張り子の基地

<1>

 私がアレンフォート空港から離陸するとほぼ同時に、後続の僚機が四機、離陸滑走を始めていた。
 僚機は空に上がると同時にダイヤモンド編隊を組み、そのまま一気に高度8000まで駆け上がった。
 ――数は少ないが、腕はそう悪くない。私は自分の事を棚上げして評価した。
 私は高度を3000フィート程度を保ちながら、スロットルを全開に叩き込み、さらにアフターバーナーを使用して加速する。すると、後ろから通信が入ってきた。
「よぉ新入り。ケツが軽いのは結構だが、死に急ぐんじゃないぞ」
 私はヘルメットの下で、眉をひそめた。
「あのね。女の子に向かって『尻が軽い』はないでしょ? もう少し上品な言葉を選びなさいよ」
 すると通信機の向こうで、誰かが口笛を吹いた。
「こいつは驚いた! メビウス1は女か!」
 その声と共に、不謹慎な歓声が通信回線を占領した。

 ……軍人生活などしていると、必然的に女っ気が少なくなる。故に、女はただ『女である』というだけで希少価値を有するのだが――それが必ずしも有利である事を示すとは限らないし、それほどひどい扱いを受けなくても、セクハラのひとつやふたつは覚悟しないといけないだろう。それが嫌なら、私のように男勝りの可愛げのない女になるしかない訳である。
 別に、こういう下世話な雰囲気は嫌いではないのだが……男どもはもう少し紳士的に振舞ってもバチは当たらない、と思う。

「いい加減集中しろ、貴様ら」
 さして大きくもない声が通信回線を走ると、歓声は尻すぼみに小さくなった。
 その声の主――スカイアイは、咳払いをすると続けた。
「攻撃隊は全部で10機。そのうち爆撃機は6機。Tu-95<ベア>だ。それと護衛のF-5E<タイガー2>が2機、MiG-21<フィッシュヘッド>が2機だ」
 ――数も戦力自体も大した事はない。ひょっとすると舐められているのだろうか?
 一瞬、そう考えて不快感に襲われた。
「へっ、楽勝だぜ!」
 私の不快感など構うことなく――顔すら見えないのだから、気の回しようなどないのだが――誰かの楽観的な声が、そう言っていた。後続の僚機のどれかだろう。
 すると別の誰かが、その言葉をたしなめる。
「油断するな。逃がしたら今日で戦争が終わっちまうぞ!」

 ――誇張ではなく、全くの事実だった。
 万一ここを抜かれると、HQ(総司令本部)まで文字通り一兵すら配置されていない。
 さらに現在、HQ自体の戦力など無きに等しい。
 敗戦と後退を重ね、分断された今のISAFには、まともな戦力などほとんど残っていないのだ。
 大陸本土から各部隊が撤退して再編成が済むまでは、HQは張子の虎でしかない。
 それを考慮すると、この程度の戦力でも十分だ、と敵が判断したとしても仕方ないことなのかもしれなかった。

 しかし誰だか知らないが――正規兵なら士気(モラール)が下がるか、逆に追い込まれて死兵と化すか、というようなタイトロープな台詞を堂々と吐くあたり、ある意味大したものだと思う。
 尤も、傭兵隊である我々にとって、『背水の陣』など意味が無い。どんな状況であれ、自己の力を全て出しきれないような者は――死ぬだけだ。
 どんな状況においても、陽気さを失わない彼等の姿に、実のところ私は随分と救われたものだった。
 元は正規兵だった私があえて傭兵隊に志願したのは、ひとつはそう言う理由であった。

