好二郎
動・静
 日々の思いをイラストを交えて淡々と綴ります 好二郎
この連載は、原則として、五・十日(ごとうび=5と10の日)に更新します  過去の動静一覧  表紙へ戻る
 
2007年8月、9月、10月

「いや、本当にいたんだ」
薬にやかんに蚊取り線香


いる。確かにいる。

肺炎で体力の弱った私は、ここ何日か食事とトイレとうがいと薬服み以外は自宅の薄い布団で安静に寝ていた。寝るといっても充分に眠れる訳ではなく、少し横になると薬のせいか汗をかき、起きて着換え、着換えると体が冷えて咳が止まらなくなりまた薬を服み、薬を服むと眠気がおそって布団に入り、布団で寝息を立てるとまた汗をかき……とこんなことを繰り返していったい今が昼間なのか夜なのかわからないという状態が続いた。

もっとも本当に昼なのか夜なのかわからなかった訳ではなく、子ども達がいない、妻がとなりで寝ている、妻が枕元で薬を揃えている、妻が足元で保険金の計算をしているなどの行動でだいたいの時間はわかった。

で、その夜、体調が劇的に昨晩と同じ状態で変化が無く、フラフラと布団に入ると、その気配を感じた。

いる。確かにいる。

しばらくウトウトすると汗を大量にかいたために目が覚める。と、同時に指先にかゆみを感じる。間違いない、蚊に刺されたのだ。布団に入った時から感じていた気配はやはり蚊だった。右手の中指の先を刺されたからかゆいなんてもんじゃない(これはかゆくないという表現ではなく、すごくかゆい、ということだ)。

肺炎で弱った体に、10月の蚊か!

いら立って跳ね起きたが蚊を退治する程の体力はない。ふと隣を見ると妻が食べ物の夢でも見ているのであろう時々「へへへ」などと笑いながら安楽に寝ている。

蚊よ、奴を刺せ!あの女を刺せ!冷血な生き物だが血は確かにある!弱った俺をこれ以上苦しめるな。

翌朝、妻に蚊がいたことを告げると、鼻で笑ってあしらわれた。

「この時期にいる訳ないじゃない」

「いや、本当にいたんだ。指先を刺されて、ただでさえ眠れないのに昨夜は一睡もできなかったんだぞ、耳元でプーン、プーンっていうし」

「幻聴よ幻聴。肺炎でそんな風に聞こえたのよ。でも幻聴になるようじゃ本当あぶないわね」

「幻聴じゃない。それにあぶなくもない。本当に蚊がいたんだ、信じろ、本当だ、体温計に賭けてもいい」

「わかったわよ、で、どうしろっていうの」

「蚊を殺してくれ。俺がゆっくり眠れるようにしてくれ」

「何言ってんの。あなた夜中に着換えたり布団敷き直したりバタバタやってて、ゆっくり眠れないのは私のほうよ」

「わかったごめんなさい。蚊は俺がなんとかするから俺を殺さないでくれ」

その晩、布団に入ると、また気配を感じる。プーンと音がする。

くそッ、蚊め、なぜ妻を刺さない。プーン。来るな。プーン。ああ、なぜ俺ばかり攻めるんだァ。

秋の蚊は、弱った人間に襲いかかってくるものらしい。

薬にやかんに蚊取り線香、私の枕元は実ににぎやかである。
2007年10月28日配信
「誰の弟子?」と医師
手に笑点メンバー人形


地球が丸いということが事実であるように、私の体が弱いというのもまた動かせない事実である。

9月の後半からどうも体がダルくて咳が出るなあとは思っていた。ただ季節の変わり目はいつもそうだし、ここ二、三年は季節の只中でも不調だから、いつものことだと気にしてなかった。

