私が私をすきなわけ


その4







堰を切ったように あふれ出した言葉。



そして出来上がったHP





自分の想いを 全部吐き出して、そして認めてもらうって事は、同時に 



自分の心を強く、軽く、しなやかにすることかも知れない。




自身のことを「これでいいんだ」と思える事



「これでも いいんだ」と許せる事かもしれない。





やっと 自分のことを認めて、許して、愛してやれる所まで来たのかもしれない。








仕事に向かう私も好き



子供と過ごすお母さんの私も好き



悩んで、泣いて、いやだよう と地団太踏んでいる私も まあ、許せる



それから それから・・・・





沢山の失敗をしてまった私も、



沢山の後悔を抱えている私も、



人間に生まれて、人間として生きて、これほどの悩みを抱えて生きて行く事も





それは 同時に、生きていく事の本質に向かい合わなきゃいけないことなんだろうな。



彼の死に 会わなけりゃ これ程深く考える事はなかっただろうと思う。





向かい合わないで、一生を過ごす人もいるかも知れない。



それはそれで幸せな一生だろう。





でも、向かい合い、悩んで、考えて、生きている私も とても大切で愛しい私だ。



よく頑張っているね と自分で自分に声を掛けてやりたい程に。






それから・・・



全ての自分が許せると言うのは 心が自分だけの世界に留まらない事かも・・・ 



と最近感じている。






心が安定してくると 虚勢を張って、意地っ張りになっていた部分までも



ああ、それは私が悪かった と素直に謝れてしまうから不思議だ。



逆に 嫌な事は「いやだ」と 違うと思うことには 「違うと思う」と



ちゃんと主張できてしまうから また、不思議だ。






自分と違う考え方でも、面白がって受け入れてしまっている自分がいる事も楽しい。





人間がかわいい。



人間が愛しい。



たとえ、嫌いなタイプの人でさえ、



どこかで面白がって付き合っている自分がいる。



その人の心と寄り添える部分を探している自分がいる。







でもさ・・



「自分のしでかした事、全部棚上げにして


 良いとこばっかり 自我自賛して


 それで 人類愛だのほざいてるのね いづみさんって」




そんなこと言う人も居るかもな・・・・










うーーむ でも、当たっているかもな










でもね・・・




それはそれで いいかなと 実は思っている私。








それでも、いいんだよ





一生懸命 生きておゆき。



私の人生を。








深く 深く 考える事を与えられた 私の宿命どおり





一生懸命 生きていくんだよ。