は、二ッ目ランドのHPをご覧下さい)。するとさすが皆会津の人間である。全員がビバオールファンだったと言う。

「でもあれは、棒に『ビバオール』って書いてあったら当たりで、もう一本もらえるのがよかったんだよ、味よりも」

「いや、ただ当たるだけじゃない、『ビバ』と『オール』に分かれていて、ビバだけでもオールだけでも当たりにならないところがよかった」

「ビバとオール、二本そろえばいいんだよな」

「ところが、ビバはよく出るんだが、オールがなかなか出ないんだよ」

「今でもおれんちに、ビバの棒が三本ある」

それから話はアイス談議になり、金持ちの子はフタ付きメロンアイスを食べていたとか、通称「おっぱいアイス」の本名はなんなのか、など大いに盛り上がった。

話がひと段落したところで誰かが言った。「そう言えばジュースで『パレード』ってあったよな」

・・・・パレード。なつかしい。さっそく調べよう。

2006年7月30日配信
妻、泣きながら焼肉
一晩中、思い出語る


この間、久しぶりに相模原へ行った。

「グリーンホール八起寄席」があったからだ。この土地には「ペコペコ」なる私の応援団(大食漢の母、二人の美しい姉妹、その妹をだまして結婚した夫、その二人の間に生まれた赤ン坊、などから成る)や、好二郎後援会相模原支部長(めったに人前に姿を現さない)などがいる。また、このHPの管理者くんの地元でもあり、楽しく過ごすことが出来る土地だ。

今回はご存知の方はご存知だろうが、主催の”八起”さんという焼き肉屋さんで出演者とスタッフで打ち上げ、帰りに焼き肉をお土産にいただいた。

うちに帰ってその焼き肉を妻に手渡すと「焼き肉?ふ〜ん、明日ね」と案外そっけない。もっとも、夏場は食欲がまるでなくなり、金欲だけになる女だからそれ程嬉しくないのだろう、と思っていた。

翌日、夕食を作る彼女の姿が殺気立っている。真剣に焼き肉を焼いている。八起さん特製のおいしいタレもついている。

山盛りの焼き肉をテーブルに置くと、妻は無言で食べ始めた。二口、三口。しばらくすると、彼女は天を見上げて涙ぐみ「あ〜、焼き肉おいしい〜〜。夢だったのよ焼き肉。あなたと一緒になったときから諦めてたのよね焼き肉。ほらすぐそこの焼き肉屋、あそこの前を通る度に私、食べたい〜と思ってたの。うれしい。ああ、夢にまで見た焼き肉、そう、はじめて食べた焼き肉は・・・・」

その夜、妻は一晩中、涙ながらに焼き肉の思い出を語っていた。

焼き肉を食べている時の妻の顔は、とってもやさしかった。

2006年7月23日配信
妻、叫びながら
波状攻撃で留め


テポドンが撃たれたというニュースを聞いて「とうとう来たわね、面白くなってきたわ、フフ」と不敵に笑うくらい怖い物を知らない妻にも、苦手なものはある。

熱帯夜、キュウリの漬け物、保護者会などだが、中でも彼女を怖がらせる英雄はゴキブリ君である。

先日、そのゴキブリ君が我が家に現れた。彼は私も娘達も留守の時を狙って、妻が独り居間に威張って座っているところに姿を現したのだ。グッドタイミングだ。私がいたら大変だ。妻は私を盾にゴキブリ君に近づき「殺せ!早く!お前はこのゴキブリを退治するために私の夫になったのよ!」などと叫ぶのだ。彼女独りの時に出てくるなんて、物の分かったゴキブリ君である。

ゴキブリ君はベランダ側の窓に近い壁、床から20センチのところにじっとして敵の動きを観察していた。5分後、妻はゴキブリ君の存在に気づいた。はじめ「まさか」と思い「いや間違いない」と考え「ギャーッ!」と叫んだ。この叫び声を聞いて勇気あるゴキブリ君は触角をわずかに動かしただけだ。私なら妻の叫び声を聞いただけで卒倒してしまう。

