東洋医学編 「腹八分」

 先日、診察が終わって部屋を出られる患者さんから、「先生のブログ、楽しみにしています。」と言っていただきました。すっかり忘れていましたが、1人でも楽しみにされているなら頑張って書かないといけない、これはいつものパターンです。2ヶ月空いたので先回以後世の中の変化が目まぐるしく、諸々のことを後半でそこはかとなくまとめて書きました。今回の主題は最近経験して思った腹八分についてです。

 家は農家だったので食べるものには困りませんでしたが、子供の頃いつも祖母から「腹八分にしておかないといけない」と言われていました。最近まで何のことかよくわからなくて食べすぎるとお腹が痛くなるからくらいに思っていましたが、自分も老境が近づいてきて少し腹八分の意味がわかってきました。漢方でも適切な食事の量について満腹でなく少し隙間を開けておくことを勧めています。袋に石ころを詰めることを考えるとキチキチに詰めてしまってはかたまりとなって動くことができません。すこし隙間があると中で動くことができて食べ物がこなれることができます。若い時なら満腹に食べても消化出来るのですが、高齢になると胃腸の消化力が落ちるので、隙間を開けて消化を助けることが必要になります。ここで疑問なのはなぜ八分なのか、五や六ではダメなのかということです。それは少なければよいということではないのだと思います。先だって高齢の患者さんが「最近食事の量を減らして調子がいいんですよ。痩せたし身体が軽い。山もスイスイ登れます。」と言っていました。結構なようですが、若い時と違って高齢になれば体重は減らさないほうが安全です。例えば糖尿病の患者さんで血糖値を下げることだけを考えて食事制限を行うと、フレイルやサルコペニアになってしまいます。高齢になると筋肉量が減少していくので、しっかり食べてしっかり運動しなければ、やがて歩けなくなって寝たきりになってしまいます。よほど太っているなら別でしょうが、高齢で筋力が落ちてくる状態で食事を減らすのは考えものです。食べ過ぎはいけませんが、食べなさすぎもいけません。その丁度良い尺度として先人は腹八分という言葉を残しているのでしょう。

 若い人は関係ないようにも思うかもしれませんが、行き過ぎない程度で止まるというのは非常に大切な知恵です。「忙殺」という言葉があります。辞書には「殺」というのは意味を強めるためと書いてはありますが、実際仕事が忙しくて死んでしまうことがあり過労死と呼ばれます。そうならないために仕事も腹八分が良いと思います。腹一杯になってしまうとこなれなくなって仕事の質も落ちます。ある程度お腹にたまらないと良い仕事はできません。どんなに忙しくても少しの隙間は残しておく、同時に給料分以上は働くことが大事だと思います。

 以下最近のことを思いつくままに書くと、コロナが5類感染症に変更になり巷にはマスクをしていない人が多くなりました。コロナが無くなったわけではなく危険な感染症であることに変わりはありませんが、外国からも大勢の観光客が押しかけて賑わいというか喧騒が戻ってきました。先日新幹線に乗って取っておいた指定席に言ってみると外国から来たと思われる人が座っていました。せっかく来られたのに失礼があってはいけないと「すみません。ここは私の席だと思うのですが、切符を拝見できますか?」と丁寧に英語で聞いたところ黙って英語で印刷された切符らしきものを出しました。見てみると確かに席の番号はそのようで日付もあっています。しかし、行き先が東京になっているのに気がついて「この切符は成田空港から東京までの切符ですね。これは新幹線で金沢行きですよ。」とまた丁寧に説明したら、ようやく席を立って胸に手を当てて去っていきました。どこに行くか見ていたら後ろの三列席の真ん中に座って両脇の外人と何か話しています。「あれ、確信犯かな。図々しいな。」と思っていたところ、しばらくして今度は検札の乗務員に促されて荷物を持って自由席車両に移っていきました。最初から新幹線の指定席券を持っていなかったようです。しかし、指定席車両というのはわかっていた。やはり図々しい。外国人は日本と違う常識があるのが当然で、また日本と同じく旅の恥はかき捨てということもあるでしょう。これからどんどん外国人が増えると日本人も主張すべきは主張しないといけない、その際は礼節を持って恥の文化を教えてあげようと思いました。




2023年06月16日