「メビウス1、そのままだと敵編隊との高度が合わない」
 スカイアイからの指示が飛んできた。確かに、このままの状態で飛び続けると、敵の腹の遥か下を潜り抜けてしまう。しかし、それこそが私の狙いなのだ。
「問題ないわ。このまま一度、敵の下を抜ける」
「おいおい、逃げだすんじゃねぇだろうな?」
 笑い混じりの声が、通信機から響いた。
 ……ジョークだと分かってはいるが、だからといって腹立だしい事に変わりはない。言い返す声が思った以上に尖った。
「五月蝿いわね! 囮になってやるって言ってるんだから、素直に受け取りなさいよ!」
 おお恐、などとぼやく声と、喝采の口笛が複数聞こえる。……全く、自分達とISAFの生命がかかっているというのに、不謹慎なこと極まりない。
 そう思いつつ、私の口元は緩んでいるのだった。

 やがて、敵編隊が私の頭の上に差しかかる。スカイアイのコールが通信回線を走った。
「メビウス1、ENGASE(会敵)」



<2>

「ヴァイパー3、ターゲット・イン・サイト(目標補足)!」
「レイピア4、エンゲージ!」
 私が敵の下を潜り抜けた頃、僚機が次々と交戦を開始していた。
 編隊の両翼を広げ、敵編隊の上方からかぶさるように襲いかかる。教本通りだが、いい戦法だ。
 爆撃機編隊はそのままのコースを辿り、護衛機が僚機に向かっていく。
 ――計算通りだ。私はほくそ笑んだ。

 先ほど私は、『囮になる』と言ったが、実はこれは事実を半分しか伝えていない。
 確かに、僚機が会敵するまでは、単独行を為している私が囮役となる。敵は、妙な所を飛んでいる私を見て、困惑しただろう。迎撃するか、放っておくか、迷っている間に僚機が到着する。
 そして、そこからは、僚機が囮に変わるのだ。
 僚機を迎撃するために、護衛機が爆撃機から離れる。その後背を、反転した私が討つのだ。
 ――念の為言っておくが、私は自己を益するためにこんな事を考えた訳じゃない。単にこれが一番楽に勝てるから、実行しただけだ。
 ついでに言っておくと、私が確実に楽だという保証はない。もし、護衛機が初期の段階で私を狙ってきたら、一番辛いのは当然私だったし、この後、護衛機が私に向けて反転してきても同様だ。尤も、後者の場合は、敵機が反転した直後、僚機にやられるのがオチだろうが。
 そのくらいのリスクを背負う覚悟ができていなければ、そもそも単機で先行などしたりしないし、他人にリスクを背負わせたりしない。仲間にリスクを負わせるのなら、自分も相応のリスクを背負うべきだ。少なくとも、私はそう考えている。

◆◇◆

 私はスロットルを開けたまま、スティックを思い切り引いた。
 忠実な機体は、空気を切り裂きながらその機首を持ち上げる。
 Gと上下感覚の失調とに耐えながら、私は機体をループ(宙返り)させる。そして、軌跡が円の半周を描いたときループを中断し、自然背面になった機体の上下を元に入れ替えた時――私の機体は、敵爆撃機編隊の最後尾を、ミサイルの射程に捉えていた。


 インメルマン・ターンと呼ばれる、機動(マニューバ)のひとつである。
 主に高度差のある、進行ベクトルが逆の相手を捉える為の機動だ。仮に相手が自分より低高度にある時は、最初に機体を背面にしてから、ループを開始する。こちらは、スプリットSと呼ばれる機動になる。
 Gにさえ耐えられるなら、わりと簡単に行える機動だが、この機動はテール・スライドや捻り込みなど、いくつかの高等機動の基本ともなっている。

 急に背後を取られた目標機は、慌ててロールを行おうとするが――爆撃機は総じて動きが鈍い。私の眼には、腰を抜かした豚が身じろきしているように醜悪に見えた。
「メビウス1、フォックス2!」
 宣言と共に、愛機の腹に大量に抱えた多機能ミサイルを二本、無慈悲に斉射する。
 ミサイルは狙い余さず、哀れなTu-95の腹に食い込み、炸裂した。
「メビウス1、SHOOT ONE DOWN(一機撃墜)!」
 スカイアイが、回線をわざとオープンにしてから敵機撃墜を告げる。事実によって味方の士気を高め、敵の動揺を誘うための常套手段だ。

