◆信濃路(中山道)と浦島太郎(長野県)

2002/5/4

世の中はGWとか言いまして、全国の働くお父さんや働かなくていいおとうさんも、それなり家族サービスでご苦労が多いと思います。本来ならば、最低、3泊4日ぐらいの遠征計画を立てたいへら屋さん家業ですが、これがまあ、なかなかうまく行きません。いっそのこと嵐のような天候になればご同輩も同じ境遇になるのでしょうが、こういうときに限って・・・。

ま、ともかく、夫婦揃って出かけることにしました。お金が無くても人並みに何処かに行きたくなるってのは、やはり似た者同士で、揃って宵越しの銭は持たない(持てない)運命にあるのでしょう。

連れ合いは、30も歳を重ねてから、も一度、女子大なんぞに潜り込みまして、句会などに参加していました。芭蕉とか一茶とか、ボクでも知っているようなメジャーな俳人はその作品も判りやすいのですが、たまに難解なモノを解説めいたことを吹いて、ある意味、へら屋さんより始末が悪かったりします。これにトレッキングなんてものがクロスオーバーしてたひには、これはもう、周りが大変なことになります。

4月のある日の夜。
クワかあ「『馬籠』ってとこに、藤村の生家っていうのがあるのよ。知ってる?」
クワマン「ああ。」
クワかあ「でね、中山道なんてもんを歩くと、もっといいかなっと。思わない?」
クワマン「思わない。」
クワかあ「中央道の中津川ていうところから、すぐみたい。『松野湖』のちょっと先でしょ?」
クワマン「GWなんて、どこも混んでるよ。」
クワかあ「大丈夫よ。朝6時前に家を出れば。」
クワマン「・・・。」(そんな早く起きられるか!!)

お腹がパンパンになっているへら鮒の写真が掲載されている月刊誌をパラパラと眺めながらナマ返事を繰り返していると、カレンダーにしっかり予定を書き込まれた。2,3と「釣り」と書いてあるその横だった。こうなると、諦める他はない。

5月4日。
釣りでもないのに、5時にたたき起こされた。眠い。2日から3日にかけて、ナイターで野池のはしごをして身体が重い。オオスケの顔でも見ていれば多少はいいのだろうけど、釣れたのは例によってゲンゴウロウ(3匹)と久しぶりのカメ!!。気まで重い。しかも、雨が降っている。カッパをリュックに詰め込んで、早速、出発。雨のせいか、R19もすいている。8時過ぎには「馬籠」に到着できて、無料駐車場にもぐり込めた。

馬籠宿にある典型的な民宿「但馬屋」さん。いい感じですねぇ。
藤村の小説「嵐」に「登場する「森さん」のモデルになっている人は、この「清水屋」さん(旅館)の8代目当主。

今は資料館になっています。

駐車場から「馬籠宿」の石畳の坂道を登ると、風情のある町並みが600mほど続いています。観光客用に道は整備されていて、女性ならばハイピールでも楽に歩けます。途中、自販機もないタバコ屋に寄った。携帯灰皿を忘れた。出てきた看板娘さんを見たとき、ボクは思わずドキッっとした。きっと昔は美人だったに違いない。十返舎一九の言う「渋皮」ではない年輪を感じさせる顔は、静かに微笑んでいた。「不況なんでしょうかねぇ。」どうも人では例年より、かなり少ないらしい。

お目当ての「藤村の生家」は、「藤村記念館」になっています。入り口は冠木門になっていて、ソレらしい感じがします。もっとも、本来の生家は焼失して(大火だったらしい)、、地元の人から見れば当代の有名人を輩出したことを自慢したかったのかも知れません。それに藤村は、今で言えば「ええとこのぼっちゃん」ですから、おそらく村民としてもその実家にはそれなりに世話になっていたはずですから、再建には協力せざるを得なかったのでしょう。

それしても、ここでの生活が礎になって、あの激動の時代を描いた「夜明け前」というエンターテーメントで表現できるなんて、やはり只者ではないですね。(って、ボクが言うまでもないですけど。)

「陣場」のバス停を過ぎると、「高札」と「これより中山道」なるメッセージがあります。いよいよ「信濃路」です。クワかあは、「いいね!!」を連発していますが、正直なところ、ボクはもう疲れてしまっています。お腹も空いたし。

「宿」(しゅく)には、たくさんのお土産屋さんと食べ物屋さんがあります。どうしても買ってしまいますね。(^_^;)

これは、ヨモギの「おやき」です。中はつぶ餡。焼きたて。

ずいぶん前に、TVで「中山道」のことを「なかやまどう」なんて言っていたアナウンザーがいました。原稿を棒読みしていたのでしょうが、それにしても呆れたものです。「中仙道」とも書きますね。京都から東山道を経て江戸に至る街道。これぐらいのことは、無芸大食のボクでも知ってますが。

小雨に濡れて新緑が眩しい「中山道」。

水車小屋で休憩をして、馬籠峠に向かいます。道は完全な「遊歩道」になっていて、子供連れでも歩けます。自販機はありませんから、水筒を持参することをお勧めします(あれほど忘れるなって言ったのに!!)

