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スモーキーマウンテン
 巨大な都市メトロマニラから出たごみは、腐敗して熱を出し、絶えず煙を出している。今は更地になったが、マニラが吐き出す、行き場を失った大量のごみは、ケソン市の近くにまた同じような第二のスモーキーマウンテンをつくってしまった。(現在そのパヤタスゴミ捨て場はスモーキーバレーと呼ばれている)
 最近悲惨なニュースを耳にした。スモーキーバレーの20mぐらいの高さのごみ山が崩れ、ふもとに住んでいた3500世帯のうち500世帯の人たちが生き埋めになってしまったというのである。 
 
 幼い頃父親に連れて行かれたごみ焼き場は、鼻が曲がってしまいそうな匂いであった。父はどういう意図をもってあんなところへ私を連れていったのか今だに分からないが、そのときの記憶がよみがえってきた。
 ここは灼熱のマニラ、地元の人にお願いしてスモーキーマウンテンを案内してもらうことになった私はマイクロバスから降り立った。まず、ポケットに入っている小型カメラに手をやって、あるかどうか確かめる。拳銃強盗がいるというので、びくびくしながら歩いていくと、擦り切れたぼろぼろのTシャツを着た住人に胡散臭そうな目で見られ、体全体に緊張感がはしった。いざというときのため命乞い用の金である500ペソ札がポケットにあるかどうか確かめた。ユダヤ人は自分の身を守るため命乞い用の指輪を持っているという。私もちょっとまねしてみたのだ。
 案内人のあとに続き、奥へ奥へと進んでいくと、生ごみの地面の上に建っているトタン屋根の小屋の中に人々の営みが見え隠れする。出生率も高いが、乳児の死亡率も、ものすごい。この不潔極まりない環境ではあたりまえかもしれない。
 白いスニーカーが生ごみのつくりだす黒い泥の中にずぶずぶと入っていく。人家と人家の間にはところかまわずウンチがしてある。道路・家・トイレの区別はここでは失われてしまったようである。スニーカーとTシャツ短パンは家に帰ったら洗濯せずに捨てることを、もうすでに決意している。排泄物に気を付けながら目指すのはスモーキーマウンテンの頂上である。煙の中を進んでいくと、意外にも草原が見えた。PH値が低く、酸性が強いこんな土地にも植物が育つとは・・・。案内人は説明してくれた。酸性の強い真っ黒な池を作っておき、そこでごみを洗い、金属を取り出して売るのが子供の仕事だそうである。また、マクドナルドのプラスチック製の容器や、ストローなども洗って売るそうである。歯磨き粉のチューブの残りも集めて使うそうである。ちょっとまずい考えが頭をかすめた。先日マクドナルドで飲んだコークのストローはここのものではなかったのか・・・と。次回はよくチェックしてから飲むことにした。
 頂上に着いた。   (何だ、ここは三陸にある故郷の丘と変わらないじゃないか。)海の見える陣山(じんやま)と瓜二つの風景が広がっていた。後ろを振り返ってみると、まるで焼け跡のような集落が見えてきた。この集落出身のバーの踊り子が多いと聞く、この劣悪な環境と比べると、住み込みをして、歓楽街のゴーゴバーで働くことの方がましなのかもしれないと、ひとりで納得をしてしまった。
 
 丘の上で、海から吹く風にさらされているとき、大学の哲学の授業を思い出した。古代ギリシャにディオゲネスという偉大な哲学者がいたという。彼は樽の中に裸で住んでいて、物乞いをしていたので、「犬」と言われ、さげすまれていた。あるとき、アレキサンダー大王が通りかった。ディオゲネスはアレキサンダー大王に向って、「ひなたぼっこの邪魔になるからどいてくれ」と言ったという。アレキサンダー大王はいたく感心して、「私は王でなかったら、ディオゲネスになりたい。」と言ったそうである。
 私もTシャツ短パン姿で裸みたいなものである。ここの住民となんら変わらない。この事実を考えたとき、何かこれまでの固定観念のようなものが、音を立てて崩れていくように感じた。

スモーキーマウンテン関係の映画「神の子たち」のホームページにリンク

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