雑文コーナー   2002.2

    



2002.2.28


今日で2月も終わり。

明日からは、ほんと 春 。

うれしいな。うれしいな。



彼が 亡くなった年は、近年まれな豪雪の年で、初雪からドカ雪で、

赴任先から、故郷へ遺体を運ぶのさえ大変でした。


あの年ほど 春を待ち望んだ冬はありません。


彼が亡くなった年は、

一緒に過ごした思い出ばかりが、頭の中で くるくる回っているような1年で、

冬がやってくるのが とても、怖かった。

それでも、涙を拭いて、

その頃住んでた職場の寮の庭で

子供達と雪だるまを作ってやってた。


その翌年は、庭にチューリップを山ほど植えて、

花屋が出来るほど チューリップが咲いてくれたっけ。


おんぼろの寮で、未亡人と幼子二人暮らしてたんだ。

いやー、自分で言ってて涙がでそうです。

でもね、精一杯生きていたんだよ。


家を建てたくて、

お金をためなきゃいけなくて、

フルタイムで働き続けて、

帰宅は いつも子供達と一緒に星空を見ながらで。


泣きながら 泣きながら、それでも、ちびっ子二人を背負子かごに放り込んで走り続けてたようなあの頃。

めちゃくちゃだったけど、それでも、3人で生き延びてきた。

大げさかも知れないけど、よく、生きて今日ここにいるな と思えます。


満開の桜の日に、今の家へ 引っ越してきた。

ちゃんとした家なのに、

やっと手に入れた 死ぬまで住んでてもいい家なのに。

おんぼろの寮に帰りたくて 泣いた。

私の一番大変なときを、

守ってくれた。

あの寮。

私と子供達の 家だった。






2002.2.27


最近、元気が出てきません。

「鬱」とまでは行かないのですが、なんだか、日常生活を送るのが、かったるいなー・・・って感じです。

一番、迷惑こうむっているのは、我が家の番犬です。


名前は  夢(仮名)。

散歩に連れて行ってやる回数が、ぐん と減りました。

4坪程度の広さの庭が 彼女(メス)の 居場所なので、

ごめん、しばらくがまんしててねー って 放っています。


この子は捨て犬でした。


職場の同僚のご主人が、会社の近くで見つけました。


毎日 お弁当のおすそ分けを いろんな人たちから恵んでもらって生き延びてきた子です。

5匹兄弟だったのですが、交通事故とか、病気とかで 3匹はいなくなってしまいました。

たまたま、うちは、お姉ちゃんと一緒に留守番してくれる 犬がほしかったので つれて帰ることにしたのです。



「子犬ですよ」と 


同僚が言うので、洗面器に入るくらいの プリティーなワンワンを 待っていたのですが、



やってきたのは


でっかい 黒犬。


洗面器どころか たらいにも入りきらないような・・・・・・。



「詐欺だ・・・・」 



心の中で そっと呟きましたが、人のいい私は、ため息をつきつき 連れて帰ってやったのです。



その日から、我が家のペットは、ペットではなく、番犬。

家族の一員ではなく、 番犬


そう、番犬。


誰がなんと言っても 番犬。




暖かな、じゅうたんの上を 子供達と 転げ回って遊ぶ 可愛い子犬・・・・ではなくて

屋外の犬小屋を 噛み砕いて、泥まみれになって元気よく遊ぶ 真っ黒で でっかい 子犬・・・。



どこで、間違えたんだろうか・・・・・。



でも、1年近く一緒にいれば、情もわきます、

仕事で、留守がちの我が家の番を きちんとこなしてくれますし、

おまけに、バス道路沿いの歩道のアイドルにまでなりました。


「くろちゃーん」と どこかのおば様の黄色い声・・・・・・。

「麻呂やまろ」と さわやかな女子中学生の声・・・・・。

「やーいやーい ポチ」と 近所の小学生の元気のいい声・・・・・。

「あうあう、れえいぃぃぃ」と 散歩途中のベビーの声・・・・・。


・・・・全部 うちの番犬の名前です。・・・・


不必要に 泣かないし、いつもにこにこ(←私にはこんな風に見えている) 愛想もいいし、

まあ、いいやつです。



ごめんね。



もう少し、私が 元気になったら、また、散歩にいこうね。

春風のなかを、一緒にはしろうね。






2002.2.24


昔々、「戦争を知らない子供達」という歌が、流行っていました。

私は、その歌さえ、古い歌 という感覚の世代です。


それほど、「戦争」という言葉や時代は 私からかけ離れた世界の事です。



でも、身内が亡くなった人たちは あの時代、

今以上にたくさんいたはずなんですよね。

ヒロシマ・ナガサキ の原爆なんて、

理由もわからず おとうさんや、お母さんや、わが子や、夫や、恋人・・・・

親しい人たちが、あっと云うまもなく、どんどん死んじゃったはずなんです。

私みたいな、未亡人だって 山ほどいたはずだし、

戦争孤児と呼ばれる子供達だって 沢山、いたはず。




・・・・で、ふと思ったのです。

その時代の人たちは、どうやって乗り越えてこられたのかな・・・・?




