好二郎
動・静
 日々の思いをイラストを交えて淡々と綴ります 好二郎
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2006年11月、12月、2007年1月

反抗期の娘を黙らせる
友人N氏とF氏に感謝


近頃、娘達の態度が良くない。反抗期なのだろう。何を言っても「いやだ」「ダメ」「やりたくない」「お父さんまたウチにいるの?」といったマイナスの言葉から始まる。

「学校の準備したら?」「いやだ」。「ちょっとボールペン貸して」「ダメ」。「新聞片付けてくれない?」「やりたくない」。「今日もいい天気だなあ」「お父さんまたウチにいるの?」。といった調子だ。

長女の髪が伸びてきて、ごはんを食べていても本を読んでいても、どうも見ていてうっとうしい。前髪だけでも切った方がいい。あらゆることに鈍感な妻も、それは感じたらしく、「ちょっと、前髪切ってあげるから、こっちおいで」と長女に命じた。「いやだ」。反抗期というのは何と人間を無謀にするのだろう。長女も妻の恐ろしさは充分に知っている筈なのに、思わず「いやだ」と言わしめるのだ。

妻に向かって間髪入れず「いやだ」と言ってのけた長女を尊敬の目差しで見ていると、「カッコ悪いわよ」と妻が責める。しばらく両雄にらみ合っている。いいぞ、どっちもガンバレ。相討ちになれ・・・・・・・。

妻がわたしの方をチラッと見る。

なぜ見る。

今日の獲物は俺じゃないだろう。目の前の敵に集中しろ!

「ねェ、切らないとカッコ悪いわよね」妻にそう言われればウンと言うしかない。「じゃ、どういう風にダメなの?」反抗期娘もなかなか納得しない。

「そんなボサボサじゃ、秋葉系よ」妻が分からないセリフで追いつめる。

「アキバ系ってどんなよ」娘も反撃に出る。

「Nさんみたいな感じ」と妻が言う。NさんとはこのHPに度々出る私の古くからの友人だ。妻よ、それは失礼だよ。「ちょっと、Nさんの絵描いてあげてよ」私がN氏と長女の似顔絵を並べて描く。成る程、よく似ている。長女はその絵をじっと見ていたが、やがて自らハサミを持って来た。「ママ、切って」。

よほどN氏に似ていたのがショックだったのだろう。いやだったのだろう。さすがN氏、ありがとう。

N氏の他に、我が娘たちに人生のつらさ、とか大人のずるさとか、男のきたなさといったものを教えてくれる人物がもう一人いる。F氏だ。

F氏は私と同じ年で学生時代は後輩、今は私より10才は年上に見える男だ。このF氏、時々ウチに来ては、飲んで、あばれ、変なおどりを無理矢理娘達に教えるという、昭和初期の人間みたいな人である。娘達に「うるさい」とか「もう来ないで」とか「そろそろ帰りなさい」と言われてもまるでめげない。

だから娘達がどんなに反抗しても、最後にはこの二人で解決できる。「いやだ」「Nさんみたいになるわよ」「・・・・・分かった」。「やりたくない」「そんなこと言ってると、Fさん呼ぶわよ」「ああ、やる、やる、やるからFさん呼ばないで」。「絶対いや」「NさんとFさん一緒に連れてくるわよ」「かんべんして下さい」。

N氏とF氏。我が家のしつけに欠かせない人物である。
2007年1月30日配信
ありがとうS君
君のお陰だ。

落語会に必要な物は、良い演者と良いお客、そして程良いビールだ。

先日、上野広小路亭で開いた「第2回 由瓶・好二郎二人会」に、お正月ということでお客様へビールを出した。沢山のビールを提供してくれたのは、某ビール会社に勤めている、私の大学時代の友人、S君だ。

S君は一見45才くらいに見えるが、私と同じ37才の筈である。もっとも、大学時代は52、3才に見えていたから、今はとても若々しい。以前からやさしい男だったが、社会に出て、さらに角が取れ、体型も含めて人間が丸くなっていた。ある日、S君が言った。

