エッセイ・<バックナンバー>

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掲載期日 バックナンバー 執筆
S 2007.1 「千の風になって」 K.K
R 2007.1.21 「亡き義母との思い出」 K.M
Q 2006.2 「まきの調達は家族みんなで」 K.M
P 2005.2.2 「気分転換して楽しく子育て」 K.M
O 2004.5.31 「担任に恵まれ幸せだった娘 K.M
N 2004.4.28 「不安を覚える猿の作物被害 K.M
M 2004.2.12 「手作りのおんぶひも K.M
L 2003.9.22 「脳や心の発達支える環境を K.M
K 2003.8.31 「コショウ味の晩ご飯 K.M
J 2003.7.14 「はしの持ち方 根気良く教育 K.M
I 2003・5・9 「豊かさ故になくしたもの ドラマできづく K.M
H 2003・4・8 「あいさつ」のできぬ子心配 K.M
G 2002・9・19 「室生朝子さんの思い出」 K.M
F 2002.7.17 「自然にふれる遊び教えたい」 K.M
E 2002.7.17 娘に教わった朗読の「こつ」 K.M
D 2002.5.27 「娘からの手紙」 K.M
C 2002.4.29 「一冊の日中辞典」  S.M
B 2002.4.14 「真新しい机にニコニコの娘」 K.M
A 2002.4.1 原田 泰治が描く「日本の童謡・唱歌百選展」   K.M
@ 2002.4.1 「座敷わらし見えたよ」 K.M



S 「千の風になって  (2007.1.)
  「千の風になって」という曲が話題になっている。亡くなった人は、大きな空を吹き渡る風になって私たちを見守っているーという歌詞だ。
 昨年十一月末、私は八十一歳の母を亡くした。いつもきりりとして何でもできる自慢の母であったが、三年ほど前より認知症を患い、次第にその症状は進行していった。娘である私のことが分からなくなり、介護抵抗という症状も現れた。
 嫁いでいる私は少ししかかかわらなかったが、ずっと介護してくれた弟夫婦は大変だったと思う。最後に入院した時も、義妹は毎日通い、何も分からなくなっている母とひとときを過ごしてくれた。
 母はほかにもたくさんの優しい人たちに見守られてあの大空の風になっていった。この曲を聴くたび、私は厳しくも優しかった母と、その母の最後を立派に閉じさせてくれた弟夫婦の温かな努力を思い出すだろう。
 (2007・1・   信濃毎日新聞 「建設標」 に掲載)  倉沢久美子

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R 亡き義母との思い出  (2007.1.21)  
  先日、義母が八十一歳の生涯を閉じました。二,三年前から認知症となり、私たち家族も共に悩んだ日々を思い出しています。
 義母はもともと口数が少なく、嫁の私に対しても「このようにしなさい」などと義母の権威を示すような態度はまったく見せませんでした。いつも控えめに、でもやるべきことはきちんとするまじめな人で、料理でも漬物でもなんでも上手にできる人でした。でも残念なことにこのような形で別れてしまい、義母から何一つ教えてもらっていなかったことが私の後悔の一つです。
 たぶん私に何かを教える時に、トラブルになってはいけないと考えていたのではないかと思います。私も今思えばもっとこちらからいろいろと聞いておけばよかったと思います。
 認知症の症状がが進み、だんだんと手がかかるようになってきてからは義母と介護と家事に忙しく、毎日格闘していたように思います。しかし、元気だったときに交流できなかった分、介護を通して義母と深くかかわることができたのではないかとも思いました。
 三ヶ月前までは元気だったのに、だんだんと食事がとれなくなり、病院に顔を出しても目を閉じているだけという日が多くなってきました。それでも、看護婦さんから「今日はプリンを一カップ食べたよ」とか「今日はいっぱいしゃべってくれた」との報告をうけるたびに、「まだまだ大丈夫だ」と安心しきっていました。
 元気になったら着てもらおうと、新しい服を買っておいたのですが、結局それに袖を通すこともなく、義母は旅たってしまいました。でも、きっと天国では、義父といっしょに楽しくすごしていることでしょう。
 (2007・1・13   信濃毎日新聞 「私の声」 に掲載)   宮島喜久子

