36.ガルムの最期
“くう…このままじゃ…”
二度三度と、ガルムの咆哮が襲ってくる。葉が吹き飛び、実もいくつか落ちた。
「おのれ…」
ガルムの怒りは、増大した。さらに咆哮をあげようとしたが…
「何!?」
マタビの木が、ぐらつき始めたのだ。ガンバが根元を掘り起こしたために、バランスが崩れかけていたのだ。
「……」
ガルムは、怒りを抑えるのに必死になった。周囲を圧倒する自分のパワーが、大切な木をなぎ倒しかけている…
“まあいい…これで、全ての根が死ぬわけでもあるまい”
ガルムは、まだ根が張っている方へ回り込むと、咆哮をあげた。
「うわっ…!」
ついに、ガンバの身体が吹き飛ばされて、地面に転がった。
「……!」
ガンバは、慌てて逃げようとしたが、周囲に身を隠す場所はなかった。
「おのれ!」
背後から、恐ろしいほどの気配が襲ってきた。
「ぐっ…ぎゃっ…!」
次の瞬間、ガンバの身体にもの凄い重さがのしかかって来た。
「う…ぐっ…く…」
ガルムの左前足が、ガンバを背中から押え付けたのだ。身体がメリメリ音を立て、このままでは押し潰されるのは、時間の問題だ…
「が…はっ…!」
ガンバは、意識が遠くなっていくのを感じていた。
“あ…ああ…も、もう…”
その瞬間、頭上で何か巨大なもの同士が激突する音がした。と同時に、ガンバは身体が自由になるのを感じた。
「おのれ、ニオルド!こざかしい真似を!」
「何をしている!早くしろっ!」
ガルムの怒鳴り声とニオルドの声を聞いて、ガンバは事態を把握した。
ガンバは身体を持ち上げようとしたが、全身に激痛が走った。
“くそっ…し、シッポを…た、て、ろっ!”
ガンバは、マタタビの木に近づくが思うように動けない。
“チッ…あいつ、ボロボロだな…間に合うか?”
すると、ガンバは残る3本の根が地面から少し浮いているのを発見した。ガルムの咆哮で、ぐらついたからだった。
「あ、あれだ…!?」
右側の一本の根が、他と明らかに違っていた。一部が変色し、かさぶたのようになっていたのだ。
ガンバは、全ての力を振り絞ってそこに向かった。そこへ…!
「させるかーっ!」
ガルムの声と共に、前足が伸びてきてガンバの身体を吹っ飛ばした。
「……!」
ガンバは、マタタビの木に激突して下に落ちた。さらに、襲いかかって来たガルムの爪が、マタタビの木の幹を大きく傷つけた。
「ううっ…!」
ガルムが焦りから、一瞬怯んだ。ガンバはその瞬間、全身の痛みを忘れた。後足に力をこめると、傷のある根に勢いよく飛びついた。
「やめろーっ!」
ガルムの前足が、ガンバ目がけて鋭く大きな爪を立てて伸びてきたが、間一髪でそれを交わしたガンバは、変色していた部分に前歯を突き刺した。
そこは、思ったより柔らかくその部分からスーッと裂け目ができた。
「……!」
たちまち、そこからオレンジ色の水が噴き出した。すると、見る見るうちに葉が変色し枯れて、実がしぼんで…やがて崩れるように、マタタビの木は倒れた。
「ぎゃあぁぁ…ぁぁぁ…ぁぁっ!」
ガルムが、断末魔の叫びをあげてのたうち始めた。
「ああ…あ…」
あれほど他を圧倒する迫力のあったガルムの身体が、蒸発するように細っていき小さくなっていく…
「…哀れな。だが、自業自得だ…」
ニオルドは、冷淡な眼でガルムの最期を見届けた。倒れたガルムの身体は、ボロボロになった毛の塊りに過ぎなかった。
ガンバは、その様子をぼんやりとした眼で見ていたが、次第に意識を失った。
「……」
ガンバが目を開けると、そこには自分を心配そうに見ている、いくつもの顔があった。
「あ…」
「気が付いたか、ガンバ!」
一斉に声をかけられ、返事をしようとしたガンバは
「うっ…!」
全身を襲う激痛に、顔を歪めた。
「ハハハ、無理するな。全身ボロボロの状態だ。しばらく、息をするのも苦しいだろうからな。絶対安静なんだぞ」
ベアーの言葉に、ガンバは複雑な顔をした。良く見ると、全身が包帯でがんじがらめになっていたのだ。
「ちぇっ…みんなも、笑ってるんだろう?」
「ご明察、だ」
すると、仲間の後ろから顔をのぞかせたのは…
「あ、ニオルド…助かったよ…あん時は」