「お正月、二人会の時にビール差し入れしてあげよう」

なんと素敵なセリフだろう。

「差し入れしてあげようか?」とか「差し入れしてもらいたかったら俺の靴を磨け」くらいのことを言ってもおかしくないのに。私は優しい友人に甘えるのがうまい。

「是非、君の気がそれで済むなら差し入れてくれ」。

当日、受付でビールを配ると皆嬉しそうに飲んでいた。ビールを飲むと陽気になる。自然会場は盛り上がる。

ありがとうS君。君のお陰だ。

しかし、このお酒というのは、加減が難しい。S君も心配していたが、「あんまり飲み過ぎて途中で寝ちゃったり、あばれたり」ということになりかねない。

マ、飲み過ぎなくても、私の会で寝る人は多いからあまり気にならないが、「あばれる」というのは嫌だ。

特に「暴言」が増えると困る。

「下手くそ」「つまらない」「また間違えたろう」という正直な感想を声に出させてしまうのがお酒の悪いところである。「よかったわよ」「今まで聞いた中で一番楽しかった」などのお世辞を言わせなくするのもお酒の欠点だ。「これで入場料1500円は高い」なんてドキッとするような発言が出ないとも限らない。

今回はそういうこともなく無事終わった。よかった。

会が終わると、お客様はみな満足そうだった。本当によかった。

「ビールがもらえてとてもうれしかった」「久しぶりにおいしいビールを飲んだ」
「今後もビール配りだけは続けてくれ」「おつまみもあるとよかったが満足のいく会だった」などの意見が寄せられた。S君、改めて、ありがとう。

どうだろうS君、次回から、「由瓶・好二郎・S君三人会」にしないか?
2007年1月21日配信
太りすぎの
犬たちに思う


近頃、犬が太っている。

近所を散歩していても、すれ違う犬すれ違う犬、みな太っている。精悍さも敏捷さも無い。困ったものだ。

飼い主はなぜ太らせてしまうのか。

自分だけ太っているのが厭だからペットも太らせようというのか。自分は食べるのを我慢して、犬に与えているうちに太ってしまったのか。今のドックフードはとてもおいしくて栄養がある(友人がウチに遊びに来たとき、酒のつまみにと私が買ってきた缶詰が、ドックフードだった。間違えた、と思ったが改めて買いに行くのも面倒だとそのまま出した。友人は「いいつまみだねェ、何これ?」などと言いながら嬉しそうに食べていた。そのくらいおいしくなっている)それを昔ながらのぶっかけご飯同様に与えていれば太るのは当たり前だ。

アメリカ辺りでは、太りすぎた犬に対する治療薬が、一般に販売されたか、されるのだそうだ。人間の勝手で太らされて、今度は薬を飲まされるというのだから可哀想なのは犬だ。しかもこの薬、副作用として、下痢、吐き気があるという。やせるための薬で下痢、吐き気と言われると副作用という気がしない。むしろこれが本作用で、下痢、吐き気でやせさせようとしているように思える。

さらに、この薬、肝臓に問題がある犬には向かないそうだ。そうなると肝臓に問題があるのかどうかを常に調べておかなくてはいけない。犬も人間のように、毎年病院に入ってCTスキャンとか胃カメラをのむとかするようになるのだろう。

人間ドックならぬドックドック。

たくさんの犬たちが皆揃いのパジャマみたいなの着て、首から検尿ぶら下げて病院の中うろうろしているところを想像すると悲しくなる。

悪いところが見つかって家族が呼ばれる。飼い主を前に先生が、「実は、おたくのペットさんは・・・」なんて深刻な顔で病名を告げると、犬がそれを盗み聞きして、そのまま病院を飛び出し、夕日に向かって遠吠えをする・・・・・・。可哀想だ。可哀想すぎる。

犬を太らせてはいけない。

本当にかわいいと思うならエサは二日に一度でいい。それもドックフードはやめて夕飯の焼き魚の残り。散歩なんて生やさしいものではダメだ。公園のハトを食べようと必死に走り回るようでなくちゃいけない。小太りのおいしそうな人間がいたら迷わず噛みつくようにしよう。やせて、常に飢えていて、眼光するどく走り回る。これが犬にとって、本当の健康な姿なのだ。