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Q 「まきの調達は家族みんなで  (2006.2)
 わが家は昨年暮れ、まきストーブを購入しました。いざ使ってみると、まきが大量に必要なのです。知人からもらった廃材を、主人がチェーンソーで切っては、まきとして庭先の積み上げておくのですが、寒い時にはすぐに終わってしまいます。
 まきをストーブまで運ぶのは、子供たちの仕事です。小学校四生の娘はもちろん、二歳の息子まで張り切って運んでくれます。
 今年は大雪で厳しい寒さですが、玄関に置いたまきストーブにより、家全体がほんわかした暖かさです。昨年より灯油を使う量が減り、多少、節約になったかなと思います。
 家族が一緒にまきを運んでいると、テレビドラマの「北の国から」「大草原の小さな家」のようです。自然を大切にしながら、手間をかけて生活することの大切さなども分かりました。子供たちにとっても、生きた教育になっているのではないかとおもいます。
(2006・2・   信濃毎日新聞 「建設標」 に掲載)   宮島喜久子

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P 「気分転換して楽しく子育て  (2005.2.2)
 
 19日の本欄で育児の孤独に悩む母親多いを読みました。昨今の子供に対する虐待のニュースには悲しい気持ちになりますが、一方でそのような状況に追い込まれた母親の気持ちもわかるような気がします。私も1歳を過ぎた息子が歩き始めたので息子が眠っている時以外、自分の時間がありません。疲れた時など声を荒げてしまう自分に気づく事もあります。それでも我が家の場合は、同居の義母が協力してくれます。食事の用意の時など子供を見てくれ、風呂も毎日入れてくれるので本当に助かっています。また近所に子育て支援センターがありそこへ行くと職員の方が息子に話しかけてくれたり、抱っこしてくれたりします。そんな時間が私にとっては心が安らぐひとときです。核家族で頼りにする人が誰もいない時はこうした施設を利用するとか子育てサークルに参加するとかすれば、親子で良い気分転換になると思います。いろいろな人たちとかかわるなかで楽しく子育てをしていきたいと思います。                   
(2004 ・5・24 信濃毎日新聞 「建設標」 に掲載)   宮島喜久子

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O 「担任に恵まれ幸せだった娘  (2004.5.31)
  小学校の卒業式の日、二年生の娘は、帰ってくるなりワッと泣き出した。「T先生、他の学校に行っちゃうんだって」。先生は娘が一年の時からの担任である。まだ二年間しか教わってないので、もう一年くらいは担任をして頂けるかと思っていたが、転任されることになった。
 先生は明るく朗らかで、子供たちばかりでなく、親からも厚い信頼を得ていた。先生のおかげで、クラスの子供たちは伸び伸びとして元気がよく、仲良しだった。
 音楽会の時には、カブトムシを題材に子供たちが作詞、作曲をして、全員がそれぞれ生き生き表現できるように指導してくださった。手話の歌も教えていただいた。独創的で楽しい授業の中に、思いやりや命の大切さなど、先生のメッセージが込められていたのだと思う。
 不登校やいじめ、学力の低下など教育をめぐる問題が山積し、教師の資質も問われている。T先生に巡り合えたのは、娘にとって大変幸せだったと思う。

(2004 ・3・28 信濃毎日新聞 「建設標」 に掲載)   宮島喜久子

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N 「不安を覚える猿の作物被害  (2004.4.28)
  ここ数年、近所に猿が出没して、畑の作物が荒らされるようになった。すぐ近くに空家があり、そこに二匹すみついている。
 だんだん慣れてきて、人間を見ても平気なようで、近所をうろついている。先日は区民が集まって、猿を追い払うために花火などを鳴らしてみたが、効果はどうだったのか。
 昨年のことだったか、真夜中にコーン、コーンと、大工さんが家を建てる時のような音が聞こえた。怪談好きの娘と「もしかして幽霊?」と冗談を言い合った。翌朝、近所の人に聞いてみると、猿がカボチャをたたいていたそうだ。
 食べ物に困って出てきたのかと思うが、このまま放っておくと、人に危害を加えないか心配である。最初はかわいいと思っていたけれど、小さい子どもがいるわが家は、やはり不安だ。
 開発が進んで、居場所がなくなった彼らもかわいそうである。このままおとなしく、山へ帰ってもらいたいが、何かよい方法はないだろうか。
 
