もう一つの戦友

 ノースポイントのISAF空軍基地、アレンフォート空港への爆撃隊を退けた、その日の夜。
 ささやかな打ち上げのはずであったが、しかし『スカイアイ』ことジェイムス・A・コートウェル大佐の誕生パーティもそれに加わり、私が予想したよりもかなり派手な馬鹿騒ぎが行われた。
 本来なら、厳しく規制されてしかるべきであったのだろうが、参加者の誰も自粛しようとはせず、またそれを止める者もいなかった所を見ると、ひょっとすると『最後の晩餐』の気分であったのかもしれない。
 尤もそれ以前に、前線で戦うパイロット達――当時のISAFはパイロットが慢性的に不足しており、例え複座の機体であってもフライトオフィサ無しで運用せねばならないという有様だった――にとって、明日という時間は存在しないかもしれない、或いは明日はあっても明後日は……という心理的障壁があったから、今日をせいぜい騒いで過ごそう、という一種虚無的な心理状態が支配していたという事情もあったと思う。
 ともかく、酒精が入ったごつい男――とは限らないが――の合間に、私のような小柄な女が突っ立っているのは、先方はともかく私としては御免被りたい。自己紹介のようなものを一応済ませ、頭からビールをひっかぶった姿で、私は早々に退散を決め込んだ。

◆◇◆

 私が所属することになった部隊の正式名称は、『ISAF第七航空戦隊・第二飛行中隊』である。そのニックネームは、まだ決まっていない。
 現在稼働中の航空戦隊は、傭兵部隊である我が第七と正規部隊である第二のみ。初期のISAFの編成によれば、航空戦隊は全部で十二あるはずだから、戦力においては六分の一、実質にはそれ以下である。
 現在大陸各地から撤退中の戦力が合流して再編成が済めば、もう二戦隊ほど組めるであろうが、今それを当てにすることはできない。
 さらに、今実質的に効果的な運用が可能なのは、航空戦力だけだという事もあり、私達は当分の間、オーバーワークを強いられる事となるだろう。
 私達は元より、もっと気の毒なのは整備兵達だ。ただでさえ手が足りないというのに、さらにこんな荷重を強いられたのでは、たまったものではないだろう。
 そして……整備にミスでもあれば、死ぬのは私達自身なのだ。決して、他人事ではないのである。
 私はシャワーを浴びて麦発泡酒を洗い落とすと、ツナギを着てハンガーへと向かった。

 ハンガーでは夜間作業員が、スクランブル機以外の機体に取り付いて、今も修理や整備に取り組んでいた。
 私が近づくと、まだ若い整備員の一人が駆け寄ってきたので、私はラフに敬礼する。彼の方も私の目前で急停止して、敬礼を返してくれた。
「どうしたのです少尉? 少尉は、今日のスクランブル要員ではなかったと、自分は記憶しておりますが?」
「あなたの記憶は正しいわ。私のスクランブル・ローテーションは今日じゃない」
 私の答えに、整備員の彼は怪訝な表情を浮かべた。
「なら一体どうしてこんな所に?」
「整備状況が気になったから、ではいけないかしら……?」
 私は真面目なつもりだったが、彼の方はどうやら、私が遊びに来たか、彼らをおちょくりに来たと誤解したらしい。顔を不本意だと言わんばかりに歪めて、声を大にして抗議してきた。
「あなた方パイロットは、確かに前線で生命を張っていらっしゃる。しかし自分らも、整備に生命を賭けています。当然です。整備不良で機がいたずらに損耗すれば、いずれ自分たちの生命も危うくなる事を知っているからです! それを――」
 熱を帯びているその声を、私は手で遮った。
「そんな事は分かっているわ。よく、分かっている」
「でしたら、機体の整備は自分たちに任せて――」
 顔を上気させている彼の目を見据え、しかし私はかぶりを振った。
「それも、出来ないわ」
「何故ですか!?」
「自分の生命を、守るためよ」
「自分たちの整備が、信用できないとでも?」
「もちろん、違う」
「でしたら、何故?」
「あなた達整備員に、不必要な程の負荷をかけたくないからよ」
「同情でしたら無用です。自分らは――」
「同情などでは、ないわ」
 私はきっぱりと言い切り、勢いを削がれて、彼は口を開けたまま固まった。
「あなた達は今後当分、こんなハードワークが続くのは、目に見えている。そして、あなた達に負荷が蓄積すれば、それだけミスを犯す確立が急上昇する」
 ここまで一気に言い置いて、一拍の呼吸を空けた。尤も、演出の効果を狙った訳ではなく、単に呼吸が苦しくなっただけなのだが。
「なら、私達パイロットも、自分の機体の面倒くらいは、出来る事はやるべきだと私は思う。それが、一番自分が生存できる確立が高い、と私は判断している。ゆっくりベッドで寝ていて、いざ飛んだ時に、やぁまずったな、では話にならない。私もあなたも、出来る事をやる。生き残るために。……これでは不満かしら?」
「……いいえ」
 毒気を抜かれた態で、若い整備員はかぶりを振った。そんな彼に私は微笑を向ける。
「あなた達の事は、当然信頼しているわ。あなた達のお陰で、私達は飛べるのだから。あなた達を疑っていたら、私達は何も出来はしない。あなた達整備員を信じる。これは、私達にとって、大前提なの」

