Prologue 過去と現在と

<1>

 殺風景な内装の、兵員輸送用のカーゴから何人かと共に降りると、ジェット・エンジンの爆音と、航空燃料の焦げる臭いが私を出迎えた。
 島国ノースポイントの空軍基地。我々にとっての最後の砦だった。

 ――ようやく、帰ってきた。

 そんな感慨と共に空を見上げる。
 天空のキャンバスを、四つの鋼鉄の翼が、長く白い尾を引きながら舞っていた。

 ――こんな光景を見ると、思い出す。
 まだ、私が少女でしかなかった頃の日々。
 空を見上げる瞳には、一切の不純物のない、憧れだけをたたえていた日々を――



<2>

 私の祖父は、戦闘機乗りの傭兵として、軍事クーデターを鎮圧する国連軍に参加したという。
 祖父自身は、ほとんど自分の経歴も武勲も語る事はなかった。
 時折、祖父を訪ねてくる祖父の『戦友』達が、私に祖父の武勲を、誇らしげに語ってくれたのだ。
 赤い不死鳥のエンブレム。白地に赤いライン・ポイントの機体を駆り、数々の強敵たちを打ち倒す。そして、敵のエース『Z・O・E』との死闘。
 そんな話を聞くたび、私は祖父を憧れの視線で見直したものだった。
 私の中で、祖父は『天空の騎士』『大空の英雄』だった。
 しかし祖父は、やはり自分の事をほとんど話すことはなかった。

 ただ祖父は、空が好きで。
 私を後ろに乗せて、レシプロ機で空を舞うことを、何よりも好んだ。
 そして私も、祖父の背中で空を舞うことが、何よりの楽しみだった。
 その立場がいつしか交代し――私がスティックを握り、祖父が後席に座るようになっても、その楽しみは変わる事はなかった。

 祖父は、私が音よりも速く空を舞う『戦闘機』に憧れても、いつもの微笑みをたたえて何も言わなかった。
 両親は、私の容姿や肢体を惜しんでか、せめて女優だか何だかに妥協線を見いさせようと苦心したが、私は一切聞く耳を持たなかった。
 空への憧れと引き換えに、私は年頃の少女にあるまじき事に、恋やらファッションやらへの関心をほとんど失っていた。そんな自分に女優などが務まるはずもないと思っていたこともある。
 ともかく私は、一六で航空士官学校に入学し、生まれ育った生家を出た。

◆◇◆

 私がまだ幼い頃、海を超えたアメリア合衆国の天文台は、ひとつの不吉な天災を予言していた。
 小惑星『1994XF04』――後に『ユリシーズ』と命名された――が、機動を外れ、太陽の引力に引かれ、公転面の内側へと向かってきている。そして、その軌道と地球が丁度交差する、という予測を立てたのだ。
 無論、全世界は沸騰した。小惑星の破壊計画は世界中で進められ、我がユージア大陸のほぼ中央部に位置する中立国『サンサルバジオン』では、隕石迎撃用に、超大型迎撃砲『ストーンヘンジ』が開発された。

 しかし、そんな事は、大半の学生にとって、自分の手に余る出来事でしかなく、人間、そういうものは温室の外の出来事と認識してしまう。そして、それは私も例外ではなかった。
 しかし、温室のガラスは脆く、外気は凍るように冷たい。現実という名の冷気は、すぐに私達に襲いかかってきた。
 私が士官学校に入った年、その夜はやってきた。

 身震いするほどに美しい――shattered skies――『ソラノカケラ』が降る夜。

 『ユリシーズ』は、地球のロシュ限界の内側に到達すると、その身を千個以上の核と塵に分け、地表に落下した。
 恐竜が滅んだほどの天変地異はなかったが、それでも最大の欠片が落下したユージアの南東部はえぐり取られ、大きな環状の入り江と化してしまった。
 大多数の破片は地表に落下するか、或いは地球をかすめて遙か彼方へ飛び去ってしまったが、一部の破片は軌道上にとどまり、その後数年に渡り、思い出したかのように、時折地表へ落下した。
 しかし、それでも地表の生物と人間どもはなんとか生き残り、自分達が生きるための活動を再開した。

◆◇◆

 私が入学した士官学校では、災害救助などの活動にも精力的に取り組み、学生達は授業の合間に、ボランティア活動に駆り出された。
 大半の学生達は文句たらたらだったが、私はそうでもなかった。
 どんな理由があっても、空を飛ぶ機会が増えるのだから。
 私は空を舞うときは思い切り楽しみ、地面にいるときはそれなりに真面目に授業を受け――その合間に、遅まきながらの恋もした。

