バタンガスへの旅


リグポ島への旅
車が好きな私は、運転しない日々が1ヶ月も続いたので、がまんしきれずにドライバーさんに休暇を出し、自分で運転して1泊の旅に行くことにしました。夕方までに船着き場にたどりつかないと、船は待っていてはくれません。地図なども準備し、家族3人で出発しました。ところが日本の地図のように詳しい物ではなく、非常におおざっぱな地図でした。マニラから遠くはなれると英語も通じずタガログ語(フィリピノ語)しか通じなくなってしまいます。自動車は左ハンドルなので方向指示器をだそうとすると、ワイパーを動かしてしまいます。右側を走るという感覚にとまどいながら、見渡す限りのやしの木園やパイナップル畑の中を快適にとばします。スピード違反の取り締まりはこの国にはありません。世界最小の活火山のタール火山のそばを通り、その美しさに魅せられました。そして、高地に入り、しばらく忘れていた、自然の涼しさを感じながら走りぬけました。バタンガス州に入ると、道路わきに、knife knife knife と等間隔に看板が置いてあります。前に観光案内で読んだことを思いだしました。ここはバタンガスバリソン(バタフライ)ナイフの発祥の地なのです。記念品に一つ欲しくなってたくさんあるうちの一つの店に止まってみました。おばさんが眠そうに店番をしていたのですが、「マッカーノ?」(「いくら」)と声をかけると300ペソと 言います。「マハール」(「高いよ」)というと、値引きはしないといって聞きません。結局200ペソとい うことで落ち着き、手に入れることができました。 (100ペソは約400円)
そのうちに道が分からなくなり、海が見えてきたので、海の方に左折しました。道はどんどん細くなり、引き返そうと思ってブレーキをかけたら、乾季で乾いた土ぼこりがたち、何も見えなくなってしまいました。もうもうとしたほこりの中で、マニラの新聞の共産ゲリラが教会の人々を襲って皆殺しにした記事を思い出しました。このままエンジンが止まってしまったらどうなるのだろう。携帯電話もなし、公衆電話もない。いろいろな心配が頭をよぎりました。
ほこりがなくなり視界が開けてきました。集まってきたのは人なつっこい笑顔の子供たちでした。幸いエンジンは止まらず本道にもどることができました。

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