 ――ともあれ、まずはひとつ。
 私は翼をひと振りすると、新たな獲物に襲いかかった。

◆◇◆

 私が最後の目標機を始末した瞬間と前後して、断続的な警告音がコックピットに響き、同時にHUD(ヘッド・アップ・ディスプレイ)に『WARNING』の赤文字が点る。
 ――ロックオンされた。しかし、まだ焦る事はない。彼我の距離はおよそ900弱。通常ミサイルのレーダー・ロック範囲ぎりぎりだ。この距離から撃ったとしても、比較的容易に回避できる。
 そして、それくらいは承知の上なのだろう。敵のF-5は加速して距離を詰めてこようとしていた。
 レーダーを確認すると、他の4機は未だ僚機と交戦中。つまり、私を慕ってきたのは、今後ろから被さってきたこの1機だけという事になる。
 そして、敵機がミサイルを放ち、私の機体のコックピット内をけたたましい警告音で満たした刹那。私は忠実な愛機の頭を天に向け、見えない床を蹴りつけるように急上昇。そのままループを開始した。

 ミサイルという兵器は、一見万能兵器のように思われているが、実の所そうでもない。
 超長距離から静止物を狙うには便利な代物だが、動く目標に当てるのは、やはり非常に難しいのだ。攻撃のタイミングなどの関係から、距離次第では機銃よりはまし、という感じのものだろう。
 そんなはずはない。一体何のためのR・P・G(精密誘導兵器)だ――という意見もあるだろうが、結局の所、機械の『眼』では――『でも』というべきであろうか?――動く目標を正確に捉えるには限界がある。
 まず、レーダーなりカメラなりで、目標を認識する。そして発射された後は、目標の残滓熱や機影、内蔵レーダーなどで目標を追尾する。これが大半のミサイルの追尾メカニズムだ。ごく稀に、人間が直接操作するミサイルも存在はするが――それはあくまで、際物(きわもの)めいた例外でしかない。

 逆に言うと、追尾行動に移ったミサイルから逃れるには、その『眼』から逃れたらそれで済むのだ。
 大抵のミサイルは、一度目標をロストしてしまうと、自力で再追尾する機能など持っていない。つまり、一度逃げる事が出来たら、再び慕ってくる事はほとんどない。そして、獲物に逃げられたミサイルは、大抵はその場か少し距離を置いた所で自爆する。『たまたま向こうを飛んでいた味方に当たってしまう』事を回避するのが主な目的である。
 人間なら一度目の前から逃げられても、視線を動かす事で目標を再確認できるが、機械にはそれができない。それこそが『ボタン戦争』などと言われる現代においても、戦闘機などの有人兵器が未だに用いられる理由なのだ。
 ――つまるところ、戦闘機のパイロットというものは、『戦闘機』というブーメランのお守りをすると同時に、『戦闘機』という『有人弾頭』の砲手でもあるのだ。
 なお、少数ながら、目標を再追尾するミサイルというものも存在はするが、実質的に前述のものとそう変わりはない。その理由は、次の機会に譲る事にする。

 ――そして、先ほどの説明と、今の私の機動とどういう関係があるかと言えば――
 答えは簡単。急激なループ運動で、私はミサイルの『眼』からあっけなく逃れ、哀れなミサイルは私がいたはずの空間で自爆して果てた、という訳だ。
 さぞかし、私の相手は悔しがっただろう。
 しかし、彼――であろう、恐らく――は、実のところ悔しがってばかりなどいられないのだ。
 戦闘機に限らず、航空機は原則として空中で静止できない。無論、相手のF-5も例外ではなく、直進を続けている。そして、私はループ機動を行っている。
 これがどういう状況を生み出すかというと――
 一瞬後には、F-5のすぐ背後に、ループを終えた私、という状態が生じるのだ。
 泡を食った敵機が、慌てて回避運動に移るが――もう遅い。
 必中距離で放たれたミサイルが、敵機の機体を寸断していた。



