第1話 ガンバとボーボ
ちょっと一休みのつもりで横になったのだが、いつの間にか寝入っていた。目が覚めるとすでに夜だった。
「ふ…あ〜ああ…」
大きく欠伸をしながら、全身で目いっぱい伸びをしていると、住処の入口でゴトリと音がした。
「…誰だっ!?」
とっさに身構えて入口に向かって誰何すると、聞き覚えのある声がやや間延びした調子で返ってきた。
「ガンバ…もうこんな時間だよ…」
「ボーボか…悪ィ、悪ィ。ちょっと横になるつもりで、つい寝ちまったぜ」
「おいら、お腹ペコペコだよ。早く行かないと、目ぼしいものがなくなっちゃうよ…」
住処の入口に、中を隠すために塞いだ板を鼻先で持ち上げたボーボが、半分ほど顔を中に突き出していた。
「分かった、分かった。慌てなくても、こないだ穴場を見つけたぜ。あそこなら、大丈夫だよ」
ガンバは、入口にいるボーボをどかすようにして住処から出てきた。表の喧騒が、既に夜の雰囲気に変わっている。
「穴場…?どこなの、そこは?」
「付いてくりゃ、分かるぜ」
言うが早いが、ガンバは走り出していた。
「あ…あ、待ってよ…」
ボーボは慌てて後を追った。
「おおい、ボーボ!こっち、こっち!」
いつもと違う方向から、ガンバの呼ぶ声がした。慌ててボーボは方向転換すると、ガンバが顔を出している場所に走り寄った。
「あれ?こんな所から、出るの?」
「だから、言ったじゃないか。穴場だぜ、いつものコースじゃないよ」
自慢げにちょっと笑って見せたガンバは、するすると壁の隙間に消えていく。ボーボは、後を追おうとしたが…
その隙間が思ったより狭いので、ちょっと躊躇している。
「おーい、ボーボ!どうしたんだよ!」
ガンバの声に、ボーボはやっと通れるほどの隙間に身をこじ入れた。
「なあ、言っただろう?ここは、穴場なんだぜ」
意外なほど、たくさんの種類と量のご馳走にボーボは我を忘れて頬張っている。ガンバの話など、耳に入っていない様子だ。
「ん…美味しいよ。このソーセージは、とっても美味しい…」
ここは、新しくできた飲食店の裏手。人間流に言えば、洋風居酒屋とでもなるだろうか。とにかく、野菜から肉から果物から魚から…
惜しげもなく捨てられた、食べ残しや調理かすがたくさん捨てられている。
そして、ここは三方がコンクリートのブロックで囲われて、人間がごみを出すところは、鉄の格子の付いた扉で塞がれている。
人間としては、野良猫や野良犬、それにカラスにここを荒らされるのを防ぎたいらしい。もっとも、犬や猫には無理でもガンバ達には余裕で格子を
すり抜けることができる。
「それに、ここは一応、俺のエリアだしな」
ガンバもチーズを口にしながら言った。
有り余る食料と、ライバルがいない(気づかれていない)この場所は、ガンバの言うとおり『穴場』に違いなかった。
しかし、それも長くは続かなかった。
数日後、いつものようにそこに向かったガンバ達だが…ガンバは目的の場所の数メートル手前で足を止めた。
「待て、ボーボ」
もはや、ご馳走のことで頭がいっぱいだったボーボは拍子抜けを通り越して、事態を理解できないらしい。
「ど、どうしたの…」
「シッ!」
ガンバが、ボーボを制した。そして、目的の場所の周囲をジッと鋭い視線で見渡していたが…
「……!」
その場所から、2匹のネズミが姿を現わした。食料を詰めた袋か何かを背負って、口には持ちきれない食料の一部をくわえている。
「泥棒め…」
ガンバは、低くうなるような声でつぶやいた。
「ど、どうするの…?」
不安げなボーボの声に、ガンバは怒りに燃える目で答えた。
「決まってんだろ、泥棒は許さねぇ。それに、どうやらあいつらは奴の部下だろう。いい機会だ、奴と徹底的に戦ってやる!」
「ねぇ、ガンバ…本当にやるつもり?」
ガンバは、ボーボを睨みつけるような眼をして
「あったりまえだろ!奴とは、散々戦ってきたが、2ヶ月前に決着したんだ。俺が奴のシッポに、この歯ででっけえ傷を作ってやったんだ。
奴がしっぽを抑えて、のた打ち回った姿は惨めなもんだったぜ。誰が見たって、俺の勝利さ。それが、あんなコソ泥みてぇな真似しやがって!