ゴホ、ゴホ。

咳は一週間たっても治らない。頭も痛くないし、それ程熱もないから、アレルギーが原因だろうと思っていた。

ゴホ、ゴホ、ゴッホ。

それから二、三日たったが、咳はおさまるどころか悪化していく一方だ。落語をしている途中で咳き込むことが多くなってきた。

ゲホ、ゲホ、ゴホ、ゲホ。

翌日になると夜中に目が覚める程咳がひどくなった。落語の登場人物が皆病人のようになってくる。

ゲホ、ゲホ…

ダニアレルギーや秋の花粉のせいばかりではない気がして近くの病院に行ってみた。

検査を終えて、お医者様の前に座ると、「入院した方がいいですね」

「え?」

「肺炎ですね」

「ハイエンですか」

「どうします、入院。したほうがいいと思いますけどねェ…。休めないんですか、仕事」

「ええ。数少ない仕事なので、できれば休みたくないんですけど」

「何してらっしゃるの?……落語家?」

ここでお医者様の目の色が変わる。

「好きなんだよねェ、笑点。誰の弟子?…好楽?……看護婦さん、好楽さんってどの人だっけ?」

看護士のお姉さんが駆け出して、戻ってくると手に笑点メンバーの人形を持っていた。ピンクの着物を着た師匠の人形を差し出す。

「この人か。へえ。そしてこっちが…楽太郎さんか。で、これと仲悪いんだよな」

と歌丸師匠の人形を差し出す。

お医者様はひとしきり笑点人形で遊んで「で、入院しないんでしたっけ?じゃあ、特別に早く治る薬を出しておきましょう。ま、あまり無理しないで…って言ってもたいして大変じゃないんでしょ?あの仕事。ワッハッハ……」

ゲホゲホ、ゴホゴホ…。

このお医者様の出した薬で本当に治るのか、不安である。
2007年10月13日配信
懐かしさで声が出ない

先日、岩手県の釜石市に行ってきた。

大学時代のTさんという友人が高校の先生をしていて、「ウチの学校の生徒に落語聞かせてよ」と言う。

釜石といえばあのラグビー日本選手権7連覇の偉業を達成した新日本釜石の生まれた土地として、当時のラグビー小僧にとってはまさに聖地だ。

私も紅顔の美少年だった時分、松尾、洞口、金子などあこがれの選手を一目見ようと旅行をしたことがある。その釜石へ久しぶりに行けるというのだからうれしい。

釜石は随分変わった、気がした。当時はラグビーにしか興味がなかったから街並みをそれ程覚えていないせいもあるだろう、まるで見覚えのない街だった。ただ、新日鉄釜石の選手たちが練習をしていたグランドは記憶のままだった。Tさんに案内されてグランドの土手の上に立った時には嬉しさと懐かしさで声が出ないくらいだった。

Tさん連れて来てくれて、ありがとう。

学校での落語が終わったあとは、近くの飲み屋で校長先生はじめ何人かの先生方と楽しく飲む。とにかく肴は旬のさんまをはじめ海産物がおどろく程おいしい上に先生方の話も面白く、二軒目に行った“のんべ横町”なども私好みであっという間に時間が過ぎた。最後はTさんの旦那さんにごちそうになって宿に帰った時には泥酔状態だった。

ま、それにしても人間変わるものだ。学生の頃のTさんはとても教師というような真面目な仕事ができる人には見えなかった(はっきり言って、いい加減な生活だったのだ。私のような人間と友だちだったことからもそれは証明できる)。それが教壇に立った時、生徒を前に堂々と“教師”になっているのだから驚く。たいしたもんだ。

「それから比べるとあなたは本当に変わらないわよね」と妻が言う。

「変わらないように努力しているからね。それよりTさんから海産物送られて来たろう!」

「そうなの!もううれしいわ。最高よね、しばらくぜいたくな食卓になるわ。ああ、Tさんありがとう」

「マ、僕がTさんの友だちだったお陰だよ。僕に感謝しな」

「そうね、あなたが釜石に残っててくれたらもっと感謝したのに」

「ふん。それより色紙ない?Tさんに頼まれたんだ、色紙書いてって」

「え?Tさんはこんなにおいしい海産物をたくさん送ってきてくれて、あなたは色紙を送るだけ?」

「そう」

「うわあ、それって詐欺よりひどいわよね、Tさんも旦那さんもおこるわよきっと。ねェ、せめてその色紙あなた直接Tさんに届けてきたら?」

「お前はどうしても俺を遠くへ行かせたいようだな……」

こうして夜は更けてゆく。Tさん、先生方、そして生徒の皆さんありがとうございました。またいつかお邪魔します。みんなもひまがあったら釜石へ行こう!
2007年10月7日配信
天才の芽を
摘まないで


