好二郎
動・静
 日々の思いをイラストを交えて淡々と綴ります 好二郎
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2007年2月、3月、4月

正蔵師匠が脱税
私腹を肥やしてない
後輩の腹を満たしているのだ

林家こぶ平師匠改メ正蔵師匠が1億円を越える脱税を指摘された。正蔵襲名披露のご祝儀がたくさんあったらしい。

素直に言おう。うらやましい――。

声を大にして言おう。もったいなーい。

声を大にしてもう一度素直に言おう。くやしーい。

なぜ税務署なんかに見つかってしまったのでしょう。

その金額で何人の売れない落語家が生きていけるでしょう。正蔵師匠はおっしゃいました。「今までお金のことはどんぶり勘定だった。これからは気をつけます」

いけません、師匠、気をつけてはいけません。これからも是非どんぶり勘定で我々後輩にごちそうしてください。税務署の人は何も分かっていない。師匠は私腹を肥やしているんじゃないぞ、後輩のお腹を満たしているんだぞ。売れている師匠方の後ろには名もない落語家がたくさんいるんだからな。全く困ったもんだ。

ニュースを知った妻は驚いてしばらく口もきけずにいた。

「……1億。落語家って人によってはたくさんお金をかくせるのね」

「お前間違えてるよ。かくせる、じゃなくて稼げる、だよ」

「どうして同じ商売でこんなに違うの?ウチなんかどんぶり勘定するどんぶりもなかなか買えないのよ」

「どんぶりくらい買えるだろ」

「地下室のオーディオ室のご祝儀袋の束があったのよ」

「うん」

「今私が言った物がウチに一つでもある?地下室よ地下室」

「うん、地下室そんなに欲しければ作ってもいいけど、僕たち5階に住んでるから、4階の人たちに迷惑だと思うんだ」

「オーディオ室は?」

「オーディオが無いのにオーディオ室だけあってもね」

「ご祝儀袋は?」

「久しく見てないね。でもほら、一週間ばかり前に一つあったじゃない」

「私が買ってきたの。あれ人にやるの。やるほうのご祝儀袋なんて見たくもない」

「そうだね。だけど、お祝いなんだから、おめでとうって気持ちを込めたほうがいいよ」

「なに言ってるの、倍になって返ってこーいって念じて渡すわよ、私」

「人間としてマナー違反だろ、それ」

「それに束っていいひびきねェ。束。札束、ご祝儀の束。ああ、脱税したーい」

脱税にあこがれる妻は不幸だ。
2007年4月20日配信
妻が企画
好二郎一族でボウリング

昨年から、妻側の親類が集まって「春の一日を楽しく過ごそう」という行事が始まった。第二回の今年は、我が妻の企画担当になった。妻には私を威嚇する力はあるが企画力がなく、私を脅す実行力はあるが計画性がない

従って随分悩んだようだ。何せ、みんなが楽しめる、という条件をクリアしなければいけない。当たり前のようだがこれが難しい。

大人が8人の子どもが7人、最高年齢は妻の姉の夫の父、仮に正おじいちゃんと呼ぶが、この正じいが70代。最年少は妻の姉の子どもで4才。正おじいちゃんの好みに合わせて「囲碁・将棋大会」にすると4才をはじめ子どもたちが全く楽しめないだろうし、4才に合わせて「機関車トーマスごっこ」をやると彼以外はつまらないだろう。