「犬が太るの心配するより、自分がやせすぎているのを心配した方がよくない?」と妻が言う。

「そう。なかなか太らないんだよな、食べてるつもりでも」

「犬はドックフードだけで太るのにねェ・・・・。そうか、よし、夕ご飯作ろう・・・・」

晩ご飯のおかずにドックフードが出てきそうで、近頃こわい。

2007年1月13日配信
好二郎一家の
楽しい書初め


お正月は楽しい。何をしても「初〜」と言って楽しめる。「初風呂」「初トイレ」「初布団干し」等々。普段やっていることは変わらないのにどこか新鮮だ。

それに「初風呂なんだからもう少しお湯を足してせめて世間並みにしようよ」とか「初トイレなんだから、きれいに使ったでしょうねって言って僕を睨まないでね」とか「「初布団干しぐらい僕の布団にも陽を当てよう」などと妻に意見が言えるのもいい。

しかし、何と言っても「初〜」と言えば、初日の出、初詣、初夢、初笑い、この四つだ。この四つがうまくいけばその年は全てうまくいく。

で、今年はどうだったかと言うと、初日の出は残念ながら見られなかった。天気のせいか、酔っていたせいか、どちらかだ。初詣は浅草に出掛けたが途中自転車のタイヤの空気が抜けるというハプニングがあったため中止にした。初夢は酔って床についたためまるで見なかったし、初笑いは商売が噺家だけに自分ではなくお客様に笑ってもらおうと思ったがちっとも受けず、苦笑いに終わった。なんとなく今年一年が不安になる。

「初〜」の他に「〜初め」がある。代表的なものは「書き初め」だ。子ども達が学校の宿題で筆をふるっている。長女は「早春の海」、次女は「明るい心」だ。

「早春の海なんて書いて、うれしいか?」

「あのねパパ、うれしいとか悲しいとかそういうことで書いてるんじゃないの。ところで、お正月って、早春なの?」

「さあ、・・・・晩冬とか寒い海なんて書くと飾る期間が少ないし、部屋も暗くなるし、お正月から早春って書いておけば長持ちするからじゃない?」

「ぜったい違うと思う」(長女去る)

「明るい心、より落ち着いた体の方がお前には合ってるんじゃない、目標として」

「私、パパより落ち着いてると思う」

「生意気な心、とか、親不孝な心、の方がお前には合ってるんじゃない、実態として」

「パパより親不孝じゃないと思う」(次女去る)

二人がいなくなって、書道用の和紙と筆と硯が残された。

よし、久しぶりに書いてみよう。何がいいか。これからの目標になるような、力が涌くような。いや、自分の気持ちに素直になろう。心の声に耳を傾け、思いのままを書いてみよう。

私は筆を執ると一気に書き上げた。

「楽なくらし」・・・・・素晴らしい。自分の気持ちに素直になったら出てきた言葉が「楽なくらし」。さっそく襖に貼り付ける。

「なにこれ?」と長女が戻ってくる。「格好悪ッ」

「どうしたの?」と次女もついてくる。「ゲッ、これ本当に貼るの?」

「へぇ、いいわねェ」と妻が意外なことを言う。

「いい?」と私が恐る恐る聞き返すと、「うん、いいわよ。楽なくらし。うん、いいわね。」

楽なくらし、の書き初め、妻はなぜ気に入ったのか。今年の「初不思議」である。

2007年1月6日配信
新年あけまして
おめでとうございます!


皆様、元気に新年を迎えられましたでしょうか?

私は例年通りお酒に浸ったまま、新しい年に突入です。まるで新鮮さがありません。今、新鮮の鮮の字をド忘れして、妻に「どう書くんだっけ、シンセンのセンって。魚に何だっけ?」ときいたら「うちの魚がシンセンな訳ないでしょ」という変な答えが返ってきました。今年も我妻の変人ぶりは治りそうにありません。

では、皆様、今年も楽しくまいりましょう。

今年もどうぞ、よろしくお願い致します!!
今年1年ありがとう

もうすぐ2006年、平成18年、戌年も終わる。


思えば今年私は「とし男」だった。だからどうしたという訳でもないが、何かいいことが起きそうな予感があった。

「私が急に売れ出す」「お金をたくさん拾う」「女房が買い物に出たきり戻らない」そんな予感があった。

ところが、この年末まできてみれば有名人になることもなく、小銭すら拾わず、女房もドッカと家に居座ったままだ。

ああ、2006、戌年、俺の年。このまま何の変化もなく、終わるのか。

11年も住んでいるマンションの隣人に「いつもお着物ですけど、何なさってるんです?」と言われながら今年も終わるのか!子ども達に「クリスマス用の鶏肉は国産じゃなくて、タイ産でいいよ、だって国産は高いんでしょ?」などと心配をされながら今年が終わるのか!「お米といだ水は捨てないって何度言われれば覚えるの?」と妻に怒られたまま今年も暮れてゆくのか!