きっときっと、今以上に厳しい時代で、

口に出来ないほどの苦労もあっただろうし

もちろん、絶望に打ちひしがれて、自死の道を選んだ人もいるはずです。

でも、残された人たちは、どうやって、心を立て直して、

明日を生きていく力を 掴み取ったのかな・・・・。




うーんと昔、「おしん」って 連ドラ がありました。

私は、総集編しか見てないし、よく話題になるのは 少女時代編。

でも、彼女も、戦後に夫の自死によって、未亡人になっちゃうんですよね・・・確か。



所詮、ドラマよ、作り話よ って云ってしまえばそれまでだけど、

もう 一回 見てみたいなぁ・・・・。 


うん、わんわん泣きながら もう一度 観てみたいなぁ。





2002.2.22


独身の頃、知り合いだけは結構いた。

でも、ほとんどが女の子。

で、遊び相手には不自由はしなかった。

バブルの全盛時代で、毎日毎日 力いっぱいお仕事をして、ぶっ倒れるまで遊んでいた

遊びのスケジュールは月月火水木金金


「休息日が私達には必要かも・・・・」と つぶやくほど 遊んでいた。

お金もないのに、何してたんだか。


別に悪い事して遊んでたわけじゃないけど。

1日の終わりが まるでドラマの終わりに出てくる「つづく」みたいに

明日はどんな事があるんだろう・・・って、わくわくする気持ちで 眠りについてた。



午前様で、駅前の地下道を 友達と二人でてくてくと 歩いてたら 


ひたひたひたと 背後から足音・・・・。


時計を見たら 午前1時

さーっと血の気が引いたけど 友達が言った一言が笑えた。

「ねえ・・・いづみちゃん。

わたし・・・実は・・・・かばんの中に キャベツが丸ごと1個 あるんだけど・・・・

いざとなったら これで・・・・」



おまえ、キャベツで 何しようと考えてたんだ!?


・・・・ええ、全速力で 走って無事 帰宅しました。





また、あるとき 

ほろ酔い加減での帰宅途中。

私は、当時原付に乗っていたから、

原チャリを押して、徒歩の友達と一緒に歩いてた。


・・・・と 坂道。


原チャリはおもい・・・


2人乗り しちゃおうか?


ほろ酔い加減で2人乗り。

夜風があたって気持ちいい!!(←ノーヘルだった)

おっと、手前は、赤信号・・。

この時間じゃ車もないし、見通しもいいし 

いっちゃえ〜

おやおや、今度はまたまた坂道ね。

車道の2人乗りは気が引けるから

ついでに歩道を坂の上まで走っちゃえ〜



やっと坂の上まで来て、2人で「らくちんだったね〜」なんて 

笑いながら 歩いてたら、後ろから 「ねえねえ」って声。

あーん、だれよ。こんな時間にナンパかい?


と振り向いたら、そこには



おまわりさん



「あんた達、そんな乗り方、だれにならったんだ!!!」とおこられた。

免許証をみせたら

「こんな いい年してんのに、まだそんなバカなことしてんのか。はやくかえんなさい」

と説教された。


いっぱい いっぱい おバカなことを やってきたけど

あの時代

ぴかぴか 光ってた。


今の私の基礎になる性格は、あの時代に作られたと思う。

悲しいことだってあったけど、楽しい事だって山ほどあった。



子供達には、しっかり遊ぶんだよって 教えたい。

学校の勉強より、塾の宿題より、

もっともっと大切なものを 私はそこで学んだから。





2002.2.20


裁判所へ行ってきました。

そして、生まれて初めて「証人尋問」なるものを体験してきました。

実感は 日記 のほうへ乗せています。

でも、泣きながらも、心のどこかにすんでいる おちゃらけいづみ が

黙っていませんでした。

以下、おちゃらけいづみの 「裁判日記」



なんたって、生まれてはじめての体験です。

裁判所って どんなとこか、 まずはじっくり観察です。

ふむふむ 傍聴についての留意事項・・・ 

え? ヘルメット タスキ プラカードの類は持ち込まない事・・・・ これって・・・

これって・・・ 30代の私達もよくは知らない大学紛争時代そのままじゃ・・・



不思議な留意事項ですね。


いまどき、プラカード、タスキ、ヘルメット持参で傍聴する 
熱い
 団体があるのでしょうか。

うーん、この掲示板について「そろそろ書き換えよう」なんて意見する人 

いなかったんだろーなー・・・



私が 入廷する法廷は201号室。


正面の掲示板には、今日のスケジュールが張ってあります。

世の中に 裁判受ける人がこんなに沢山いるなんて 知りませんでした。

私は2番目


中の配置は、映画や ドラマと まったく一緒。

エラい人たちが高い所に座るのは、今も昔も変わりません。

頭の中を「大岡越前」の最後のシーンが かすめていきました。


で、次に気になったのは 壁、カーテンの豪華使用な事!