そこで妻は戦国武将のような決断に出る。

「上も、下も、切る」

つまり、自分を中心に楽しもうというのだ。

そこで企画したのが、「大ボウリング大会」

文字通り老若男女が後楽園のボウリング場に集合、家族ごとに3レーンに分かれて大会が始まった。

まず力強いボウリングを見せたのが妻の姉の夫の妹の夫、仮に関西出身だから関西さんと呼ぼう、この人だ。ピンを次々と倒し関西さんのガッツポーズが目立つ。力強さでは妻の姉の夫、学校の先生をしているから、先生と呼ぶこの人も負けてはいない。ピンをはじき飛ばす。が、スペアが取れずに苦しんでいた。先生の長女もいい。初めてボウリングをしたと言いながらうまい。彼女は背も高いし顔もいいから、このまま本気でボウリングに打ち込めば第2の中山律子になれるだろう。私は昔からボウリング場の貴公子と言われただけに、美しいポーズで地道に点数を重ねたが、サウスポーの妻は球を投げる度に「ケッ、だめだ!」とか「クソー、どうしてあのピンだけ倒れないんだ」とか「ちょっとあなたあれ倒して来てよ」などと下品なことばかり言っては点数が伸び悩んでいた。

2ゲームたっぷり遊んで結果を見て驚いた。ボウリング場の妖精と言われた私が3位に入ったのは当然であり、関西さんが後半ペースダウンしたとは言え2位になったのは分かるのだが、なんと1位は、最年長の、正じいだったのだ。

「いやあ、何十年ぶりだろう」とか「ワァ、久しぶりだとボウリングの球は重いね」など、およそ優勝戦線に加わるとは思えない発言を繰り返していたのに!いや、そう言えばチラリと見たとき70代とは思えないしっかりしたフォームで投げていた。そうだ、もっと言えばこの正じいは毎年スキあらば海外旅行に出掛けたりハイキングに行ったりする人物なのだ。油断をした。

よし、来春は正じいが苦手なもので勝負しよう。何がいいか、サッカー、バスケット、棒高跳び、ハンマー投げ……ハハハ、来春が楽しみだ。
2007年4月11日配信
好二郎一家の
エイプリルフール


毎年のことだが、我が家の四月一日はうるさい。優秀な私をのぞいて、皆、この日は「ウソをつかなければいけない日」だと思っている。

まず妻が言う。「ほら、みんな起きて。もうお昼よ」私があわてて起き、時計を見るとまだ朝の7時30分だ。

長女が起きてくる。「たいへん、身長が180センチになっちゃった」中学生になるのに140センチない女が言うセリフじゃない。

次女が起きてトイレに入る。「あ、おしりが三つに割れてる!」こうなるとウソというよりバカだ。

「あれ、パパがいないね」私の枕元に仁王立ちになって妻が言う。「うん、いない」と長女が私を踏みつける。次女が私の顔に手を当てる。「ム、まだあたたかい、いなくなってまだそんなに時間はたってないわ」「よし、探しに行こう!」

バタバタと全員がいなくなる。

どうにも頭の悪い連中だ。エイプリルフールはまじめに生きている人たちのための息抜きの日だ。年中ふざけている我が家のような連中は、せめてエイプリルフールくらいまじめに行動しなければならないのだ。「君たち、ウソはその辺にして、お腹が空いたからごはんにしよう」

「……」

「お腹が空いた、ってことは、空いてないってことだよね」

「そうね。パパはごはんいらないんだね」

「違う。本当に空いたんだ。ごはんを作りなさい」

「まったくお腹空いてないんだって。三人で食べよう」

「待て!バカな家族ども。一家の主である私が朝ご飯を食べたいと願っているのになぜお前たちはそんなささやかな願いを拒むんだ」

「いただきまーす」

「待て!なぜ私抜きでごはんを食べる。僕にも食べさせろ!」

「どうしても食べたくないみたいね。ズズズズ……」

「こら、お前、みそ汁飲みながら、そういうことを言うんじゃない。ね、お願いだから、ね、食べさせてください。僕はウソをつかないんだ、本気で食べたいんだ」

四月一日はうるさい上にお腹が空く。

「あ、高級なお皿のセットが盗まれてる」

「そう言えば昨夜、私、三人組の海賊がウチの中に入って来たの見たわ」

「じゃあ私が解決してみせる。私、今まで黙っていたけど、本当はミス・マープルなの」

あいつらのウソは続く。
2007年4月1日
目撃者は、好二郎の妻
果たして何を見たのか


白い帽子をかぶった、緑のシャツを着て黒のパンツをはいた、めがねをかけ、ひげの生えた男の人が腹話術の人形を抱いて目の前に五分間座っていても、よくよく観察する気がなければ、いなくなってすぐでも、何色の帽子をかぶっていたか、どんなパンツをはいていたか、めがねをかけていたのは男の方だったか人形のほうだったか正確には思い出せないものだ。