 彼は、空を飛ぶよりも絵を描くのが好きで、こんなところにいるにしては少しばかり変わり者だったと思う。
 温厚な青年で、ただで学校に入るため、士官学校に入学したのだと言って笑っていた。
 私に向かって真面目な顔で、『君の飛ぶ姿を描きたい』などといって、管制塔でキャンバスを広げ、二人で教官に大目玉を食った事もあった。
 その癖、飛行技術は同期の中でも群を抜いていた。彼への対抗意識から、辛うじて次席にしがみついている私を大きく引き離し、悠々と主席の座を守り通したのだ。
 最初は敵視すらしていたのに、いつの間にか彼に惹かれてしまう自分に、当時は大いに戸惑ったものだった。

 ――それももう、今となっては思い出でしかない。
 そんな楽しい時間は、もう、彼の肉体と共に、消え去ってしまった。

◆◇◆

 『ソラノカケラ』の夜から四年後。かねてより緊張状態にあった、西の大国『エルジア共和国』と小国連合は、エルジアのサンサルバジオンへの軍事侵攻という形で、正式な交戦状態に入った。

 ユージア大陸の古くからの交通の要所であり、それ故に、過去何度となく戦火を免れえなかったこの土地は、再び戦乱の渦中へ放り込まれた。
 サンサルバジオンの防衛隊の戦いぶりは特筆に値したが、その圧倒的な物量の前には膝を屈するより他はなかった。
 三日間に及ぶ街への空爆と、それに続く陸戦の末、サンサルバジオンはエルジアの手中に落ち、『ストーンヘンジ』は、エルジア軍に接収された。

 さて、攻め込んだ側と攻め込まれた側。
 どちらが、より多くの罪悪を抱えていたのだろう。
 エルジア共和国は軍事独裁政権であり、サンサルバジオン侵攻と、『ストーンヘンジ』にまつわる一件は、その負の方向ばかりを印象付ける。
 だが、連合にしても、ただ『軍部政権である』というだけで、その成果には目を瞑ってエルジアを非難し、国際情勢から半ば村八分にしていた。
 そのため、大国と言われたエルジアも、『ソラノカケラ』の被害から立ち直れず、そのお国事情はかなり切迫していたという。
 見ようによっては、サンサルバジオン侵攻は、エルジアの生き残りをかけた政略であったとも言えるのだ。
 ――結局、どちらの側も視野が狭く、相手の立場を思い測る事を忘れていたがための悲劇だったのだろうと、私は思う。

 でも、それだけなら、私はエルジアとISAFの愚行に憤る一人の小娘だっただろう。
 私がISAFの傭兵隊に志願し、エルジアを憎むのはただひとつ。
 私の恋した彼の敵(かたき)。ただ、それだけだった。

◆◇◆

 エルジアのサンサルバジオン侵攻、並びに『ストーンヘンジ』の奪取に激怒した小国連合は、『ISAF(Independent States Allied Force:独立国家連合軍)』を組織した。
 しかし、大型対空砲へと転用された『ストーンヘンジ』を擁するエルジア軍は、その優位を存分に発揮し、ISAFを思うがままに蹂躙していった。
 制空権を完全に握られたISAFは防戦一方となり、その戦線は徐々に東へと後退していった。

 ユージア東部における主要都市ロスカナスまで後退したISAFは、これ以上東へ後退すると、戦闘攻撃機の有効航続距離を超えるという事を主な理由として、『ストーンヘンジ攻撃作戦』に踏み切った。
 航続距離の関係から控えめに爆装したF-15E『ストライクイーグル』一二機と、その支援空戦担当としてF-15C『イーグル』が一二機の特別攻撃隊を編成。
 パイロットは、これまで生き残ってきた中でも最高級のメンバーで固められた。
 そして――その中には、若きエースとして、私の想人の姿もあった。

 出撃前に、私に向かって照れくさそうにしていた姿。
 それが、私が見た、彼の最後の姿だった。

 目標の目前まで攻撃隊が迫った時、五つの機影がAWACS(早期哨戒機)のレーダーに映ったという。
 後に『黄色中隊』として、敵味方ともに畏怖される事になるその機影群は、恐ろしい戦闘技術で攻撃隊を次から次へと撃墜していったという。
 ISAF機も必死で応戦したが、その努力も空しく。
 ――ISAF『ストーンヘンジ攻撃隊』は、全滅した。