<3>

 私がさらに<フィッシュヘッド>を一機始末すると同時に、僚機が残りの護衛機を片づけていた。
 索敵範囲内には、敵影なし。AWACSの広域レーダーと人工衛星の映像とを総合した<タクティカル・マップ>の方にも、敵影らしき未確認機は、近郊空域には発見できなかった。
 ――終わった。
 私が気を抜くと同時に、スカイアイからの通信が入った。
「よくやった、メビウス1。今日のエースは君だ」
「ありがとう。まぁ、あまり嬉しくもないけれどね、この程度じゃ」
 苦笑混じりに私が礼を言うと、僚機の中の一機から憎まれ口が返ってきた。
「こきゃぁがれ! 一人で七面鳥をまとめて持っていきやがって! こっちは苦労したんだぜ!?」
「……あの程度で?」
 別の一機から毒舌が飛ぶ。最初の僚機が言い返した。
「今日は片肺の調子がおかしかったんだよ! くそっ! 帰ったら整備の奴等、締め上げてやる!」
 流石にそれは聞き逃せない。
「そんな状態で上がった方に責任があるわ。次からはそんな事はしない方がいい。死にたくないならね。それに、機体を整備班に任せっきりにしているのも良くない。自分の相棒なんだから、自分でも面倒見てあげないといけないわ」
 最初の通信から黙っていたスカイアイが、口を開いた。
「メビウス1の言う通りだな。死にたくなければ、自分の機体は可愛がってやる事だ、オメガ6」
 ちぇっ、という声が聞こえて、最初に憎まれ口をきいた僚機――コールはオメガ6らしい――は口を閉じた。

 そのタイミングを見計らったかのように、アレンフォート空港から通信が入った。
「スカイアイへ、こちらアレンフォート空港管制。爆撃機の撃墜を視認した。今日のエースは誰だ? 礼を言っておいてくれ」
 スカイアイが、答えて余計な事を付け加えた。
「今日のエースはメビウス1だ。歓迎会も兼ねて、パーティは派手に行こう」
 通信回線を、陽気な――最前線だという事を考えれば、不謹慎なほどの――歓声が支配した。
 私は苦笑しながら、憎まれ口を叩く。
「あなたのバースディも、一緒にお祝いしましょ、スカイアイ。プレゼントはもうお渡ししたしね」
 スカイアイは苦笑した。
 誰かの陽気な声が、こう言っていた。
「よし、お仕事は終わりだ! お家に帰ろうぜ!!」

◆◇◆

 何はともあれ、生き残る事が出来たのは喜ばしい事だ、と思う。
 生きているからこそ、こうして馬鹿騒ぎも出来るのだから。
 ――そして、その一方で還る事の出来なかった者も存在している。
 無論、私が撃墜した、或いは僚機が撃墜した敵機の乗員達だ。
 脱出出来ていない限り、彼らは二度と馬鹿騒ぎも出来ない。
 ――もう、生きていないのだから。

 ふと、そんな感傷が胸によぎった。
 ――偽善だろうか?
 そうも思える。
 しかし。彼らの事も、忘れてはいけないような気がする。
 昔、彼を失った時とは別の痛み。
 明日は、この痛みをも抱えて、飛ぶのだろうか?
 ――いっそ、復讐の快感でもあれば、気が晴れるというのに。
 ――彼は、なんの為に、空を飛んでいたのだろう?
 ――そして、私は?

 エルジアでもISAFでも、多くの人々が死んでいった。
 そして、これからも死んでいくのだろう。
 彼らはなんの為に死んだのだろう?
 そして、なんの為に、これから死んでいくのだろう?

 その答えを探すためにも、私はまだ、空を駆け、敵を殺し続けるのだろう。
 いつか答えを見つける事の出来る日まで。
 或いは、ソラノカケラと化す日まで――


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