しかし、私の妻をギャーッと叫んでウロウロするような可愛らしい女だと勘違いしたのはゴキブリ君の大きな誤りだ。

妻は叫び声を上げるとすぐに立ち上がり、箒を小脇にかい込みゴキブリ君に近づくと、目にも止まらぬ速さで窓を開け、同時に箒でゴキブリ君の頭に一撃を加えた。こんなにすぐ攻撃を仕掛けてくるとは思っていなかったゴキブリ君は、ベランダに投げ出され目を回した。彼はフラフラと立ち上がりベランダを弱々しく歩いた。右足二本を引きずっているようだ。

しかし、こんなことで攻撃の手をゆるめるような女ではない。勢いよく箒を抱え上げると、ゴルフでもするように、ゴキブリ君をはじき飛ばした。私がその場にいたら「ないすショット!」と声を上げただろう。ゴキブリ君は空高く舞い上がり、そのまま地に落ちていった。飛べるはずのゴキブリ君がそのまま地に落ちたのを見ても、いかに妻のショットが力強かったかが分かる。

私はその武勇伝を妻から聞き「へえ、良かったね、がんばったね」と感想を述べたが、ゴキブリ君が可愛そうでならなかった。ゴキブリ君、鍛え直してまた出てこい!私の留守の時に出てこい!そして妻を怖がらせ続けるのだ!ワハハハハ・・・・・。
2006年7月13日配信
「仕事きついよ」
急に太ったN 氏は言った


急に暑くなって寝苦しい日が続いた。ただ暑いばかりでなく、蒸し暑いからどうにも眠れない。

「寝ない子は太る」という調査結果が出たそうだ。といって慌てて眠ってやせようと思ってもダメだ。三歳ぐらいまでで決まるらしい。それまでの間に平均睡眠時間が9時間未満だと、その後太る確率が高い。だから今更寝てもやせる訳ではないらしい。

が、この説は大人にも当てはまるのではないだろうか。

確かに「どうもねェ、寝るひまないくらい忙しくてねェ、いや本当、ここんところちっとも寝てないよォ」なんて言ってる人の多くは太っている気がする。私の周りには多い。

何度かこのHPに登場しているN君がそうだ。学生時代は、W杯で活躍した、GKの川口選手に似た、とてもスマートで格好が良い男であった。

その頃、彼は無駄に寝ていた。三日の間、トイレ以外は床を離れない時があったくらい寝ていた。枕元でカップラーメンをすすり、テレビを見てだらしなく笑い、酒を呑んではよく寝ていた。毎日毎日、食っては寝、呑んでは寝、笑っては寝、ふられては寝ていたのに、まるで太らなかった。

それなのに、働き出して「ああ忙しい」とか「仕事きついよ」とか言い出した頃から太り始め「めしなんかまともに食べてないよ」という言葉とはうらはらに、びっくりするくらい肥えていった。

誰かが何か別の目的で彼を飼育しているのではないかと疑ったくらいだ。先日久しぶりに会った時も太ったままだ。太っていると、強い。まるで疲れを見せない。

いや、あべこべか。強いから太れるのか?どんな状況でも太れるくらい強いから、眠らなくても平気なのか。とにかくN君は元気に太っていた。昔はクーラーにあたるとすぐ風邪を引くような、ひ弱なN君だったが、今はクーラーにまともにあたったまま裸で寝ていても「ああ、なんだか暑くて眠れん」と寝言を言うまでに、太って強くなった。

寝ない子は太る。太る子は強い。強いからまた太る。太るから寝なくても平気。平気だから寝ない。寝ないから太る。・・・・・これを繰り返している。N君が、二十四時間、まるで寝なくても平気になる日は近い。
2006年7月2日配信
スポーツ界を考える

ジーコ監督とジーコジャパンのどこが悪かったのか、中田さんはいい人なのか悪い人なのか、中村さんはうまいのか下手なのか、だいたい意見の出そろった今日このごろ、サッカーを始めとする各スポーツ界を見てみよう。

サッカー協会は今回の惨敗で大きな人事異動があるだろう。野球は相変わらずモタモタしているし、相撲も若手親方が死んだり抜けたりして、しばらく日本人横綱を出せそうにない。テニスも今ひとつ盛り上がらないし、バスケ、バレーも低迷を続けている。