・・・・さよなら戌年。来年は、きっといい年にしよう。
ボクシングは短く人生は長い
亀田さんの健闘を祈る

私は亀田興毅さんの隠れファンである。”かくれ”るのはいくつかの訳がある。新聞以外で彼を見たことがないのと、その肉声も聞いたことがない、というのが主な理由だが、まるで彼のボクシングに興味が無い、というのが最大の理由である。

では、なぜ”ファン”なのか。それは、伝え聞く彼の言葉がとても楽しいからだ。この間も試合を間近にして、インタビューに応えていた。その言葉がいい。

「おれは横綱、朝青龍や、かかってこんかい!」

素晴らしい。

普通ボクシングのチャンピオンは自分を相撲取りにはたとえない。

例えば料理人とか音楽家とか、はっきりと勝負のつきにくい世界で「マ、彼は料理の世界では横綱、朝青龍というところでしょう。しばらく彼の一人勝ちが続くでしょうね」などと使ったり、あるいは勝負がつくものでもあまり知られていない世界、アーチェリーとかフェンシング、剣道など、マスコミが喜んで伝えない世界の人を指して「え?あの人知らないの?あの人フェンシング界では有名よ!そうねェ、例えば、そう、相撲でいうと横綱っていうの?朝青龍みたいな人、すごく強いの」などのように言ったりする。

ボクシングは勝負がはっきりするし、マイナーなスポーツでもない。ましてチャンピオンという素晴らしい言葉がある。だからこの場合、「俺は真のチャンピオン、亀田興毅や、かかってこい!」が正しい。

しかし、そこを敢えて「横綱、朝青龍や」というところが、いい。

私のようなファンが「おい、お前は横綱じゃない、チャンピオンだぞ、しっかりしろよ。ボクサーパンツでリングに上がれよ、間違ってまわしつけるな!」とか「どう見ても朝青龍じゃないでしょ。たとえるにしても朝青龍ほど実績残してないし、まずいよ。もっと遠慮しようよ。せめて、『おれは昔の舞の海や、そのこころは、ケントーはするでしょう!』ぐらいにしておこうよ」と心配させるところが、いい。

試合は、マ、どうでもいい。がんばってやれば、結果はどうでもいいのだ。朝青龍だって負けるときはあるし、舞の海が大物相手に快勝したこともある。問題はその後の発言だ。勝ったときの言葉は、何も心配は無いだろう、いつもの亀田さんの調子でOKだ。だが負けたときの発言には気をつけろ。場合によっては世間を敵に回してしまう。ボクシングは短く、人生は長い。

「負ける気はしなかったんやけど、気のせいやった」とか「相撲みたいにな、15日制やったら負けへん、ちゅう意味やったんや」「おとうちゃんにかわりに出てもらえばよかったなあ」などの発言は危険だ。

世間があっと驚く、それでいて嫌われない、素晴らしいセリフを期待している。
露・元スパイ暗殺
好二郎、新説発表



ロシアの元情報部員暗殺事件には背中に冷たい物を感じる。

ポロニウムだか何だか知らないが、その特殊な毒薬を使ったところに背後にあるものの大きさを実感する。そんな特殊なものを使うのだから、秘密裏に事を片付けようとしたのではなく、誰かに対するメッセージ、「余計なことをすると、お前もこうなるぞ」という脅しなのだろう。