いい加減、シッポにきているんだ!」
「う、うん…」
ガンバの怒りが、本気であることを悟ったボーボはそれ以上言わなかった。
「来るなら来ーいっ!俺は、逃げも隠れもしないぞーっ!」
相手に聞こえているのかどうかは別として、都会の夜の雑踏にガンバの叫びが響いた。
…それから、数日後
「ボーボのやつ、遅いなあ…」
いつもなら、そろそろボーボの『お腹ペコペコだよう』が、聞こえてくるはずの時間だが今日はその気配がない。
「まーた、食べ過ぎたか変な物口にして、腹こわしてんじゃないだろうな…」
仕方がないので、ガンバは住処から出てその辺りを探すことにした。すると…
「誰だっ!?」
住処を出たところに、見慣れぬ影が。
「ヘヘヘ、ガンバ…親分が、おめぇに話があるってさ」
影は、不敵な笑いを浮かべながら横柄な態度で言った。
「親分…?おめぇ、あいつの手下か?」
「ヘヘヘ、そういうこった。場所は、おめぇとの因縁の場所だ。そう言えば、分かるって親分は言ってたぜ」
言うが早いが、影はその場から消えた。
「あっ…ま、待てっ!」
ガンバが慌てて駆けつけた時には、そいつの姿はなく壁の暗く遮られた部分から、足音が聞こえるだけだった。
「チッ…野郎、今度と言う今度は容赦しねぇぞ!」
思わず、拳を握ったガンバは怒りで肩を震わせた。そして、住処に引き返すといざと言う時に貯蔵しておいた食料からジャガイモを取り出すと
まるで仇を討つかのようにそれを齧り続けた。たちまち、ジャガイモは小さくなってガンバの腹に収まった。
こうして腹ごしらえを済ませると、ガンバは脱兎の如く『因縁の場所』に向かった。
「…親分、奴です」
「来たか…今日こそ、奴に泣きっ面をかかせてやる」
むっくりと、大きな影が立ち上がった。
ここは、雑居ビルの地下駐車場。夜、入口が閉鎖されると、彼らの集会場になる。それは宴会の場にも、乱闘の場にもなる。
「ガンバだ!何の用か知らねぇが、やって来たぞ!出てこいっ、ロックーッ!」
ガンバの怒鳴り声が、周囲に響く。すると、駐車場の一隅が明るくなった。
「何の用か、だってえ?とぼけた野郎だ。このしっぽの傷、忘れたとは言わせねぇ!」
「へん、やっばりそうか。俺のエリアで、コソ泥みたいな真似して。その上、昔の勝負を根に持つとはな。おめぇらしいぜ!」
ガンバが、あざ笑うかのように放った言葉を相手は…ロックと言う名の、親分を自称する身体が大きいだけで、仲間からも爪弾きにされているコソ泥だ。
だが、今日のロックはニヤニヤ笑って聞いている。以前の奴ならこのような口調に、むきになって噛み付いてきたのに…
「何とでも言いな。おい…」
ロックは、顎で部下に指図した。その部下が、暗闇の中から引きずり出してきたのは…
「あ…ボ、ボーボ!」
後ろ手に縛られて、自由を奪われたボーボだった。
「て…てめえっ!」
ガンバは怒り心頭。今にも、ロックに殴りかからんばかりに身体を震わせた。
「分かってんな。おめぇが、俺様の言うことを聞くのなら別だが。嫌だと言うなら…」
ボーボを連れ出した部下が、後ろに隠していたものを出した。蛍光灯の明かりが、それにきらりと反射する。細く割れたガラス片だった。
「フフフ、こいつは鋭いぜ…猫の爪なんて比べ物にならねぇ。こいつの身体に、ブスリと刺したら…見ものだろうぜ」
「ひ…卑怯者!」
うめくようなガンバの言葉を、相手は笑い飛ばした。
「ヘン、何とでも言え。俺の条件は、今すぐこの町から出て行け!散々、俺をコケにして腹の虫が収まらねぇが…二度と俺の前に姿を見せないと約束するなら
見逃してやっていいぜ」
ガンバは、相手の言葉を足蹴にしてロックを殴り飛ばしたい衝動を、必死に堪えていた。