こーんな 天井から床まで引きずるような ゴーかなカーテン

普通の家じゃ絶対しないよ。

あ、威圧感を出すための演出効果かも・・・。

でも、こんなにすすけてちゃ ちょっと悲しいかも・・・。

そう、カーテンも 壁紙も とっても ゴーカ。

でも、悲しい事に 古さがにじみ出ているんです。

古くなったからカーテンそろそろ替えましょうか」なんて

 意見する人 

いなかったんだろーなー・・・・。


中に入廷しているのは私を含めて11人。

手前の一番奥の高い位置に 検事さん3人。


おお うち一人は女性だ! (←ちょっとうれしい。 ちょっと安心)

それも若くて美人!

いいなぁ 才色兼備って こんな人のことを言うのね。いいな いいな



その右下隅っこのほうに 司法研修生・・かな? 若いハンサムボーイ2人。

・・・・茶髪だ・・・・。 

法律で 「黒髪、断じて黒髪」なんて決まってないもんね。


ま、若いんだからいいか。(←すでにオバサンの感覚)



そして 向かって右側に 職場側の弁護士さん

向かって 左側に私の弁護士さん

正面に 書紀 らしき人2人



少なくとも、この中で 一番頭が悪いのは 私だな・・・。



きっと みんな、もんのすごく難しいと 噂だけは聞いた事のある 「司法試験」

なるものを突破してきた人たちだものね〜。

書紀の人たちだって「公務員試験 合格」の人たちだもんね〜。

でもね でもね

みんな、人間さ

それも、超 常識的な 人間ばかりだもの。

うん、本当に怖いのは 非常識な人間 

だから、ここは きっと 安全な場所ではあるよね。(←心を落ち着かせている)



尋問が終わった後、弁護士さん達から言われた言葉

「いやー、いづみさんは 尋問しやすいタイプで らくでしたぁ」


私「は? ありがとうございます。」 ・・・・・・なにが有難いんだか・・・




いま考えても良くわかんないのですが  これは・・・これって・・・・


ほめ言葉なんですかぁ?






2002.2.17


私が、亡くなる時は・・・・・

ぼけて よいよい になって


「はいはい、おばーちゃん・・・。晩御飯? さっき食べたでしょう。

 あらあら、そっちは お手洗いじゃないですよ。

 もー、おばあちゃんったらぁ。ぼけちゃって 困ったもんだわねぇ・・」と

言われながら、あの世へいきたいなぁ と思います。



 ぼけるのだけは、絶対いやだ とか

 嫁や息子に迷惑をかけたくない と言われる方々も 多いようですが


私は    ぼけたい  です。


なぜなら、ぼけた人間って、みんな、当てにしないから。


人生の真っ只中で、現役ばりばりで、仕事盛りといわれ、

責任もあって、人から当てにされてるとき、いきなり いなくなってしまうのは、

本人も辛いでしょうが、残された家族や、周りの人間も かないません。


だけど、ぼけた人間なら、いなくなっても、

ほどほどの悲しみと、ほどほどの安らぎを 

周りの皆さんに残してあげられるからです。 


「おばーちゃん いなくなっちゃったね(涙)。

 でも、これで、介護から開放されるワ(内心 少しうれしい)」


亡くなった後、周りの事人に、ほんのりと喜びも与えてあげられる・・・・

これって、大往生だと 私は思うのですよ。

おまけに、ぼけた人間自身は、物事がよくわかんなくなっています。


最近は、いろいろな施設も充実していますから、入所してしまえば

とりあえず衣食住の心配は しなくてもいいし、

お風呂だって ちゃんと入れてくれるそうです。


どんなに 年をとってても、

現役バリバリで、頼ってくる人も まだたーくさん いるというのに、

いきなり いなくなってしまうのは、残されたものとしては、つらいものです。


ぼけたくない 周りの人間に迷惑をかけたくない と


堂々と言ってる方達を つい 幸せな人たちだなー と思ってしまう私って

かなりの ひねくれ者ですか・・・・ね? 




2002.2.16

このホームページを、立ち上げる事を考え付いたのは10日ほど前のこと。

1週間前に、ソフトを買いに走って、そして、昨日 四苦八苦しながら、ネットに乗せる事が出来ました。

まだまだ、手直しもいっぱいしなくちゃいけません。

でもでも、これから少しづつ、育てていこうっと。


なんたって、仕事と家事と育児の合間の作品です。

ちびぢひと 大雑把に作った作品です。


実際に法廷に立つ前に、それまでの事を 整理整頓しとこうと思いました。

穏やかに やっとやっと過ごせるようになった矢先の事でした。


このホームページがあれば、いつでも、2002.2.16 の気持ちを確認できます。

途中、まよったり、傷ついたり、思い上がったり、いろんな感情が押し寄せてきても

もう一度、ふりだしを思い出せると思うのです。

ノートに書く日記と違って、常に人様に見られていると意識しながらの記録ですから、

きれい事しか書けないかも知れません。

でも、それでも、いいさ。

何かの形にしておけば、いつか こんな事もあったわねー って言える日も来るでしょう。