それだけ人間は、ものごとをぼんやりながめている。

その中でも特にものごとをぼんやりとしか眺めないのが我が妻だ。

スーパーの値引き、商店街の割引、他人のさいふの中味などには目敏いが、他のことはどうでもいいらしい。

例えば私がいつもの通り風邪を引いて居間で倒れていると、その私を平気でふんずけ、「あら、いたの?こんなとこに寝てると風邪が悪化する上に私にけられて怪我するわよ」などと言う。

家の中でそうだから外でもあまりものごとを正確に見ない。

先日、西新井で合唱を習っている娘たちに付き合って、妻も自転車で西新井に向かった。と、道端に中年の男性が一人、仰向けに倒れていた。その中年男のすぐ横を自転車で通り過ぎた三人はそれぞれに「あら、人が倒れてる。助けてあげなくていいのかしら、でも合唱の練習に間に合わなくなるから放っておこう(長女)」「あ、あのおじさん外で寝ている。起こしてあげたほうがいいかしら。でもぐっすり寝てたら悪いからそのままにしておこう(次女)」「邪魔だ、おやじ。倒れているのか寝ているのか知らないけど、もっと壁際でやれ、壁際で!(もちろん妻)」と思ったらしい。

「それでさ、帰りに見たらすごいパトカーの数なのよ。道、封鎖されちゃって。」

「へえ、殺人事件かな?」

「さあ、そんな風には見えなかったけど」

「じゃ、パトカーひまだったから、みんな集まっちゃったのかな」

「そうね、そんな感じだった。だけど迷惑なおやじよね、おかげで遠回りしちゃった」

妻は道端で倒れた不幸なおじさんをさんざんののしって床についた。

明くる朝。新聞を読んでいると三面記事に、妻が見た、という事件のことが載っていた。

「へえ、それでその倒れてたおじさんってそんな有名な人だったの?」

「いや有名な人って訳じゃないけど……読んでみるね。『西新井の路上で中年の男性が倒れているのが発見された。男性のポケットには拳銃が入っており、胸を銃で撃たれて死亡していた。弾は貫通しており、警察では殺人と自殺の両方で調査している』だって。あれ、お前、お前が昨日見たおじさん、銃で撃たれて死んでたんだよ!」

「ゲゲ!」

妻はそう言うなり、黙り込んでしまった。銃で撃たれた人かどうか、すぐ分かりそうなものだ。妻の脳裏に改めて、おじさんの死体が浮かんできたのだろう。しばらくすると、じわじわと目に涙を浮かべ「あの人、撃たれてたのね、ちっとも気がつかなかった」

「気がつかないも何も、下手すりゃ巻き込まれてたかも知れないんだよ」

「ひェ〜」

「犯人が、お前に顔を見られたと勘違いをして、お前をつけ狙ってるかも」

「ギャーー〜」

妻の怯える顔を見ているととても幸せだ。

もし、この日記をごらんの皆様の中に犯人さんがいらっしゃったら、どうか妻を殺さないでください。銃をつきつけ「おい、旦那さんにやさしくしてあげないと本当に撃つぞ」と脅してください。お願いします。

2007年3月25日配信
出来るようになったら
演奏会を開きます


私には、総理大臣に必要な鈍感力は親の代から身に備わっているが、楽器を演奏する技術力がまるでない。

音楽は子どもの頃から大好きなのだが、何をやってもものにならなかった。ピアノは実家に無かったため練習する機会が無かった。

ギターは、二つ上の兄が持っていて、サイモン&ガーファンクルとかビートルズ、あみんなどを得意になって弾いていたのを見て、あんなものはすぐに出来るだろうと思っていたのだが、いざやってみるとどうしても左手がつって出来なかった。あんな難しいやり方でしか弦が押さえられないのだからギターを発明した人間は相当頭が悪い。

