大使公邸のパーティ−
 ペルーの大使公邸の人質事件は悲惨な結末でしたが何とか決着しました。日本人学校の教師も大使に夫婦で招待されるということが年に一度あります。リマのように天皇誕生日のパーティではなく、新年を迎えた1月9日に行われています。大使の新年のお言葉を聞くのです。大使公邸はものすごく広く、まるで学校のようです。場所はポロクラブやゴルフクラブもある超高級住宅街にあり、私の家からは目と鼻の先にあります。以前、私が勤務中に自分の家から二百メートルもはなれていないところからロケット弾を飛ばしたテロリストがいて、隣のビルの壁に穴を開けるというニュースが届きました。娘は学校にいて、妻とメイドさん二人、ドライバーさんだけが家にいます。彼らの安否が心配だったのでビルに直接電話をすると、大丈夫だということでほっと胸をなでおろしました。その夜のローカルニュースでは、ラモス大統領のコメントがありました。元軍人の大統領は「こんなことは私にとってパンとバターのようなものだ。」(テロリストなど恐れるに足らない。)と言い切っていました。ふりかえってみると本当に毎日のようにテロ事件が起きています。3年もするとテロ事件にもすっかり慣れっこになってしまいました。大使公邸の前にさしかかりました。もう渋滞が起こっています。全ての日本人が運転手付きの自家用車で来ます。道路脇には車がびっしり駐車してあり、ドライバーさんたちが歓談しています。帰りは、ペイジャーコールといって放送でドライバーさん達を呼び出すので、また大渋滞が起こります。中に入ると大使夫妻が出迎えてくださいます。「にっ日本人学校の教師です。ご招待にあずかりましてありがとうございます。こっこちらは妻です。」緊張は一気に高まり、言葉はしどろもどろになってしまいました。ボーイさんたちは甲斐甲斐しく飲み物を運んでいます。私はビールのグラスを取り、教員が集まっているテーブルに向かいます。立食形式なので椅子はありません。丸紅、パナソニック、ソニー、トヨタなどの社員の姿もたくさん見えます。卑しい(?)教員の同僚達はもう寿司バーや雑煮の屋台に並んでいます。並んでいるというより群がっています。大使のお言葉があり、乾杯が終わったと同時に食べ物の屋台のところに一斉に脱兎のように移動します。芝生の上にある教員のテーブルは一挙に食べ物の山となりました。一年間がまんしていたお寿司やそば、雑煮に舌鼓をうちます。満員列車のように押し合いへし合いしながら飲み食いしている様子は川に入った牛に群がるピラニアのようです。多分こんな状況のときにペルーではテロリストが壁にロケット弾で穴をあけ、突入してきたのでしょう。そのうちに、若い大使館員と話す機会があり「どうして大使公邸はこんなに広いのですか。」と尋ねたところ、「六千人いる在比日本人を、いざというとき収容するためです。」という答が返ってきました。回りを見回すと政府の要人は珍しいと言って、奥さん達は記念撮影をさかんにしていました。そのときのフィリピンの状況を述べます。まず、中国の軍隊は電子の目を張りめぐらせたフランス製エイジス艦を配備していて、レーダーに写らない戦闘機であるステルス戦闘機にも対抗でき、15分でフィリピン全土を制圧できる軍事力があると豪語していました。マニラブリテンという新聞によると、ベトナム、中国、フィリピンが石油の出る南沙諸島をねらっているそうです。また、そこは東洋の火薬庫と呼ばれていて、一触即発の軍事的緊張が続いているとのことです。任期中に戦争が起き、一生祖国日本の土を踏むことができなくなるのではないかなどという考えが脳裏をかすめました。

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