大学3年の頃、司馬遼太郎の「竜馬が行く」を夢中で読んだ。幕末維新モノ
が多い司馬氏の作品の中でも、竜馬の人間性をユーモアも交えて表現し
とにかく楽しく読んだ。竜馬に強い関心を持った。
土佐の高知を初めて旅したのもその頃だった。山内氏の城下町として土佐
藩として名を残した「南国土佐」。豪快なサワチ料理と酒豪、土佐犬、高校
野球が強い・・・・・そんなイメージの町を歩き、市電に乗りはりまや橋を過ぎ
桂浜を目指した。
月の名所として有名な桂浜は、土佐が生んだヒーロー坂本竜馬の像がある
ことであまりにも有名だ。小石の海岸には太平洋の荒波が押し寄せ、海を遠く
眺める竜馬の像は思っていた以上に、高い台座の上に立派に建っていた。
その後、京都の東山霊山にある墓、京都河原町の暗殺の地、長崎、下関・・・・
と竜馬ゆかりの地を旅することになるが、いつも桂浜の竜馬像が思い出された。
人間味があり発想がユニークで活動的な竜馬は、ガチガチの封建制社会の
中で桁外れに、組織に縛られない行動力、実行力、勇気があった。やはり憧れ
てしまう。
薩長土肥(薩摩、長州、土佐、佐賀)と言われ、倒幕、維新に貢献しながら、
土佐藩は維新前に竜馬を失い明治になっても中央政界でもう一歩力を得ること
出来なかった。そんな鬱屈とした不満が竜馬伝説に拍車をかけ、ヒーロー竜馬
を生んだとも言われ、桂浜に立派な像が建ったらしい。
土佐から遠く東北の会津へ行くと、飯盛山等の歴史資料館に多くの土佐藩
関係の武器、軍服、文書など展示してある。戊辰戦争の直前まで竜馬と親交
のあった板垣退助、中島信行(初代衆議院議長、神奈川県令)らの土佐藩兵
が会津での初戦は一番槍で活躍していた。明治の世で評価されなかった板垣、
中島、海援隊の生き残りは、桂浜の竜馬像をどんな思いで見上げたのだろうか?
そして、生きていたら竜馬も海援隊を率いて東北へと出兵しただろうか?坂本
竜馬への興味とロマンは尽きることが無い・・・・・。
山内氏ゆかり
桂浜で買った小石を、しばらく熱帯魚の
水槽で使っていた。
平成15年夏に桂浜を訪れた。真夏のい
い天気に恵まれて、気持ちよく散策しつ
つ竜馬の記念館まで足をのばした。
高知県高知市
竜馬暗殺の地 近江屋跡
慶応3年(1867)11月15日、同士の
中岡慎太郎とともに刺客に襲われる。
京都市中京区河原町。
京都の竜馬の常宿