 事実である。
 戦闘機と言えば、人間の主役はパイロットである、と思われがちだが、しかし戦闘機とは、彼ら整備員達がきちんと整備をしてくれてこそ、初めて空を飛べる。私達は、愛機と同時に、整備員に生命を託しているも同然なのである。そして先ほど彼が言ったように、彼らも私達に自分の生命を託している。
 彼らは戦場に出る事はないが、しかし彼らも、私達と共に戦っているのだ。

「私はあなた達を信じている。だからあなた達も、私の期待に応えてくれる事を要求するわ。だけど、自分の生命を託すべき機体を、全て他人まかせにした挙げ句、トラブルが起きた時に慌てたりしたくない。あなた達の所為だと無意味にわめき立て、あなた達との信頼関係を損ねたりもしたくない。だから、私は整備の状況を、自分自身の身体で、細かくチェックする事にしている」
 最早、私はポーズでさえ笑っていない。私が自身で言った通り、これは大前提なのだ。生き残るための。
 いつしか静まりかえったハンガー内で、私の声はやけに響いた。
「厳しいかもしれない。だけど、しっかりと応えて欲しい。そうしたら、私もしっかりと自分の仕事を果たす事を、約束する」
 ハンガー内の大気が対流を起こした。そう錯覚してしまいそうなほど、こちらを見ていた整備員達が、一斉に敬礼を行った。私に向かって。
「了解致しました、少尉! 自分たちの持てる技術と魂をもって、誠心誠意、勤めさせて頂きます!」
「こちらこそ、これからよろしく、みんな」
 いささかならず気恥ずかしい思いをしながら、私は答礼した。

◆◇◆

 翌日。
 整備が終わったばかりの、私の当分の愛機F-4<ファントム>前席に身体を収め、私はプリフライト・チェックを行う。
 機体のコンピュータによるセルフテストと、私が手動で行うテストとの結果が合致すれば、HUDと計器の下にあるメイン・ディスプレイに表示されるチェック項目が消えていくようになっている。
 大した時間も置かず、全ての項目がディスプレイから消える。オールグリーン。
 今日はテストフライトの為、ミサイルは搭載していない。機銃の弾丸だけが、機体内にロードされる。同時に燃料が注入されていく。規定燃料量に達して、流入がストップすると同時に、弾丸のロードも終了する。マスターアーム・スイッチをオン。HUDの表示が点灯する。
「こちらメビウス1。プリフライト・チェック終了。オールグリーン。タキシーウェイへの誘導を乞う」
 私が無線で管制に連絡すると、了解という応答の後、スポッティングドーリーが機体前輪のフックへとワイヤーを引っ掛け、私の機体を牽引する。やがてタキシーウェイに達するとドーリーはワイヤーを外して脇へ逸れ、代わりにコンプレッサーが接近してくる。
 エンジンにスターター接続。コンプレッサー始動。エンジンが回転を始める。私はトゥブレーキを踏み込み、スロットルを押し込む。エンジン点火。甲高い吸気音と、爆発音のような排気音が響く。スロットルをIDL(アイドル)近くまで戻し、滑走路へと機体を誘導すると、通信が入った。

「メビウス1、イツキノ少尉、聞こえますか!?」
 昨晩の、整備員の彼からだった。
「ええ、ちゃんと聞こえるわ」
 なにかあったのか、と一瞬思ったが、そうではなかった。
「機体の整備は、考え得る限りでは完璧です! あとは少尉の癖に合わせますので、お気づきの点がありましたら、遠慮無くご指摘下さい!」
 そんな事をしゃちほこばって報告しなくてもいいのに、と私は内心で苦笑した。どうも思った以上に、昨日の一件は効果があったらしい。
 ……尤も、ここまで懐かれてしまうとは、思いもよらなかったが。
「ありがとう。そうさせて頂くわ」
 そう答えるだけに止めておく。しかし昨日の彼はまだ興奮した口調で、
「グッドラック、少尉、お気をつけて!」
 テストフライトでお気をつけて、も無いと思わないでもないが、その気遣いだけは、素直にありがたかった。
「ありがとう、ええと……」
 ここまできて、私は初めて、彼の名前を聞いていない事に気がついた。それを察してくれたのだろう。
「ユリウスです、少尉。ユリウス兵長」
「ユリウス兵長、感謝する。……これからもよろしく」
「こちらこそ!」

 機体が滑走路に達する。管制塔にテイクオフ・クリアランス、コール。すぐにクリアランスを受諾する。
 滑走路脇では、何人かの整備員がグッドラック、のサインを送ってきた。私はそれに右手をあげ、さらにグッドラックのサインをあげて答える。
 スロットルをMLT(ミリタリー)へ叩き込む。滑走開始。ローテーション。
 ランディング・ギア、UP。フラップ、UP。油圧系統をFLT(フライト)へ移項。その時、機体は既に空中にある。
 スロットルMAX、さらに押し込むとA/Bキューがスロットル計器に点灯。アフターバーナーに点火。私を乗せた<ファントム>は大空を垂直に駆け上がっていく。
 後を振り返ると、あれだけ大きかった滑走路が、基地が、玩具のように小さくなっていくのが見えた。


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