怖い。黒幕は、ロシア政府なのか、それとも他の国や組織が関係しているのか。いずれにしても安心して眠れないぜ。

「あなたが何心配してんの?あなたを暗殺して誰の利益になるの?バカじゃない?」と妻は言う。

「いや、俺は誰も信じない」

「信じないのはいいけど、早くごはん食べ終わってくんない?片付かないから」

「フッ、分かっている。貴様、このみそ汁に毒を盛ったな?確かに変な味がした」

「賞味期限切れた豆腐入れただけよ。あなた最近変よ。映画の影響受けすぎじゃない?」

そう、妻の言う通り、例の毒殺事件のこともあって「007カジノ・ロワイヤル」を観てきたのだ。

面白かった。まだ観ていない人のために簡単に内容を説明すると、私のようないい男が大活躍する、というものだ。

ジェームズ・ボンドが最後のセリフを言って映画が終わると、入れ替わりに私がジェームズ・ボンドになっていた。頭の中にはテーマソングがずっと流れている。映画館を出ると後ろの男につけられている気がして途中の角をサッと曲がってみたりした。電車に乗ろうと切符を買っていると、隣にいたおばさんのポケットから領収書のようなものが落ちて、おばさんはそのまま立ち去る。

「長ネギ/100円  白菜/140円  コーヒー/120円×4」

きっとこれは何かの暗号に違いない。電車の中で、向かいに座っていた赤ちゃんが私にウィンクした。赤ちゃんは私に何を伝えようとしたのだろう。

007は架空の話だが、まるきりウソとも言えないだろう。現にスパイを巡る事件がこうして明るみになっているのだから。

・・・・そうか。分かったぞ。現実の世界で起きたロシアの元スパイ暗殺事件は、明らかに、映画にそれ程興味の無い人にも「007、観てみようかしら」という思いにさせた。

ということは、あの事件の黒幕は、「007」の映画をヒットさせようと考えた、映画関係者ではないだろうか。そうだ、ロシアの元スパイを暗殺したのは、正しく「007、ジェームズ・ボンド」に違いない。

「な、そう思わない?」

「あなたって本当にバカね」

「絶対そうだよ。どこに伝えればいいのかな?CIA?それともBCG?」

「本ン当に毒盛るわよ」

「じゃあお前は誰が犯人だと思う?」

「さあ。でも映画関係者が黒幕ってことはないわね。せいぜい銀幕よ、ハハハ・・・・」

我が家のボンドガールはにくらしい。
2006年12月10日配信
好二郎一家の
2007年問題


団塊の世代が、大量に定年を迎えるというので、各業界でその対策が色々となされている。アンケートも盛んで「定年後どこに住みたいか」とか「定年後お金を一番何に遣うか」等々新聞や雑誌に載らない日はない。

先日も新聞を読んでいたら、こんなアンケートが載っていた。

@定年後増える夫婦の時間を嬉しいと思うか

A生まれ変わっても同じ相手との結婚を望むか

B相手に先立たれたとき楽しみを見つけられるか

結果は@に対して「嬉しくない」と答えた妻が32%  Aは、同じ相手を望む夫が41%なのに対して妻は26%  B、楽しみを見つけられる、という夫が45%で妻は65%。

成る程、なんとなく予想した通りの結果である。全体に「夫が妻に対して想っている程、妻は夫を愛していない」割合が多いことが分かった。夫が自分で想う程もてていない証拠であり、妻の幸せのピークは、結婚式の当日である場合が多いということである。

さて、他人のことはどうでもいい。問題は、我妻だ。結果は見えているが、一応訊いてみよう。

@に対する妻の答え。「え?あなたに定年があるの?あったとしてもあなたがあたしとウチの中に一緒にいてどうするの?定年迎えてのんびり遊んでられる程お金がたまってる訳ないでしょ?そしたらどうするの?そう、あなたが働いてないってことでしょ?じゃ、嬉しくないに決まってるじゃない」
・・・・・・やっぱりな。

Aに対する妻の答え。「そんな同じ相手にしてどうするの?サバ定食食べた後デザートにサバの缶詰出てきたらあなた怒るでしょ?変えなきゃダメよ!」

・・・・・・彼女の頭ではサバと私のレベルが一緒なんですね。

Bに対する妻の態度。「楽しみが見つけられるも、見つけられないも、あなたが先立つのが楽しみ☆」

・・・・・・定年を迎え、妻に冷たくされそうだと嘆いている世のお父さん、あなた方は私に比べればまだ幸せなのです。
2006年12月2日配信
悔やむ好二郎
不穏な兆候に気づけず
あの時優しくしておけば…


