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天橋立の「根性桜」

2010年のお正月、家族で宮津・久美浜へ自動車旅行に連れて

行ってもらいました。天橋立は思いがけず豪雪に見舞われ

、傘松公園の展望台でこの根性桜を見つけました。「幹は曲

がり、樹皮は苔むして枝葉の殆どを失っても、風雪に耐え一

本だけ、孤高を守るがごとく、毅然として天の橋立を睥睨し

ている姿は我等認知症老人の鑑である」と思いました。
白浜の「三段壁」
平均50mの高さの大岩壁が約2kmにわたり海に突き出している。風の

強い日には、砕ける波頭と岩壁が勇壮な光景を織りなし、力強い自

然の美しさを見せてくれる・・・・ロールオーバー画像は

「東尋坊」 

時は寿永、民に巨悪の限りをつくした東尋坊という名の怪力の悪僧

。在所の美しい姫君に心を奪われた東尋坊は、恋敵である真柄覚念

という僧と激しくいがみ合ったとされる。ある時、岩場の上で酒宴

を催した真柄覚念は、すきを見て東尋坊を断崖絶壁から突き落とし

た。天候はにわかに崩れ、雷と暴風雨が四十九日続いたそうな。毎

年命日にあたる四月五日は、東尋坊の怨霊が大波と化し、岩壁を激し

く打ち殴り続けたとか。



津和野の景観と鷺舞のオブジェ

津和野は「つわぶきの生い茂る野」をその名のルーツにもつと

いわれる。山紫水明のこの地に住みついた人々は、群生する「

つわぶき」の可憐な花に目をとどめ、その清楚で高雅な風情に

魅せられ、自分たちの住む里を「つわぶきの野」・・・「つわ

の」と呼ぶようになったという。

明治維新前には津和野藩亀井氏の城下町であり、山間の小さな

盆地に広がる町並みは、「小京都」の代表格として知られている

鷺舞(さぎまい

主として八坂信仰の神社にて奉納される伝統舞踊津和野町

のものは「津和野弥栄神社の鷺舞」として国の重要無形民族文

化財に指定されている。(1994年〈平成6年)


 鷺舞は天文11年(1542)に時の津和野城主

吉見正頼(11代)が山口の祇園会から移し入れた

芸能神事ですが、本元は京都の八坂神社祇園会に伝え

られたもので、京都から山口へ、山口から津和野へと

伝えられました。

小樽の運河
小樽運河は、大正12年に9年の歳月をかけて完成しました。

内陸を彫り込んだ運河ではなく、海岸の沖合いを埋め立てて造

られたため、直線ではなく扇型に緩やかに湾曲しているのが特

徴となっています1986年には小樽臨港線が開通する。散策路や

ガス灯が整備され、大きく様変わりした運河周辺は、小樽の一

大観光スポットに成長し、1996年には都市景観100選を受賞し

た。。駅からまっすぐ北へ歩いていくと博物館前の交差点があ

り、渡ると直ぐ小樽運河である。対岸の河沿いに、由緒のあり

そうな小樽倉庫No.2、大同倉庫、渋澤倉庫、清水鋼機、・・港

運会社、などと書かれた古い倉庫が立ち並んでいる。

札幌の時計台

北海道大学の前身である旧札幌農学校の演武場として、1878年

(明治11)に建築された。1881年(明治14)、塔の4面にボストン

・ハワード社製の振り子式時計が設置された。1世紀以上も時を

刻み続けた時計は、毎正時に澄んだ鐘の音色を響かせて札幌市

民に時を告げる。

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BGMはドルドラの思い出です

フランティシェク・ドルドラはチェコ出身でオーストリアを中心に活躍したヴァイオリニスト、作曲家です。

思い出おもいで:原題:Souvenir for Violin & Piano)はヴァイオリンとピアノのための小作品。

1904年の作。 Quietly not too quick · ニ長調。4分の3拍子。優美で繊細なヴァイオリンの旋律で

日本国内でも有名。 ...室内楽やヴァイオリン協奏曲、オペレッタなどの大作も残しましたが、

作曲家としての彼の名を広めたのは「思い出」に代表されるヴァイオリンの小品です。


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