せっかく荒川静香さんの活躍で光を浴びたスケート協会は、却ってその運営のいい加減さだけが目立ってしまった。

ゴルフ協会もひどい。会長選挙にからんで、拉致事件があったというのだ。つかまった元会長という人は、選挙権のある会員を、暴力団に頼んで拉致し、選挙が行われた時間ずーっと連れ回して、結局投票させなかったというのだ。何を考えているのか。

連れ回された人の話によると、「いきなり車に押し込まれて、目隠しをされた、暴力は受けなかったが、怖くて、もらったおにぎりものどを通らなかった」と言っている。

怖いなあ。歩いていたら急に車に押し込まれて、有無を言わさず目隠しされて。

多分相手は何も説明はしないだろう、一言も口をきかないに違いない。車がダーッと走り出す。

「どこに連れて行かれるのだろう、何をされるんだろう」不安でいっぱいになっているところに、おにぎりを渡されるんだ。目隠しされているから始めは手の上に乗せられた載せられたその重みのあるものが何なのか分からないだろう。

「何だ!今俺の手にのっているのは何だ!」車は相変わらず走り続ける。30分、1時間と時間だけは過ぎていく。目隠しをされて、他の感覚が鋭くなった彼は、そのうち自分が手にしているのはおにぎりに違いないと分かる。しかも、よくコンビニで売っている、すでに海苔のまいてある、しっとりタイプのおにぎりだということまで分かる。それだけ手の感覚が鋭くなっているのだ。

どうする。お腹は確かに空いている。食べるか。いや、口にしたとたんに「誰がたべろっちゅうた!」なんてことを言われて殴られるかもしれない。

「お茶もあるし、食べなよ、おにぎり」なんてすすめる人もいない。すすめられても恐怖でのどを通らないだろう。あれこれ考えているうちに、車は急に止まり、そのままドンと降ろされる。・・・・知らない町に、目隠しされて、おにぎり持って立たされる・・・・・ああ、怖い。私はどんなに金持ちになっても、ゴルフはしないぞ。
2006年6月25日配信
5兆円あったら
…どうするよ?


ビル・ゲイツさんが引退するそうだ。

引退後はボランティア活動に力を入れるそうだが、ビル・ゲイツさんのボランティアは力強い。

「ボランティアで集ってくれた人たちにお茶買ってきた方がいい?」「ボランティアなんだからガマンしてもらいましょ」なんて会話は、ビル・ゲイツさんが関わる団体にはないだろう。何か活動する度にドンペリがもらえるかもしれない。

なにせゲイツさん個人の自由になるお金は5兆円だ。

5兆円。国家予算の話をしているんじゃない。特殊なバクダンを作ろうというんでもない。個人で、自由になるお金が5兆円だ。

さあ、5兆円ともなると、もうお金の感覚は無くなるんだろうなあ。

喫茶店に入って350円のコーヒーと370円のモカコーヒーで悩んだりしないんだろうなあ。便所の電気がつけっ放しになっているのを見て「あ!つけっ放し!誰だ消さないのは!もったいないだろ!犯人、出てこい!」などと叫ばないんだろう。「いやあ、電車代浮かそうと思って一駅歩いたらさ、もう一駅歩けるかなあと思って、一駅着く度にまだいける、まだいける、とうとう東京駅から千葉みなと駅まで歩いちゃったよ」なんてバカなこと決してしないんだよ。

5兆円。5兆円もってたら何が出来る?いや、10億20億じゃ出来なくて、5兆円にしか出来ないことってなんだ!1兆5千億では足りなくて5兆円ないとやれない楽しみってなんだ!

あー5兆円、あんまり貧乏生活が身に付いてまるで想像出来ない。

今取りあえず欲しいものを頭に思い浮かべてみる。

木刀(急に素振りがしてみたくなった)、えんぴつ用キャップ(使っている鉛筆が短くなってきた)、枕カバー(少し汚くなってきた)、大きめのペンケース(捨てるにはもったいない短くなった鉛筆が多くなってきた)、サッカーボール(今更サッカーがやりたくなった)、自転車のちょっと大きめの前カゴ(私が愛用しているバッグが微妙に入らない)、・・・・と、そんなところか。んー、まだまだ5兆円には程遠い。

どうすればいいんだろう。ああ、5兆円使わなきゃいけない人ってもしかすると不幸なんじゃないだろうか。

いや!不幸なもんか!やっぱり5兆円あったら楽しい筈だ。私だって5兆円持ってたら、それらしい男になる筈だ。ああ、5兆円欲しい!