一方のロックは、そのガンバの「本音」がありありと浮かんでいる表情を見て、ニヤニヤ笑っている。しばらく、睨み合いが続いたが…
「…分かったよ。出て行かぁ。」
ガンバが、妥協したかのようにロックに対して力なく言った。
「ガハハハハ…おい、ガンバ!おめぇ、物分りが良くなったじゃねぇか!?それでいいんだよ」
ロックは、勝ち誇ったように笑った。
「おい、野郎ども!ガンバ様のために、別れの宴を開いてやろうぜ!」
意味ありげに、ロックが顎で部下に指図すると、ガンバはロックの手下に囲まれた。
「チッ…こんなこったろうと思ったぜ!やいロック、ひとが素直に条件を受け入れたってのに、これは何だ?」
「言っただろう、このシッポの傷を忘れたのかと。おめぇのシッポぽにゃ、傷の一つや二つじゃ許せねぇな…そのシッポ、この場で根元からバッサリと
斬り落としてくれる!」
「なっ…!?」
思わず、身構えたガンバに
「動くんじゃねぇ!こいつの命、どうなっても知らねぇぜ…」
ボーボを連れていた部下が、冷たく光るガラス片をボーボの喉元に当てた。ボーボは恐怖のあまり、声も出せないで震えている。
「うっ…」
どうすることもできないガンバは、ただロックを睨み付けているしかなかった。
ロックはそんなガンバを嘲笑って、ニヤニヤしている。
―― その時!
誰もが予期せぬところから、何かが飛んで来た。それは、暗闇の中から突然飛んできて、ガラス片を粉々に砕いた。
「今だ!」
突然のことに、呆然としているロックを尻目にガンバはボーボを連れていた部下に向かい、体当たりを食らわせた。
その部下が吹っ飛ばされて、ボーボを縛っているロープから手を放したのを見ると、ロープを前歯でひと齧りして切った。
「ボーボ、今のうちだ!逃げろっ!」
ガンバが叫んだのと、部下のひとりがガンバに襲い掛かってきたのと、ほぼ同時だった。
「ガ…ガンバ!」
ボーボは大声を出したが、彼にはどうしようもない。
「早く!早く逃げろっ!」
次々と襲ってくる敵に向かいながら、ガンバは叫んだ。ボーボはその声に弾かれたように暗闇に消えて、物陰に隠れるとただ震えていた。
「来いっ!片っ端から、齧ってやるぜ!」
ガンバは、武器も持たず身体一つでロックとその部下たちに立ち向かった。
…そして乱闘の決着が付いた時、辺りは血だらけになっていた。
勝者は肩で息をして相当に疲労しているようだったが、何とか立っている力は残っていた。そして、ぐったりと仰向けに倒れているネズミに近づいた。
「やい、ロック…おめぇの言葉、そっくりそのまま、おめぇに返すぜ。二度と、このガンバ様の前に、その顔を見せるな。今度は、俺が、おめぇのその
いじけたシッポを噛み切ってやる…」
ロックは、何も言わなかった。いや、言えなかった。何しろ、ガンバとの殴り合いで顔は無残に腫れ上がっていて、口の中はズタズタに切れていたのだから。
もっとも、ガンバもひどい有様だったが、まだ立っている力とモゴモゴ口を動かす気力が残っていた…
「ガンバ…大丈夫?」
ボーボに肩を貸してもらったガンバは、ボーボに引きずられるように歩いていた。
「へへ…どうってこと、ないよ。かすり傷みたいなもんだ」
ガンバは、ボーボに対して明るく振舞おうとしていた。
「お…おいらのために…ガンバ…」
「泣くなよ、ボーボ。ロックが、悪いんだから」
「だ、だけど…だけど…」
「それに、俺とボーボは友達じゃないか。友達が、ピンチになっているのに見逃すことはできねぇよ」
ふたりが住処に戻ろうと、駐車場を出た時には空は白々と明るくなって、ビルの隙間から朝日が差し込もうとしていた。
「…ガンバ」
「何だい?」
「おいら、お腹空いちゃった…」