(2004 ・3・11 信濃毎日新聞 「建設標」 に掲載)   宮島喜久子

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M 「手作りのおんぶひも  (2004.2.12)
 「これ使ってみたら」とおばあちゃんが一本の白くて長い布を持ってきた。手作りのおんぶひもである。現在私の下の子は九ヶ月。つかまり立ちはするし、どこでも興味のあるところへはって行き触ってみる。食事の時も一緒に食べてたがって大騒ぎ。かわいいけれど家族みんなでてんてこ舞いである。
 先日は仏壇のふちに顔をぶつけてすり傷をつくった。立ってもまだ不安定なのでしょっちゅうゴロンところがっては泣いている。トイレに行くのもままならない。
 こんな状態をみかねてか、おばあちゃんがそのおんぶひもの使い方を教えてくれた。なるほどおぶってみると、ちょうどしっくり背中におさまるし子どもも機嫌がいい。少したつとすぐに眠ってしまうほど居心地がよいようだ。
 正直言うと私は、初めこのひもを見た時「本当にこんなひもでおぶれるのかな?危なくないかな」と思っていた。でも使ってみるとこれほど具合の良いものはないと思った。実は私はお祝いでいただいたおんぶと抱っこ兼用の子守帯を持っているのだが、これが使いづらい。わきで止めるボタンがしっかりできていて、はめるのもはずすのもひと苦労である。背中におぶった位置もずいぶん下に来てしまうし何しろ子どもがこれに入るのを嫌がるのだ。抱っこもできるしいいかと思ったがやはりダメだった。
 現在の子守帯は頑丈にできすぎていてそれがかえって使いにくく機能的でないことを私は痛感した。肩ひもが胸の前で交差しないのはおしゃれに見えるかもしれないがそれは実は親側の都合なのだ。昔の人はなりふりかまわず子どもの面倒見て仕事をして来たのだと思うと本当に頭が下がる思いだ。子どもに優しくて簡単に使えるおばあちゃんのおんぶひもをこれからも利用していきたいと思う。

 
(2004 ・2・12 信濃毎日新聞 「私の声」 に掲載)   宮島喜久子

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L 「脳や心の発達支える環境を  (2003.9.22)
 225日の本誌科学面で「最先端 信州の研究室から」を興味深く読みました。子供の脳の前頭葉の発達に変化が起き、「我慢する能力」の発達が、この三十年間で四、五年ほど遅れていることが分かったのだそうです。
 原因として、子供の遊びがスポーツなどの動的なものから、ゲームやテレビなどの静的なものに変わり、テレビの視聴時間が増加したことが、挙げられていました。
 確かに、近年の少年犯罪の多発、凶悪化には、親としても驚きやショックを感じずにはいられません。
 近年の子供たちを取り巻く環境が昔と様変わりし、同世代の子供たちと外で元気よく遊ぶ機会も減りました。友達が来ても、室内でこっそり遊ぶというような時代です。運動能力も、他人とのコミュニケ―ション能力も乏しくなるのは、当然のことだと思います。
 子供の脳や心を正常に発達させるためにも、大人たちが子供の生活環境に常に気を配り、考えていく必要があると思います。
(2003 ・8・30 信濃毎日新聞 「建設標」 に掲載)   宮島喜久子

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K コショウ味の晩ご飯  (2003.8.31)
 わが家の小学校一年生の娘はお手伝いが大好き。先日も私が台所にいると、「あーちゃんもやるね」とはりきって来てくれました。
 私が「あらびきコショウを入れるの」と言うと、娘がそばにあったびんを手にとってすばやくザザーッと。
 なんと黒いキャップをとってすべて入れてしまったのです。フライパンの中には黒い粒々のかたまりが・・・・・・。
 私は思わず「ダメでしょう」と大声で言ってしまいました。それでも腹の虫が収まらず、「あーあ、これじゃ誰も食べられないよ。お母さんの言うことを聞いてからやらなきゃ」などと文句をいっぱい並べたててしまいました。
 娘は一生懸命コショウをとりのぞいたりしていましたが、私があんまりプリプリしているので食事中もしょんぼり。「あーあ」とため息をついたり、しまいには涙ぐんでいました。
 その晩のこと、一足先に寝た娘の様子を見に行ってみると、私のふとんがいつもよりきれいにしかれていました。そして枕のそばにはハムスターのぬいぐるみが置いてありました。娘は私の様子を見て気を遣ってそんなことをしたのでした。
 帰ってきた主人は娘のつくったものを食べて「おいしいよ。おれは辛いの好きだから」と言っていました。それを聞いて私は、娘を怒りすぎたことをだんだん後悔しはじめました。
 私は娘が頑張って手伝ってくれたことに感謝もせず、ただその時の感情で文句ばかり言っていたのです。
 そしてあしたの朝は、娘にちゃんと言ってあげようと思いました。
 「お手伝いしてくれてありがとうね。」
(2003 別冊PHP 1月号 「おたよりノート」 に掲載)   宮島喜久子