秋になっても暑さが続いたせいか、下の娘が学校から帰ってきて勉強をしている。落書きをしているのかと思ったらちゃんと漢字を書いている。

漢字の書き取りが済んだら、「ことわざ」の勉強までしている。暑さだけではなくどこかで頭をぶつけたのかも知れない。

心配になって「急に勉強なんかはじめるとかえって頭が悪くなるよ」と助言をしてあげたが「パパじゃないから大丈夫」と、さらにノートに向かう。良かった。ようやく次女も勉強をする、ということを覚えたらしい。もしかするとこの娘は生涯ノートに何か書くということをしないんじゃないかと思っていたのだが、まさか小学校五年という、こんな早い段階で勉強に目覚めてくれるとはありがたい。

「今日、何覚えた?」

「針小棒大」

「どういう意味?」

「針ほどの小さな事を棒ほどに大げさに言うこと。マ、パパの話みたいなもんだね」

正解だ。次女はどうやら本気らしい。この調子なら「ことわざ博士」とか「四字熟語天才女史」と呼ばれる日も近いだろう。

ところが、せっかく本気になった次女の前に嫌なニュースがとびこんできた。

ある研究所がヤマメからニジマスを産ませることに成功した、というのだ。将来的には、サバからマグロを産ませようとしているらしい。

ヤマメからニジマス。サバからマグロ。これはいけない。これでは、「カエルの子はカエル」ということわざが使えないではないか。

「ヤマメの子はニジマス」では意外だが何の教訓もない。

「とんびが鷹を産んだ」もダメだ。「サバがマグロを産んだ」ほどのインパクトに欠ける。

「サバをよむ」もいけない。「このサバはサバを孕んでいるのかマグロを孕んでいるのか見極めること。転じて良い親か悪い親か調べるの意」などと意味が変わってくる。

このまま世の中が進んでいくと、次女が一生懸命覚えたものが何一つ役に立たなくなるんじゃないだろうか。

次女がまだ教科書を読んでいる。

「ねェママ、他に何かことわざ知らない?」

「そうねェ、ピンポン暇なし」

「なにそれ?」

卓球してると他のことはできないってことよ、忙しくて」

「面白いね、他には?」

「鬼の居ぬ間に電卓。これはパパが居ないスキに家計簿をつけるってこと」

じゃあ、知らぬがホットケーなんてどう?知らない時は放っといたほうがいいって意味」

「いいわねェ。じゃこれはどう。笑う門田に服着せる。裸で笑ってる門田くんはみっともないから服を着せてあげようって意味」

とうとう次女は勉強を投げ出して、いつもの通り下らないことを考えるのに夢中になっている。

妻よ。なぜお前はあれほど勉強しろ勉強しろと口うるさく言うくせに子どもたちの邪魔をする!

天才の芽を摘む!

やるきという木をなぎ倒す!

やはりどうやっても子は親に似てしまうのか。サバから産まれたマグロが、サバの味でないことを祈る。
2007年9月29日配信
足に効く
足つぼがない!?


古い本をめくっていたら、しおり代わりに挟んだのだろう、黄ばんだ紙切れが出てきた。見ると、足の裏の絵が描いてある。その足の裏はいくつかの部分が赤い線で区切られていて、「目」とか「心臓」「胃」「肩」などと書かれてある。どうやら足のツボがどこに効くかを記したものらしい。

近ごろ肩が凝るので、「肩」のところを自分の足でさっそく試してみる。なんとなく効いてくるから面白い。直接肩を叩いたりもんだりするより血が通う気がする。

「目」も押してみる。あまり痛くないので、ボールペンの後ろを使ってグッと押す。気持ちがいい。目薬を差してジタバタするよりいい。

「心臓」は、押そうか押すまいか迷う。押した途端にいつもの三倍も速く動き出したらこわいし、反対にピタッと止まっても嫌だ。あまり心臓に負担がかからないようにソッと押す。

