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ドイツ旅行1)トロントのクレアと再会


今年になって、ドイツ旅行を計画していました。義兄も八十を超え、義姉の76歳の誕生日が5月24日なので、皆まだ元気なうちに会ってこようと思ったのです。飛行機の切符を買ったのが3月3日でした。ところが、大震災が起き、福島の事態によっては行くのをやめようかともおもっていました。なにしろ、チェルノブイリ原子力発電事故の影響を身近に経験した彼らのことです。しかし5月に入りやはり行くことにしました。今日本は梅雨と聞きましたが、カナダの東海岸は5月一杯毎日雨が降ったようで、草ぼうぼうの我が家に帰ったのが昨日27日です。

予定は一週間で、20日にセントジョンを発ち、トロントの親友クレアのところに一泊してからのフランクフルト行きでした。前書いたと思いますが、クレアとは1969年、ウェスターン大学で図書館学を一緒に学んだ仲で、彼女は1971年から2000年までセントジョンの学校図書館で働いていました。1995年12月19日ロルフが脳卒中で倒れ言語を全く失ったとき、毎日電話をかけて励ましてくれた唯一の人でした。

ロルフのファミリードクター初め、病院の医師連もロルフをアルツ病の患者が入って居る施設に入れるように言いました。それでドイツの義兄ホストに翌年1996年三月に来てもらい、皆に言われるまま施設の見学などをしました。ところが、黙っていましたが、私は人の言うことには本当は耳を傾けていなかったのです。1996年四月の終わりに、さっさと、ロルフを家に連れ帰りました。医者、看護婦から、これは24時間看護だと脅かされましたが、聞き耳はもってません。話すことはできませんでしたが、このことだけは、主人に感謝されたと思っています。2003年亡くなるまで、ロルフはまったく手の掛からない病人でした。言葉を失ったからと医師の意見だけで、アルツ病棟に入れられる人が沢山居ると思うと今でもぞっとします。言葉を失ったからといって、理性を失うとは限らないのです。

ロルフが亡くなった翌年の2004年三月、お礼のつもりもあって、いつも行きたいと言っていたクレアと日本旅行をしました。旅行好きで毎年数回世界のどこかに行く彼女ですが、今でも日本旅行が一番良かったと言います。また一緒に行きたいとも言っています。

まずい写真ですが、最初の写真は湯河原の宿に泊まった時の7年前の写真です。あとの写真は先週20日トロントで彼女にてっぱん焼きをご馳走になったときの写真です。中国人経営のお店です。一晩彼女のコンドに泊まって、翌日朝早く二人で散歩をしたあと、お昼はCongeeという中国のおかゆ とヌードルをご馳走になり午後五時半のフランクフルト行きの飛行機に乗りました。

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