所々に、こんな水呑場があります。上を見上げると民家があるので、ボランテアで引いてくれているのでしょう。

はっきり言って、うまい!!
馬籠峠の頂上。標高801m

この右隣に茶屋があります。笹餅が美味しかった。

峠で一服して妻籠に向かいます。実は、ここにはバス停があります。一日、数本しかありませんが、時間を見計らってショートカットするのもいいかも。

峠を過ぎると、本格的な「街道」になります。

「中山道」のうち特に信濃路は、比較的緩やかな道のようです。トレッキングというよりも、散策といったほうがいいでしょう。実際、行き交う人達は中高年の夫婦連れか若い女性が多いようです。ただ、どっかの登山道のようにアリの行列のようにはならないと思います。そういう意味では、のんびり歩けます。

峠を越えて妻籠の入り口にあたる「大妻」に入ると、宿屋さんが軒を並べます。店先の藤棚がいいですね。

ここまで、およそ6kmぐらいでしょうか。平坦で歩きやすい山道と石畳の繰り返しですが、実際、歩くとなると日ごろの運動不足が恨めしくなります。

妻籠の街並み。

「道の駅」が近くにあるせいでしょうか、想像以上に観光客が多くなりました。ボクたちは馬籠に車を置いて中山道を歩き、この妻籠からはバスで戻るコースを選択しました。逆のコースもいいでしょうけど、登りの道が長い分だけ辛いかもしれません。おみやげ屋さんのおばちゃんに聞いたところ、馬籠からここまでは、10kmはあるとのことです。ガイドブックには7.6kmって書いてあるよ、と突っ込んだら「正直に10kmなんて書いたら、誰も歩かないでしょ?」ですって。なるほど。

さて、昼食はリクエストに応えて蕎麦。これが・・・。

馬籠まで満員のバスで戻ってR19を北上しました。お目当てのお蕎麦屋さんには、すっかりお腹が空いたPM2に到着。やたら混んでいましたが、まあ、それなりに「有名」なところではあります。が、肝心の蕎麦は、お勧めできません。

まず、お蕎麦。二枚重ねで1000円。ま、こんなもんでしょう。ところが、プラスチックの入れ物の中に、ドテッとお蕎麦が盛ってあるのが出てきました。ありゃ?セイロはないの?ボクは3枚重ねを頼んだのですが、これが大失敗。案の定、食べてるソバから麺が水をどんどん吸い込んでいきます。これをフツウ、「のびる」っていいますね。子供ころから「早飯、早グ*、芸のうち」などと言って早く食べることは善であるという躾をされているので、ボクはそれほどの被害はありませんでしたが、連れ合いのは見るも無残な状態。しかも、麺ツユは「カエシ」ではなくて、ほとんど天ツユ。そしてトドメは蕎麦湯。これが、何の味もしない。それもそのはずで、異常に薄い。おそらく、客の注文に応えられず5倍ぐらいに薄めているのでしょう。敢えて店の名前は書きませんが、ボクは頼まれても二度と行きません。

今日は、雨模様のせいか道も空いています。調子の乗って、「寝覚めの床」へ。

手前にあるのは、中央本線です。振り子電車が走っています。

浦島太郎伝説の「その後」のお話です。
竜宮城から帰ってきた島君は、知り合いが誰もいない世界にびっくり仰天。相対性理論の日本版実践編とでも言うのでしょうか。ともかく、途方に暮れてあてもなくさ迷いながら辿り着いたのがここ。で、おみやげの玉手箱を開けた場所。白い煙で寝てしまって、やっと目が覚めた。で、目覚め床。ということになっています。入場料を払うと「臨川寺」。名前のとおり臨済宗のお寺です。ここにも芭蕉や子規の碑があります。で、ついでに「宝物館」には、浦島君が使っていた釣竿とかが展示されています。ただの竹の棒ですが。(^_^;)

木曽川の急流が作った作品です。

以前、名古屋から松本まで中央本線を使ったとき、このへんで車内アナウンスがあったのを思い出しました。わざわざスピードを落として見せてくれました。もっとも、ボクは痛いのと高いのは苦手なので、見向きもしませんでしたが。
要するに、木曽川の急流が花崗岩を削って創出した芸術品で、まあ、ここを通った旅人ならば、一度は覗いて見たくなるような景観でしょう。

ここまで行くのは、ちょっと大変です。

こ、怖いよぉ〜。

というわけで、最後まで歩きました。おかげで、足といい腰といい、乳酸が増殖しました。確かに、健康にいいでしょうね。

おしまい。