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J はしの持ち方 根気良く教育  (2003.7.14)
 先日、娘が通う小学校で給食試食会があった。日ごろ、娘が食べている給食を頂き、栄養士さんのお話をお聞きした。「食」がもたらす子供への影響など興味深かったが、その中で、中学校で大豆をはしでつかむ競争をした話があった。
 はしは日本人の食生活に欠かすことのできない、重要な役割を果たしている。だが、子供たちが正しい持ち方ができているかというと、必ずしもそうではないと思う。
 わが家では主人が中心になって、娘のはしの持ち方を教えている。それは本当にうるさいほどだ。だが、娘も油断すると、ちょとおかしな持ち方になってしまう。
 栄養士さんも「家の方のはしに対する姿勢で、子供のはしの持ち方が決まる」と言っていた。
 親がきちんと教育しないと、子供も間違った持ち方のまま、一生を過ごすことになる。主人がうるさいほど注意するのは、やはり大切なことなのだということを、あらためて思った。
(2002.12.7  信濃毎日新聞 「建設標」 に掲載)   宮島喜久子

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I 豊かさ故になくしたもの ドラマできづく
   先日、テレビで「おしん」(少女編)を家族みんなで見た。20年ほど前に放送された朝の連続テレビ小説の総集編だった。
 主人公のおしんの生きた時代は明治末から大正・昭和初期の物のなかった時代だ。物がなかったので、物の質にこだわって入られない。生活する上で物があれば、それだけで、ありがたいことだった。
 いまの小学校1年生ぐらいのおしんが生まれたばかりの子供の子守りをしたり、寒い季節でも冷たい川の流れで、おむつをあらったりする場面がでてくる。なによりも、その小さい子供が自分のことよりもいつも家族のことを1番に思って、けなげに行動している姿に家族みんなで涙してしまった。
 わが家の1年生の娘もじっとその番組を見ていた。そして、現在は豊富に食べ物があることや、小学校に普通に通えることのありがたさを感じているようだった。20年ぶりに見たテレビドラマで、おしんのたくましさのなかに、豊かさ故にいま私たちが失ってしまった大事なものがたくさんあることにきづかされた。 
2003.5.9  宮島喜久子

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H「あいさつ」のできぬ子心配  (2003年4月8日)

 先日、PTAで街頭交通安全指導をしました。その時、登校してくる小学生の様子を見ていて思ったことがあります。それは、あいさつです。
 子供たち1人ひとりに「おはよう」と声を掛けましたが、恥ずかしいのか、大きな声で返事を言える子が少ないのです。中には大きな声で自分から「おはよう」と言う子がいますが、多くは蚊の鳴くような声で、はっきり聞こえません。
 でも、一番残念なのは、あいさつをしても下を向いたり、よそ見をしてそのまま行ってしまう子供がいることです。きっと、立っているのが学校の先生や顔見知りの保護者ならば、きちんとあいさつするのでしょう。
 子供たちは学校や家庭ではあいさつの必要性をいわれ、それを実践していると思います。でも、このような学校と家庭から離れた場面では、なかなかあいさつができない子供たちがいるようです。わが家の娘も、よそであいさつしているのかな?と気になりました。

