平城宮跡を歩く

奈良県奈良市

奈良市街の西方一帯に、元明天皇によって和銅3年(710)に平城京が造られた。
日本史教科書でお馴染みの「なんと(710)美しい平城京」だ。中国の都城制にな
らって東西約6km、南北約4kmの都市が碁盤の目状に道路も作られた。人口も
20万人も居たといわれ、1300年前の日本の中心であり国際都市でもあった。都
の東外れには護国の象徴として、現在では奈良観光の中心である東大寺があった。

平城京の大内裏として平城宮が造営された。都の北端中央部にあって、東西1・3km、
南北1kmで現在の奈良市佐紀町に位置する。大極殿朝堂十二堂の土壇は現存して
美しい史跡公園として整備されている。
 平城宮は、天皇が生活をする内裏と、儀式をする朝堂院、政治の中心である官庁衛
からなっていた。当時、6000人近い役人が毎日出勤していたらしく、1300年前にも
現代の生活スタイルに近いものがあった。平城京でも昇給昇格、試験成績、業績評価
などの競争社会があったかもしれない。そんなことを思いながら公園を歩いていると、
1300年前がぐっと身近なものに感じられる。
 世界遺産にも登録された平城宮遺跡。奈良の都は世界的な遺跡文化財の宝庫だ。
奈良の人は羨ましいと思いつつ平城宮遺跡を散策していると、史跡の芝生の上でゴルフ
の練習をしている人が何人かいた。堂々とドライバーでボールを打っているオジサンも
いた。どういう神経をしているのか・・・・・。興ざめがしたので早々に自動車に戻り、平城
宮遺跡を後にした。

トップのページへ戻る
古都奈良を歩く
歴史・物語の舞台を歩く

トップのページへ戻る

あをによし寧良の京師は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり

                               万葉集 巻3