寺田屋を訪ねる 京都伏見

京都駅八条口から東寺前の国道1号を南下すると京都市伏見区に入る。
鉄道だと京阪本線中書島駅を下車すると伏見の古い町並みが続く。月桂冠
黄桜などの酒造工場、酒蔵が並ぶ伏見の町は、神戸の灘と並ぶ酒の町だ。
水路が街中を流れる風情は散策も楽しい。
 狭い家並みの中、水路近くに目的の寺田屋があった。江戸時代船宿として
営業していた寺田屋は、京都の幕末維新史の中で忘れることが出来ない。
司馬遼太郎「竜馬が行く」の名場面である、竜馬が寺田屋で捕吏に襲われ
お龍さんが竜馬を助ける舞台だ。
 秋の晴天に恵まれた連休、竜馬ゆかりの寺田屋は多くの観光客で溢れて、
やっと寺田屋前のパーキングに車を駐車した。竜馬人気はさすがのもので、
狭い旅館の中と庭は若いグループを中心にカメラ片手に竜馬話で盛り上がって
いた。自分も、薄暗い旅館の中で幕末維新の舞台に立っている感動をかみしめて
いた・・・・・。

慶応2年(1866)1月13日の深夜、西郷吉之助(薩摩藩 西郷隆盛)、桂小五郎
(長州藩 木戸孝允)との間で薩長同盟を結ぶ大役を終えた竜馬は、伏見の寺田
屋に帰りその夜に幕府側の捕吏に襲われている。風呂場から全裸でお龍さんが
危急を竜馬に伝えたため竜馬は負傷しながらも危機を脱した。

寺田屋はもう一つの事件現場として歴史に登場する。文久2年(1862)4月23日、
薩摩藩の討幕運動の急進派である有馬新七などが、公武合体を目指す島津久光
の命令で寺田屋内で討伐された。幕末時代劇の名場面の一つで、薩摩藩の同士
討ちになってしまった「寺田屋事件」。庭に、9烈士の碑が建っている。
 この騒動に薩摩藩の大山巌(陸軍大臣 日露戦争に活躍)、西郷従道(海軍大臣
等を歴任)、三島通庸(福島県などの鬼県令)など、明治政府で活躍した人物が参加
していた。明治時代に薩摩閥の権力を振るった薩摩藩にも、同士討ちの時代があった。

京都市伏見区南浜町

竜馬暗殺の地 近江屋跡

慶応3年(1867)11月15日、同士
の中岡慎太郎(陸援隊)とともに、京
都市中京区河原町で暗殺される。刺
客は幕末維新史の謎の一つである。

竜馬の故郷

桂浜 坂本竜馬

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歴史・物語の舞台を歩く