次は「生殖器」だ。かかとの一番端のところにそのツボはあるらしい。なんだか楽しみだ。どんな効果があるのかは知らないが、とにかく夢中になって押してみる。

「なにしてんの?」

例によって妻が、私の楽しみを邪魔する。

「別に」

「別にって何かしてたじゃない」

「ただ足のツボ押してただけだよ」

「足のツボってどこに効くツボ?」

「君にはまるっきり関係ないところのツボだよ」

妻がツボの紙を取り上げて眺めている。

「効くのかしら」

「効くよ。肩なんて直に押すよりよっぽどいいよ」

「じゃあ私はどこやろうかしら」

「口なんかどう?少しは静かになるかもよ」

「私も肩にしようかしら。近ごろすごく凝ってるから」

「頭のツボのほうがいいんじゃない。少しは僕にやさしくなるかもよ」

「いい加減にしないと直接目玉押すわよ」

「かんべんしてください」

「それより最近、脚が痛いのよね。ずっとむくんでる感じがするのよ」

言われて見ると妻の脚はひどくむくんで見える。ただし、それがむくみだとすると、私と出会った時から妻の脚はむくみっ放しということになる。

「脚がむくんでいるから足首も痛いし、足の裏もなんか痛いのよね」

一日中ふとんにゴロゴロしているのに痛むのだから妻の脚は大分弱っているらしい。

「あ!」

妻が小さく叫んだ。この声を出した時は何か発見したか、お金をひろったかのどちらかだ。

「どうした?」

「見て。足の裏のツボには、足に効くツボがないのよ」

「え?」

「足に足のツボがないのよ。どうして?足に心臓や肝臓や目だの耳だのって色んなツボがあるのに、どうして足に足のツボがないの?」

「……足は、マァ直接押してるんだからそれでいいんじゃないの?」

「何それ?じゃ肩だって直接でいいじゃない、足の裏まで遠出しなくたって」

「遠出?いや足はだから、心臓といっしょに足にも効いてるんだよ」

「え?一つのツボで心臓と足に効くってこと?信じられない。足と心臓よ、全然似てないじゃない。足が心臓みたいにドクドク動く?」

「気持ち悪いなその足は」

「でしょ。足に効く足の裏のツボはやっぱりないのよ。やーね。足の裏って第二の心臓なんて言われてるけどたいしたことないわね。自分自身のことは何もできないくせに他のところばっかりおせっかいね。まるで○○さんみたい。そういえば○○さんってねェ……」

妻に効くツボはまだみつかっていない。
2007年9月14日配信
10年越しの「恋人期間」を終え
正式に結婚「お幸せに!」


世の中を利口な人間と利口でない人間に分けた場合、明らかに彼らは後者に入る。

尊敬できる人間とそうでない人間、静かな人間とうるさい人間、恥ずかしがり屋と目立ちたがり屋、いずれも彼らは後者に入る。

そのくらい彼らはまともではない。

このまともではない「彼ら」とは、五年前から私のために自宅寄席「えんじぇる寄席」を主催してくれている席亭のYさんとその夫、Iさんである。

この二人が先日、10年越しの「恋人期間」を終え正式に結婚した。周りの人たちは「何を今さら」「可哀想なI君だ」などおおむね、予想の範囲内といった反応だった。

「軟禁から監禁へ」「銃を突きつけられて脅されていた人が手錠もされた」などというたとえ話で祝福する人もいた。

で、この二人、結婚の披露を屋形船でやってしまおうということになり、「結婚披露感謝祭&えんじぇる寄席」の開催となった。

大きな屋形船に100人強のお客を集めての披露宴はまず、新郎・新婦の唄ではじまった。新郎は白の帽子に白のジャケット、サングラスに及び腰というスタイル、新婦は本人が希望したという香港マフィアの女ボスという出で立ち。

はっきり言ってバカである。

娘の登場を悲しげな表情で見守る母親と大笑いしている父親の顔が対照的で面白い。

マア、二人がこんな風だから客のほうも大いに楽しんだ。大きなパンダのぬいぐるみを着てきた人や大根の着ぐるみ姿の女性もいて、もう何の集まりだかわからない。島唄や三線の演奏もあってなかなか楽しい。もちろん私の落語もあったが、結婚披露宴にありがちな、堅苦しい想いをすることもなく、いつもの下らない噺を気軽に喋ってきた。宴も後半、両家のご両親に花束の贈呈という段になって、「そうか、結婚披露宴だったんだね、納涼祭じゃないんだね」と皆気付く。