私の自転車には欠点が三つある。一つは汚い、ということだ。これは私の手入れが悪いというより、古いから仕方がない。みがいてもこすってもダメだ。

二つ目は、全体的にゆがんでいる、という点だ。原因は分からない。二年くらい前からハンドルと椅子と後ろのかごのバランスがどうも悪いな、とは思っていた。ボンヤリ乗っていると左へ左へと行ってしまうからいよいよおかしいなと感じ、近所の子どもが私の自転車を指差して「この自転車なんか曲がってる」と言ったのを聞いて確信した。私の自転車は間違いなく、ゆがんでいる。だから他の人が乗ると必ずフラフラする。真っ直ぐ走れない。妻なぞは「ギャー」と叫んで倒れかかったことがある。いい気味だ。それを私は難なく乗りこなす。もっとも、普通の自転車に乗ると、右へ右へと曲がるようになった。

三つ目、これが肝心だが、三つ目の欠点は、電灯が点かない、というものだ。これは法律上も問題がある。その上危険だ。電灯を点けようとすると、タイヤとの摩擦で、ゼンマイ、というか、ギザギザ、というか、鳴門みたいな部分がグルグル回る。ここまでは他の自転車と変わらない。しかし、電灯は点かない。その代わり「グワァー」という驚くほど大きな音がする。とても耳障りだ。周りの人が迷惑そうに私を見る。すぐ近くの人なんか睨む。そのくらいの騒音だ。この音をがまんして乗り続けると、今度はキナ臭くなってくる。タイヤか鳴門の部分が摩擦熱でどうにかなっているのだろう。臭い。それでも乗り続けるとふっと騒音が消える。と同時に臭いが無くなる。そうすると、なんと、かすかに電灯が点いて、細々と光るのだ。「ああ、やっと点いた!」と思うとほとんど目的地に着いている。一度止まると、また初めからやり直しだから止まることも出来ない。こんな電器は「点かない」と同じだ。

で、ハンドルにつける「キャッツ・アイ」なる電器があって、以前買ってあったのを思い出した。方々探してみると机の引き出しから出てきた。スイッチをつけると、電池が切れている。さっそく買ってきて試してみると、それはそれは素晴らしい輝きをもって光る。私は感動した。

次の日、キャッツ・アイを付けて走ってみると、明るくて安全だ。静かだし、臭くもない。自転車って、こんなに気持ちのいい乗り物だったんだ!

キャッツ・アイを使い始めてから三日目。西日暮里の自転車置き場に自転車を置いた。そこから電車に乗って、仕事をし、遅くとも、四時間後には、また愛しいキャッツ・アイ君と会える筈だった。

自転車を離れるとき、私の着物の袖口が、キャッツ・アイ君に引っかかった。ああ、私はその時「チェッ」と舌打ちをしてしまった。あの時きっと、キャッツ・アイ君は自分が何者かに奪い取られることを知っていたのだ。

「僕も連れてってください!」そう言って彼は、私の袖口に必死にしがみついて来たのだ。ああそれなのに、私は舌打ちそして彼を乱暴に振り払って駅の改札へと向かってしまった。なぜあの時、私は彼をハンドルから解放して懐にしまってあげなかったのか。いやせめて、やさしい言葉の一つもかけてやらなかったのか。

彼が盗まれたことを知ったとき、私はしばらく立ち直れなかった。自転車置き場で彼を探して探して探し歩いた。キャッツ・アイ君を盗んだ君!君も自分の自転車のライトが点かなくて苦しかったのだろう。でも私のを盗むことはないだろう、君!返せ!私のキャッツ・アイを返せー!・・・・今日も、私の自転車はうるさくて、キナ臭い。
2006年12月2日配信
水量が少ない
好二郎一家の
スープとお風呂



スープって、何だろう


我が家ではみそ汁が出ない。これは何年か前に上の娘が大豆アレルギーであることが判明し、その後一年くらいして、みそは大豆から出来ていることに妻が気づいてからである。だから、我が家では上の娘が外泊でもしない限りみそ汁は出ない。反対に臨海学校などでいない時は、豆腐のみそ汁にたっぷり油揚げ、揚げ豆腐に納豆で盛大に大豆パーティーをする。普段はみその入っていないスープである。