5兆円までいかなくても村上さん並に2千億円でいい!いや、10億、5億、3千万、・・・・ああ、実際手に入るなら、5千円のバスカードでもいいから欲しい。
2006年6月24日配信
妻手製のふんどし出来

私は普段から着物で生活している。

慣れてくると楽でいい。で、せっかくだから下着も、ふんどしにしてみようということになった。新聞を読んでいたらデパートでふんどしがよく売れているというし、はき心地も悪くないという。家にあまりギレが沢山あるので早速作ることにした。作るのはもちろん我が妻である。

私の妻の数少ない自慢の一つに「和裁が出来る」というものがある。

これは別に正式に和裁を勉強したという訳ではなく、私が噺家になった時、「仕立て代がもったいない」という貧乏根性から生まれた技である。従って、彼女は型紙を決して使わない。

「型紙があるとその通りにやらなきゃいけないような気がしてイライラしてくるのよね。結局、型紙かキジかどっちか破いちゃうじゃない」とは彼女の弁である。

彼女は「感覚」で作るのである。

なんとなく反物をながめていたかと思うと「ワッ!」とか何とかかけ声を掛けて何カ所か印をつけ、神に祈るような仕草を見せて一気にはさみを入れる。あとは取り憑かれたようにひたすら縫い合わせる。

仕上がるまでに「もうヤダッ」を三度は叫ぶ。

「あなた着物なんてなくても本当はいいんじゃない?」と二度きく。

「あなたが水泳の選手か相撲取りならよかったのに」と一度つぶやく。

「ギャーッ!出来た!」と言えば完成だ。これだけいい加減にやっていてそれなりに着物が出来てしまうのだから神業である。

「ふんどし?」

「そう、ふんどし作ってくんない?」

「いいわよ」

「出来る?」

「バカにしないで。着物が作れる女よ。ふんどしなんて赤子の手をひねるようなもんよ」

妻はそう言うと、あっという間にふんどし第一号を完成させた。

「はいてみてよ」

ふんどしをつけてみて、驚いた。普通ひざの辺りまでたれ下がるべき布がないのである。

「あら、短か!」

「おい、これじゃまるで赤ん坊のおむつじゃないか」

「そう?ひもつきパンティみたいでセクシーじゃん」

「そういう目的でふんどし作成を依頼したんじゃない」

で、作り直すことにした。

「できたわよ、長目に作ってみたわ」

再びふんどしをつけてみて、また驚いた。股下にのびた布は床を引きずり、後方に流れている。
「あら、長ッ!」

「おい!これじゃ歩きずらいだろ!」

「でも忠臣蔵みたいよ」

「ふんどしじゃないだろあれ」

「遠山の金さんのお裁きみたいにも見えるよ」

「うるせィ!」

・・・・・着物は作れてふんどしの作れない女。不思議だ。
2006年6月12日
日韓友好に貢献

先日、しばらくの間仕事で韓国へ行ってきた。

韓国と言っても、ソウルのような都市ではなく、ウルサンとクンサンという、小さな街だ。いわゆる歴史はあるが今はさほど栄えていない地方都市で、ちょうど私の生まれ故郷会津若松に似ている。

そんなまちを着物姿で歩いているとやっぱり目立つ。中には「お前は日本人か?私は学校で習ったから今でも覚えているよ」と本当に流暢な日本語で話しかけてくるご年配の方がいて、ちょっとおどろいた。

去年、ハンスンホンさんが来日したときの演説「私の日本語がうまければ植民地教育が成功した証拠、下手だったら失敗でした。いずれにしても日本の方は反省してください。」を思い出した。