花束贈呈と感謝の手紙を朗読する場面では、前半がバカバカしかっただけに感動的だった。

あたたかい家族と一風変わった友人たち。皆に愛される二人はうらやましい限りである。

世の中を、幸せな人間と、不幸せな人間に分けた時、明らかに彼らは幸せな人間である。
2007年9月9日配信
モンゴル場所
の開催を提案

横綱の朝青龍関が病気らしい。本人も医者もそう言ってるのだからモンゴルへ帰してあげればいいのに、なんとも可哀想である。

生まれ故郷に帰って治療に専念し、ストレス発散にサッカーでもしたほうが早く治るというものだ。

外国人力士には問題がある、などと言う人がいるが、それは間違いだ。今どきちょんまげで浴衣を着て風呂敷で出歩いてるおすもうさんに向かって外国人呼ばわりは失礼だ。文句を言うならせめて洋服の上にまわしをつけてから言うべきだろう。

言葉だってちゃんと覚えてガンバッている。野球やサッカーのように通訳をつけている人もいないし、ウチの娘たちより言葉遣いも丁寧だ(近ごろ娘たちは食事が終わってもごっちゃんです、と言わない)。

ただ横綱は品格が求めらる。品と格だ。強さという格は努力次第で手に入るのだろうが、品は難しい。第一「品」って何だかはっきりしない。

政治家や大企業の社長でも品のない人はたくさんいるし、ホームレスや落語家にも品のある人は血まなこになって探せば一人くらいいる筈だ。生まれつき備わっている「品」もあるのだろうし、だんだんと身に付いてくる「品」もあるだろう。

日本で通用する「品」も、他の国では下品になるかも知れない。モンゴルの「品」が日本とピタッと合うとも思えない。時代によっても違うだろうし、見る人によっても変わってくるだろう。正直、横綱審ギ委員とか何とか、よく力士に「苦言」なるものを呈する方々も、映像で見る限り、さほど「品」があるようにも思えない。

やはり横綱は、その力士が引退してしばらくしてから与えてはどうだろう。現役の最高峰は大関にして、とにかく強ければ品があろうがなかろうが大関にする。その中で、引退して冷静に振り返ったとき、「ああ、あの大関は強いだけじゃなく、品もあって素敵だったねェ」という人に横綱を与えたらいいのに。

そうすれば朝青龍も病気にならずに済んだ筈だ。横綱になれないだろうが、「とても強い大関」として歴史に名を残す。

ああ、可哀想な朝青龍。モンゴルに帰りたいだろうに。

そうだ。これからは横綱の好きな土地で年一場所本場所を開催する、というルールはどうだろう。それなら朝青龍もきっと元気になる筈だ。

モンゴル場所。いい。

大草原に屋根なし。裸馬で土俵入り。

素敵だ。朝青龍関がより強く、より楽しそうにすもうを取るモンゴル場所。ぜひ実現してもらいたい。
2007年8月26日配信
夏の自転車

夏の乗り物として快適なのは新幹線、高級車、飛行機、クルーザー、色々あるが残念なことに我が家にない。

で、夏の炎天下決して乗ってはいけないと思われる自転車しかないので、仕方なく自転車で出掛けている。

暑い。ジリジリと太陽が照りつける中を自転車で走っていると遠火に焼かれる鮎のような気持ちになる。蜂蜜の中を泳いでいるようで前に進まない。

暑い。目的地は遠い。あと20分はかかりそうだ。20分もこのまま天日に干され、太陽に焼かれたら間違いなく私の皮膚は焦げる。

日陰を走ろう。もうろうとした頭の中でこれだけは思いつく。が真夏の昼時分の太陽は日陰を作りたがらない。アスファルトの照り返しで頭上ばかりでなく足下からもジワジワと灼かれていく。両面焼きのグリルで焼かれる鯵の干物のような気持ちになる。

