マゼラン( Ferdinand Magellan 1480?〜1521)はスペイン国王の援助のもとスパイスの島、モルッカ群島を目指して世界一周の航海に出ました。当時、同じ質量のコショウと銀が同じ値段で取引されたといいます。肉食のヨーロッパ人にとっては肉の味を際立たせるコショウが重要なものだったようです。
中学2年セブ修学旅行のコースの一つとしてマゼランクロス(マゼランの十字架)を訪ねることになっており、生徒引率のときに、マゼランがフィリピンの英雄ラプラプに殺された場所も見ることができました。波のほとんどないエメラルドグリーンの静かな浜辺には、ラプラプ像とマゼランモニュメントが並んで建っていました。またそこには、マゼランがセブのマクタン島で殺される場面の見事な絵がかざってありました。マゼランはフィリピン人にあまりにも怨まれていたために、ラプラプに斬られた後、民衆にひき肉のように切り刻まれてしまったといいます。現地にはマゼランにまつわる迷信も残されており、マゼランの墓の十字架をけずり、煎じて飲むと、病気が治るというので、たくさんの人にけずられてしまい、現在では十字架が板でカバーされています。
さて、もともと東回りはポルトガルに支配されていたので、スペインのマゼランは西回りのコースを開拓する必要がありました。マゼラン海峡を通るコースは危険が大きすぎ、忘れ去られましたが、マゼランの航海は「新世界」と東洋をむすぶ太平洋交易の基礎を築いたといえます。フィリピンの重要性は当初は認識されませんでしたが、16世紀の終わりにはマニラは東洋におけるスペイン最大の貿易拠点となりました。
フィリピンの名の由来は、マゼランの死後1542年ビリャロボス遠征隊が派遣されたとき、スペインのフィリップ王子の名に因んでサマル、レイテ島に「フィリピナス」という名が与えられたことによるそうです。やがて7000余りの島でその名が呼ばれるようになりました。