地元のテレビにも出た。

出たはずだ。どうなんだろう。とにかくカメラの前に立たされ、「この町を訪れた日本人の代表」ということでインタビューされたのだ。

「この町は何で来た?」

「仕事で」

「観光か?」

「いや仕事で」

「何を観に来ました?」

「仕事で連れてこられたから分からない」

「この町の何が魅力か?」

「今着いたばかりでよく分からない」

「その着物は日本の伝統衣装か?」

「そう言っても間違いではない」

「なぜそんなもの着てる?」

「仕事で」

「何の仕事だ」

「落語」

「?」

「ジャパニーズ・コメディアンだ」

「?」

「・・・・・」

「またこの町に来たいか?」

「仕事があれば」

「この町好き?」

「着いたばかりだって」

「・・・・・」

「・・・・・」

「笑え」

「(ニヤリ)」

というまるきりかみ合わないインタビューだったが、きっと放映されるときは「この町が大好きでたまりません(ニヤリ)」なんていう字幕が流れるに違いない。ま、とにかく一緒にいかせてもらったバリトン歌手の山本健二さんやアカペラの女性グループ「アンサンブル・プラネタ」さん達のお陰で楽しませてもらった。

「アンサンブル・プラネタ」さん達は5人の女性グループだが、本当に美しい歌声で感動する。(皆さんひとりひとりはとても面白い!)是非是非、一度聴いていただきたい。

またいろんな所に行きたいなあ。
2006年6月6日配信
私は急いでいるんだ

明日香村の二つの壁画を保存、保護しようという作業は、大変なようだ。ほうっておくと、どんどんカビができるらしい。

で、それを防ぐ作業チームが作られた。ここまでは、いい流れである。

ところが、この作業員にいい加減な奴がいて、「手袋とかマスクとか、しろって言われたんだけど、別にいいか、ちょっと入るだけだし」なんてことを言って、決められた格好で作業しなかったため、却ってカビが増えたらしい。で、これではいけないと思った責任者の方が、作業員に喝を入れ、これ以上カビを増やすまいと新たな作業員を送り込んだら、この人が壁画の一部を剥がしちゃった。

その原因は何かと調べた結果がすごい。

「カビの処理を担当した者が、急用のため作業を急ぎ、結果、剥落に至った。」
え?急用のため作業を急いだ?

どういうことだろう。

急用って何だったんだろう。

恐らく、この急用は只事では無い筈だ。

だって、作業する場所はそんなに広くない、ちょっと下手なことをすればすぐカビが発生する、虫が入る、とても作業のしにくい所だ。しかも壁画は国宝だか、重要文化財というような貴重なもの。この場所でカビの処理をする人物は素人の筈がない。

加えて、一度前の作業員がカビを増加させる、という失敗をしているのだから、その後に出てくる人物は「他の奴じゃだめなんだ、もうお前しかいない、頼んだぞ!」くらいのことを言われて送り出されたに違いない。腕も確かだろう。責任感も強い筈だ。

なのに、彼は急いでしまった。ある「急用」のために。

ああ、知りたい!何だったのだろう、プロの中のプロである彼の腕を狂わせた急用とは何だったのか。トイレじゃあるまい、子供じゃないんだし。親が危篤・・・いや、プロならその場合、作業を中断することはあっても急ぐことはしないだろう。子供が生まれた・・・作業を完璧に仕上げた後でも赤ちゃんには会える。見たいテレビがあった・・・怒るね、そんなことだったら。足がしびれた・・・涙が出る。カビ処理班にまともな奴はいないのか!もう2度も失敗している。次に送り込まれる人物はどんな奴なのか。

「剥がしちゃったんで、僕が描いときました。可愛い白虎にしておきました」

こんな人間でないことを祈る。
2006年5月24日配信
妻が少々ご立腹のご様子

ガス会社の人が訪ねてきて、「お宅のガスの機械が、ガス漏れの心配のある種類なのですが」とインターホン越しに言っている。

「はあ」と力なくこたえると「奥様いらっしゃいますか?」

「留守です」

「いつお帰りになりますか?」

「帰ってほしくないです」

「え?」

「いえ分かりません」

「そうですか、ではまた参ります」そう言って帰って行った。

ガス漏れの心配はどうなったのかとても心配だが、少なくともガス屋さんは私より妻を信用しているらしい。不思議だ。どうしてあんな妻に会いたがるのか。妻のことを知らないからそんなまねが出来るのだろう。