(2003・4・8 信濃毎日新聞 「建設標」 に掲載)  宮島 喜久子

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G 「室生朝子さんの思い出」 9/19
 今年の六月、一人の随筆家が亡くなられた。室生犀星の長女、朝子さんである。
私の主人は犀星の大ファンで彼の作品はすべて持っている。有名な『ふるさとは遠きにありて思うもの』で始まる詩も、私は恥ずかしながら犀星の作であることを結婚して初めて知ったのである。
 主人が犀星の娘の朝子さんと交流するようになったのは、長野のカルチューセンターでの講義がきっかけであった。朝子さんが講師をを務めるその講座の受講生は年配の女性ばかりで、男性は主人一人だったそうだ。それを機に、家族ぐるみでおつきあいをさせていただいていた。
 朝子さんといえばまず思い浮かぶのがその気さくな人柄だ。作家というのは何となくお高くとまっているイメージがある。しかし朝子さんは気軽に私にも声をかけてくださり、「ちゃんとお料理しているの?」などと聞かれるほどご自身もお料理好きらしかった。
 四季の味という本の中で朝子さんはさまざまな食べ物について書いている。白菜、凍み豆腐、ネギのことなどが軽井沢の疎開生活の思い出とともに、素朴な温かみのある文章でつづられている。そして研究熱心な朝子さんは料理番組で見たものを必ず再現してご自分で作ってみるのだそうだ。「食」という物についてとても感心のあった方のように思う。
 そしてもう一つ感心の高いものは「花」だった。いろいろな植物の名前も知っていて私たちも教えられた。ある時、マツムシ草を見たいという朝子さんを連れて菅平へ行ったことがあった。マツムシ草を初めて見たが、うす紫をしたとてもかれんな花だった。
 そんな中、朝子さんが体調をくずされているというお話をお聞きした。昨年の夏、東京の病院で入院されているのを見舞ったのが最後である。訃報(ふほう)を聞いた時は全く信じられなかった。もっともっと長生きしていろいろなことを学ばせてもらいたかったと思う
(2002.9.19 信濃毎日新聞 「私の声」 に掲載) 宮島 喜久子

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F 「自然にふれる遊び教えたい」 7/17

 最近の子供たちを見ていて、ふと気づいたことがある。小学校一年生の娘は友達の家へ、かばんの中にマスコットやメモ帳を入れて遊びに行く。ちょっと外に出掛けるにも、荷物をいっぱい持っていくのである。よその子を見ていても、そのような傾向がある。
 私の小さいころ、家の前の神社で近所の子供たちと、鬼ごっこや「だるまさんが転んだ」をした。山へ探検に行ったり、河原で遊んだりもした。
 今、子供たちは外で遊ぶことが少なく、家の中で遊ぶことが多くなった。それだけ、自分で遊びを創造する機会が失われていくように思う。周りの自然すべてが、子どもにとって遊びの道具だったころ、子供はもっと素直に伸び伸びしていたのではないだろうか。
 たくさんのおもちゃに囲まれて育ち、週休二日といいながら、塾通いやけいこ事でスケジュールいっぱいの子どもたちに、ゆとりはないようだ。子どもたちがますます自然から離れていく現代、私たち大人が積極的に、子供たちに昔の遊びを教えながら、自然に帰ることの大切さを学ばせたいと思う。

2002.7.14 信濃毎日新聞 「建設標」 に掲載)  宮島 喜久子

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E 娘に教わった朗読の「こつ」 7/17

 最近、私は小学一年生の娘と、登場人物を分担して朗読することがある。何げなく聞いていた主人が言った。「ちょっとお母さんは棒読みだね」。確かにその通りである。
 以前から朗読に興味があり、昨年より月に一回程度であるが、学習会に参加している。その先生にも「すらすら読めるけど、何か引っ掛かりがないのよね」と言われた。
 その時はその言葉の意味が分からなかったが、娘と朗読している中で分かってきたことがある。娘は何の気負いもなく、ただ純粋な気持ちで読んでいる。決してうまく読もうとせず、自然体で声を出している。娘と一緒に読むことにより、朗読のこつ教えてもらったように思う。
 朗読というのは実に奥深いものである。同じ学習会に参加している年配の方の朗読には確かに味がある。さまざまな経験をしてきた人の強さや優しさなどが感じられるのだ。
 まだまだ勉強不足であるが、これからも楽しみながら本の朗読をしていきたいと思う

 (2002.7.2 信濃毎日新聞 「建設標」 に掲載) 宮島 喜久子 

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D 「娘からの手紙」  5/27

 机の中に一通の手紙がある。この春小学校に入学した娘からの手紙だ。
「おかあさんへ。いつもありがとう。おかあさんは、あさばんおいしいごはんをつくってくれるからとてもうれしい。あたしがねむらないときはほんをよんでくれる。だからおかあさんあたしよりよっぽどつかれているとおもう。つかれた悲しみもシューシューとつたわってくる。だからおかあさんむりしないでね。それからいつもごくろうさま」。大人っぽい言いまわしに笑ってしまった。心がじーんとした。
 娘が小学校へ入学してからは朝があわただしくなった。そのためイライラしたり怒ってばかりいるような気がする。マイペースでおしゃべりを始めるとごはんが進まなくなる。
 言わないようにしようとしても「早く早く」と言ってしまう。まるで機関銃のようだとわれながら思う。そんな私の態度には娘も閉口して、ますます反抗的になったりするのだ。自分も慣れない学校生活に疲れているのだと思うが、親に対してこんな思いやりを持っているのだとわかり心からうれしくなった。
 「あーちゃんありがとう。お母さんはいつもあなたに元気づけられているよ。こえからもよろしくね」。今度は娘に私からこの手紙を送ろうと思う。