トランペットはいとこが吹いていた。指三本で出来るのだからギターより簡単だと思っていた。しかし、実際手にしてみると指は自分でも驚くほどなめらかに動くのだが、音が出ない、という欠点を発見し、断念した。

ピアニカも練習したが、なぜか目が疲れてやめた。

オカリナはあの形と大小色々とあいた穴が見ていて気味が悪くて触らなかった。そうして高校までの大切な時期に何の楽器もものにすることが出来なかったのだ。

社会人になっても、楽器に触れる機会はなく(長女が誕生したとき妻が病院に行っていて、久しぶりに独り暮らしの気分を楽しもうと弾けないギターをかき鳴らしたことはある)、とうとう落語家になるまでハーモニカも吹けないでいた。

落語家になると、太鼓はどうしても敲かなければならない。私はこれを機に、太鼓のスペシャリストになろうと決意した。音程や大した技術もいらなそうに見えたので、一年もたてば太鼓のプロとして食べて行けるだろうと考えていた。

ところが、一年たっても二年たっても、まともに太鼓が敲けない。私は右手と左手をバラバラに動かすという下品なまねが出来ないのだ。それも私一人、好きなようにドンドンテンテン敲かせてくれれば、人を感動させる名演奏が出来るのに、三味線に合わせるという、余計な事をしなければならない。たったこの二つが出来ないために、太鼓も諦めた。

笛も無理だと分かったし、鉦も危ない。

もう楽器は全て諦めよう、そう思った矢先、あるCDで二胡聴いた。とてもいい。私に合っている。恐らく私はこの楽器をするために生まれてきたのだろう。今まで他の楽器が出来なかったのは、二胡をやれと神様が邪魔をしていたのだろう。

私はやる。二胡奏者になる。明日にでも二胡を買いに行こう。そして今度こそ今まで買ったギターや笛、ウクレレのように、物置の肥やしにならないようにしよう。出来るようになったら、演奏会を開きますので、どうぞお楽しみに。
2007年3月18日配信
好二郎が挑戦!
水上アスレチック


自分がこれ程、弱虫だとは思わなかった。体が弱く、頭も少し勉強すれば東大に入れるくらいにしか良くないと自覚はしていた。しかし、水に浮かんだドラム缶を渡るのに、これ程腰が引け、足が震え、顔がこわばるとは思っていなかった。

先日、平日にもかかわらず、子どもたちが家にいた。学校の創立記念日で休みだという。学校なんだから創立を記念して、いつもより倍勉強してもよさそうなものだ。なのに休みだという。

私も偶然、初めて本棚を買った「本棚記念日」で仕事を休んでいたため、家族でどこかへ出掛けることになった。

居酒屋、デパート、遊園地、など様々な意見が出た末、野田にある、清水公園というところに行くことになった。アスレチックコースが名物で、休日はたいへん混むらしい。平日の今日ならきっと空いているに違いない、居酒屋やデパートはいつでも行ける、人の少ないアスレチックコースは今日しかないんだ、という長女の感動的な演説が支持された。

行ってみると、ほぼ我が家族の貸し切り状態だった。他によちよち歩きの子どもをつれた家族が一組、若いカップルが一組しかいない。よちよち歩きの子どもにアスレチックコースが出来る筈もなく、若いカップルだって、なるべく我々から離れようとするので邪魔にならない。広大な敷地が、ほぼ我々のものになった。

天下を取った子どもたちはライオンに襲われ逃げまどう野ネズミのようにあちらこちらと遊び回った。妻は貴重品(小銭、ハンカチ、おにぎり)の入ったリュックを背負ったまま丸太と対決していた。丸太の壁をよじ登ったり、網の中をホフク前進する姿が妙にさまになっている。妻は以前自衛隊か国際部隊に所属していたに違いない。

