そして、海外へ飛び出したクイズ番組はグァム・サイパンからハワイを経由してアメリカ
本土へ上陸、主要都市や観光地を巡ってクイズを行い
人数が絞られていく…
そのスケールの大きさは、日本のテレビ史上に類のないものでした。
そして、その発想は
第2代クイズ王、北川さんの言葉を借りれば「コペルニクス的転回クイズ番組」でした。
その後、テレビで「海外情報番組」は隆盛を極め(未だに、いろいろな番組が制作されて
います)ますが、この当時は芸能人でさえ海外ロケは
珍しかった時代です。
第1回はチェックポイント(ロケした都市)が8ヶ所と、その後に比べれば「地味」かも
知れませんが、日本人が海外でテレビ番組のロケをするだけ
でも大変なことなのに、一般
視聴者がクイズのロケをしながらの旅をするのですから、まさに「突拍子もないこと」で
した。
そして、決勝戦はヘリで摩天楼の一角にあるビルの屋上に降りての決戦…
こうした「前代未聞のスケール」の番組が、世間の興味と関心を
惹き付け「自分も参加
してみたい」と言う気持ちを湧き立たせ、翌年以降「偉大なるマンネリ」などと揶揄され
ながらも、年に一度のクイズイベント
として定着していきました。
一方で、80年代半ばから海外旅行は日本人にとって身近なものになり、クイズ番組での
「優勝商品」としての輝きは、鈍くなりました。
賞金100万円も、ちょっとした小遣い
にはなるものの、ジャンボ宝くじが3億円を連呼する時代ではこれもまた、クイズ番組で
得る金額としては
魅力がなくなってきたのは事実でしょう。
それでも、ウルトラクイズが発展し続けたのは何故か?
第15回、最後のお立ち台で福留さんは参加者に向って「皆さんは、何故ウルトラクイズ
に参加するのですか?」と、問いました。
その答えは、言うまでもありません。
ウルトラクイズでは「フツーと違う体験」ができるからです。
そこには「クイズ番組の枠を飛び出した、スケールの大きさ」があり、だからこそ仕事を
放り出して(今でも、日本のほとんどの企業ではこんな
「お遊び」参加のために、1ヶ月
近い休みはくれません)参加する人がいたりするのです。
また、クイズとは縁のなかった
ような人が、ひょいひょいと勝ち抜けたりする面白みがあり、ご夫婦で参加すると奥さん
だけ勝ち残るパターンが多く
旅を通して表情の変わった人が出てきたりと、それこそが
スタッフの言う「クイズと言う名の人間ドキュメンタリー」だと思うのです。
そして、ウルトラクイズは…