「フフ…礼には及ばんさ。お前には、どうしてもあのマタタビの木を、倒してもらわねばならなかったからな」
「どうして…?自分でも、やれたはずなのに?」
ガンバの言葉に、ニオルドは
「確かにそうだが、俺も山猫のはしくれ。マタタビに魅力がある。俺はあの木を自分で処分できなかった。それに、腹心の部下と言えどガルムは
あの木に誰も近づけなかったからな。
だが、あんな木があるとまた醜い争いが起きる。平等で平和な利用を考えていた親父は、独占を目論んだガルムと争い、敗れて死んだんだ。
あの根の傷は、最期に親父が付けた傷だ。
俺は、その事実を知るとガルムに近づいた。もちろん、奴への復讐が主目的だったが、あの木を処分することも重要だった。そこで、抵抗勢力となった
お前達に秘密を教えたんだ。ガルムを倒す有効な手段と知れば、お前達は必死になって、あのマタタビの木を倒そうとするだろうからな…
もっとも、シルバーの奴がガルムへの恨みから、お前達にマタタビの木のことを喋っていたとはな」
そして、くるりと背を向けた。
「じゃあな。俺は、別の場所で暮らす。マタタビなんかに支配されないで、山猫らしい暮らしをな。だから、今度俺の前に姿を見せたら容赦なく襲うかも知れないぞ。
覚えておくんだな…」
ニオルドは、そう言い残して去っていった。
かくして、コットの森から山猫の恐怖が去った。群れていた山猫は、ガルムとマタタビの支配が無くなると、散り散りになった。
コットの森から、全く山猫がいなくなったわけではないが、かつてのバランスに戻ったのだ。
「もう、怪我は大丈夫なようだな?」
「チェッ、とっくに大丈夫だよ!」
ガンバの傷もすっかり癒え、闘いで傷ついた仲間達も元に戻っていた。
「また、発見したよ」
マタタビに支配されていた山猫は、ガルム同様ボロボロな姿になって、森のあちこちで発見された。同様に、無残な姿になった野ネズミ達も…
「悲しい犠牲者だ。丁重に弔ってやろうぜ」
かつて、山猫との抗戦のために造られた根城は取り壊されて、代わってそこには犠牲になった野ネズミ達の墓碑が建てられた。
「…みんな、森の平和のため、仲間の命を守るため、必死だったんです。考えの違いで対立したこともありました。要らない犠牲も多かった…
俺は、みんなを率いる立場だったけど、何もできなかった。特に…ハラル…お前を救うことができなかった…赦してほしいのは、俺の方だよ。
山猫の卑劣な罠を見抜けなかった、馬鹿な俺を…どうか、どうか、赦してくれ…」
墓碑の前で泣き崩れるソラルに
「…これからは、立派な野ネズミの生活を取り戻せば良いじゃないか。野ネズミ同士で争うことも、外敵に脅かされることもない生活を」
シャドーが、ハラルの肩に手をかけて言った。
「…ありがとう。皆さんに、最後までお世話になってしまって…皆さんがいなかったら、俺はただ意地を張って仲間割れを助長し、山猫にやられていました」
「ヘヘ…俺達は、冒険を求めて来ただけさ。礼を言ってもらいたくて、やって来たわけじゃないぜ」
ベアーが、ちょっと照れ隠しの口調で言うと
「そうだよ…おいらなんか、ただガンバに付いて来ただけだもん」
ボーボの言葉に、みんながドッと笑った。
「ま、まあ…何だ、俺達は冒険者だ。冒険の旅に、終わりはないってことよ」
腰を折られたベアーは、何とか話をまとめると同時に、ボーボの頭をコツンと叩いた。
「……?」
キョトンとするボーボの様子に、また笑いが起きた。そんな中…
“冒険の旅に、終わりはない…か…”
ガンバは、ちょっと複雑な気持ちでいた。
「じゃあ、俺達はこれで」
「ありがとう!本当に…そして、この先も気を付けて」
「ああ、ありがとう。ソラル達も、元気で暮らせよ」
闘いが終わって約十日、ベアー達はコットの森を後にした。
「さあて、これからどうするかな…」
「まずは港町に出てみようぜ。何か、面白い話が聞けるかも知れねぇ」
「そういや、しばらく海を見てねぇなあ…」
「当分、風任せの船旅もオツだぜ?」
「お、それもいいな!」
気の置けない仲間達の、磊落な会話を交わしながら彼らは港町へと向かった。
37.そして、それぞれの旅
「港が、見えて来たぜ」
ベアーの言葉に、真っ先に反応したのはガンバだった。