(2002.5.18 信濃毎日新聞 「私の声」に掲載 宮島 喜久子

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C 「一冊の日中辞典」 4/29

 「スピーク イングリッシュ?」「ノー!ノー!」こんな会話から張力(チャンリー)先生との生活がはじまった。張力先生は本年1月24日から一週間、わが家に滞在していた中国の国語と硬筆の先生である。昨年、本校(上田西高等学校)の2学年が修学旅行で中国の天津第二中学との交流会を実施した。それが縁となり天津第二中学の先生3名と生徒7名が来校することとなった。ホームステイの募集があり、私は張力先生をホームステイでうけいれることとなったのである。
 私もニ学年担任なので昨年の修学旅行には引率者として参加した。したがって天津第二中生と西高生との交流会の様子をよく知っている。生徒たちは英語で交流したのだが、ニ中の生徒は相当英語ができるようである。受け持ちの生徒たちの多くが自分の英語力のなさを痛感していた。そんなわけで、中国人は英語ができるというイメージを私ももっていた。我が家にステイする張力先生もきっと生徒以上に英語ができるに違いない。中国語がわからなくても、辞書を引き引き英語でなんとかなるさと簡単に思っていたのである。
 ところが、その期待は先の冒頭の会話のごとくみごとにうらぎられてしまった。謙遜しての「ノー! ノー!」ではなくほんとうに「ノー! ノー!」なのだ。異国の客人との意思疎通手段として共通言語になるはずであった英語がまったく役にたたないのだ。夕刻の対面であったので、すぐに張力先生を自宅へと自動車でご案内することとなったが、車中でまったく会話が成立しない。ほとんど沈黙の走行が約30分つづいて自宅に到着。
 こんなに長い30分は未だかって経験したことがない。これから一週間、学校への行き帰り、沈黙の走行がつづくと思うとどうしようもない不安でこころが一杯であった。
 そして、我が家族との対面、歓迎夕食会と時は流れていく。この張力先生は私の不安をよそに私たちに中国語を元気にあびせてくる。こちらもひらきなおって負けずに日本語と手振り身振りのボディーランゲッジで応戦といった感じ。そのうちに張力先生はバッグからノートをとりだし、漢字を書き、こちらに差し出してきた。うん、これならわかる。こちらも、そのノートに漢字を書いて、そしてまた、という具合に、いつのまにか意思疎通の共通言語は漢字による筆談ということになったのである。その後、意外なことに筆談から、ちょっとずつこちらの家族は中国語会話を、向こうは日本語会話を覚えていくことになった。一番役だった会話は「これは中国語ではなんというのですか?」である。「中国語?」(ツォンゴーファー)と中国語でいうことを覚えるやいなや中国語のボキャブラリーが爆発的にふえていった。張力先生は「日本語?」(リーベンファー)とこちらに問うことによって同じように日本語を覚えていったのである。
 翌日、心配された車での会話が「この会話」でなんとか成立したのだからびっくり。翌々日、張力先生を上田の書店にご案内しながら私は一冊の書物を購入した。それは日本語で引くと中国語がわかる「日中辞典」である。この辞典には、例文が豊富にあったので、単語をつなげて会話らしくするのに役立つと思ったのである。これにより、以後、思ったとおり言葉が体系的に定着していった。この辞典によって二人の会話はますます発展していく。孔子や孟子、李白や杜甫、中国と日本の文化の違い等々にも会話はおよび、毎晩、おそくまで語り合った。二人の会話を聞きながら、家族もところどころで会話の中にはいり、張力先生と私達家族はおおいにうちとけ親しくなったのである。
 1月30日の朝、上田駅新幹線ホームから帰国する張力先生を家族で見送った。中国の先生がホームステイすることに会話ができないからと最初やや消極的であった母の別れ際に涙ぐんでいた姿がとても印象的であった。