お風呂って、何だろう。

私の家の浴槽は歴史的な価値がありそうな古い作りなので追い炊きなど出来ない。蛇口から出てくるお湯も一定温度で出てこない。お湯と水を合わせてお好みの温度に合わせる。ようやく合ったな、気持ちいいな、と思っていると徐々に熱くなってあわてて水を多めに出すとまるきり冷水に変わる。ほうれん草みたいな目に遭うのである。

スープって、何だろう。

私は、スープが好きだ。それがみそでもコンソメでもコーンでもいい。スープを一口啜って、それから初めて食事が始まる。おかずを食べ、ごはんをかみ、最後にスープをグッと飲み干して、食事が終わる。

お風呂って、何だろう。

私はお風呂大好きである。理想とすれば、全身を泡だらけにして自分もしくは誰かに洗ってもらい、ぬるめのたっぷりお湯に飛び込んで口笛を吹きながら暖まれたらいいなあと思っている。

スープって、何だろう。

私の妻の作るスープにはほとんど汁がない。例えばキャベツスープ。何気なく見ると、おわんにキャベツが山盛りになっているように見える。集中してもう一度見ると、おわんにキャベツの花が咲いているように見える。スープが、無い。一口啜ろうにも、キャベツが邪魔で出来ない。仕方がないから上の方のキャベツを食べ、真ん中あたりのキャベツを食べ、底の方のキャベツを食べ、わずかに残った汁らしきものを一口飲む。それで、おしまいである。

お風呂って、何々だろう。

妻の入れるお湯は浅い。本当に浅い。足湯だってもっと深いぞ。水道代を節約するためか、浅いお湯の方が体にいいのか、美容のためにそんな方法があるのか、宗教的な意味がかくされているのか、とにかく浅い。子どもたちが入っている様子は「風呂に入っている」というより「風呂を洗っている」にしか見えない。

スープって、何だ?!お風呂って、いったい何だ?!

スープを飲む度お風呂を思い出し、お風呂に入る度、スープを想って涙する。ああ、たっぷりの汁を私のおわんに。ああ、ゆったりのお湯を我が家の浴槽に。妻よ、お前のやり方は、間違っている。
2006年11月15日配信
唐突なぞかけ校長に
好楽師匠もドキドキ


ここのところ文化祭シーズンということもあって、いわゆる「学校寄席」の仕事が多い。

時節柄「必修科目漏れ」問題が話題になるが、さすがに「落語を呼ぼう!」という学校は、必修科目を削ってまで受験対策をしようという不粋な考えはしない。

「ええ、ウチの生徒は自分たちでしっかり受験対策してますから大丈夫ですよ」とか「私たちの学校はのんびりしてますからねェ。見てください、この景色、すばらしい紅葉でしょう、・・・・で、何の話でしたっけ?」などまるで問題にしていない。

「好二郎さんは、世界史を受けた記憶あります?」

「まるきりありませんね」

「じゃ、バリバリの進学校で、その頃からあったんですね」

「いえ、国語と数学も、受けた記憶がないんですよ」

「・・・・通ってたのは本当に学校ですか?」

そんな会話を校長先生としていると楽しい。

先日は愛媛県のある高校に私の師匠好楽と行ってきた。その学校の校長先生が面白い。寄席が終わって控え室に戻ろうと校長室の前を通ると

「あ、師匠、ちょっと寄ってって下さい!飛行機の時間がおありでしょうから短く・・・・3分・・・・いや2分40秒、ね」

そう言って師匠と私を校長室に招き入れる。

「いやあ、好楽師匠、今日はまた、行楽日和で・・・・。なんちゃって・・・・」

「・・・・・・・」

「笑点好きなんですよ」

「ありがとうございます」

「では、お時間もアレでございますから、ここで本校の生徒とかけまして!」

いきなりなぞかけが始まって驚いた。

すかさず校長先生は自分でそのなぞかけをといて(なかなか上手にといていた。恐らく何度か使ったネタであろう。学校名が分かってしまうので書けないのが残念)

「では、今日はありがとうございました」

と頭を下げた。一方的にその場を仕切られた師匠は帰りのタクシーの中で

「びっくりしたなあ。俺がとかなきゃいけないのかと思ってドキドキしたよ」と汗をふいていた。

全国の校長先生、師匠をおどかすのは止めてください。

でも、あんな校長先生ばかりだと学校も楽しくなるんだろう。

なぞかけ校長、がんばってね!
2006年11月5日配信

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