◆◇  岡本医院のご案内  ◆◇ 
  所在地: 〒651-0093
    神戸市中央区二宮町4丁目9-11

電話 : 078-221-0522 FAX : 078-221-0522   
診察時間

診察時間
 9:00〜12:00    ○   ○  ○  ○  ○
 17:00〜19:00  ○  ○  ○  /  ○  /

日曜・祭日は休診

岡本医院の概要        トラビアータ 



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診療科目 
 内科         小児科
  担当医師   

         月・火(午前診)・水・木・金・土   医学博士 岡本直人 ( 内科認定医・内科専門医・産業医 )

      
(午後診)               医学博士 岡本政人 〔20115月現在休診中〕     

 予防接種について
予防接種には乳幼児・児童、高齢者にたいする定期予防接種と勧奨予防接種があります。当院では

その両方の殆どがうけられます。
ここでは神戸市のホームページの予防接種に関する情報をそのまま

引用させていただきます。                  
(神戸市 保険福祉局 保険所 予防衛生課)

神戸市保険所予防衛生課の予防接種-種類一覧へ




アクセスカウンター




 
略地図
★ JR 三宮駅又は阪急三宮駅から北へフラワーロード 沿い に徒歩約7〜10
又はJR 三宮駅から東へ高架沿いに歩いて二宮商店 街を北 へ徒歩約8分   




 病気の話  


    私の肺癌体験記                 
     私の前立腺癌体験記     ペールギュントの朝 
   レビー小体型認知症        朧月夜   
   高血圧                浜辺の歌   
    アディポネクチン            早春賦    
         私の網膜中心動脈閉塞症体験記    ラ・カンパネラ     

【花の写真 】 

     屋上の花 (1)     家路       
     屋上の花(3)     千鳥    
   屋上の花(4)  砂山   
       
屋上の花 (5)    ふるさと   
                 
勝手気ままな写真のページ(6 琵琶湖周航の歌

           
写真のページ     私の旅行写真【1 
                     フォトギャラリー
                       私の旅行写真 【2】

  赤字はBGMの曲名です
      昔の話  
       
天勾践を空しゅうする莫れ   児島高徳 
お薬の検索ができます
      

  ☆★☆  ご挨拶  ★☆★ 

岡本医院は終戦後のまだ日本の復興途上の昭和318に、まだ二宮地区や琴緒地区の貧しかった頃に開業致しました。その頃

人口密集地帯であり、二宮市場は人であふれ、売り買いの掛け声も威勢よく、人で人で歩けないぐらいの雑踏ぶりでした。当時高層

建築は殆どなく映画館のセントラル会館跡の太陽会館ぐらいで、その太陽会館も今はないが、布引町の10階建の公団住宅はまだ建っ

ていませんでした。従って屋上から東西南北が眺められ、国鉄の三宮駅のプラットホームが見えておりました。三宮駅のプラットホームか

ら、消防車が走ってお前の家が燃えてるように見えたので、心配になったとわざわざ三宮駅から降りて訪ねて頂いた方もあります。

又人情味豊かな所で、私はホームドクターとして立派に役にたってきたと自負しております。私は神戸生まれの神戸育ちです。ただし

小学校は京都で、ノーベル賞の湯川秀樹の出た京極小学校です。神戸二中から大東亜戦争真っ只中の昭和194入学、終戦後

昭和263県立神戸医科大学卒業の長い苦難に満ちた、しかし医学生のおかげで赤紙も徴用もなかったが、昭和20年6月5

神戸大空襲で焼夷弾のふりそそぐ中、妹と二人妙法寺川の土手を海岸まで必死で逃げまわり、戦後は篠山の予科の寮で飢えて、

背中と腹とがつきそうなと歌っていた、悲喜こもごもの青春時代と学校生活をおくりました。神戸医大の第一回生です。卒後小児科教室に

入局、川崎病院などを経て昭和318現在地にて開業いたしました。又、長年二宮小学校の校医や二宮幼稚園や、あけの星幼稚園の

園医、二宮保育所の嘱託医をやってきましたが、都市のドーナツ化、少子化のため小学校も幼稚園も全部なくなり、且つ私自身が老齢化

のため平成141月1日より内科専門医で、新進気鋭の医学博士、といっても既に43才の中年になった息子の岡本直人と院長を交替しま

した。今にして思えば波乱万丈の私の一生も邯鄲一炊の夢にひとしく、光陰矢のごとく過ぎ去りました。有為転変、栄枯盛衰は世の倣いとは

いえ、現在の閑散とした二宮商店街のシャッター街に涙するのは私だけでしょうか、このホームページは、20年前(2001年)に全くの自己流

で、計画性も統一性もなく、勝手気ままに文字すらもフォントも書式もバラバラで、全くの素人の私が手作りでつくりました。
思いつくままにど

んどん増やしてBGMやデジカメの写真も入れてと欲張りましたのでこんな変なホームページになりましたが、これでも結構愛着が湧いて自

分で自己満足しております。ことに屋上の花は数年来の集大成で、どんどん増えて昔を思い出しながらひとり眺めて悦にいっております。又

私自身、2003年8月前立腺癌に罹患、粒子線医療センターに2ヶ月間入院しましたが、先端医療技術のおかげでこの5月に治療後8年間

生存を果しております。最近の医療技術の進歩はすざまじく、頭の神経内視鏡手術、腹部の内視鏡検査・手術、腹腔鏡手術、開胸、開腹

することなく顕微鏡的手術で昔よりはるかに正確に且つ安全に手術が行われています。検査も最新のマルチスライスCTの画像には驚異の

声をあげ、MRIの画像やペーパーレスレントゲン画像、PET-CTに写し出される癌と転移を知らされ、唖然として茫然自失。私たちの時代

過ぎ去ったことを実感さされています。                                                           

追記:時は流れ、平成も24年となって大学の同級生73名が生存者17〜18名となりました。そしてそのすべてが第一線を引退、且つ本当に健

康な者はほんの数名で、医者の不養生を実際に証明していると思われます。そして生存者は日本男子の平均余命79歳を越えて85〜86才

、入学時浪人が半分以上だったからもっと老齢者が多いと思われます。思えば長生きしたものだ。そして無性に少年時代がなつかしい。 




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           ・ 2009118更新
『熟年呆け易く学成り難し 一寸の光陰軽んずるべからず 

未だ醒めず邯鄲一炊の夢 魂は酒池肉林竜宮に遊ぶ 

醒むれば既に落歯落毛、視力朦朧として背後に迫る死神の幻影に怯ゆるのみ』
2010.6.1


忘却の彼方へうすれゆく 我が八十路の旅は長き短き
2011-9-22