「……」
潮風に吹かれながら、ぼんやりと遠くの港を見るガンバに
「あそこが、始まりだったんだなあ…」
ベアーの、似つかわしくない感傷的な口調に
「…熱でもあるのか?」
ガンバの軽口に、ベアーは
「るせぇ!」
と、ガンバの脳天をゴツンとやる。ガンバは、頭をさすりながらもニヤニヤ笑いながら、ベアーの顔を見ていた。
“…帰ってきたんだ”
思えば、ロックと決闘の後シャドーに助けられ、それがきっかけで海を目指した。港でベアーやジャックやリッキーと出会い、冒険の旅に出た。
その旅の発端となった港だ。
「で、ガンバとボーボは予定通りかい?」
シャドーの問いに
「ああ、一旦俺らは町に戻るよ。黙って出てきたからな」
「そうか」
「シャドー達は、どうするんだい?」
「まあ、しばらくこの港にいるつもりさ。何しろ、今回の冒険で少々身体を痛めたから、ゆっくりするさ」
「右に同じ」
「以下同文」
ジャックとリッキーも、そのつもりらしい。
「まあ、何か血が騒ぐ話があれば、飛び出していくだろうがな…」
ベアーの言葉に、シャドー達はわざとらしく視線をそらす。
「…てやんでぇ」
ちょっと不満そうな顔をするベアー。
「まあ、また冒険に出たくなったら、港まで来いよ。俺達がいなくても、山猫を倒したガンバ達を無視する奴は、ここにはいねぇからよ」
「じゃあ…みんな、またな!」
「ガ、ガンバとボーボが…帰って来た!」
町ネズミ達の間に、そのニュースは瞬く間に伝わった。
“…何か、よそよそしいなあ…”
ガンバは、顔見知りが遠巻きに見ているのをちょっと不満げに感じていたが、考えれば無理もない。町ネズミが注目した決闘の後、いつの間にか姿を消してしまい
放浪してるとか、別の町で暴れているとか、のたれ死んでしまったとか…消息が分からないために、いろいろ勝手な憶測を囁かれていたのだから。
「…ただいま、帰りました」
ガンバは、アカハナの前で頭を下げた。アカハナは、ジッとガンバとボーボの顔を見ていた。ガンバは、アカハナがどう出てくるか構えていたが
「ガンバ、ボーボ…いい顔になって帰って来たな」
エッ…と、ガンバが顔をあげると、アカハナはニヤリと笑っていた。
「あの…」
「お前の話を、ゆっくり聞かせてもらおう。どうやら、山のような土産話を持っているようだからな…」
「…はい!」
ガンバとボーボは、町を出てからの冒険譚を話した。
それは、人間の時間を尺度にすると、数カ月の出来事に過ぎなかったが、二人の話は、何年経っても終わらない興奮に満ちていて、聞くものをわくわくさせた。
「で、山猫を倒した後は…」
ガンバ達は、ハラル達と出会った村に出た。リッキーが、冒険の発端と出会った村でもある。
あの時は、遠巻きに彼らを見て関わりたくないと言った雰囲気だった。
「今回は、歓迎できず無視もできず…だったな」
一種、異様な雰囲気の中だったが、彼らは荒らされていた墓標をきれいに整えた。二度とここを荒らすことはしねぇだろうな、と言う雰囲気を漂わせながら。
「港町では、歓迎の嵐だったなあ…」
彼らの冒険譚に盛り上がり、力比べで盛り上がり、連日の宴会が催され、下に置かない歓待だった。
「おかげで、ガンバはお酒の味を知ったんだよ」
「ボーボは、胃袋破裂寸前で白目になっていたんだぜ」
その後、立ち寄った港町で学者先生と再会。彼らの話に喰いついて、離さなかった。
「特に黄金のマタタビについて、もう大変だったよ。枯らしてしまって、種でも何でも資料として残して欲しかったと、うるさくてね」
「結局、夢見が島には寄れなかったんだ。残念だったね、ガンバ…」
「うるせぇ!俺のことより、ベアーの方が…」
それは、寄港したある港町でのことだった。ベアーは意を決したように船を降りると、ある場所に向かった。
『……!?』
『…久しぶりだな』
『良かった、生きていたのね』
相手の女性がリリーさんであるのは、ガンバ達にもすぐ分かった。
『山猫を相手にするってっ聞いて、今度こそはって覚悟したの。無残な姿で、あたしの目の前に現われるんじゃないかって…』
すると、ベアーはフッと笑って
『…俺から冒険を取ったら、単なる抜け殻になっちまうぜ』
