私が私をすきなわけ


その3





夫の命日も過ぎ、やがて、お正月がやってきた。



新居ですごす 初めてのお正月。





もう、ずーっとここに居てもいいんだ・・・と思えたのは何年ぶりだっただろうか。





賃貸住宅でも、夫が居てくれたなら、そこが私の帰る場所だった。



夫のいる場所が 私の家であり、私の居るべき場所だった。




夫が居てくれたから、私はそこで安心して過ごす事が出来ていたのだ。



安心して、子供を育てるはずだった。





でも、彼が亡くなったことで、私は私の居場所をなくしてしまった。



家賃は安いとはいえ、いつかは出て行かなくちゃならない社宅。




そこは私の 家じゃなかった。



常に、いつか出て行く日を想定して 生活し続ける場所でしかなかった。






やっと手にした、穏やかな日々。



これ以上何を望む事があるだろう。



完璧ではないけど、幸せだよね。



でも、完璧な幸せなんて もともとないもんだしさ・・・・。





そんな事を考えつつ、過ごしたお正月。





裁判の封書が届いたのは 七草が過ぎた頃だった。



詳しくは 裁判日記に記載しているけど





封書に目を通した後 私の脳裏には



「約束どおり、自分と向かい合う時が来たのかも知れない」なんて思いがあって



なんだか、タイミングが良すぎて、やけくそに笑えた。




そして、そのすぐ後、自死遺族のサイトと出会うことが 



もう一つのターニングポイントだったと思う。






それまで 私は一人だった。



優しい人々に囲まれながらも、



自死遺族である為に持たなくちゃいけなかった



自責や 湧き上がるつじつまの合わない理屈や、色々な感情・・・






誰と共感してもらえるわけでもなく、



たった一人で、そんな気持ちに折り合いを付けていかなくちゃいけなかった。



甘えたくても、吐き出したくても、自死遺族 という部分を



理解出来る人が身近にいない以上、




たった一人で 納得して、飲み込んで 生きていかなくちゃいけない。







一生 口にすることはないだろうと思っていた。



一生 口にしてはいけないと思っていた。




時折、お邪魔していた死別未亡人のサイトで、そっと呟くのがせきの山だった。



それでも、その掲示板があってくれたから、何とか収まりを付ける事が出来ていた。




その掲示板で出会った人に、自死遺族のサイトを教えてもらい



自死遺族の、掲示板を覗いた時、





びっくりした。







画面に映される沢山の言葉






それは5年前の私の声



5年間の私の叫びだった。





悲しくて、悲しくて、切なくて、苦しくて、



一言書き込みをして、・・・それからはもう、止まらなかった。






 聞いてほしい、聞いて欲しい!!



誰かわかる人、私の気持ちの解る人、



私の想いを、苦しかった私を 悲しくて、やりきれなかった私を



わかってくれる人、聞いてください。



 苦しかったんです。たった一人だったんです。



 悲しくて 寂しくて やりきれなくて、心細くて・・



 そんな私に 一言  「解っているよ」 と 「ちゃんと解っているよ」と



 言葉を下さい。






・・・・・・・・・






そして、迫ってくる裁判の証人尋問。






怒涛のように過ぎていった私の5年間




整理整頓する時が、来たんだろうな。



向き合う時が来たんだろうな。



あの時、約束したように。





ちゃんと するよ。






うん、あなたが死ななくちゃいけなかったわけも、



私がしでかした沢山の失敗も、



逃げずにちゃんと 向かい合ってみる。



そして、全部の現実を、抱きしめて、生きていくよ。







私のしでかした、間違いも、悔しさも



それから 悲しさも



全部 全部 抱きしめて生きていくよ。