 その報を聞いた時。
 私は、いつまでも、呆然とその場に立ち尽くしていた。

 彼の遺品のなかに、描きかけのデッサンがあった。
 遺族の方が、私にこれを渡した理由は、中を見れば一目で分かった。
 ヘルメットを抱えて、コックピットの縁に腰かけて満面の笑みを浮かべた私の姿。
 『大空の天使』などと、恥ずかしい題をつけられたその絵を抱きしめて。
 私は、外聞もなく泣き喚いた。

◆◇◆

 一時休暇をもらい、私が実家に帰ることと前後して、祖父は天に召されていった。
 祖父は、臨終に際してただ一言、
「憎しみだけを抱えて空を飛ぶな。鉛の心を持った者は、いつか翼を失うのだから」
 そう残して、去っていった。
 両親は、エルジア軍が進駐してくる前に、海を渡って亡命したが、私は居残った。
 ISAFの航空傭兵隊に入隊し、さらに後退する戦線をこの目で見やった。
 一度翼を失い、それでも生き残り、最後の砦まで追い詰められて――私はもう一度翼を手にいれた。

 今の私は、憎しみと悲しみ以外を抱いて、空を飛べない。
 いつか、何かを抱いて空を舞うことができるのだろうか。
 それとも、祖父の言う通り、翼を――そして命さえ、失うのだろうか。



<3>

 不意に、不吉な音が基地全体に響き、私の物思いを打ち砕いた。

 ――敵襲だ。

 私はハンガーに走り寄った。こんな時に、のんびり着任儀礼などやっていられない。
 何度か誰何の声を受けたが、そのつど命令書を鼻先に付きつけてやった。
 ハンガーにいた整備兵は、いきなり血相を変えて駆けこんできた見知らぬ女性士官に面食らっているが、私の知ったことではない。手近な整備兵に尋ねる。
「今日配属予定の新米の機体はどれ!?」
 目を白黒させながら、整備兵はハンガーの隅のF-4『ファントム』を指した。
「じゃあお願い、すぐに回して!」
 私のいきなりな台詞に、整備兵は流石に問い返してきた。
「ちょ……お嬢さんは一体何者なんです!?」
 若い女だから、丁寧な物腰なのだろう。男ならこうはいかないはずだと思う。私は何度めかの、命令書を掲示した。
「本日着任、ISAF航空士官イツキノ・ユーキ少尉! よろしく!」
 整備兵はあわててコンプレッサーに駆けていった。私もコックピットに這いあがる。
 すると不意に、無線機から中年の男の声が聞こえてきた。

◆◇◆

『どうも血の気の多いお嬢さんだな、君は』
「悪かったわね。私はせっかちなの」
 言い返すと、苦笑混じりの声が帰ってきた。
『着任早々、死に急ぐなよ。ちゃんと帰ってきて、せめて着任の挨拶をしてくれ』
「そうね。私もこんな所で死にたくない」
『そうかい』
 そこまで言って、不意に言葉を切る。
『私は『スカイアイ』、君達のお耳の恋人だ。ちなみに君は、今から『メビウス1』と呼称される。いいね』
 気の利いたコールサインだとも思わないが、極端に趣味の悪いものとも思わなかった。
 ただ、できれば祖父のエンブレムと合わせて欲しかった、という子供じみた思いが脳裏をかすめる。
 垂直尾翼をみやると、すでに『メビウスの円環』が意匠化されたエンブレムが描かれていた。
 手回しのいい事だ、と少し苦笑する。
「OK。よろしく、スカイアイ」
 私がそう返すと、笑いを含んだ声が帰ってきた。
「この会話が無駄にならないことを祈るよ。そうだメビウス1」
「なに?」
「今日は私の誕生日なんだ」
「……なんの話?」
 疑念たっぷりの私の声に、スカイアイは答える。
「だから、今日は私に勝利をプレゼントしてくれ」
 私の顔に、微笑が浮かんだ。
「努力してみましょ、スカイアイ! 管制塔、タキシング、OK?」
 管制塔から、真面目な声が届く。
「ALL RIGHT メビウス1、タキシング、GO!」

 私を乗せた機体が、身じろきして動き出した。

 そして、私の『刻』も、再び動き出す。


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