色々な障害物がある中で、子どもたちの心をとらえたのは水上のアスレチックだ。「失敗したら水の中へ落ちるかもしれない」その恐怖が自然と彼女たちをハイにする。私は普段着慣れない洋装(ジャージの上、ウィンドブレーカーの下、オートバイ用のジャンバー、足袋靴下、ゴムのすり減った靴)だったために水上アスレチックに着いた時は疲れがピークに達していた。

「あれやりたい」子どもたちが指さしたのは、水に浮かぶドラム缶の列だ。あのドラム缶の上を走って、向こう岸まで渡れということなのだろう。

「やりなさい」

「でもこわいねェ」

「じゃ、やめなさい」

「でもやりたいよ」

「あなた見本見せたら」

「余計なこと言うんじゃない」

「そうだ、そうだ、見本を見せろ!」子どもたちはそう叫んで、私が知らんぷりを決め込むと、「根性がない」「弱虫」「カッコ悪い」「意気地なし」「まるで落語家みたいだ」などと悪口を言い始めた。

そこまで言われては仕方ない。

「じゃ、やってやるか」

「オーッ」という歓声が上がる。

ふるえる私はそれを悟られないように、駆け出した。

「ドラム缶の神様、どうか私を水の中へ落としませんように」

一つドラム缶に乗ったらもう止まらない。グワングワンという恐ろしい音に悲鳴を上げながら私は一気に駆け渡った。

死ぬかと思った。岸にたどり着いて涙目で振り返ると、グラグラゆれるドラム缶の向こうに、ゲラゲラ笑う子どもたちがいた。

「ハハハ、やっぱカッコ悪い」

ケッ、二度とドラム缶なんて渡らん。
2007年3月3日
円楽師匠、引退を表明
一門に与えた宿題は大きい

円楽師匠が引退を表明した。

2月25日の国立演芸場で得意ネタの「芝浜」を演じて、思うように咄が出来ない、としてその直後に会見を開き、引退を表明した。

落語は、演者の質(性格、生き方、思考、収入等)が芸にもっとも大きく反映する演芸の一つで、ある程度の年令に達してはじめてお客を魅了出来る。それ故にお客が満足し、自分も納得できる頃に、年令的な限界もくるのだろう。

「一流でいる」期間は、案外スポーツ選手より短い。20年30年第一線で活躍しても、「この噺はもう工夫のしようがない」という域に行くまではなお時間がかかる。

だから落語家はなかなか引退しない。出来ない。年令的につらくなっても、頭はどんどん落語を理解していくのだから。

それを、スッパリと引退表明した。それもその日にやった自分の落語を否定して。

今後、我々後輩は、常に「引退」を考えながら高座をつとめなければならなくなった。また、普段の高座でも、常に自分の落語を肯定したり否定したりしなければいけなくなった(もっとも、ホントはすでにやってなくちゃいけないのだが)。

円楽師匠が引退を表明して、我々一門の落語家に与えた宿題は、大きい。
2007年2月26日配信
早食い、噛まない
湯たんぽに涙……

そんなあなたはきっと
冷え性!?

先日、講談の神田すみれ先生の一門会に出演させていただいた。普段講談を聞く機会が少ないのでとても勉強になった。真剣に講談一席稽古してみよう。すみれ先生はじめ一門の皆様ありがとうございました。またよろしくお願いします。