傍らにいたシャドーが、低い声で『ったく!』と呟いたのと、パン!と乾いた音がしたのと、ほぼ同時だった。
『……!』
目にいっぱいの涙を浮かべたリリーさんが、ベアーの横っ面を引っ叩いたのだ。そして居たたまれなくなったように、リリーさんはその場を去った。
ガンバ達も、何も言えずにベアーを残して立ち去った。
『……』
ベアーは何も言わなかったし、誰も気付かなかったが、去っていくリリーさんをジッと見ていたベアーの目に、涙があふれていた…
「嘘でも、守れそうになくても、約束してあげれば良かったんだ。リリーさんは、何か言って欲しかったんだよ…」
ベアーの態度に納得できない、と言った顔のガンバにシャドーは
『嘘やいい加減な約束で、相手を傷つけるのは、優しさじゃなくて卑怯だと考えているのさ。ベアーは…』
そう言っていたくせに、その後しばらくシャドーはベアーと殴り合いでも始めそうな、ピリピリした雰囲気に感じられた。
「でも、殴り合いって言えば、リッキーが!」
アーガスの港に立ち寄りたいと言い出したのは、リッキーだった。その時、ガンバ達はてっきりあの先生に挨拶しに行くものと思ったが…
『何だ…また、痛い目に遭いたいのか?』
リッキーの目的は、ブーテスにリベンジすることだったのだ。
『…の、バカ野郎!』
仲間達が駆け付けると…
『ヘヘヘ、ご覧のとおりさ』
決闘の後、リッキーは腫れて血だらけの顔になっていたが、それ以上に相手をズタズタにKOしていた。
『…呆れた奴だね。君って男は!』
その後、例の先生に説教されながら治療を受けたリッキーは
『俺はまだ、どこかに居付くことはできません…でも、生きて帰ってくることだけは、約束しますよ』
先生は、黙って聞いていた。
「ジャックも、派手にやったよね」
「そうだな、あんまり派手なことするようには、見えなかったけど」
リッキー同様、会いたくない奴がいると言う港町で、そいつは港ネズミのボスになっていた。こうなると、ガンバ達も同列扱いだ。
「腕になら自信があったけど、武器を持ってるんだものなあ…」
結局、ガンバ達は武器の前に敗北。ボスは、ジャックにガンバ達を助けたければ…と、お決まりの展開に。
『野郎っ!』
激怒したジャックは、ボスとサシの勝負を挑んだ。武器を巧みに操って、見事に相手を叩きのめすが…
『奴を生きて帰すな!』
部下達が、ジャックに襲いかかる。
『なあ、どこかで見たような展開だな?ガンバ!』
と、シャドー。
『ああ、俺もそう感じてた!』
ガンバ達がジャックの助太刀に入り、大乱闘に。
しかし、強いのはボスだけで部下達は烏合の衆と言ったところ。案外あっさり、勝負は片付いた。
「……」
アカハナは、夢中になって話を続けるガンバの姿を見て
“ガンバ…お前は、私が想像していたより多くの、大きな冒険をしてきたようだな”
その姿に、ガンバの父親の姿を重ねていた。
“そしてお前は、町の…町ネズミの枠に収まらない、冒険野郎になったようだ”
アカハナは、心の中で『冒険から帰って来たガンバを、自分の後継者に育てていく』という、描いていた青写真を破り捨てた。
ガンバが町に帰って、一週間が経った。
「…町って、こんな場所だったっけ?」
ある夜、ガンバはビルの屋上で寝転びながら呟いた。
車の騒音、排気ガスの匂い、人間の雑踏、カラスの鳴き声、夜でもギラギラする照明、堅く冷たい建物、臭い排水溝…
“こんな場所が、俺にとって全てだったなんて…ちっちゃいな”
そう、全てだったからロックと決闘したのだ。腕づくで、全てを守ったのだ…
「ガンバ…これからどうするの?」
ボーボが、ガンバの顔を覗き込むようにして言った。
「ボーボはどうするんだよ?俺に付いて行く、ってか?」
すると、ボーボはすました顔で
「おいらは、旅に出るよ。冒険の旅に」
ガンバは、ビックリして上体を起こした。
「ボーボ…?」
「ガンバは、どうするの?おいらと一緒に行く?」
悪戯っぽく笑うボーボに
「チェッ!それは、俺のセリフだ!」
ガンバもちょっとムキになって言う。
「じゃあ、今度はちゃんとアカハナさんに断わってから、行こうね」
「もう!言われなくても、分かってるさ!」
第7章・完(完結)