No.26 コロナとの戦い12 力士の死

 5月13日28歳の力士が新型コロナウイルス性肺炎による多臓器不全のため東京都内の病院で亡くなったとの報道がありました。日本相撲協会の八角理事長から「1か月以上の闘病生活、ただただ苦しかったかと思いますが、力士らしく粘り強く耐え、最後まで病気と闘ってくれました。」との発表がありました。 発病してなかなか病院で治療がされなかったとのことで、もし早期に治療を受けていれば助かったかもしれないと思うととても残念です。パンデミックという大災害に対する準備の不足が若者の命を奪ったのであれば、その死を無駄にしないよう今後はしっかりと準備せねばなりません。

 それにしてもコロナ肺炎の治療は長期間を要します。患者数と治療期間の積が医療に与える負荷の大きさです。そこで助からない人をあきらめて助かる人に集中するという本来戦場で用いられるトリアージが求められます。自衛隊の医療部隊の訓練では戦闘の現場でたくさんの負傷者が出ることが当然に想定されるので、その現場および治療施設でどの患者の治療を優先するかというトリアージ、患者分類と言っていましたが重視されます。最近広く用いられるようになりましたが、もとは軍事用語です。すぐに治療をしなければいけない人、治療は必要だが少し時間の余裕のある人、しばらく治療しなくてもよい人、治療しても助けられない人に冷徹に分類して治療を行わねばなりません。パンデミックではアメリカで新型インフルエンザで大量に重病人が出たときに誰の治療を優先するかを検討して、すでに多く楽しんだ高齢者より将来のある若い人の治療を優先することとなったのは有名な話です。医療を十分に行えるなら患者に優先順位をつける必要はありません。需要と供給のバランスが崩れるときに必要となる技術です。トリアージは本来医師が行わねばならないものですが実際やるとなると負担が大きい。

 諸外国の死亡者数をみると欧州の死亡率がのきなみ10%を超えています。老人の感染者が多いこともあるでしょうが、欧州では安楽死を認めている国もあり、高齢になったら自分でどういう死に方をするか選択することが多いようです。日本では縁起でもないと毛嫌いされることが多いのですが、誰でもいつかは死ぬのですから自分の最終ゴールをどうするか、一度考えておいてもよいのではないでしょうか。アメリカでは「カリフォルニアから娘がやってきた症候群」というのがあるらしく、死期の近い高齢者に今まで会ったこともない親族が突然現れて治療についていろいろ口を出すということが問題となっているようです。本人の命は本人のものですので死ぬときに他人から干渉されないように意志を書き残すことを勧めています。助かる可能性があれば最後の最後まで頑張るということもあるのでしょうが、激しい病気との戦いでは身体は時間とともに傷み回復の可能性は下がってゆきます。私が若い研修医の頃肺がんの末期の患者さんを何とか助けようと「文献を見たらこの治療が有効だと書いてあったのでやってみます。」と元気よく患者さんに話しかけたときにその人が目に力なく「もう疲れたよ。」と言ったことが印象に残っています。翌日患者さんは亡くなりました。

 コロナの肺炎は進行が速く考える時間を与えてくれません。どう旅立つのがよいか、親しい人と一度話し合って、ゆっくりした時間の中で自分の意志を書き残すのも良いかもしれません。医師のトリアージの負担も少し軽くなります。

 この原稿の構想を練りながら歩いていると「あれ、パチンコ屋が開いている!」以前なら新装開店と派手に宣伝していましたが、今は隠れるように一か所だけドアが開いていました。まだ緊急事態は解除されていないのに大丈夫だろうかと思いつつ、新たな感染者数が減っているからもしパチンコ屋で集団感染が発生すればはっきりわかる。そうすると今まで感染経路のわからなかった原因がはっきりわかるな、それもよいか、長期戦なのだしと考えました。


2020年05月18日