ところで、その時ゲストでいらしていた俗曲の柳家小寿々さんに、私は冷え症だと指摘された。

「冷え症」。そんな筈はない。私は暑がりなのに。

「そうですよ。自分は暑がりだと思っている人に冷え症の人って多いんです」

それから冷え症の例をいくつか挙げてもらったが、ことごとく私に当てはまる。

「だから、いくら食べても太りませんでしょう。早食いで、よく噛みませんよね。お腹になにか暖かいものを当てると気持ちよくてしょうがないですよね」

あなたは私の生活をどこかで盗み見たに違いない。そうでなければこんなにピタリピタリと当てられる筈がない。

意外と私は食べるのだ。ごはんはマンガのように山盛りに食べる。なのに太らない。

早食いでもある。妻や娘たちが一膳食べる頃には三杯のおかわりを済ませ「ああおなかいっぱい」とつぶやいて寝転がっている。

噛まない。いつものどに小骨が刺さっている人のようにごはんを丸呑みにする。肉もあまり噛まない。目をつぶって食べたら鶏肉も豚肉も区別がつかないのではないかというくらい噛まない。

暖かいものをお腹に当てるのも大好きだ。先日Fさんという方に赤い熊の形をした湯たんぽをいただいたが、初めてそれをお腹に当てて眠った晩はあまりの気持ち良さにちょっぴり涙が出た。

「俺、冷え症なんだって」

「何年も前から私が言ってるじゃない」と妻が言う。

「その上、胃下垂かもしれないって」

「私は胃なんて無いんだと思っていた」

「鯉じゃないんだから胃が無いってことないだろ」

「へぇ、鯉って胃が無いの?その割にはあなたよりしっかりしてるじゃない」

どうして妻の物言いは冷たいのだろう。妻は他人に対して冷え症である。
2007年2月20日配信
どうしてもいるの?と妻
仕事でいるんだ。
みんなもってるし



先日、池袋で買い物をした。これは別に珍しいことではないし、従って文章としても何の面白味もない。

先日、家族揃って出掛け、買い物をした。これはちょっと珍しい。

我々家族はそれぞれに違った趣味があり(私は「安いもの」が好きだ。妻は「高価なもの」を好み、長女は「学校の友達が持っているもの」を欲しがり、次女は「変なもの」が大好きだ)まとまって一カ所に買い物にいくことがめったにない。

先日、家族揃って出掛け、私の買い物をした。これはかなり珍しい。

いつも買い物というと、妻が欲しがる高価なものか、長女が求める必要なものか、次女がみつけた無駄なものか、三人が我慢できないお菓子に決まっている。その中に私のものは一切ない。

私が欲しがると「高いじゃない、ダメよ」とか「必要ないわよ、あなたには」とか「無駄、買わない」とか言われておしまいなのだ。だから「私の買い物をした」というのはとても珍しい。

といっても、私の欲しがるものをわざわざ買いに出掛けたのではない。長女の服が必要になって出掛けたのだ。卒業式だか入学式だかに入用らしい。バランス感覚が悪くて、しょっちゅう転んだりぶつかったりする長女にそんなまともな服はいらないだろう、学校の行事なら体操着でいいじゃないか、と主張したが、「あなただってくだらない咄をするのに高価な着物着てるでしょ」という一言で退けられた。芸というものの尊さを知らない妻はしょうがない。

長女の洋服選びはあっさりと済んで、せっかく池袋まで来たのにすぐ帰るのは勿体ないな、という雰囲気が一瞬流れた。私はこの好機を逃さない。以前から、池袋のハンズで買いたいものがあったのだ。「せっかくだから、ハンズ寄ってかない?買いたいものがあるんだ」あの時の私は何と勇気があったことだろう。まさに清水の舞台から飛び降りて再びはい上がるような気持ちでそう言ったのだ。

「え?何買いたいって?」

「ミニ硯セット」

「は?」

「小さい硯」

もうだめだと思った。妻の目ははっきりとダメだと行っている。

「どうしてもいるの?」

いらないわよね、と言っている。負けるな。ここで負けてはいつもの俺だ。

「ウン。いる。仕事でいるんだ。みんなもってるし」

バカ!なぜ子どもみたいなことを言う!第一ミニ硯が仕事で必要か!