我が妻のことを熟知しているガス屋なら、「留守です」と私が言った瞬間喜びの声を上げ、戸を開けるのももどかしそうに家の中へ転がり込んで「奥様がいない今のうちに調べさせてくれ!」と言ったに違いない。

この間、ケニアの国会で、女性を蔑視するような発言があったらしい。レイプや夫の暴力などが社会問題になっていることを国会で取り上げた際、ある男性議員の何人かも「そうだそうだ」と賛同した、というのだ。

このニュースをきいて、妻は気分を害した。

我が家で「妻が気分を害した」というのは隣国で「将軍様が腹を立てた」というのに等しい大事件である。

当の問題発言をしたケニアの国会議員が目の前にいたら、彼は妻の手料理を無理矢理食べさせられていただろう。長年付き合っている日本人の私が時々清水の舞台から飛び降りるような気持ちで食べる品物なのだから、ケニア人の彼には拷問になる。

彼女を怒らせたままだと私がケニア人の代わりに何かさせられかねないので、私は彼女のご機嫌を取り始めた。

「本当にひどいこと言う人がいるねェ」

「本当よ、男なんてみんなそんな風に考えているのよね」

「そんなことないよ。少なくとも僕はそんな風に思っていないから助けて」

「ノーがイエスの訳ないじゃない」

「そうだよ、ノーがイエスの筈がないじゃないか!だから僕に八つ当たりしないでね」

「しないわよ」

「君のしないわよは、そのままにしないわよ、って意味だよね」

「うるさい」

「君はちゃんとあれだもんね、イエスはイエス、ノーはノー」

「違う。ノーはノー、イエスもノー」

妻の考えが今も分からない。

2006年5月14日配信
恒例 愉快なサイクリング

ゴールデンウィーク恒例の「葛西臨海公園まで自転車で行こう」ツアーに行ってきた。家族4人で自転車を連ね、荒川河川敷を海に向かってひたすら走るというビックイベントだ。

150年前の英国貴族がやっていた優雅な行事で、149年前にすたれた家族サービスでもある。

行きはとてもきつい向かい風だった。いつもむずかしい顔をしている妻はあまり区別がつかなかったが、子供達と私はいつになく厳しい表情をしていた。帽子が飛ばされそうになる程の風を受けると、どうしても楽しい会話など出来なくなる。

我々4人はただひたすらペダルを踏み込み、時々「くそっ」とか「もうヤダァ」などと叫びながら愉快なサイクリングを続けた。

風の抵抗を避けるため誰かの背中にピタリとついたり、そうはさせじと急にコースを外したりする駆け引きは競輪のようでもあるし、暗い表情で縦一列に進む姿は巡礼の親子のようでもある。

二時間近くかけてようやく着いた公園はやはり風が強く、我々の体力を消耗させた。それでも海に足を入れふるえながら遊んでいた子供達は偉い。

姉の方は何かに取り憑かれたように穴を掘り続けていた。妹はそれをじっと見ていた。何か見つけたのかとたずねると、二人とも黙って首を横に振る。別役実さんの不条理劇を見ているようでこわい。

妻は風よけにレジャーシートに身を包んで座っている。山で遭難した人が、テントを張るのに失敗してヤケになってるようにも見える。そんな風にして、メインの楽しい海遊びも終わり帰ることに。

帰りは追い風になるから楽だ。とても速い。我々はまるで行きの追い風に仕返しでもするかのようなスピードで走った。速い。本当に速い。

まず子供達が信じられないような速さで河川敷を疾走する。これに追いつき、一度は追い抜かなければいけない。

なぜならここで追い抜かなければ、その後3日は「大人のくせに遅い!弱い!だらしない!」と言い続けるような嫌な子供達なのだ。本当に気に入らない。自分で育てた上に妻が指導したのだから人間的にダメな子供達であることははっきりしている。全く親の顔が見てみたい。

そこで私は走った。ペダルに手応えがなくなり、まるで車輪が浮いているようだ。猛スピードで走り抜けるママチャリとそれに追いかけられて悲鳴をあげながら逃げる子供達。子供達を追い抜いたその時、周囲の人たちの冷たい視線に初めて気づいた私は、その視線から逃れるように、走り続けなければいけなかった。

2006年5月5日配信

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