(2002.4 上田西高等学校図書官報「わかくさ」に掲載)  宮島 幸男

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B 「真新しい机にニコニコの娘」  4/14

 小学校に入学する娘の机が過日、わが家に届いた。主人に組み立ててもらう間、娘はずっとそばにいて、うれしそうな表情をしていた。それから毎日のように、幼稚園から帰ってくると机に向かい、絵や文字を書いている。自分のお城を持った気分なのだろう。
 私が小さいころは、今のような立派な机ではなかった。それでも十分満足していた。今の子供たちは本当に恵まれている。ライトや、切り離して使える袖机などもついている。この国ではいつのまにやら、立派な机をそろえることが、ピカピカの一年生になるための条件になってしまったかのようだ。
 娘の机は、私の実家の両親から入学祝いに贈られたものだ。娘は本当にこの机を気に入っている。実家のの両親も張り合いがあるというものであり、私としてもうれしい。
 今まで無邪気に遊んでいた娘も、この机とともに、これからだんだん受験戦争の荒波に巻き込まれて、無邪気さが失われていくのかなあとも思う。真新しい机にニコニコ顔で向かう娘の様子を見るたびに、私の心は複雑である。

(2002.4.3 信濃毎日新聞 「建設標」に掲載) 宮島 喜久子

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A 原田 泰治が描く「日本の童謡・唱歌百選展」(2001.3.22−4.4・長野東急) 4/1
  先日、原田泰治さんが描いた「日本の童謡・唱歌百選展」を見に、家族で長野市に行ってきました。
 会場では、原田さんが車いすに乗っておられ、「一緒に写真をとりましょう」と声を掛けてくださいました。思いがけないことに、びっくりしました。
 私たち夫婦は美術館巡りが趣味。5歳の娘もいつも一緒なので、娘も絵が好きになり、原田さんの絵をとても気に入っています。
 絵に描かれた曲は、全国公募で集まった中から選んだそうで、だれもが知っている曲ばかり。娘は一枚一枚の絵の前で、歌を口ずさんでいました。
 原田さんの描く顔には、目や鼻、口はありません。なのに、なぜかそこに登場するおじいさん、おばあさん、子供たちの声とともに、表情が感じられるから不思議です。そして四季折々の山や海や畑、日本の田舎の風景が、実に細やかに描かれています。
 「いい子だね」といいながら、娘の頭をなでて握手してくださった原田さん。美しい絵とともに、その人柄が娘の心に深く印象づけられたことでしょう。
(2001.4.4 信濃毎日新聞 「建設標」に掲載) 宮島 喜久子

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@ 「座敷わらし見えたよ」 4/1

 先日、娘は父親に大変しかられました。その原因は、夜ふとんに入って寝ようとした時に娘がこうつぶやいたのです。「あーあ、あーちゃんの家はどうして古いの?お友達の家はみんな新しいのに」。さらに娘は言いました。「こんなお家つぶしちゃえばいいのに」
 その言葉を聞いた主人は、「そんなにいやだったらこの家にいるな」。ものすごいけんまくです。娘はワンワン泣きました。騒ぎもおさまり娘がようやく寝たのは十時をすぎていました。
 翌日、娘は何事もなかったように起きてきました。幼稚園から帰ってもとても機嫌よく遊んでいます。人形相手に一人遊びをしていた娘が私のところへ来てこう言いました。「お母さん、天井に何か字が書いてあるよ。もしかして座敷わらしさんがお手紙書いてくれたのかな?」 「えっ本当」。私は座敷へ行き天井を見上げました。なるほど古いわが家の天井は、確かに文字を書いたように見えます。「これはやっぱり座敷わらしだね」。そう答えながら私は何だか娘がとてもいじらしくなってしまいました。
 主人は日ごろから娘に「古い家には座敷わらしが住んでいるんだよ。座敷わらしがいる家は幸せになれるんだ」と言っていました。
 確かに新しい家は子ども心にも魅力的にうつったのでしょう。こんな家がいいなあと思う娘の気持ちも全くわからないわけではありません。でもこの家はご先祖さまから受け継いだ大切な財産、亡くなった人たちの思いが今もそこにあるのです。また「古い家だから」という考えは人を外見で判断することにもなる、そういう間違った価値観を娘には持ってもらいたくない。そう主人は考えたのだと思います。
 大きくなっても古い物を大切にし、座敷わらしを信じるような純粋で豊かな心をもち続けてほしいと私は思います。

                      

(2001.11.4 信濃毎日新聞 「わたしの声」に掲載) 宮島 喜久子 

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