妻は鼻で笑って、

「で?いくらくらいするの?」

私は考えた。どうすれば、この難攻不落を誇る妻からミニ硯セットがうばえるのか。私の頭に「朝三暮四」という言葉が浮かんだ。そうだ、その手がある。

「いくらするのよ」

「うん。この間ね、銀座のあるお店で見たら、二万四千円したんだよ」

「買える訳ないじゃないの、何言ってんの?正気?」

「待って、話は最後まで聞いて下さい。それをなんと、質は違うけど同じようなセットで、二千円くらいなんだ」

「マア、安いわね」

そう、妻は高い値段を聞いたあとにドンと安い値段を聞くと思考が止まるらしい。止まっている間に店に連れて行ってミニ硯セットの前に立たせた。そうしてとどめの一言を放った。

「あ、千円になってる!安い!この間二千円だったと思ったのに千円だ!今だけかも知れないなあ、わーい、安い!」

私は必死だった。もともと千円だということは知っている。しかし始めから千円と言えばダメと言われるのだ。

「・・・・・・へえ、安いじゃない」

やった!ついに妻の口からこの言葉が出た!止まった思考に「買え」という命令が出た証拠だ。うれしい。涙が出る。こうして私はついに、ミニ硯セットを手に入れた。

おい、子ども達よ。遊びに使って割ったりしたら承知しないからな!
2007年2月11日配信
新潟ガーゼ事件
18年の苦悩
憤る好二郎


何度もこのHPで告白してきたから心ある読者なら憶えていると思うが、私は以前から鼻炎で苦しんでいる。飲み薬を毎日のんでいるので少しはいいのだが、それでも春先だの埃っぽい時など苦しくてしょうがない。

ちょうど今の時期、特に今年は変に暖かいし乾燥してるから鼻の中が詰まる上に乾く。外気が直に喉に当たるようで喉まで痛い。鼻に湿り気を与えようと湯気を吸ったり薬をぬったりすると、とたんに鼻水が出てきてうっとうしくなる。いっそ鼻ごと取ってしまいたくなる。

手術をして治してしまおうか。そんなことも考えた。しかし、今度の新潟の事件で、手術をする気はうせてしまった。

新潟の事件とは、こうだ(詳しくは知らないがたぶん・・・・)。

新潟のある病院で、鼻の手術をした人がいた。私のように鼻炎か何かで苦しみ、思い切って手術したのだろう。ところが、その後、どうも調子が良くない。手術をしたばかりだから仕方がないのだろうと思っていたが、それからしばらくしても鼻が苦しい。そんな毎日を送っていたある日、「ふん」と思い切り鼻をかんだ。と、鼻の穴から何かが、飛び出してきた。

鼻クソにしては妙だ。何だろうと思ってよくよく見たら、これがガーゼだった。

そう、手術の時、血止めに使ったガーゼを、医者は取り忘れていたのだ。なんと、これに気づいたのは、手術から、18年もたっていたのだ・・・・・。

ああ、考えるだけでも恐ろしい。18年。18年間、ずっとガーゼが鼻ン中に入っていたのだ。相当苦しかったろう。この人は、よく我慢したものだ。

毎日毎日「どうみょ、鼻ぐわつみぁるなあ」と思っていた筈だ。

そりゃつまるよ、だって本当にガーゼがつまってたんだもん。

私と同じで点鼻薬をシュッシュッとやっていただろう。

その度に「どうみょ、効かないにゃあ」と思っていただろう。効きませんよ、だってガーゼがみんな吸い取ってますもん。却ってガーゼがふくらんで鼻詰まらせたでしょう。ああ、考えただけでも苦しい。鼻が詰まる。

臆病な私は、手術はしない。ガーゼ入れられるくらいなら、普通に詰まっている方がいい。

もうすぐ春、ガーゼを詰めたように、私の鼻はピタッと止まる。それでも私はガーゼが入っていないことに感謝し、この鼻でやっていくのだ。新潟のガーゼ様、どうぞお大事に。


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