目的地に着いた時にはミイラ化している。なぜそこまでして、自転車に乗るのか。昼は地獄でも、夜は気持ちがいいから、だ。

夏の夜の自転車は気分がいい。クーラーに弱い私にはこの自転車に乗っている時に吹いてくる風がなんとも気持ちがいいのだ。

この夜も、私は喜んで自転車に乗っていた。風が、気持ちいい。と、後ろからやってきた男が私に声を掛ける。

「ちょっと、ライト点けてね」お巡りさんだ。私は止まってライトを見る。このライトは優秀で、暗くなると自然に点くというタイプのものだ。

我が妻が「なんだかこの自転車古くなったし、ライトも使いづらいから新しいの買うわね。その代わりこの自転車あなた使っていいわよ」と言ってゆずってくれたものだが、なる程、時々勝手に消えるライトは使いづらい。

「すみません。ライト点いているつもりだったんですけど、勝手に消えてたみたいで」

「そうですか。じゃ直したほうがいいですね」

お巡りさんが立ち去ったあと、自転車を動かすとパッとライトが点く。これならいいとまた走り出す。すぐにさっきのお巡りさんが声を掛けてくる。

「あの、ライト、点けてね」見ると、またライトが消えている。

「おかしいなあ、さっきまで点いていたんですよ」

「じゃあ、直したほうがいいですね」

お巡りさんの姿が見えている間、自転車を押して歩いていたが、途中でパッとライトが点く。

「よし、これなら大丈夫」とまた自転車にまたがるとライトがフッと消える。すぐお巡りさんが現れる。

「あのう、ライトね」

「ごめんなさい。今点いてたんですよ。お巡りさんが来ると消えるんです。お巡りさんが嫌いなんでしょうか。それとも照れているんでしょうか」

「……あなた、職業は?ああ落語家さん。へえ。……それでも、直したほうがいいね、ライト」

結局、お巡りさんにあとをつけられているような気がしてウチまで自転車を押して歩いた。暑い。

夏の自転車はやっぱりいけない。
2007年8月18日配信
暑さでやられたのか
男の人がグッタリ


夏の暑さはこたえる。

春の花粉や冬の寒さ、秋の淋しさなども身に染みるが夏の暑さが人間に与えるダメージは大きい。特に、与えられる人間が、「病人である」「老人である」「箱入りむすめである」「私である」などの場合はダメージが大きい。

私がグッタリとして家の中で哲学書を読んでいると妻が「図書館へ行ってくる」と吐き捨てるようにつぶやいて家を出て行った。おそらく借りた本にしみがついていたから取り替えろとか内容がつまらないから処分しろとか何か苦情を言いに行くに違いない。

ソクラテス、プラトン、ニーチェ、などの哲学書を枕に昼寝をしていると、図書館に行った筈の妻から電話がかかってきた。なぜか背中に冷たいものを感じる。

「なに?どうしたの?図書館への行き方を忘れた?それとも家の帰り方忘れた?もし図書館のほう忘れたなら大通りに出て陸橋の下くぐるとすぐ左手だよ。家のほう忘れたなら、大通りを真っ直ぐ、右に曲がると駅だから、そこで切符を買って青森の五所河原駅から徒歩三分のところだよ」

「ひっぱたくわよ」

「ごめんなさい。ところで用が無いなら切るよ」

「あるわよ」

「何?」

「私、また死体見ちゃった」

妻が死体を見るのに“また”と付けたのには訳がある。

何ヶ月か前に銃で撃たれた男の死体をそれと知らずに発見していたのだ。

「また?」

「そう。今度はうちのすぐ近く。あそこの駐車場に車が変な形で停まっててね、その車、警察が二人で見てんの。なんだろうと思って見てたら、運転席で男の人がグッタリしてて、警察がドア開けたら、ダラーンて男の人の片足出てきたのよね。暑さでやられたのかしら。……じゃ、そういうことで」

電話は切れた。

まるで魚屋で売られていたイワシの活きが悪かった、と報告するように淡々と話す妻がこわい。はじめて死体を見たときは涙を浮かべて驚いていたのに、たった一度で免疫ができたのか。

妻の行くところ、死体がある。妻よ、お前は死神か。
2007年8月8日配信

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